ハイドン交響曲第75番ニ長調



六月。その昔は衣替えで学生の制服が一斉に変わったものだが、最近はどうなのだろう。勤め人はひと月前からクールビズで格別の変化なく月替わり。それでもぼちぼちろ雨の季節かなと、気分だけは楽しもう。 さて、少々厄介な案件に手こずりながらも週末金曜日。気分をすっきり晴らそうかと、こんな盤を取り出した。


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J.ハイドン(1732-1809)の交響曲第75番ニ長調。鈴木秀美&オーケストラ・リベラ・クラシカによる演奏。2005年6月1日浜離宮朝日ホールでの録音。十年程前に隣り町のタワーレコードで買い求めた記憶がある。ハイドンと同世代ヨハン・バプティスト・ヴァンハル(1739-1813)の交響曲ホ短調とモーツァルト(1756-1791)の第38番ニ長調<プラハ>が併録されている。ライナーノーツによれば、「古典派名曲の新鮮な響きをお届けする」「ハイドンをバックボーンとする」「知られざる作曲家或いは作品を紹介する」というこの楽団の基本方針は反映したもの…だそうだ。古典派LOVEな輩には最高のカップリングだろう。

ハイドンの75番と聴いてにわかに主題を思い出せる程のハイドンマニアではないが、久々に聴いて、そうだそうだと思い出した。トランペットとティンパニが入っていることとニ長調という調性もあって、華やかで祝祭的雰囲気の佳曲。第1楽章冒頭グラーヴェの序奏で堂々と始まる。第1主題も印象的で、音価の配分、リズムとアクセントの置き具合など、4小節のモチーフがよく考えられたものだと分かる。第2楽章アダージョは弦楽群を中心とした変奏曲で中々チャーミング。中盤ではチェロのソロが活躍し、終盤では木管群のアンサンブルが美しい。第3楽章メヌエットと第4楽章ヴィヴァーチェは、まさにハイドンを聴く楽しさあふれている。メヌエットのトリオではフルートが小鳥のさえずりようにソロを聴かせる。終楽章はニ長調の軽やかなモチーフで始まるが、突然ニ短調に転じて劇的な場面転換がある。以降も意を凝らした転調が続き、まったく飽きさせない。

鈴木秀美&オーケストラ・リベラ・クラシカの演奏は冒頭から快速調。ノンヴィブラートな弦楽群の透明な響きと秀逸なアンサンブル、思い切りのいいティンパニーと文句なしの出来栄えだ。


ドラディ盤の第75番。


ヴァンハルの交響曲ホ短調の第1楽章。



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ベルリオーズ<幻想>



週明け月曜。通勤車中で何気なく聴いていた曲をあらためて聴こうと、こんな盤を取り出した。


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ベルリオーズの<幻想交響曲>。アバド&シカゴ響による本拠地シカゴシンフォニーホール(写真)での1983年の録音。当時シカゴ響はショルティとの全盛期真っ只中であったが、同時に82年から85年までアバドを首席指揮者に迎え、独グラモフォンにいくつか録音を残した。この盤もその中の1枚。ショルティ&シカゴのコンビは1977年の来日公演に接している。大学4年の夏だったが、六千円のチケット代を一度に払えず二回の分割で支払った。学生向けのそんなオプションもあった時代だ。そのときのプログラムがドビュシーの海とベルリオーズの幻想だった。シカゴ響はともかくよく鳴るオケだった。金管群などは余裕の吹きぶりながら圧倒的な響きで押してきた。

しかしシカゴ響のそんなイメージをもってこの盤を聴くと、その予想は見事に裏切られる。第1楽章の出だしそして主部になっても響きが実にしなやかで美しい。第2楽章のワルツも控え目なくらいの歌いっぷり。第3楽章も木管が遠めに定位してよく溶け合った響きで美しい。派手でイケイケのアメリカンメジャーオケという感じはしない。アバドの采配と独グラモフォンの録音ポリシーとが相まっての結果だと思うが、デッカ録音のショルティ&シカゴとは随分印象が異なる。もちろん第4、第5楽章ではシカゴ響の優秀な合奏能力とパワーも存分に発揮されるのだが、ともかく第3楽章までが際立って美しい。しなやかで美しく流れる音楽を作るアバドのいい面が出た演奏だ。それにしても1830年というまだ初期ロマン派といってもいい時代に、これほど革新的な曲を作ったベルリオーズにあらためて驚く。


