梅雨も佳境ながら陽射しのある日は容赦なく気温も上昇。程なくやってくる灼熱の夏を予感させる。さて週末金曜日。いつもの時刻に帰宅。夜更け前の音盤タイム。久しぶりにチェロを聴こうかとこの盤を取り出した。 モーリス・ジャンドロン(仏1920-1990)の弾くチェロ小品集。フルニエ、トルトゥリエ、ナヴァラ、ジャンドロンとフランスには名チェリストが多い。ジャンドロンは指揮者としても活躍し、晩年当地群馬交響楽団にも来演。ブラームス交響曲第4番の録音を残している。この盤は十年程前に廉価盤で出た際に買い求めたのだが、すでに廃盤。収録曲は以下の通り。お馴染みの小品が並ぶ。1960年ジャンドロン40歳のときの録音。ピアノ伴奏はジャン・フランセ。 1. セレナード 作品54の2 (ホッパー) 2. オンブラ・マイ・フ (歌劇≪セルセ≫からラルゴ) (ヘンデル) 3. 白鳥 (≪動物の謝肉祭≫から) (サン=サーンス) 4. トロイメライ (≪子供の情景≫から) (シューマン) 5. くまんばちの飛行 (リムスキー=コルサコフ) 6. ロッシーニの主題による変奏曲 (パガニーニ) 7. ギターレ 作品45の2 (モシュコフスキ) 8. 愛の悲しみ (クライスラー) 9. スペイン舞曲 第1番 (歌劇≪はかなき人生≫から) (ファリャ) 10. コラール≪主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる≫ (J.S.バッハ) 11. 序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調 作品3 (ショパン) 12. 常動曲 (フィッツェンハーゲン) 13. アンダルーサ (スペイン舞曲 第5番) (グラナドス) 14. ユモレスク 作品101の7 (ドヴォルザーク) チェロの小品集というのは、夜更けに聴く音楽として最も相応しいものの一つだろう。手持ちの盤にも、カザルスに始まり、フルニエ、ヤニグロ、トルトゥリエ、シュタルケル、藤原真理、徳永兼一郎といったそれぞれに個性的な演奏があって、折にふれ楽しんでいる。中ではヤニグロの盤がもっとも聴く機会多く、このブログでもすでに何度か記事にした。ヤニグロの安定感と切れのある技巧、そして深い呼吸とフレージングの演奏を聴くと、どうしても他の演奏が性急かつ不安定に聴こえてしまう。ジャンドロンの演奏もそんな感じがあって、実のところあまり聴くことがなかった。こうしてあらためて聴いてみると、いかにもフランス系の感覚的な即興性やいきの良さ、ときにさりげない弾きっぷりに感心した。選曲もこうした特質を生かす明るく、よく流れる曲が選ばれている。モシュコフスキではヴァイオリンかと思わせるハイトーンのフレーズを鮮やかに奏で、クライスラーの愛の悲しみやバッハのもっとも美しいコラールの一つBWV639も控え目にさりげなく歌う。 そんな中、さきほどからショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」を聴いている。ショパンの作品の大半はピアノ曲だが、数少ない(確か数曲ほどだったか)室内楽曲において、チェロのための重要なレパートリーを残している。この曲もチェロソナタト短調を並ぶそんな曲の中の一つだ。ジャンドロンは速めのテンポでサクサクと弾き進めていて、もってまわったようなところがない。同じこの曲をトルトゥリエが10分以上かけているところを、ジャンドロンは8分を切る。技巧の切れはいいが、それを見せ付けるようなところがなく、サラりと聴かせる感じがいかにもフランス的で洒脱だ。 この盤の音源。ショパン「序奏とポロネーズ」VIDEO 同曲 ライヴでのジャンドロン 1966年VIDEO セル&クリーヴランドの黄金期を支えた一人、リン・ハレル(1944-)による演奏。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
