気付けばクリスマスイヴ。これといった趣向もなく、いつもの週末土曜日だ。みなが浮かれていたバブル期も指をくわえて傍目にみていた身にとっては、楽しかったクリスマスの思い出もない。今も昔も平々凡々…嗚呼 まあ仕方ない。気を取り直して日常ルーチン。先回の続きで、こんな盤を取り出した。 20年程前に「Great Pianist of The 20th Century」という名で出ていたシリーズ物のグールドの巻。グールドは例のボックスセット があるのだが、同じ録音ながら別企画の盤で聴くのも悪くない。このシリーズは20世紀を代表するピアニストの代表的な録音をそれぞれCD2枚の収めてある。先日記事に書いたリパッティもこのシリーズ。今思えば随分と珍しいピアニストの盤もあった。もう少し手を広げて買っておけばよかったと少々後悔している。 グールドのぼう大な録音から2枚のダイジェストを作るにあたって、企画担当者は随分と悩んだことだろう。その結果選ばれたのは、バード、ギボンズ、スカルラッティが数曲、モーツァルトとハイドンが1曲ずつ。それと時代が飛んでR・シュトラウス、スクリャービン、ベルク、プロコフィエフなど。中ではカルメンやアルルの女で有名なビゼーの「演奏会用半音階的変奏曲」が珍しい。ビゼーといえばまずはカルメン、アルルの女、交響曲ハ長調あたりが思い浮かぶが、それ以外にといわれると馴染みはぐっと少なくなる。この「演奏会用半音階的変奏曲」は彼の数少ないピアノ作品のひとつ。ピアノ愛好家にはそれなりの知名のある曲かもしれないが、一般にはグールドが弾いているということでにわかに知られるところとなったようだ。実際、ぼくもグールドの演奏で初めて耳にした。ビゼーのメロディーメイカーとしての一面に加えて、後期ロマン派風の拡大した半音階技法を駆使した佳曲で、ピアニスティックな魅力にもあふれていて聴きごたえのあるコンサートピースだ。 この盤の音源。VIDEO 全日本ピアノ指導者協会ならびに同協会協力者提供の音源。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
今週は前半に少々重い仕事があったが何とか切り抜け、年内の峠を越した(やれやれ…)。さて、週末ではないが気分は少々リラックス。音盤棚を眺めていて、この盤と目が合ったので久々に取り出した。 ディヌ・リパッティ(1917-1950)の2枚組。20年程前に出ていた「Great Pianists of the 20th Century」というシリーズの中のもの。2枚組の1枚は協奏曲で、カラヤンとのシューマン、ガリエラとのグリーク、共にオーケストラはフィルハーモニア管。もう1枚はバッハのパルティータ第1番の他、モーツァルトのイ短調のソナタKV310、ショパンの3番のソナタ、ブラームスのワルツなどが収められている。ぼくは熱心なリパッティファンではないのでよくは知らないのだが、リパッティの録音は多くないはず。現在CDで簡単に手に入るのはおそらく数枚ではないか。 バッハのパルティータ第1番を聴く。端整なバッハ演奏。ぼくの中にあるリパッティのイメージではもっと前世紀的なロマンティシズムを引きずっていると思っていたのだが、あらためてこのパルティータを聴くと、その予見は見事に外れた。プレリュードは速からず遅からずの中庸のテンポ設定で、大きなルバートをかけることなく、トリッキーな仕掛けもなく、淡々と穏やかに進む。1950年録音で音の状態は決してよくはないが、彼の音楽作りの方向性はよく聴き取れる。アルマンドは粒立ちのいいスケールがよどみなく流れる。サラバンドももたれるところがなく、遅すぎないテンポであっさりと弾き切っている。もっぱらショパン弾きのイメージが強いリッパティだが、バッハからもそのリリシズムは十分伝わってくる。 この盤の音源。バッハのパルティータ第1番BWV825 1950年7月ジュネーヴでのセッション録音。VIDEO リパッティ最後の演奏会ライヴ@1950年9月ブザンソン 最初にバッハのパルティータ第1番。そのあとモーツァルトのソナタ第8番、シューマン、ショパンと続く。この演奏会から三ヶ月後、1950年12月に亡くなった。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