シカゴ響の今


この盤の音源



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ハイドン交響曲第52番ハ短調



きのうの続き、シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)期のハイドンを聴く。


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交響曲第52番ハ短調。デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管による全集中の1枚。作曲年代順に整理されているこの全集では、第42番ニ長調とカップリングされている。きのう聴いた同時期の第45番<告別>の少し前に作られている。

型通りの4楽章形式。例によってハイドンの短調交響曲らしく、第1楽章冒頭からユニゾンの主題が一気に立ち上がる。ただし昨日の45番のように疾走する気配はなく、重々しく厳かに響いたあと、弦楽器群の上層音階が明快に示され、曲が動き出す。コントラストのはっきりした副主題は明るさを兼ね備え、この楽章全体が短調特有の暗さや重苦しさとは距離をおく出来栄えだ。第2楽章アンダンテは異例ともいえるほどの規模で、この盤では9分以上を要し、箸休めの緩徐楽章に終わっていない。第3楽章のメヌエットは全編倚音を駆使したフレーズが続き、独自の浮遊感がある。ラッセル・デイヴィスはこのメヌエット楽章を速めのテンポで進め、のちの時代のスケルツォの走りにように響く。ヴァイオリンの控えめなフレーズで始める終楽章。弦楽群が対話を交わしながら進み、緊張を高めたところでホルンが割って入る、そんなスリリングな展開が進み、最後はユニゾンのフレーズをトッティで奏でて曲を終える。

ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管の演奏は室内楽的といっていいほどのコンパクトさ。この曲を劇的に聴きたい向きには物足りないかもしれないが、曲全体に仕組まれた各パートの織り成す綾を楽しむには好適な演奏で悪くない。


ドラティ&フィルハーモニア・フンガリカによる音源。ハイドン全交響曲録音といえば、かつてはこの一択だった。



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ハイドン<告別>



週半ばの水曜日。今朝の通勤車中で聴いていた曲をあらためて聴こうと、こんな盤を取り出した。


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ハイドンの交響曲第45番嬰ヘ短調<告別>。デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管による全集盤中の1枚。同時代に作られた第47番ト長調<パリンドロウム(回文)>と第46番ロ長調がカップリングされている。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・センターでのライヴ録音。

他の作曲家にもよくあることだが、ハイドンの場合も作品番号(有名なところではホーボーケン番号)が必ずしも作曲順にはなっていない。近年、ハイドンの交響曲はいくつかの時代区分に分けられ、この第45番は1770年前後のシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)期に含まれている。この時期の交響曲としてはほぼ作曲年代順に、第38,58,35,59,49,26,41,65,48,44,43,52,42,47,45,46番が含まれ、疾風怒濤の言葉通り、積極的な感情表現の表出や劇的な曲想をもち、ハイドンの交響曲として有名な後期作品とはまた違った趣きの名曲が多い。また、そうした感情表現のためもあってか、短調作品が集中しているのも特徴だ。第26<哀歌>,49<受難>,44<悲しみ>,52,45<告別>番と短調作品が並ぶ。

この曲は作曲当時のエピソードや終楽章後半のギミックばかりが取りざたされるが、第1楽章から音楽はすこぶる充実している。ハイドンの他の短調交響曲にしばしばみられるように序奏を置かず、冒頭から悲しみがほとばしる。<疾走する悲しみ>は<モオツアルト>ばかりではないと実感する。フォルテとピアノの対比、短二度のぶつかり合いなど、ベートーヴェン<英雄>の先取りかと思わせる箇所もある。第2楽章は穏やかな緩徐楽章。がしかし、音楽はどこか不安と緊張をはらみ落ち着かず、<告別>の予感を思わせる。終楽章は巧みな転調やリズミックな処理もあって、第1楽章以上に疾走感に満ち、一気に聴かせる。突然、属和音が響いて静まると、これまでの音楽を忘れたかのように穏やかなアダージョとなり、そして例のギミックが始まる。パートごとに短いソロを終えると三々五々とステージを去り、指揮者もいなくなり、最後にヴァイオリンパートの二人が見つめるように弾き終えて曲の幕が下りる。

デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管のコンビによるこの全集の演奏は、折り目正しく古典的ではあるが、総じてテンポ設定が遅め。特にこの曲などでは、それが少々災いしている側面無きにしも非ず。一気呵成の疾走感にはやや乏しい。


コンラート・ファン・アルフェン指揮シンフォニア・ロッテルダムによる演奏。小編成のメリットが生き、闊達かつ自在に進む。


バレンボイム&ウィーンフィルによる第4楽章のパフォーマンス@2009年ニューイヤーコンサート。



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セルのブルックナー第3



連休明けの月曜日。休み疲れもものかは、本日も産業立国日本のため業務に精励。7時過ぎに帰宅した。雨夜の品定め、もとい音盤定め。こんな盤を取り出した。


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ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団によるブルックナーの交響曲第3番ニ短調。1966年同コンビの本拠地セヴェランスホールでのセッション録音。手持ちの盤は数年前にこのコンビの録音がまとめて再リリースされたときのもので、第8番ハ短調とカップリングされた2枚組。8番は以前からLPで保有していたが、第3番はこの盤でようやく接した。1889年第3稿ノヴァーク版による演奏。

ブルックナーの交響曲に接したのは大学時代の70年代半ば。最初に聴いたのはお約束通り第4番だったと思うが、ブルックナーに心酔し、それこそ寝ても覚めての状態になったのは第5番や第8番を知ってからだったように記憶している。4・5・7・8・9番と親しみ、ついで第6番。やや遅れてこの第3番といった順序だった。20代にいやというほど聴いたためか、昨今取り出す機会が少なくなった。取り分け第3番を聴くのは久々だ。

あらためのこの曲を通して聴くと、第1楽章などはその規模の大きさに比して、素材の熟成がいま一つで、散漫な印象を禁じ得ない。展開するようでしない、盛り上がるようで盛り上がらない…そんな感じは他のブルックナー作品にもままあることだが(そこが魅力でもあるのだが…)、この曲の特に第1楽章は、どうなるどうなると思っているうちに終盤を迎える感がある。この曲の熱心なファンからすれば「聴く耳持たぬ与太ごときに何が分かるか…」と言われそうだ。まあ、それももっともだろう。 第2楽章は冒頭から美しいフレーズが展開する。第3楽章の旋回フレーズは、テンポを伸ばしたらレントラーになりそうで(イ長調に転じるトリオはまさにレントラー感MAX)、オーストリアのローカル風情に通じる感がある。

セルとクリーヴランド管の演奏はいつもながらの精緻極まるもの。ヴァイオリン群が歌う旋律のピッチやボウイングが実によく整っていて、とかく肥大しがちなブルックナーの音楽がまるで室内楽のように響く。録音もかつてたくさん出ていた同コンビの廉価盤LPの印象とはまったく異なり、十分良質に改善されている。


この盤の音源。美しい第2楽章は20分13秒から。


この盤の録音と同時期。ウィーンフィルとのライヴ。



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ケンペのブラームス第2


穏やかな日曜日。やや暖。
陽気につられ、こんな盤を取り出した。


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季節がよくなり、春から初夏に聴きたなる曲の一つ、ブラームスの交響曲第2番ニ長調。ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団によるLP盤。1974~75年に全集として録音された。手元には当時出たLP盤で4曲が揃っている。80年代初頭に、今はなき数寄屋橋ハンターで買い求めた記憶がある。このケンペ&ミュンヘンフィルの盤は短期間にレーベルがあれこれ変ったため、手持ちの4枚にはBASF・ACANTA・LIBEROの3種類が混在している。きょう聴いている2番はLIBEROレーベル。いずれも日本での発売はテイチクだった。

