喫茶店がカフェと呼ばれるようになったのはいつ頃からだろうか。スターバックスコーヒーが日本で人気になり始めた2000年頃からか。もともとはカフェの日本語訳が喫茶店だったのだろうから特に不思議はないのだが、喫茶店とカフェでは言葉から受けるイメージがかなり違う。喫茶店が昭和テイストなら、カフェは21世紀、平成のイメージだ。喫茶店からは薄暗い空間とタバコの煙り、素っ気無い白の器を連想するが、カフェは明るく清潔な空間と洗練されたカップ&ソーサーが浮かんでくる。今どき「サテン行く?」と言っても通じないかもしれない。 今夜はそんなことを思いながら、こんな盤を取り出した。

無印良品のBGM集。このアルバムは無印の店舗用BGM用に収録され、実際に店で流していたところ評判がよくてCDとして一般発売にいたったようだ。写真のセットは、そのNo.2からNo.11までをコンパクトにパッケージングしたもので、近所のショッピングモール内に入っている無印の店で買い求めた。
パリ、シチリア、スコットランド、プエルトリコ、アンダルシア、スウェーデン、アルゼンチン、ハワイといった世界各地の現地ミュージシャン、それもほとんど無名といってよいメンバーの演奏が収められている。どちらかといえば、やや辺境の地のマイナーな演奏と言える。しかし現地のカフェやバーで日常的に奏でられているのはこんな演奏に違いない。中ではアルゼンチンのブエノスアイレスで収録されたタンゴ集No.10や、パリのメトロミュージシャンによるNo.2、明るいイタリアの空を連想するマンドリンの響きも軽やかなNo.9などがお薦めだ。ぼくはNo.10のタンゴ集をよく聴く。哀愁に満ちたバンドネオンやピアノの音を聴くと、かつて南米のパリと称されて繁栄を極めたブエノスアイレスの下町の様子が目に浮かんでくる。
ぼくはボックスセットを買ったが、ばら売りの中から好みのものを一つ二つと選んでコレクションしていく方が楽しいだろう。ばら売りのCDには収録地の様子を写したブックレットが入っていたはずだ。休日の午前中、とりあえずの用事を済ませ、こんなアルバムを聴きながら珈琲を淹れれば、自宅カフェの出来上がりだ。
…と書きながら言うのもナンだか、実のこころぼくは「おしゃれな」カフェより、昭和のにおいがしてくるような路地裏の喫茶店を好む。カフェだけでなく音楽も「おしゃれ~!」がつくと何だか「幸せ100%」という感じがして、少々居心地が悪い。おしゃれなカフェで素敵な彼女とデートするより、路地裏の名もない喫茶店でちょっと訳ありの女と幸せばかりでない話をする方がイマジネーションがわく。まあ、どちらもかなわない現実なので、どうでもいい話ではありますが…
17曲からなるプレイリスト。
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きのうの記事<ちょい渋のイ・ムジチ>でニーノ・ロータの名前を出したことでふと思い出し、今夜はこんな盤を引きずり出した。


1970年3月に講談社から出た映画音楽7枚組のレコードセット。その春、高校の入学祝いとして待望のステレオと一緒に買ってもらった記念すべきレコードでもある。収録された曲の映画のワンシーンや主演俳優のグラビアがのっている中々豪華な冊子も付いている。高校1年になったばかりのぼくは、まだクラシックには目覚めておらず、この7枚組の映画音楽のレコードを飽かずに聴いていた。編集の時期から、例えば60年代終盤の「白い恋人たち」や「ロミオとジュリエット」は入っているが、70年代になってからの「ひまわり」や「ある愛の歌」は入っていない。一部はアレンジした演奏もあるが、多くはオリジナルのサウンドトラックで、いま聴くと観ていない映画まで劇場で見た記憶があるかのような錯覚を覚える。
今の若い世代に60年代、70年代の映画音楽はどれほど認知されているのだろうか。あの当時、音楽に親しむきっかけとして映画音楽の役割はとても大きく、多分今とは比べようがないほど映画音楽が巷にあふれていた。映画音楽あるいは映画音楽ファンというカテゴリーが立派に存在した。こんな企画盤が売れるマーケットが存在したわけだ。
このセットは古い盤にも関わらず音がいい。1973年/昭和48年のオイルショックをきっかけに、石油化学製品の一つであるレコード盤は材料節約のため次第に薄くなっていき、80年代には手に持つと自重でたわむほどになってしまった。しかしこの盤はまだそうした節約志向になる前の盤で、盤自体に十分な厚さと重量感がある。材質の関係か経年変化か不明だが、静電気の発生も少なく、いま聴いてもとても鮮度の高い音だ。サウンドトラックのややナローレンジの音色も、デジタル化でワイドレンジかつノイズレスになった昨今の音質に慣れた耳で聴くと、何とも懐かしい。この盤に収められた曲目から目についたところをあげてみると…
ウェスト・サイド・ストーリー、マイ・フェア・レディー、魅惑の宵、80日間世界一周、ライムライト、魅惑のワルツ、チムチムチェリー、ララのテーマ、慕情、虹の彼方に、男と女、日曜はダメよ、華麗なる賭け、いそしぎ、ロミオとジュリエット、ロシアより愛を込めて、帰らざる河、白い恋人たち、シェルブールの雨傘、太陽がいっぱい、第三の男、鉄道員、エデンの東etc
…といった具合だ。50代から上の人であれば、映画ファンあるいは映画音楽ファンでなくても、きっと多くの曲のメロディーが浮かぶだろう。最近は映画音楽よりもアニソンらしい。ぼくはまったく不案内だ。久石譲のジブリシリーズの音楽などもポツポツと知っている程度。流行のポップスだけなく、こうしたジャンルでの世代間格差は案外大きい。かつてのスタンダードもいつの間にか単なる懐メロになってしまうのかもしれない。この盤を聴くと、高校入学当時の雰囲気がリアルによみがえり、なんともノスタルジックで切ない気分になる。
<鉄道員>のサウンドトラック。
<太陽がいっぱい>のラストシーン 世界の恋人アラン・ドロン…
<シェルブールの雨傘>ラストシーン う~ん、切ないなあ…
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12月半ばの週末土曜日。昼をはさんで野暮用外出。ほどなく戻って午睡に落ち、終日ダラダラと過ごす。朝は冷え込んだが昼頃から暖気流入し気温上昇。陽射しほどほどながら穏やかな日和となった。
昼間の惰眠が効いているのか、夜半になっても意識覚醒するも、楽器を取り出して練習するほどの甲斐性なく、安直に音盤チョイ聴き。きのうの記事に貼ったバンドリンおじさんを思い出し、こんな盤を取り出した。

