週末金曜日。今週も何とか終了(ふう~っ…)。さて今夜は久しぶりバッハのカンタータを聴こう。いつもながらのボックスセットから、今月末の日曜に聴くべき曲を取り出した。 バッハのカンタータ「われらが神は堅き砦」BWV80。爆安ブリリアントクラシックスのバッハ全集ボックスの一枚。ネーデルランド・バッハ・コレギウムによる演奏。フリーデマン・バッハが付け加えた打楽器とトランペット等は除かれた編成で演奏されている。 ルターの宗教改革記念日である1724年10月31日に際し作曲されたとされ、ルーテル派教会暦では10月31日を前にした日曜日を現在も記念日として礼拝を営むそうだ。ルーテル派のコラールとしてもっとも有名なものの一つである「われらが神は堅き砦=神はわがやぐら」が使われている。メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」でも使われている有名なテーマだ。全8曲は以下の構成。 第1曲 合唱『われらが神は堅き砦』(Ein feste Burg ist unser Gott) 第2曲 アリア『神より生まれし者はすべて』(Alles, was von Gott geboren) 第3曲 レチタティーヴォ『思い見よ、神の子とせられし者よ』(Erwage doch, Kind Gottes) 第4曲 アリア『来たれ、わが心の家に』(Komm in mein Herzenshaus) 第5曲 コラール『悪魔が世に満ちて』(Komm in mein Herzenshaus) 第6曲 レチタティーヴォ『さればキリストの旗の下に』(So stehe denn bei Christi blutbefarbten Fahne) 第7曲 二重唱『幸いなるかな』(Wie selig ist der Leib) 第8曲 コラール『世の人福音を蔑ろにせしとも』(Das Wort sie sollen lassen stahn) 第1曲冒頭からニ長調の壮大なコラールで開始される。声楽四声による大規模なカノンで、オルガンの重低音も加わって壮麗に響く。第2曲では弦楽の少しせわしない動きをバックに、ソプラノが例のコラール「神はわがやぐら」を歌い、バスがそれを支える。ソプラノにユニゾンで合わせるオーボエがなかなかよいアクセントになっている。第3曲バスのレチタティーヴォに続き、第4曲ではロ短調に転じてオブリガート・チェロに導かれソプラノのアリアが美しく歌われる。第5曲のコラール「悪魔が世に満ちて」はめずらしく4声の斉唱(ユニゾン)で歌われ、戦いを象徴するかのようなオケパートのせわしない動きの中で、力強い神のユニゾンが響く。 ぼくは特定の宗教的背景を持たないので、このカンタータの元になっている「われらが神は堅き砦」のテキストそのものにはまったく不案内であるが、戦いと勝利への道が、全編を通して陽性の響きと共に描かれる。冒頭の壮麗なコラールに加え、オーボエやオーボエダカッチャ のオブリガートが美しさを引き立てる、素晴らしい曲だ。 バッハは彼が過ごしたその土地土地で、教会歴にそった毎日曜のミサのためにカンタータを作曲していった。300年をへた今、それをたどるように毎週一曲ずつ、そのときの教会暦に沿ったカンタータを聴くという試みは多くのバッハファンがすでに行っているところだが、なるほど、バッハを聴く楽しみと意義、ここに極まれリというところだろうか。 以下は合唱団をおかず、各声部1名(OVPP=One_Voice_Per_Part)による小編成での演奏。躍動的で小編成ながらまったく不足感はない。録音状態もいい。ヘッドフォンで聴いていてもオルガンのペダル音とコントラバスの低音がしっかりと聴こえる。 冒頭からカノン風にテーマが引き継がれ1分14秒にコントラバスとオーボエが例のコラールを提示して全声部が合体する。ジェズアルド・コンソート・アムステルダムによる演奏。チェンバロを弾き振りしているのはピーターヤン・ベルダー。多くの古楽セッションにも参加しているベテランで、手持ちブリリアント盤バッハ全集にも顔を見せている。19分50秒からオーボエダカッチャのオブリガートが美しい(少し緊張しているかな…)。VIDEO ザンクト ガレン・バッハ財団による、より大きな編成での演奏。!マークが出るが、YouTubeで見るをクリックすればOKVIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