派手さとは無縁で堅実な職人指揮者というイメージがあったケンペ(1910-1976)だが、50年代からベルリンフィルを振ったり(ブラームスの交響曲全曲他)、ドレスデンのオケとリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を録音したりと、日本での人気が高まる前から欧州では一流の評価がなされていたのだろう。日本ではこのブラームスやブルックナーで70年代半ばに大いに人気を得た。ミュンヘンフィルとのブラームス録音は彼の晩年の録音ではあるが、指揮者としては夭折だった彼のキャリアからすれば、まさに充実した壮年期の演奏記録と言える。

中でも第2番はリリース当時も話題になったもの。演奏はまったくもって誠実で生真面目。妙な演出や仕掛けはない。以前の記憶ではもっとテンポが速かったように思ったていたが、きょう聴いてみると速いとまではいかないレベル。曲全体をすっきりと組み立て、その上で各パートの出入りや重なり合いを実によくコントロールしている。その結果、マスの響きで押すような演奏の対極で、響きの分解能が高く、音楽の構図がよくわかる演奏に仕上がっている。録音状態もアナログ最終期の良好なもので、ピュアな響きの重なり合いがよく分かり、重苦しさとは無縁ながら、重量感も迫力も不足はない。総じて正統派ドイツのブラームスを堪能できる名盤だ。


この盤の音源。フレーズの切り替えで微妙にテンポを動かしている。自身がオーボエ奏者であったことも影響しているのか、木管群が鮮やかに浮き立ち、弦楽群とよく対比される。 万事中庸で地味な指揮者というレッテルが貼られたことさえあるケンペ。どこが!?と真意を疑うのはぼくだけではないだろう。もっとも今ではそんな評価をする人はいないだろうが。


貴重な指揮姿。バンベルク交響楽団との第2番第1楽章の佳境。



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ドヴォルザークのナンバー7



暖かな週末が終わり、あすはまた仕事という日曜の晩。濃い目の珈琲を淹れてリラックス。先日来の<セブン>つながりで、今夜はこんな盤を取り出した。


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ドヴォルザークの交響曲第7番ニ短調作品70。ジョン・バルビローリ(1899-1970)と手兵ハレ管弦楽団との一連のステレオ録音中の一つ。1957年録音。手持ちの盤は70年代後半にテイチクから廉価盤で出たときのもので、ジャケット裏に記した日付をみると、大学卒業を間近に控えた1978年1月に買い求めている。収録曲は同曲の他に管楽セレナーデニ短調、伝説曲第4番と第7番。いかにもこの当時の廉価盤らしく(特にこのシリーズの…)LP盤としてはかなりの詰め込み編集だ。

ドヴォルザークの交響曲としては第9番「新世界から」、第8番の演奏機会が多いが、第7番や第6番なども劣らず素晴らしい曲だ。特に7番はドヴォルザークが敬愛したやまなかったブラームスの第3交響曲の影響が色濃く出ている。各所に現れるスラブ風のモチーフの扱いも渋く重厚で、表層的な民族的ロマンティシズムに留まっていない。この盤を手に入れた二十代前半、すでに9番も8番も少々食傷気味で、この7番の渋い響きにひかれていた記憶がある。

ドヴォルザークはイギリスで人気を得た。そのイギリスの20世紀を代表するコンビであるサー・ジョン・バルビローリ(父イタリア人・母フランス人で英国の血はゼロだが…)とハレ管弦楽団。チェリスト出身のバルビローリの少々粘着質な性格と解釈が奏功し、音の一つに一つにずっしりとした重みがのっている。テンポが遅めになった後年の演奏とは異なり、総じてきびきびとした運びで、曲の高揚に応じて熱気がみなぎり、一気に聴き入ってしまう。ハレ管弦楽団は少々荒削りなところがあり、また英国のマイナーレーベル:PYEのステレオ初期の録音ということあって、洗練された流麗な響きには程遠い録音だが、かえってそれが曲想に合っていて、中々に味わい深い。


この盤の音源で第1楽章。順次全楽章が再生される。
この録音は何度かCD復刻されているが、かつての廉価盤LPよりは高音質が期待できそうだ。


立教大学のオケによる第3楽章スケルツォ。地元池袋の東京芸術劇場にて。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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