六月最初の週末土曜日。朝から野暮用いくつかこなし、昼をはさんで留守番。雑誌を眺めつつ、BGM代わりのこんな盤を取り出した。 高橋悠治(1938-)の弾くバッハ。 高橋悠治といえば70年代以降、気鋭のピアニストとして現代音楽の領域で第一線を進んでいた存在として記憶している。一方でバッハを始め古典期から近代までの作品も録音に残した。十数年前に当時の一連の録音が「高橋悠治コレクション」として13タイトル復刻された際、バッハを2セット買い求めてみた。パルティータ全6曲、フランス風序曲、インヴェンションとシンフォニア、イタリア協奏曲が収められている。実は手にした当時、一聴してその解釈に違和感を覚えてから以降、ほとんど聴かずに放置したままだったので、きょうは久々に聴いたことになる。 インヴェンションの第1曲が流れてきてすぐ、やはり曲の運びが引っかかる。彼が繰り出す装飾音、それに伴って元々の旋律が刻んでいる拍節感が微妙にずれるところがどうにも気になってしまう。正確にメトロノームを合わせたわけではないので、実際のテンポやビートがずれているのかどうかは定かでないが、ぼくの鈍い耳には、テンポが不規則に揺れるあるいは引っかかるという感じに聴こえてくるのだ。グールドの解釈はユニークだといわれ、確かに通例よりも速いあるいは遅いテンポをとることもしばしばだが、そのテンポの中での拍節感はまったく変化なく、装飾音を繰り出しても正確なビートを刻みながら曲が進んでいく。そこに違和感は感じない。高橋悠治の演奏を第2曲以降よく聴いていくと、どうやら旋律的な曲でその傾向が強く、対位法的な曲ではそうしたことはなく正確なビートで各声部を弾き進めている。そのためそうした曲ではさほど違和感はなく楽しむことが出来た。またWikipediaには「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」と高橋が語ったとあって、なるほどと合点した。どうやら彼は予定調和的なアーティキュレーションを良しとしない立場を取ったのかもしれない。…と、こんな風に聴いたあとでライナーノーツを見て納得した。この演奏は原曲の初稿ともいうべきいわゆる「装飾稿」による演奏であること、また解釈や曲順等に高橋の意図が色濃く反映されていることが記されていた。なるほど一聴して奇異に感じるのも当然かもしれない。そのあたりの経緯は日本コロンビアのサイトに詳しく書かれている 。 イタリア協奏曲の第1楽章は手持ちの盤の中では最速かと思わせる速さで始まり、浅めの呼吸でそのまま最後まで突っ走る。主題の切替えでルバートをかけることもなく、見得を切ることない。最初は食い足らない気分で聴き始めたが、少し聴き進めるとさほど違和感なく耳に入ってきた。これはこれでいいかもしれないと思えてきた。少々不思議な演奏というのが偽らざるところだ。この録音から40年以上を経過した今、どんな演奏をするのだろう。 手持ちの盤からアップした。イタリア協奏曲第1楽章アレグロVIDEO 同 パルティータ第2番ハ短調第1曲シンフォニアVIDEO 小フーガBWV578。これはごく素直に耳に入ってくる演奏。そしてときにロマンティックな表情で驚く。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
もう40年前の話だが… 勤め人になって二回目のボーナスでチェロを買い、当地群馬交響楽団のチェロ奏者について習い始めたことがある。学生時代からギターでバッハのチェロ組曲などを弾くことがあって、社会人になったら本物のチェロで弾こうと思っていたのだ。その先生から、スジがいいだの耳がいいだのとおだてられながら三ヶ月ほど通ったが、仕事もあわただしくなってきて通いきれずに終わった。以来それきりで楽器も後年手放した。続けていれば今頃はどこかのアマオケの末席でごまかしごまかし弾いていたかもしれない。再チャレンジ…という気もなくはないのだが、どうしたものだろうと思案しているうちに人生終盤になってしまった…と、そんなことを思い出しつつ、きょうはこんな盤を取り出した。 モーリス・ジャンドロン(1920-1990)によるバッハ無伴奏。1964年に録音され仏ACCディスク大賞を受賞したという盤だ。この盤は先の先生から薦められた経緯がある。フルニエ、トルトゥリエ、ナヴァラ、ジャンドロンとフランスには名チェリストが多い。ジャンドロンは指揮者としても活躍し、晩年当地群馬交響楽団にも来演。ブラームス交響曲第4番の録音 も残している。 ジャンドロンのバッハは一言でいえば楷書の味わいだ。中庸あるいはやや速めのテンポながら丁寧で、音楽全体のバランスがよく過不足ない。