先回のシベリウスつながりで、以前フィンランドの首都ヘルシンキを訪れた際の記憶をたどっておこう。と言っても、干支がひと回りするほど昔の話。ぼくの年齢になると<ついこの間>ということになるが、若い世代には、なにボケかましてるこのオッサン、ということになるだろうか。まあ、オッサンなので仕方ないッス。
2003年7月。当時開発していた新型のボイラーが、北部ヨーロッパや北欧の給湯暖房システムにマッチしそうだとの現地情報を受け、市場性や販売サービスルートの調査と交渉を目的とし、ノルウェイ・スウェーデン・フィンランド、最後にドイツと周ってきた。折からの経費節減指示で、欧州までの12時間はエコノミークラス。加えて欧州北部を駆け足で回るという、中々ハードな出張だった。最初にノルウェイの首都オスロ一に入り、次いでスウェーデンのストックホルム、そして日程後半でヘルシンキに入った。
港近くの投宿先の部屋。窓の外にはストックホルムとヘルシンキを結ぶ大型客船が。

ホテル近くのマーケット広場。

仕事の出張は国内外問わず、空港と相手先とホテルの三点移動がほとんど。物見遊山の余裕やそのための事前準備などあろうはずもない。このときもそうで、ヘルシンキではちょうど日曜を挟むことになり、一日オフの日ができたものの、旅の疲れとあいにくの雨模様の天気もあって、ホテルでゴロ寝となった。それでも雨があがったタイミンをみて市中へ繰り出した。
投宿先横にあったロシア風の建物のレストラン。そして<スウェーデン劇場>。

「かもめ食堂」に出てくるカフェの入った大型書店。 すぐ横にあるデパート<ストックマン>。

街中の第一印象は、ともかく人が少ない。首都ヘルシンキのメインストリートにも関わらず、ごった返す様子がなかった。歩いている途中、ちょっと雨が降り出すと、人々は近くの建物に入るのか、道路に人影がなくなるほどだった。
郵便ホストも北欧カラーのブルーがアクセント。 携帯電話の雄:ノキア社はフィンランドのトップ企業。

ヘルシンキマダム。

白亜のヘルシンキ大聖堂。

このときの出張から数年後。ヘルシンキを舞台にした「かもめ食堂」という映画が上映された。その映画に出てくるカフェが入っている大型書店。ここのカフェで簡単な昼飯をとった。デジカメの普及が始まったばかりの時期で、旅先の食事を写真に撮るという、今どきのスタイルもなかった。手元に残っている仕事以外の写真は、見かけた建物や市中の様子ばかり。もっとも何を食べたのかも記憶にない。国土の北部は北極圏という北欧諸国は、もともと豊かな食材に恵まれていたという地域ではない。限られた野菜と穀物それと肉類がベースだ。現代の日本人の感覚からすると、味付けは総じて塩味が強かったことだけが記憶に残っている。フィンランド人は他の北欧諸国とは別系統の血をひく民族。ルーツは東欧のフン族。市中でみかけた人達も大柄の人が多く。そして人出の多いデパート内も静かだ。このときの出張以後数年間関係のあったスウェーデン人技術者いわく「俺はスウェーデン語、英語、ドイツ語は分かるが、フィンランド語はまったく分からない。そもそも彼はみな寡黙でしやべらない。」そうだ。
ヘルシンキ駅。 ヘルシンキをあとにし、小型機でデュッセルドルフへ。

…というわけで、市中にあるシベリウス公園も、ましてや現地コンサートも縁のない、いたって真っ当ななヘルシンキ滞在でありました。
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シベリウス公園
写真にもあったマーケット広場。
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日付が1月9日から1月10日に変わろうとしていたとき、突然大事なことを思い出した。
「明日は休みじゃないか!」…な~んだ、早く言ってくれよ的に、一気に気分が軽くなった。週末には連休であることを承知していたのだが、日曜日になって失念していたのだ。
ということで夜更かししてPCに向かっている。
自分のブログの記事は特段バランスや何かを考えているわけではないのだが、登場する音楽ジャンルのウェイトなどは、ほぼ現在の嗜好を反映しているようだ。また月初めには仕事で訪れた北欧の記事を書いている。そこできょうは過去3回の記事に続きとしてスウェーデンの南部の都市マルメでの思い出を書こう。
このとき2006年2月の出張は現地泊3日間と比較的短期間であった。コペンハーゲンから列車で入ってスウェーデン南部の都市マルメに投宿し、そこからやはりスウェーデン南部のアルベスタという田舎町に日帰りで打合せに出向いたり、マルメ市内で打合せを持ったりした。マルメはコペンハーゲンから列車でスウェーデンに入る際の玄関口にあたる。2日目の仕事を終えて宿に戻るタクシーの中からたまたまコンサートホールの建物を見つけた。KONSERTHUSET(CONCERTHOUSE)と書かれていたのでそれと分かった。ホテルの部屋に戻ってさっそく電話を入れて問い合わせると、運よく同ホールを本拠地にしているマルメ交響楽団のコンサートがあるという。地図を見ると歩いても15分ほどのところだった。同行していたメンバーも外は寒いのでホテルで食事をして早々に休むというので、これ幸いと一人で出かけることにした。
<マルメの駅舎> <マルメ市内>