十月半ばの週末日曜日。朝から町内自治会の行事。担当職務を終えて昼過ぎに帰宅した。そのまま午睡に落ち、しばし休憩。目覚めの一服で渋茶をすすりながら、こんな盤を取り出した。 グレン・グールド(1932-1982)の弾くベートーヴェン後期ピアノソナタ集。第30・31・32番というベートーヴェンの最後期の3曲が収録されている。録音は1956年でグールドの盤歴の中では初期のもの。 ベートーヴェンのピアノソナタは第29番「ハンマークラヴィーア」で頂点に達したといっていいだろう。その後の最後期の作品となった30番から32番は、29番に比べると規模や構成は小さくなり、反面、簡素な構成の中で精神性と叙情性がより深みを増している。特に31番と32番などはその趣きが一段と際立っている。31番の第3楽章は深い美しさをもった旋律とそのあとにベートーヴェン後期の特徴的手法でもあるフーガが続く。最後のピアノソナタとなった第32番も第1楽章こそベートーヴェンらしい激しさも現れるが、第2楽章はやはり静かな歌とその変奏が続き、全体としては静寂が支配する音楽だ。叙情性と対位法的扱いあるいは変奏形式は、深く静かに瞑想しながら曲の核心にせまるグールドの一面によく合うように思う。 この盤の音源。第31番全3楽章 少々音を加工(疑似ステレオ化)しているが悪くない。VIDEO 第31番の第3楽章 解説に続いて3分7秒から演奏が始まる。VIDEO エレーヌ・グリモーの弾く第31番。ショートヘアにしたグリモーに目が釘付けだ…(^^;VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
週半ばの水曜日。きょうは仕事のあと野暮用あって少々遅い帰還。ひと息ついて音盤を取り出す元気もなく、先日聴いたこの盤の備忘を記しておこう。 ベートーヴェンのディアベリ変奏曲。正確には「ディアベリのワルツによる33の変奏曲ハ長調作品120」。60年代半ばのデビューアルバムの一つにこの曲を選んでいたバレンボイム(1942-)による1981年再録盤。 今更、素人のぼくなどが講釈するまでもないが、この曲はバッハのゴルドベルクに比肩される大曲だ。実際この盤でも演奏時間は1時間を越える。作品番号からも分かる通りベートーヴェン晩年の曲。同時期には第九交響曲の作曲も進行していた。 アントン・ディアベリ( 1781-1858)はぼくらギター弾きにはいくらか馴染みがある。この曲の成立には当時のウィーンで、作曲家としてよりもむしろ出版事業主としての名声を得ていたディアベリの暗躍もあるとのことだが、それはともかく、平々凡々としかいいようのないワルツを使いながら、すっかりベートーヴェン色に染め、充実かつ新規性に満ちた和声と構成を成し遂げているところは、やはりベートーヴェンの第一級の仕事だろう。各変奏曲がそれまでの時代によくあったような技巧的バリエーションにとどまらず、まったく新しい情緒の表出になっている。特に後半、第24変奏の小フーガを経て終盤となり、ハ短調となって瞑想的に進む第29変奏、変ホ長調32変奏の重厚なフーガ、そして再びハ長調に戻って終曲を迎える頃には、この曲が小さな変奏曲の集まりだということを忘れそうになるほどの充実ぶりだ。 楽譜付き全曲。46分からラルゴ・モルト・エスプレシーヴォの美しい第31変奏。そして32変奏のフーガ(51分43秒から)へと続く。VIDEO バレンボイムによる2020年秋コロナ禍期間の録音。ベートーヴェンのピアノソナタ全曲(バレンボイムのとって5回目!)と併せて録音されたようだ。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
三連休が終わり、週半ばの水曜日。都内での仕事を終え、夕方5時過ぎの新幹線で帰途についた。コロナ第7波到来の中、人の動きはむしろより活発になっている感じで、新幹線も東京駅を出たあと、大宮駅で東北新幹線からの乗客が合流するとほぼ満席になる。 さて、帰宅後一服して弛緩タイム。音盤棚を見回し、しばらく手を伸ばしていなかったグールドのボックスセットを取り出し、くじ引きよろしく一枚引き当てた。 取り出したのはモーツァルトのピアノソナタ集のうち第8番・第10番・第12番・第13番の4曲が入っている盤。60年代後半から70年にかけての録音。 第8番のよく知られたイ短調のソナタは、いきなり猛スピードの第1楽章から始まる。