バッハ無伴奏チェロはもっとダイナミックで起伏に富んだ表現を狙えばいくらでも出来る曲だろう。またジャンドロンも手元にある小品集では、より自在にテンポを動かし、表現の幅も広げた演奏をしているのだが、バッハの無伴奏に関しては抑制を効かせた折り目正しい曲の運びだ。そんなところがチェロの先生が薦めた理由かもしれない。第1番のサラッとした速めの曲の運び、第2番は深刻にならずに淡々と憂いに満ちた短調の旋律を歌っていく。第6番では華麗なパッセージを苦しげなところもなく一筆書きのように描く。 ヨーヨー・マやロストロポーヴィッチといった名手の演奏も手元にあるが、あまりに流麗、ときに大仰でいささか演出過多に感じて引いてしまう。もっと深遠なバッハ像がほしくなるときもあるが、万事に楷書で中庸をいくジャンドロンのこの演奏は作為的なところがないことが奏功し、淡々と我が道をいく風情でありながら、曲によっては闊達な表情もある。録音もディスク大賞をとるだけあって素晴らしい。残響豊かながら細部も曖昧ならず繊細で美しい音作り。ジャンドロンの特徴をよく引き立てる音作りだ。手持ちの盤は70年代終盤に出ていた廉価盤LP。CDは長らく廃盤だったが、現在はDECCAレーベルになった盤が手軽に入手可能。この曲のファーストチョイスとしてイチオシだ。 フィリップスレーベルのCD盤音源。第1番から始まり、全6曲がリストされている。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
月があらたまって風薫る五月。ゴールデンウィーク前半の日曜日。日頃ずぼらして散らかり放題になっている机周りの整理整頓。やった本人は清々した気分になったが、傍目には変わりはないだろうなあと思いながら一服。ついでにアンプの灯も入れ、この盤を取り出した。 先日来の続きでまたまたグールド。先日も記事にしたリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のピアノ作品。今夜はロ短調のピアノソナタ作品5。この作品はリヒャルト・シュトラウスには珍しいピアノ曲の一つで、しかも十代の後半に書かれた曲。有名な曲だが、ぼくはこのグールドのボックスセットで初めて接した。1982年録音。 R・シュトラウスと聞けば、もっぱら管弦楽技法を駆使した管弦楽曲やオペラなど、後期ロマン派の濃厚な音楽を思い浮かべる。しかし、このピアノソナタはそうしたイメージとはまったく異なる。もちろん時代としてはロマンティックな要素を持ち合わせているが、同時に、若き日のシュトラウスが学んであろう古典派の様式と和声感をしっかり伝承している。その結果、彼の管弦楽曲のような技巧やモチーフてんこもりの曲想とは違い、シンプルにして明快かつ美しい。グールドの弾くブラームス間奏曲集のアルバムと同列のロマンティシズム、美しさと慰安に満ちていて、聴き進めるほどに心穏やかになる。先日記事にした「5つの小品」同様みずみずしく簡素なロマンティシズムをたたえた美しい曲だ。 この盤の音源。第2楽章。美しい…VIDEO この盤の楽譜付き音源 全楽章VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
先回の記事に書いたリヒャルト・シュトラウスのピアノ曲で、久々にグールドの例のボックスセットを開けたのだが、その折、晩年の録音が並んだ最後の方にこの盤を見つけたので取り出してみた。 ハイドンの後期ピアノソナタを収めた盤。グールド(1932-1982)最晩年1982年の録音で、第56・58・59・60・61・62番のソナタがCD2枚に収録されている。グールドは1958年に59番のソナタを録音している 。 ハイドンといえば、古典的で均整の取れた清廉なイメージを持つが、グールドのこの盤を聴くと番号によって随分と印象が違う。第58番のAndante con espressioneや他の番号の緩除楽章など、これはほとんどロマン派の音楽ではないかと耳を疑うほどの深さだ。テンポは遅く、一音一音に意味がこもる。ゆっくりとしたテンポにより、ノンペダルの音と音の間に空間が作られる。その空間にこちら側のインスピレーションが吸い込まれかのようだ。他方、速い楽章ではもたれず、明快なアーティキュレーションと粒揃いの音で、テンポの緩急に関わらず、一つ一つの音が高い技巧によってコントロールされ、深い譜読と相まって別世界のハイドンを聴かせてくれる。グールドが晩年に古典的均整の取れたハイドンを取り上げ、このような演奏をする意味が何となく分かるような気がする。 この盤の音源。手持ちの盤からアップ。第59番 第1楽章VIDEO 同 第2楽章VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