<マルメ市内> <投宿先の部屋>

<コンサートハウス> <開演前のロビー>

<ホール内部> <窓口でもらったCDと当日のチケット他>

ホールの受付で当日券を買い求めようとすると、気の良さそうなオバサンが出てきた。日本から仕事できたと言うと大層珍しがって、「へえ~ホントに!じゃこれあげるよ」とNAXOSレーベルから出ているマルメ交響楽団のCDをプレゼントしてくれた。コンサートホールは近代的な建物で1,200名ほどの収容数だろうか。凝った作りではなかったが音の響きはとてもよかった。当日のプログラムがいま手元に見当たらないのだが、最初にリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、そのあとスウェーデンの現代作品があって、最後にストランヴィンスキーのペトルーシュカだったように記憶している。当時の主席指揮者;マリオ・ヴェンツァーゴ指揮のマルメ交響楽団の演奏は、機能的にはまったく不安はなく、R・シュトラウスのドンファンの開始から圧倒的な迫力と推進力で驚いた。
ついその二ヶ月前の2005年暮れにストックホルムフィルハーモニーを聴いたばかりで、また現地のオケが聴けたのはラッキーだった。9時前にコンサートが終わり、小雪の舞うマルメの街をとぼとぼ歩いてホテルに帰ったのを思い出す。
◆以前の北欧訪問の記事
北欧の思い出 <2003年夏>
北欧の思い出 <2004年番外ドイツ編>
北欧の思い出 <2005年12月ストックホルム>
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夕食後PCに向かってネットニュースを見ていたら、ノーベル賞授賞式のためスウェーデンを訪問した、日本人受賞者のお二方の姿が出ていた。授賞式のあるこの時期を彼の地ではノーベルウィークと呼ぶらしい。仕事で北欧を何度か訪れたことは以前書いたが、きょうは2005年12月の思い出を記すことにした。実はこのとき2005年12月のスウェーデン訪問は、冬季に入って現地で発生した商品トラブルの対応だった。
◇ ストックホルムフィルハーモニー演奏会
商品トラブル対応で日本からの援軍待ちをしていたある日の晩、息抜きに現地のインフォメーションでコンサートを探すとちょうどその晩に宿泊しているホテル近くのコンサートホールで、かつてはフルトヴェングラーも客演した歴史を持つ北欧きってのオーケストラ、ストックホルム・フィルの演奏会を見つけ、当日券を買って聴くことが出来た。この頃から注目され始め、現在ロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督にまで出世した若手指揮者;グスターボ・ドゥダメルの指揮で、ブラームスのドッペル(ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲)とチャイコフスキーの交響曲第4番というプログラム。ブラームスのソロは、ヴァイオリンがダニエル・ローン、チェロがダニエル・ブレンドルフという若い兄弟が務めた。ブラームスの二重協奏曲は、大好きなブラームスの中でもとりわけ好きな曲の一つ。それを異国の地のコンサートホールに一人身を置き、ライブでは初めて聴くブラームスのドッペルを聴くことになるとは夢にも思わなかった。ドゥダメルの指揮は、熱血あふれるもので、特にチャイコフスキーは終始熱くオーケストラをドライブして素晴らしかった。



◇ ストックホルム市街地点描

◇ スウェーデン北部 シェレフティオの街
このときの出張では商品トラブルの現地確認とその解決のためスウェーデン北部のシェレフティオという小さ街の家庭を訪問した。ストックホルムから国内線で2時間。北緯64度を越える極寒の地で、金鉱開発で出来た街だということだ。天気に恵まれればオーロラが見られると言われたが、当日は夜から曇り、それはかなわなかった。