夏になると聴きたくなる音楽がいくつかある。ワグナーはその一つだ。夏の音楽祭を代表するバイロイト音楽祭から条件反射的にそう思うのだろう。お盆を過ぎると夏も後半戦という感じだろうが、まだまだ暑い日が続く。重厚長大なワグナーは暑苦しい…いやいや、こんなときこそワグナーだ…というわけで、きょうはこの盤を取り出した。 ワルキューレ第一幕を収めたクナッパーツブッシュとウィーンフィルのLP盤。確か大学4年のときは手に入れたはずだ。1957年録音のこの盤については多くが語りつくされているので説明は不要だろう。クナッパーツブッシュ(1888-1965)がこの録音に続けて「指輪」の全曲録音に進むはずだったが、残念ながらかなわず。その任はショルティに引き継がれた。 ぼくがワグナーを聴き始めたのは学生の頃からだが、恥ずかしながら理解も知識もその頃からまったく進展してない。近年になってワグナーのアルバムも手軽に手に入るようになったが、かつては中々大変なことだった。クナッパーツブッシュのワグナー録音も随分いろいろなものが発掘されて出ているようだが、寡聞にして不案内。この盤やミュンヘンフィルとの管弦楽曲集を聴く程度だ。 この盤は四日間に渡って上演される長大な「指輪」の中のわずか一幕。ワグネリアンでもなんでもないド素人のぼくなどがワグナーの盤について語るのはまったく恥ずかしい限りだが、聴きどころ多く楽しめる。嵐の情景を描く序奏からクナッパーツブッシュの構えの大きな音楽があふれてくる。第三場に入ってからのジークリンデとジークムントとの愛の歌、終盤での管弦楽による盛り上がり、いずれもクナッパーツブッシュのスケール感豊かな指揮振りと、それをややオンマイクでとらえたリアルな録音もまた秀逸だ。「指輪」全曲に関しては、ショルティ&VPO盤やバイロイトでのライヴ録音集やカールスルーエ歌劇場でのライヴなど、聴くべきが盤が山積状態なのだが、その取り崩しにも着手していない。嗚呼 この録音をベースに対訳を付したもの。VIDEO このレコードと同じクナとウィーンフィルによる演奏会形式のライヴ。 この映像のモノクロ版は以前から知っていたが、以下は最近になってGoogle Colabでカラー化されたものとのこと。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
月があらたまって令和四年水無月。変わらず程々に働いている。本日も技術立国日本のため、鋭意業務に精励。いつもの時刻に帰宅した。夜更け前、珈琲を淹れて一服。併せてこんな盤を取り出した。 バッハの「コーヒーカンタータ」BWV211。例によってブリリアント版バッハ全集中の一枚。この全集の声楽曲はオランダのネザーランド・バッハ・コレギウムという少しマイナーな団体による演奏が多いが、このコーヒー・カンタータを含むいくつかの世俗カンタータは、ペーター・シュライヤー指揮ベルリン室内合奏団の録音が使われている。ソプラノがエディット・マチス、テノール:ペーター・シュライアー、バス:テオ・アダムという、往時の独系オールスターズといった顔ぶれだ。演奏スタイルも今から見ればひと世代前のものかもしれないが、終始安定したオーソドクスな曲の運び、そしてそれをよくとらえた低域の充実した素晴らしい録音だ。 バッハが活躍していた18世紀当時、珈琲はすでに庶民に人気の飲み物になっていたらしい。一方で珈琲は風紀を乱すものという評判もあって、このコーヒー・カンタータはそんな世相を取り上げている。「珈琲は千回のキスより素敵、マスカット酒より芳しい。コーヒーは素晴らしい」という娘に対して父親が、「コーヒーをやめないなら外出禁止だ」と言い出すといった、案外ドタバタ喜劇のような歌詞が付いている。歌詞を見ずに音楽だけを聴いていると、そんなドタバタは想像すら出来ず、いつものバッハらしい機知に富んだメロディーや和声で、純粋な音楽として楽しめる。特に第4曲のソプラノが歌う短調のアリアはことのほか美しい。 