集めるともなしに集まった音盤幾千枚。中にはごくまれにしか聴かないジャンルのものもある。例えばシャンソンなどはそのたぐいだ。イヴ・モンタン、アズナブール、金子由香利らの盤が何枚かあって、時々聴いてみようかと思いながら手に取るまでに至らず終わることが多いのだが、きょうは何故か心定まり、目にとまったこの盤を取り出した。 シャンソン歌手:渡辺歌子のコンサートライヴ盤。かれこれ二十年程前、当地駅前にあった大手スーパー内の新星堂で見つけて手に入れた。新星堂が設立したオーマガトキというインディーズレーベルから出ていた盤。当時オーマガトキからはワールドミュージックほか興味深い盤が随分リリースされていたことを思い出す。この盤は駅前のその店をブラブラしていて、黒髪をかき上げる女性歌手の姿にクラッときてそのままレジに持っていった。しかしジャケットだけに留まらず、中身も期待に違わぬ素晴らしいライヴ盤だった。収録曲は以下の通り。 1. 恋のロシアン・カフェ 2. すりきれたレコード 3. 息子が戦争に行く時 4. スカーフ 5. 時は過ぎ行く 6. 想い出のマリッツァ 7. 最終のトロリーバス 8. 蟻 9. ジョリ・モーム 10. いつかの二人 11. 水に流して 12. 声のない恋 13. ウィスキーが水に 14. 過ぎ去りし青春の日々 15. 赤いポスター プレイヤーのプレイボタンを押すとほどなく会場のざわめきが聴こえてくる。そして美しく優しさに満ちた声でMCが始まる。「みなさま、こんにちは。東京はもうすっかり秋の模様替えをすませておりますけれども…」。やや大きめの音量でリアルに聴くと、まるで自分にだけ語りかけてくれているのではないかと、勝手に錯覚したくなる魅力的な声だ。 シャンソンについて何も知らないぼくは曲を一つ一つ説明することは出来ないが、シャンソンの定番曲に加えて彼女自身が詩をつけたオリジナルも交え、ときに耳元でささやき、ときに高らかに歌う。思えばこの盤が収録された1987年からすでに三十年以上経ている。当時彼女はまだ30代半ばだろうか。若やいだ雰囲気の中にも大人の色香を感じさせ、ジャケ買いの中年オジサンのハートをわしづかみだ。黒いドレスの佳人が黒髪をかき上げながら切ない恋の想いなど歌うの聴いていると、ヨッシャ!わしがなんとかしたるでぇ…と鼻息が荒くなってしまう。(…雰囲気ぶち壊しの妄想でスミマセン) 手持ちの盤からアップした。「恋のロシアン・カフェ」VIDEO 同 「過ぎ去りし青春の日々」VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
相変わらずの梅雨空続く。湿度高く、気温もじわじわ上昇中。およそ爽やかな夏には程遠いが、気分だけでもと思い、こんな盤を取り出した。 角松敏生のインストルメンタルアルバム「Sea is a Lady」。1987年録音。当時のフュージョン界を代表するプレイヤーが集合し、すでに売れっ子になっていた角松敏生が「歌なし」で当時の思いを表現したというアルバム。売上チャートでも上位に入り、ちょっと大人のオシャレなイントスアルバムとして好セールスを上げたようだ。当時すでにフュージョンブームはピークアウトしていた頃かもしれないが、アイドルポップスに飽き足らない音楽好きにとってインストルメンタルのフュージョンは、カシオペアをはじめまだまだ人気があった。ぼく自身は当時、アイドルポップスにもフュージョンにも縁なく、もっぱらクラシック時々ジャズといった嗜好だったから、角松敏生の名もこのアルバムも知る由もなかった。周回遅れのごとく90年代になってからカシオペアを聴き始め、80年代には傍目で眺めていたポップスやフュージョンの盤もいくつか手に入れた。このアルバムもそんな「遅れてきたマイ・フュージョンブーム」の頃に中古レコード店で手に入れた。 久しぶりに聴く80年代フュージョンポップス。当時リアルタイムで楽しんでいた輩にはもはや懐かしいサウンドだろう。ぼくのように四十近くのオッサンになってから聴き始めた者にもあちこち時代がかったフレーズもある。しかしこの盤のライナーノーツに角松敏生自身が語っているように、「夏と言う非常に限定された特異かつポピュラーな時空間に対して美的世界をメロディーにしてみたい」というコンセプト通りの出来栄えは中々だ。軽快なスポーツクーペに彼女を乗せて、海の見えるハイウェイをドライブするには格好のチューンが続く。もっともこのアルバムが人気を博した当時、地方勤務の地味なエンジニアだったぼくにはそうした光景はまったく縁がなかったし、その後もそして現在もせめて曲を聴いて妄想を楽しむしかないのだが、その妄想さえも次第に縁遠くなりつつある…嗚呼 「Sea Line」VIDEO 同じ「Sea Line 」の近年のスタジオセッション。角松敏生は2017年にこのアルバムをリメイクし録音しているが、このセッションはそれを受けてもものと思われる。87年のアルバム収録版と比べると、グッとリラックスした雰囲気。サックスに本田雅人。VIDEO 「The Bass Battle "Chako"」 角松敏生のほとんどのアルバムに参加しているベーシスト青木智仁(2006年49歳で没)と当時カシオペアの櫻井哲夫によるベースバトル。VIDEO このアルバム全曲のリンク https://youtu.be/A59T-qgHqyc ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