確かにこの曲の1楽章の音形からすると楽譜の指示にはMaestosoとあるものの、荘重で悲劇的に奏するよりは、一気に疾走する方が相応しいようにも思える。グールドのテンポは悲しみを感じる間もなくイ短調という調性に駆られてひた走る感がある。展開部は更に激しく突き進む。そして対比するように第2楽章は美しいフレージングと適確なアーティキュレーションで落ち着いた弾きぶりを示す。 この盤で興味深いの第13番変ロ長調K.333のソナタだ。 モーツァルトのピアノソナタの中でももっとも優れたものの一つとされる。この曲の第1楽章に6分24秒かけているYouTubeの演奏(1967年)と比べると、この盤の録音(1970年)はずっと速いテンポ、3分44秒で弾き終えている。これほど違うとは正直驚いた。グールドの演奏は彼なりの完成された解釈と確固たる自信に裏付けられているものと思ったが、意外にも場合によっては相当異なった解釈をするものだということを知った次第だ。 この盤の楽譜付き音源。第8番イ短調全3楽章。1969年録音VIDEO K.333の演奏を比べてみよう。 この盤、1970年録音の楽譜付き音源。VIDEO こちらは映像収録用の演奏。1967年とのこと。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
梅雨も佳境ながら陽射しのある日は容赦なく気温も上昇。程なくやってくる灼熱の夏を予感させる。さて週末金曜日。いつもの時刻に帰宅。夜更け前の音盤タイム。久しぶりにチェロを聴こうかとこの盤を取り出した。 モーリス・ジャンドロン(仏1920-1990)の弾くチェロ小品集。フルニエ、トルトゥリエ、ナヴァラ、ジャンドロンとフランスには名チェリストが多い。ジャンドロンは指揮者としても活躍し、晩年当地群馬交響楽団にも来演。ブラームス交響曲第4番の録音を残している。この盤は十年程前に廉価盤で出た際に買い求めたのだが、すでに廃盤。収録曲は以下の通り。お馴染みの小品が並ぶ。1960年ジャンドロン40歳のときの録音。ピアノ伴奏はジャン・フランセ。 1. セレナード 作品54の2 (ホッパー) 2. オンブラ・マイ・フ (歌劇≪セルセ≫からラルゴ) (ヘンデル) 3. 白鳥 (≪動物の謝肉祭≫から) (サン=サーンス) 4. トロイメライ (≪子供の情景≫から) (シューマン) 5. くまんばちの飛行 (リムスキー=コルサコフ) 6. ロッシーニの主題による変奏曲 (パガニーニ) 7. ギターレ 作品45の2 (モシュコフスキ) 8. 愛の悲しみ (クライスラー) 9. スペイン舞曲 第1番 (歌劇≪はかなき人生≫から) (ファリャ) 10. コラール≪主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる≫ (J.S.バッハ) 11. 序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3 (ショパン) 12. 常動曲 (フィッツェンハーゲン) 13. アンダルーサ (スペイン舞曲 第5番) (グラナドス) 14. ユモレスク 作品101の7 (ドヴォルザーク) チェロの小品集というのは、夜更けに聴く音楽として最も相応しいものの一つだろう。手持ちの盤にも、カザルスに始まり、フルニエ、ヤニグロ、トルトゥリエ、シュタルケル、藤原真理、徳永兼一郎といったそれぞれに個性的な演奏があって、折にふれ楽しんでいる。中ではヤニグロの盤がもっとも聴く機会多く、このブログでもすでに何度か記事にした。ヤニグロの安定感と切れのある技巧、そして深い呼吸とフレージングの演奏を聴くと、どうしても他の演奏が性急かつ不安定に聴こえてしまう。ジャンドロンの演奏もそんな感じがあって、実のところあまり聴くことがなかった。こうしてあらためて聴いてみると、いかにもフランス系の感覚的な即興性やいきの良さ、ときにさりげない弾きっぷりに感心した。選曲もこうした特質を生かす明るく、よく流れる曲が選ばれている。モシュコフスキではヴァイオリンかと思わせるハイトーンのフレーズを鮮やかに奏で、クライスラーの愛の悲しみやバッハのもっとも美しいコラールの一つBWV639も控え目にさりげなく歌う。 