バッハ自身も無類の珈琲好きで、この曲も彼自身による珈琲賛歌なのだろう。そういえばベートーヴェンも大そう珈琲が好きで、いつも60個の豆の数をきちんと数えて淹れていたという。緻密で隙のない楽曲を作ったベートーヴェンらしいエピソードだ。ぼくは珈琲が好きでほぼ毎日飲むが、豆の数を数えるほどではない。更に、珈琲がキスより千倍も素敵だとは思えないが、確認するすべもない。 コープマンと手兵アムステルダムバロック管による劇仕立ての音源。ネットで歌詞を探し、それを見ながら聴くとよく分かると思う。第4曲フルートのオブリガートにのって歌うソプラノのアリアは4分10秒から。VIDEO こちらは21世紀のカフェ仕立てVIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
きょうは教会暦でいう「聖金曜日」。今夜聴くべき音楽はこれしかないだろう。 ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)指揮アムステルダム・コンセルヘボウによるバッハ「マタイ受難曲」。1939年4月2日、復活祭前の「棕櫚の日曜日」に収録されたライヴ録音。手持ちのLPセットは70年代後半の学生時代に買い求めたもの。マタイが聴きたいという気持ちと、貧乏学生という現実的な状況から、当時手に入る中では唯一3枚組で価格が最も安かったという理由で選んだ。もちろん、この盤について必ず語られる「聴衆のすすり泣きが聴こえる」ことも理由の一つだった。 この盤については書籍でもネットでも多くが語られているので、もはやぼくが追記することはない。こうして久々にターンテーブルに載せて針を落としてみると、まだSP盤時代のモノラルかつ条件の悪いライヴ録音の録音状態にも関わらず、切々と胸に迫るものを感じる。数ヵ月後にはナチスドイツのポーランド侵攻が始まるという、まさに大戦前夜の晩。この大曲は演奏する側にも聴く側にも特別な思いがあったに違いない。 メンデルスゾーンによって復興したバッハのこの曲。以来受け継がれたと思われる19世紀のロマンティックな演奏様式を誰はばかることなく前面に出すメンゲルベルクの指揮に、当時も今も欧州トップの実力を誇るコンセルトヘボウのオケが応える。大編成のオケと合唱団、冒頭のイントロダクションから後ろ髪が引かれるようなフレージング、楽譜にはないポルタメントを付けて甘美かつ悲痛に歌うメロディーライン、重々しい低弦群のうなり…。今となっては大時代的のひと言で相手にされない演奏様式だろうが、この時代の記録ということに留まらず、圧倒的な説得力を感じてしまう。 そして曲の後半、アルトが歌う♯47曲アリア「主よ憐れみ給え」。アルトが切々と歌い、ヴァイオリンのオブリガードがポルタメントをかけて寄り添う。そしてヴァイオリンの間奏の後ろで、マイクロフォンの近くのものと思われる女性の嗚咽がかすかに、しかししっかりと聞こえてくる。明日は戦渦に巻き込まれるかというときに、しかも宗教的背景を身に付けた(おそらくは年配の)女性がどんな気持ちでこの曲を聴き、思わず嗚咽を漏らしたのか。80年後の今、極東のほとんど宗教的規範のない人間が、そんなことを考えながら聴くことの不思議をあらためて感じる。この盤は古い録音、古い演奏様式ではあるが、その後現在に至るまでの様々な名演奏・名録音を差し置き、初めてこの曲に接しようと思う人にもあえてこの録音を推してしまう。 マタイを聴くと人生が変ると言われる。残念ながらまだ実演のマタイに接していない。もちろん聴いてみたい。がしかし一方で、何とはなしにこの曲だけは実演に接したくなくという妙な気持ちがあって、今に至っている。 この盤の全曲。例のアリア♯47曲「主よ憐れみ給え」は1時間48分30秒から。概要欄にある♯43のタイムスタンプをクリックするとその曲へ飛ぶ。この演奏はいつくかの曲をカットしている。番号がずれているのはそのためだろう。VIDEO アリア♯47曲「主よ憐れみ給え」VIDEO ネザーランド・バッハ・ソサエティによる全曲 https://youtu.be/ZwVW1ttVhuQ ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