エヴァンドロ/メモーモリアス~回顧録~<ジャコー・ド・バンドリン作品集>と題された一枚。1992年、当時新星堂傘下のインディーズレーベル:オーマガトキからリリースされたもの。オーマガトキレーベルは80年代後半から90年代かけ、いわゆるワールドミュージックの広まりと呼応するように、それまで一部の好事家にしか知られていなかった様々な音楽とその演奏家を紹介するユニークな盤を数多くリリースしていた。この盤も、当地にもあった新星堂の店舗に並んでいるのを見つけて手に入れた。ブラジル音楽の代名詞ともいえるショーロ。そのタイトル通り、この盤ではジャコー・ド・バンドリンことジャコー・ビテンクール(1918-1969)が残したショーロから14曲が選ばれ、一世代若いバンドリンの名手エヴァンドロことジョゼヴァンドロ・ピリス・ジ・カルヴァーリョ(1932-)が演奏している。エヴァンドロ来日時の日本国内録音。バックは井上みつる(カヴァキーニョ)、田嶌道生(ギター)、栗山豊二(パーカッション)らが務めている。
ブラジル音楽に見識のないぼくなどが語るものは何もないのだが、曲はいずれも肩の凝らないポピュラリティーと懐かしくも切ない曲調にあふれる。バンドリン(ポルトガルスタイルのフラットマンドリン)の音色と、ギター(ヴィオーラ)、カヴァキーニョ(ポルトガルスタイルのウクレレ)、パーカッションというシンプルな典型的なショーロスタイルの響きも、方寸の部屋を満たすのにはちょうどいいサイズ感。こうしてときどき聴くと実に心温まる。
ジャコー・ド・バンドリン作・演奏<Vibrações>という曲。
同じ曲のやや現代風演奏。ブラジルの(特にショーロスタイルでは)ギターは7弦が主流。この動画で使われているギターは少し変わっていて、糸巻き中央部先端部にもペグがあり7弦仕様とわかる。
ジャコー・ド・バンドリン作・演奏<Noites cariocas>
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降ったり止んだり、あいにくの週末土曜日。天気次第で出かける予定であったが中止。終日在宅、ダラダラと過ごす。夜になって部屋の片付けをしながらのナガラリスニング。今夜はこの盤を取り出した。