ちょっと調べごとでネットをうろついていたら、ブロードウェイミュージカルの記事に出くわし、そういえば的に思い出して、こんな盤を取り出した。 ミュージカル映画「コーラスライン」のサウンドトラックLP。この映画が日本で劇場公開されたのが昭和60年・1985年。ちょっとしたきっかけがあって、公開直後に有楽町の映画館で観た。映画館を出たあと銀座山野でこの盤を買って帰った記憶がある。若い頃から映画館の中に入るとほぼ確実に頭痛に見舞われる体質で、映画を観たいと思いつつ躊躇することが多かった。それでもいくつか印象に残る映画もあって、このコーラスラインはその一つだ。今となってはストーリーすらはっきり覚えていないが、久々にこのサントラ盤を聴いて、いくつかの音楽だけは、はっきりと記憶に残っていた。 Again!の掛け声で始まる冒頭の「I hope I get ti」、黒人ダンサーのダイナミックな踊りと共に歌われる「Suprise Surprise」、フィナーレを飾る有名な「One」。ロック調の8ビートの曲が多いが、ビッグバンドを駆使し、さすがによくアレンジされていて完成度が高い。華やかでゴージャスな舞台を一度NYで観てみたいものだ。 冒頭オーディションシーン。VIDEO フィナーレ「One」VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
プチ夏休みも終えて仕事再開。ちょっとダレた身体に喝を入れて、本日も程々に業務に精励。帰宅後、ひと息ついてから部屋をキンキンに冷やし、数年ぶりにこの盤を取り出した。 イタリアの歌手ミルバ(1939-)とピアソラ(1921-1992)が組んで来日した際のライヴ録音。バブル絶頂期1988年中野サンプラザでの公演。長らくこのときの録音はないとされていたが、サブマスターとして保存してあったカセットテープが見つかり、2009年にこの2枚組として日の目を見た。収録曲は以下の通り。 <ディスク1> 1. タンゲディアIII /2. わが死へのバラード(6時が鳴るとき) /3. ルンファルド/4. 迷子の小鳥たち/5.もしもまだ/6. ブエノスアイレスの夏/7. 孤独の歳月/8. ロコへのバラード/9. ムムキ/10. ミケランジェロ70 <ディスク2> 1. 行こう、ニーナ/2. 忘却(オブリヴィオン) /3. チェ・タンゴ・チェ/4. アディオス・ノニーノ/5. 3001年へのプレリュード(私は生まれ変わる) /6. フィナーレ“ブレヒトとブレルの間で” /7. 天使の死/8. ミルバの挨拶/9. ロコへのバラード (アンコール) /10. チェ・タンゴ・チェ (アンコール) ピアソラは50年代から活躍してきたが、タンゴ愛好家以外にも今のように広く知られるようになったのは最近になってから。もっといえば1992年にピアソラが世を去ってからといってもいいだろう。バレンポイム、クレーメル、ヨーヨーマといったクラシック界の演奏家が取り上げこともあって、90年代後半からにわかにピアソラブームとなった。1988年の来日公演が今日のような状況下であれば、まともな録音が残っていないなどということはありえない。当時の受容の状況がうかがい知れる。 有名なアディオス・ノニーノやオブリヴィオンなど、今では様々な編成やアレンジで演奏される。それ自体は悪いことではないと思うが、本来ピアソラがイメージしたオリジナルがどういうものなのかを知ることは、様々な手を加える上でも重要だろう。その意味で、このアルバムに聴くピアソラ楽団の演奏と、ピアソラ自身が最高のピアソラ歌いと称したミルバの歌唱は、ひとつのオリジナル=原点として貴重だ。カセットテープから編集された音源ではあるが、音質はライヴらしい雰囲気をとらえていて悪くない。50歳前の円熟したミルバと晩年のピアソラによる音楽が、ときに情熱的に、ときに淡々と奏でられる。ミルバの歌はもちろん、ピアソラ五重奏団によるインスト演奏も素晴らしい。 ピアソラ楽団をバックにオブリヴィオン(忘却)を歌うミルバの音源。80年代後半と思われる。1984年に映画音楽として作られ、その後ミルバの歌唱でヒットした。以下のような歌詞が付いている。 