四月最終週。まもなく連休入り前。新年度早々の業務ひっ迫を乗り切るべく、きょうも中々に頑張って業務に精励。帰宅後、いささか疲れ気味の老体に鞭打つべく、生きのいい曲を聴こうかと、こんな盤を取り出した。 グールドの弾くバッハ・イタリア協奏曲。例のボックスセット中の一枚で、イタリア協奏曲とパルティータ第1番・第2番が収められている。グールドの演奏の中でも、このイタリア協奏曲は好きなものの一つだ。グールドもこの曲には思い入れがあったようで、この盤の1959年録音から二十年余たった1981年に再録している。 第1楽章の出だしから、決然とし曖昧さのない曲の運び。ノンレガートの正確なタッチと切れのいい音色で音楽は格調高く、かつ快活に進む。手元にイタリア協奏曲の盤はいくつかあるが、どうしてもこの盤に手が伸びる。十数年ほど前、仕事の関係で出張の多い時期があったが、出張先までの移動の車中、小さなメモリプレイヤーに入れたグールドの弾くパルティータや平均律、そしてこのイタリア協奏曲を何度聴いたことか。今でもグールドのバッハを聴くと、勤め人としてもっとも忙しかった当時の慌しさを思い出す。 グールドのバッハを聴くとき感じるのはこんな光景だ。…バッハの書いた寄木細工の小さな木片のような一つ一つの音符が空間にパッと撒き放たれ、それがハラハラを落ちてきながら空間で再び寄り集まって寄木模様が出来上がる、そして床に静かに落ちて見事な文様が出来上がる。そしてそこには床に再現された完全無比の寄木文様と、それらに対峙するグールドひとりの姿だけが見えてくる…。そんな光景をイメージするのだ。バッハのイタリア音楽への傾倒の表れもあって、特に第1楽章はヘ長調の明るい響きと明快な曲想で、いつ聴いても心沸き立つ。 この盤の音源。全3楽章VIDEO グールド27歳のときのドキュメンタリー「Glenn Gould On The Record」。NYコロンビアスタジオでの録音風景。イタリア協奏曲のテイクを重ねる(4分あたりから)。VIDEO ギターデュオによる第1楽章VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
気付けばもう四月も下旬。今月は新年度早々、日々あわただしく、週明け月曜のきょうも、せっせと働いた(ふ~っ)。帰宅後一服。あまり気分の余裕もないなあと思いつつも音盤棚をサーチ。こんな盤を取り出した。 例のグールド・ボックスセットの中の一枚。R・シュトラウス作品を収めた盤から「5つの小品」を選んでプレイボタンを押した。1979年録音。併録のピアノソナタの録音が1982年9月3日。その数週間後9月27日にグールドは病院に担ぎ込まれ、翌月10月3日死去。リリースは1984年。彼の盤歴中、最後期のものの一つだ。 穏やかに始まる第1曲アンダンテ。第2曲スケルツォは「愛の賛歌」中間部を思い出す。第3曲はもっとも長いラルゴ。深く内省的に沈みこむ。若さの芽吹きを感じる第4曲。終曲アレグロ・モルトでは途中フーガも交えてバロック舞曲風に華やかに終わる。 坂本龍一が推薦してからにわかに取り上げられるようになったブラームスの後期作品あたりに通じる曲想。R・シュトラウス16歳のときの作曲だそうだが、16歳の少年が一体どんなことを夢想しながら、こういうロマンティックな曲を書いたのだろうか。しかしここでのグールドの演奏は決してブラームスのときのような老成した感が強いものではなく、軽いタッチともたれないフレージングで、むしろ若き日のR・シュトラウスを連想させて心地よく心和む。 この盤の音源 「5つの小品」第1曲 AndanteVIDEO 同 第2曲 Allegro vivace scherzandoVIDEO 同 第3曲 LargoVIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村