二月半ばの週末金曜日。何気なく音盤棚を見回していたところ、この盤と目が合ったので取り出した。 ベートーヴェンの劇付随音楽「エグモント」作品84の全曲盤。ハインツ・ボンガルツ(1894-1978)指揮シュターツ・カペレ・ベルリン(SKB)による演奏。ソプラノにエリザベート・ブロイル。1970年ベルリン・イエスキリスト教会での録音。手持ちの盤は2000年前後に、ドイツ・シャルプラッテンの盤がまとめて廉価盤リリースされたときのもの。 エグモントというとその序曲がよく知られている。いかにもベートーヴェンらしい曲想もあって、アマチュアオケもしばしば取り上げるなど、ベートーヴェンの序曲の中でももっともよく演奏される一曲だ。序曲というからには、以降の本編があるはずだというのは学生時代から心得ていたが、実際には滅多に演奏されることがないその全曲を耳にしたのは、この盤が初めてだった。ゲーテの同名の戯曲に付随する音楽として依頼を受けたベートーヴェンが1787年に作曲。オペラ作品ではないが、序曲に続き語りを交えつつ管弦楽とソプラノの歌を織り交ぜて進行する9曲からなる。 序曲 第1曲 クレールヒェンの歌「太鼓をうならせよ」 第2曲 間奏曲 第1番 第3曲 間奏曲 第2番 第4曲 クレールヒェンの歌「喜びにあふれ、また悲しみに沈む」 第5曲 間奏曲 第3番 第6曲 間奏曲 第4番 第7曲 クレールヒェンの死 第8曲 メロドラマ「甘き眠りよ!お前は清き幸福のようにやって来る」 第9曲 勝利の行進曲 序曲以外の曲がほとんど演奏される機会がない理由はどこにあるのか。9曲の個々の曲にはベートーヴェンの他の楽曲に見られるようなフレーズや和声進行、また美しい旋律もある。しかし「小鉢の単品料理を並べただけ」という雰囲気はまぬがれない。提示し、展開し…というぼくらがベートーヴェンに期待するような構成からは遠い。そのあたりが序曲以外に日の目が当たらない理由だろうか。しかし、ソプラノが歌う第1曲の「太鼓をうならせよ」や第4曲の「喜びにあふれ、また悲しみに沈む」はいずれも美しく、またベートーヴェンらしい明瞭さと活力も感じる。 実はこの盤の魅力の半分以上は、曲よりもハインツ・ボンガルツ&SKBによる演奏にある。ひと昔前の歌劇場たたき上げといっていいボンガルツと、そのボンガルツの解釈を具現化する、当時、まだグローバル化していない時代の東独名門オケによる演奏が聴き物だ。響きは渋く、よくブレンドされ、ボンガルツの指揮には歌劇場出身らしいドライブ感があって好ましい。独シャルプラッテンによるアナログ最盛期の録音も充実している。 アバドとベルリンフィルによる1976年の演奏。クラリネットのカールライスター他当時の懐かしの面々。VIDEO この盤の音源。第1曲:クレールヒェンの歌「太鼓をうならせよ」VIDEO 同 第4曲:クレールヒェンの歌「喜びにあふれ、また悲しみに沈む」VIDEO 同 お馴染みの序曲VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
きょうは仕事納め。昨年来のコロナ禍が続く中、かつて仕事納めの日には恒例だった職場内での簡単な納会もなく定時に退勤。いつもの時刻に帰宅した。ひと息ついて、今年の聴き納めには少々早いかなあと思いながらアンプの灯を入れ、こんな盤を取り出した。 70年代初頭、一連のバイロイト実況録音盤のリリースに合わせて発売されたワグナー作品のダイジェスト盤。「バイロイト・セット・サンプラー」と称する一枚。さまよえるオランダ人、タンホイザー、パルシファルのダイジェストが収録されている。オランダ人とタンホイザーがサヴァリッシュ、パルシファルがクナッパーツブッシュ、いずれも60年代初頭のバイロイトでのライヴ録音。 大学に入って少しした頃、ダイヤトーンのロクハンP610と6BM8シングルの自作セットで音楽を聴き始め、ワグナーの管弦楽作品もひと通り聴いて、ぼちぼち楽劇全曲を聴きたいと思っていた頃、そうはいっても全曲はまったく手が届かなかったボンビー学生にとっては、ダイジェストとはいえ、独唱や合唱付きのバイロイトライヴを聴ける(しかも千円盤で)ということで飛びついた記憶がある。