ドナルド・フェイゲンの<The Nightfly>。ちょっとポピュラー好きの輩なら先刻承知。1982年録音の名盤。アマゾンを覗くと今もってレヴュー数も圧倒的であることから、30年余を経てなお聴き継がれていることがわかる。手持ちの盤は、十数年前に自由が丘駅の東急ストアに入っていた中古レコード店で買い求めた米国プレス輸入盤。海外盤とはいえ高くはなく、確か1500円ほどだったか。
ポピュラー好きでもアメリカンロック好きでもないぼくがこの盤を手にしたのは他でもない。このジャケットに一瞬にしてやられてしまったからだ。完全ジャケ買いの1枚。普通、オヤジのジャケ買いといえば、オネエちゃん、オネエさん、オバさま…まあ、そんなところだろう。しかしこの<The Nightfly>のジャケットには異次元のカッコよさがある。4時8分を指す時計、RCA製のリボンマイク、テーブルに置かれたソニー・ロリンズのアルバム、Para-Flux A-16トーンアームを載せたレコードプレイヤー…。
この盤については多くのファンが盛んに語っているだろうから、ぼくの出る幕ではない。ひと言だけ紹介かねてコメントするとしたら、当時考えられるポピュラー音楽の最も洗練されたエッセンスが詰まっているといったらいいだろうか。レゲエのリズムにのってさりげなく始まる第1曲I.G.Y以降、ファンク、R&B、フュージョン、ラテンロックなど、変化に富んだ曲が周到に練られたアレンジと演奏で繰り広げられる。そして録音も含めて完成度が極めて高い。勢いとノリで一気録りという安直さがまったくない。主役のドナルド・フェイゲンの他、バックはラリー・カールトン、マーカス・ミラー、ブレッカー兄弟など、その後現在までトップを走ることになるジャズ・フュージョン系ミュージシャンが固めていて万全だ。こういう質の高いポピュラーアルバム、昨今はあるのだろうか。
この盤の全曲
https://youtu.be/WbRtmUdmVFw
M5の<New Frontier>
<New Frontier>のベースをカヴァーするお兄さん。
こちらはギターですね。
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師走第一週が終了。業務なかなかにひっ迫中。忘年会だの何だのと、お気楽にやりたいところだが、そうも言っていられない状況。まあ、あせっても仕方ないので、ここは着実に処理を進めるとしよう…。そんなわけで今夜も9時少し過ぎに帰宅。気分転換に今夜はガツンといこうかと、こんな盤を取り出した。

ディープパープル1972年の来日公演からピックアップした<ライヴ・イン・ジャパン>。これもブログ開設当時に一度記事に書いたので再掲。
以前も書いたが、ぼくの高校入学が1970年。中学時代は日本のGS:グループサウンズがピークだったし、ビートルズもローリング・ストーンズもラジオのスイッチを入れれば流れていた時代だ。ハードロックのディープ・パープル、ツェッペリン、GFR、ブラスロックのシカゴは高校時代のさなかにあたる。実は中学校時代、ぼくは不良番長グループのバンドに雇われてエレキギターを弾いていたこともある。中学3年のときには同学年のワル達とGSの真似事もやった。バンドスコアなどない時代だったので、借り物のレコードプレイヤーで何度も聴いて耳コピー。アンプが買えないのでラジオを分解した部品で自作し、スピーカーも箱を作ってでっち上げた。自作のアンプは電圧増幅段を12AX7の2段にしたため、ゲインが有り余って発振寸前。エレキをつなげばそれだけでオーバー・ドライブのナチュラル・ディストーション状態だった。まあ、ぼくが有名人になっていたら十分に武勇伝的なエピソードになりそうな話の連続だ。しかし高校時代になって興味はクラシックに移ったので、ディープパープルもツェッペリンも、そんなものもあったなあ程度で終わっていった。写真に映っている70年代ロックの盤は15年ほど前から高校時代の記憶を頼りにポツポツと集めたものだ。
ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」は今も昔もロック小僧やロックオヤジには定番のアルバムだろう。セッション録音より数段テンションの高い<ハイウェイ・スター>でこの盤は始まる。何度聴いても興奮する演奏だ。ワンコーラス終わったあと、ジョン・ロードのハモンドオルガンが前のめりのテンポで更に曲の煽る。途中のリフはバッハの半音階的進行からアイデアを得たものだそうだ。続くツーコーラスめが終わると、リッチー・ブラックモアのギターが地の底から浮かび上がるように出てきて、有名なギターリフで曲は最高潮を迎える。
日本ではGSレベルのバンドが人気を集めていた時代。今聴いても、曲の構成、楽器演奏の実力などまったく大人と子供の違いがある。ギターのリッチー・ブラックモアだけでなく、キーボードやベースなど他のメンバーも実力は十分。実際のこの盤でも彼らの持ち歌のイントロに、ジャジーなフレーズを使ったり、バロック風のパッセージが出てきたりと、音楽的素養の広さをうかがい知ることができる。他のライブでもジャズやクラシックのかなり長い時間のインプロヴィゼイションを展開することも多かったそうだ。インストゥルメンタルのバンドとして何でもこなす実力があったのだろう。単純なコード進行で歌謡曲風の歌を3コーラス歌って終わりにする程度だったほとんどの日本のGSとはまったく次元が違う。メンバーチャンジをしながらも、その後長きに渡って活動を続けてきた背景には、彼らの高い音楽性と創造性があるのだろう。高校時代に横目で見ていたディープ・パープルやツェッペリンを今になって再認識し、時折こうしてヘッドフォンをして深夜の大音量で楽しんでいる。
ライヴ・イン・ジャパンの音源を他のライヴの映像とシンクロさせて作ったという労作動画。
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