そんな中、さきほどからショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」を聴いている。ショパンの作品の大半はピアノ曲だが、数少ない(確か数曲ほどだったか)室内楽曲において、チェロのための重要なレパートリーを残している。この曲もチェロソナタト短調を並ぶそんな曲の中の一つだ。ジャンドロンは速めのテンポでサクサクと弾き進めていて、もってまわったようなところがない。同じこの曲をトルトゥリエが10分以上かけているところを、ジャンドロンは8分を切る。技巧の切れはいいが、それを見せ付けるようなところがなく、サラりと聴かせる感じがいかにもフランス的で洒脱だ。 この盤の音源。ショパン「序奏とポロネーズ」VIDEO 同曲 ライヴでのジャンドロン 1966年VIDEO セル&クリーヴランドの黄金期を支えた一人、リン・ハレル(1944-)による演奏。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
六月最初の週末土曜日。朝から野暮用いくつかこなし、昼をはさんで留守番。雑誌を眺めつつ、BGM代わりのこんな盤を取り出した。 高橋悠治(1938-)の弾くバッハ。 高橋悠治といえば70年代以降、気鋭のピアニストとして現代音楽の領域で第一線を進んでいた存在として記憶している。一方でバッハを始め古典期から近代までの作品も録音に残した。十数年前に当時の一連の録音が「高橋悠治コレクション」として13タイトル復刻された際、バッハを2セット買い求めてみた。パルティータ全6曲、フランス風序曲、インヴェンションとシンフォニア、イタリア協奏曲が収められている。実は手にした当時、一聴してその解釈に違和感を覚えてから以降、ほとんど聴かずに放置したままだったので、きょうは久々に聴いたことになる。 インヴェンションの第1曲が流れてきてすぐ、やはり曲の運びが引っかかる。彼が繰り出す装飾音、それに伴って元々の旋律が刻んでいる拍節感が微妙にずれるところがどうにも気になってしまう。正確にメトロノームを合わせたわけではないので、実際のテンポやビートがずれているのかどうかは定かでないが、ぼくの鈍い耳には、テンポが不規則に揺れるあるいは引っかかるという感じに聴こえてくるのだ。グールドの解釈はユニークだといわれ、確かに通例よりも速いあるいは遅いテンポをとることもしばしばだが、そのテンポの中での拍節感はまったく変化なく、装飾音を繰り出しても正確なビートを刻みながら曲が進んでいく。そこに違和感は感じない。高橋悠治の演奏を第2曲以降よく聴いていくと、どうやら旋律的な曲でその傾向が強く、対位法的な曲ではそうしたことはなく正確なビートで各声部を弾き進めている。そのためそうした曲ではさほど違和感はなく楽しむことが出来た。またWikipediaには「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」と高橋が語ったとあって、なるほどと合点した。どうやら彼は予定調和的なアーティキュレーションを良しとしない立場を取ったのかもしれない。…と、こんな風に聴いたあとでライナーノーツを見て納得した。この演奏は原曲の初稿ともいうべきいわゆる「装飾稿」による演奏であること、また解釈や曲順等に高橋の意図が色濃く反映されていることが記されていた。なるほど一聴して奇異に感じるのも当然かもしれない。そのあたりの経緯は日本コロンビアのサイトに詳しく書かれている 。 イタリア協奏曲の第1楽章は手持ちの盤の中では最速かと思わせる速さで始まり、浅めの呼吸でそのまま最後まで突っ走る。主題の切替えでルバートをかけることもなく、見得を切ることない。最初は食い足らない気分で聴き始めたが、少し聴き進めるとさほど違和感なく耳に入ってきた。これはこれでいいかもしれないと思えてきた。少々不思議な演奏というのが偽らざるところだ。この録音から40年以上を経過した今、どんな演奏をするのだろう。 手持ちの盤からアップした。イタリア協奏曲第1楽章アレグロVIDEO 同 パルティータ第2番ハ短調第1曲シンフォニアVIDEO 小フーガBWV578。これはごく素直に耳に入ってくる演奏。そしてときにロマンティックな表情で驚く。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村