また当時、年末になるとその年のバイロイト音楽祭の模様がFMで放送されたことも手伝って、年末=バイロイトという条件反射が今でも続いている。 この盤の冒頭の入っている「さまよえるオランダ人」。当時、序曲だけは聴きかじってはいたが、それほど面白い曲だとは思わず、タンホイザーやマイスタージンガーなどのポピュラーな曲ばかり聴いていた。そんな折にサヴァリッシュによるこのライヴ録音を聴き、合唱と独唱、双方の素晴らしさに目覚めた。この盤では第2幕の「ゼンタのバラード」と第3幕の「水夫の合唱:見張りをやめろ、かじとりよ」の2曲が収録されている。「さまよえるオランダ人」全曲からのダイジェストとなると、この2曲の選択が妥当だろうし、この曲の良さも味わえる好場面だ。特に「水夫の合唱」はライヴならではの臨場感にあふれる。その後これまでこの曲のいくつかの盤を手に入れたが、やはりバイロイトのライヴが図抜けている。ノルウェイ船の水夫たちが船上で酒を飲みながら歌り、足を踏み鳴らしながら踊る様がバイロイトの特殊構造のステージとホールに響き渡る。胸板の厚い大男らによる迫力の合唱、当時まだ30代半ばだった気鋭サヴァリッシュのタクトも冴え、十数分のダイジェストながら、バイロイト詣での気分を楽しませてくれる。 あれから四十年以上が経ち、手元にはこの録音を始めとするフィリップス盤バイロイトライブのボックスセットやショルティのデッカ盤スタジオセッション他も揃っているが、かつてのような興奮を覚えながら聴くことはなくなってしまった。まあ、仕方ないことだけれど、我ながら寂しさを禁じ得ない。 荒波続きの航海を終え、ようやく上陸の見通しとなる。水夫たちは歓喜し、舵手をからかうように歌う。「そこの舵取り、見張りをやめろ。こっちへ来いよ」。舞台演出そのものは少々地味かな…VIDEO 同じ場面。1999年のペーター・シュナイダー指揮のバイロイトライヴ。VIDEO 現代風演出による舞台 2013年@バイロイトVIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
久しぶりにバッハのカンタータ。少し前10月10日、教会暦の三位一体主日後第19主日に聴いたこの盤をあらためて取り出した。 バッハのカンタータ第48番「われ悩める人、われをこの死の体より」。三位一体主日後第19主日(今年は10月10日)のためにバッハが作った曲(BWV5、48、56)の一つ。例によってブリリアント版バッハ全集中の一枚。曲は以下の7曲からなる。 第1曲 コラール 第2曲 レシタティーヴォ(アルト) 第3曲 コラール 第4曲 アリア(アルト) 第5曲 レシタティーヴォ(テノール) 第6曲 アリア(テノール) 第7曲 コラール 第1曲のコラールは<ため息>音形を奏でる弦楽群によって始める。ほどなく合唱が入るが、かなり頻繁に転調を繰り返しながら進み、ため息音形によって強調される倚音と共に、どこか落ち着きのない不安が表現される。 続いてアルトのレシタティーヴォとコラール。ここでも次々と転調を繰り返し不安さは変わらない。第4曲アルトのアリアになって音楽はようやく落ち着きと安堵を取り戻す。ここではオーボエのオブリガートが終始寄り添い、それを下支えするチェロのフレーズと共にこのカンタータ中もっとも美しい曲が響く。続いてテノールがレシタティーヴォを語り、そのあと同じくテノールが第6曲のアリアを歌う。譜面を確認していないのではっきりしなが、このアリアは3/4拍子と基調としながら3/2拍子がヘミオラ風に入り組む。しかもここでも転調が頻繁に行われ、不思議な浮揚感がある。 ブリリアント版バッハ全集でカンタータを担当しているピーター・ヤン・ルーシンク指揮ネザーランド・バッハ・コレギウム他の演奏は、例によって細かな精度でメジャー団体には及ばない。器楽と独唱陣はおおむね及第だと思うが、ボーイソプラノがときに不安定となるのが残念。しかし、ヨーロッパの日常的なバッハ演奏として聴けば、これはこれで貴重な演奏だ。 手持ちの盤からアップ。 第1曲コラールと第4曲アリア。VIDEO ベルギーの古楽団体Le Concert d'Anversによる雰囲気のある演奏。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村