重い、突然重く感じられる あなたのベッドのビロードのシーツ 私たちの愛さえも思い出せない時には 重い、突然重く感じられる 夜の闇の中で私に巻き付いたあなたの腕 船は出発し、どこかに行ってしまう 人々は別れ別れに、思い出さない、私は思い出さない …略…VIDEO この盤の音源で「Se potessi ancora(もしもまだ)」VIDEO ミルバが日本で有名になったのは<ウナ・セラ・ディ東京>を美しい日本で歌ってからだ。ザ・ピーナッツの<東京たそがれ>がオリジナルだが、ミルバの歌唱がきっかけで<ウナ・セラ・ディ東京>と改名され大ヒットとなった。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
バレンタイン・チョコを食べ過ぎ、きょうは鼻血が止まらず仕事を休んだ。 …というのはもちろんウソ。今どき、チョコを食べ過ぎる鼻血が出るなって言わないだろう。昭和の都市伝説か…。というわけで、本日もショボショボと業務に精励。昼前後、都心の仕事場は底冷え。一時雪が舞うほどだった。さて週末金曜日。音盤棚を眺めていたら、こんな盤が目にとまった。 ジョニー・ピアソン・オーケストラ。70年代の終わりから80年代、それまでのポール・モーリアなど老舗楽団を尻目に大いに人気を得た。 この盤は学生時代の終わり頃、ろくろくレコードなど買えずに毎晩FMエアチェックでマーラーやらブルックナーやらを聴いて渇きをいやしていた時期に廉価盤で出たのを見つけて手に入れた。ぼくら世代には懐かしい<朝もやの渚><渚のシルエット>といったヒット曲が収録されている。題名に記憶がない人も、聴けば「ああ、あれか」と合点するだろう。今でもラジオではときどき耳にする。 「イージーリスニング」という言葉もいつの間にか使われなくなった。パーシー・フェイス、カラベリときらめくストリングス、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴル、フランシス・レイ…。古くはアルフレッド・ハウゼ、マンドヴァーニ、ビリー・ヴォーン…。映画音楽と共に少し音楽を聴きかじるようになった若い連中を中心に広い世代に親しまれた。 昨今は、ともかく<歌>がないとダメなのか、インストゥルメンタルだけのポピュラー音楽は人気がない。ラジオを聴いていて「それでは音楽をおかけしましょう。ジョニー・ピアソン・オーケストラの<朝もやの渚>をどうぞ。」といって音楽が流れると、数秒後にはきまって「関東地方の交通情報をお伝えします。」となって、音楽は完全にBGM以下になってしまう。まあ、そういうものだとあきらめているが、編成の大小を問わず、もう少し器楽だけのポピュラー音楽をまともに扱ってほしいものだ。 <渚のシルエット>VIDEO <朝もやの渚>VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
帰宅後、ネットを覗いていたら、1963年のきょう3月22日はビートルズの記念すべき初アルバム<プリーズ・プリーズ・ミー>がリリースされた日と書かれていた。 それでは…と、音盤棚から手持ちの盤を取り出した。 振り返ってみると、彼らが活躍したのはわずか10年ほど。解散後の40年を思えば随分と短かったと実感する。ぼくはビートルズのファンでもなんでもないが、中学生の頃はラジオのスイッチを入れればビートルズやローリングストーンがリアルタイムで流れていた時代だったので、当然馴染みはある。まだクラシックには目覚めていなかった時期で、ポップスをそれなりに楽しく聴いていた。但しレコードにあてるほどの小遣いもなく、そもそもステレオ装置も持っていなかったから音源はもっぱらラジオだった。手持ちのビートルズのレコードはすっかりオッサンなってから何となく集めたもの。リサイクルショップのジャンク箱から救済してきたり、会社の同僚がもう聴かないからと譲ってくれたり、そんな風にして何枚かのアルバムがほとんど投資なしで集まった。 さて<プリーズ・プリーズ・ミー>。この盤は十数年前、近所のリサイクルショップで入手した。この盤と同時に初期のアルバム5枚がまとまって@100円で並んでいた。オリジナルフォーマットのモノラルカッティング、帯付き、盤質は新品同様…という中々の掘り出し物だった。日本での本アルバムのリリースは遅く、ビートルズ解散から6年後の1976年6月のことであった由。さらには米国ではCD期までリリースそのものがなかったとのこと。この盤はその1976年盤(ステレオ)ののち、1982年にモノラルでリリースされたものだが、その辺りの事情については深入りするほどの知識はない。収録曲は以下の通り。 -A- アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア/ミズリー/アンナ/チェインズ ボーイズ/アスク・ミー・ホワイ/プリーズ・プリーズ・ミー -B- ラヴ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー/ベイビー・イッツ・ユー ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット/ 蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー) /ゼアズ・ア・プレイス/ツイスト・アンド・シャウト 東芝EMI仕様のレッドカラー盤に針を落とす。わずかなサーフェイスノイズのあと、ワン、ツー、スリー、フォーの掛け声と共に第1曲<アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア>が勢いよくスピーカーから飛び出してきた。モノラルではあるがカッティングレベルが高く、凝縮されたエネルギー感あふれるサウンドが素晴らしい。以降、アルバムタイトルチューンでシングルヒットした<プリーズ・プリーズ・ミー>も含め彼らのオリジナル曲や当時の定番ロックンロールなども織り交ぜて中々楽しいアルバムだ。音質同様、彼らの演奏もフレッシュかつエネルギッシュで、スタジオライヴを聴く趣きがある。実際この盤のほとんどの曲はオーバーダビングなしの一発録りで録られたという。なるほどと合点。 ビートルズの曲をほんの申し訳程度にしか聴かないぼくなどがコメントするのは大そう気が引けるのだが、ビートルズはやはり60年代半ばまでの初期のものがいい。それ以降は多様な音楽的要素や音響的トライアルが導入されたり、様々なメッセージが込められたりと、確かに音楽として熟成されている。しかし英国のやんちゃな若者がストレートに音楽を楽しんでいるという感じはなくなる。その点このアルバムはぼくにとってはビートルズのビの字を感じさせてくれる名盤だ。 <アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア>VIDEO <プリーズ・プリーズ・ミー>VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
新春も穏やかに明け、正月二日目。 きのうの元日は古来の習わしに従い歌舞音曲を控えていたが、きょうは本年最初の音出し。きっと多くの音楽ブログ主はきょうあたりから<聴き初め>の記事をアップしているのかな…。ぼくも年の初めは独逸の重鎮シューマンの交響曲でもじっくり…と思いつつ音盤棚を眺めていたら気分が変わり、こんな盤を取り出した。 オルケスタ・デ・ラ・ルス1991年リリースのセカンドアルバム「サルサに国境はない」。 オルケスタ・デ・ラ・ルスがアメリカでブレイクし、日本でも人気を博したのは80年代後半から90年代半ば。その後一旦解散するも2000年代に入って再結成、現在も活躍中だ。このアルバムもどこから聴いてもゴキゲンなラテンのノリが楽しめる。もちろん音楽の質、つまりバンドとしてのアンサンブルやそれぞれの楽器のテクニックなどは、カルロス菅野、大儀見元、塩谷哲、中路英明などそうそうたるメンバーを揃え、極めて高い。 ラテン音楽の森(森というより熱帯雨林かな)は深く広い。少し前にやや本気でラテンを聴こうかと思ったことがあったのだが、途方もない広がりを前に、早々に深入りはやめることにした。手元には写真の通り、ごくわずかながらラテン音楽の盤があって、時々聴いている。ウ~ッ、マンボ!のペレス・プラードに始まり、ザビア・クガート、エンリケ・ロドリゲス、フロリンド・サッソーネ、ハリー・ベラフォンテ。本邦勢では見砂直照と東京キューバン・ボーイズ(古ッ!)、熱帯ジャズ楽団、オルケスタ・デ・ラ・ルスといった盤が何枚かある。全部合せても20枚に満たないし、もちろんラテンを語る資格もそのつもりもないのだが、憂愁に満ちたブエノスアイレスの街をイメージするピアソラだけでなく、パーッと明るい中南米音楽はまた違った楽しみ。特に当世の熱帯ジャズ楽団やオルケスタ・デ・ラ・ルスはいつ聴いても明るくて楽しく、ラテン・ハイになる。 このアルバムにも入っている「私はピアノ」サルサ・ヴァージョン。VIDEO 「私はピアノ」はサザンの曲として世に出たが、程なく高田みづえがカヴァーしヒット曲をなった。1980年紅白。20歳とは思えない落ち着いた歌いぶりの高田みづえ。八神純子と太田裕美のピアノ。サザンお得意の昭和歌謡調。昭和30年代前半に大流行したラテン音楽は、昭和歌謡の一つのルーツ。 ラリーカールトンにビリージョエル…時代だなあ。VIDEO その後若嶋津夫人となった高田みづえ。2015年8月NHK「思い出のメロディー」にて30年振りに一夜限りの復活。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村