突然話は飛ぶのだが…
きょうラジオを聴いていたら本日11月8日はヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見した記念日だそうだ。以前仕事で北欧を何度か訪れたことは書いた。2004年5月、2度目の北欧行きのとき、関連の仕事でドイツのデュッセルドルフに立ち寄り、車で1時間ほどのレムシャイトRemscheidという町に行った。仕事の目的は欧州最大の空調・給湯器メーカーでの打合せだった。このレムシャトという町でレントゲンは生まれた。打合せを終えて夕食まで時間、そのメーカーのボスがぼくら日本からのメンバー3名を車に乗せ、町を少しだけ案内してくれた。その道すがらレントゲンがレムシャイトで生まれたことを教えてくれた。



ロマンティック街道真っ只中にあるレムシャイトは中世の面影を残す実に美しい町だった。レントゲンの生家を直接見ることは出来なかったが、ネットで見つけたその写真は、ぼくがみたレムシャイトの家々と同じように黒い石瓦で壁がおおわれていた。市街地から少し離れた中世の古城も当時のまま美しくそびえていたし、食事をした小さなレストランもこれ以上になく美しく、伊達にロマンティック街道を名乗っているわけではないことを実感した。
このレムシャイトの近くに、ヴッパータールWuppertalという町がある。レムシャイトに行った際、この町にも仕事があって赴いた。ヴッパータールには世界最古のモノレールがあって、市内から郊外の200年以上の歴史がある動物園を結んでいる。このヴッパータールという名前がいかにもドイツっぽくて好きだったが、最近日本でもこの名前を見るようになった。この町の代表する楽団、ヴッパータール交響楽団が現在のシェフである日本人;上岡敏之と共に2007年に凱旋公演をしているのだ。その後CDが発売になり、今年もまた来日した。YouTubeに同団のプロモーションビデオがあったので貼っておこう。

当地出身の音楽も多く、指揮者のギュンター・ヴァントやハンス・クッパーツブッシュが有名だ。きょうはあれこれあって、ワグナーを聴くにはいささか疲れた。明日の晩にでも、久々にクナのワグナーアルバムを引っ張り出すとしよう。
日本人科学者ノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。このところ毎年のように日本から受賞者が出ている。地道な研究が実り、評価されたことを喜びたい。さてノーベル賞といえば舞台はスウェーデンの首都ストックホルムだ。ぼくは2003年から2006年にかけて仕事で北欧を何度か訪れる機会があった。都合10回程度行っただろうか。仕事の出張なのでほとんど物見遊山の時間はないのだが、それでも半日オフの時間があったり、予定した仕事が終わらず、週末をはさんで居残りになったりということもときにはあって、そんなときは一人でホテル周辺をブラブラする程度の時間は持てた。幸いスウェーデンはほとんどの局面で、ホテルはもちろん、レストランやコンビニまで英語が通じる。スウェーデン語はもちろんちんぷんかんぷんだが、こちらの片言の英語でも相手が理解してくれるのは助かる。フランスやイタリアとは大違いだ。一番頻繁に滞在したのはストックホルムで、最初に訪問は、あの田中さんがノーベル賞を受賞した翌年の2003年6月だった。そのときの写真を少しだけアップしておこう.



ストックホルムは北のベニスとも言われ、街を取り巻くように外海が入りくんでいる。また第二次大戦で中立国であったことも影響してか、戦火をまぬがれ、古い街並みが旧市街地として今も残っている。4枚目、7年前のぼく(今より10kgはやせているなあ)が写っている写真のバック、茶色の建物がノーベル賞授賞式が行われるストックホルム市庁舎だ。6月中旬だったと思うが、この時期ストックホルム辺りでは、夜11時近くまで明るい。社会活動はもう終わっている時間で、通りには人っ子一人いないのに街の光景も空も明るいという白昼夢のような場面に遭遇したのを思い出す。
ところで、北欧の作曲家といったら誰を思い出すだろうか。北欧の作曲家を5人あげよ、という問題が出たらどうだろうか。はい、先生!フィンランドのシベリウス!。はい、先生!ノルウェイのグリーグ!。…と、ここまでは中学校の音楽の教科書に出てくる。そのあとが出てこないのではあるまいか。少しクラシックを聴き込んだ人なら、デンマークのニールセンを上がるかもしれない。交響曲第4番『不滅』が有名だ。ここまでで先の問いには3人まで答えが出た。しかしそのあとはどうだろう。以外にも北欧の大国スウェーデンの作曲家の名前が出てこない。ここで、ステンハンマル、ベルワルド、アルベーンといった名前が出てきたら、かなりのクラシックオタクということになる。
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上の写真のNAXOSから出ているスウェーデンの作曲家によるバイオリン曲集だ。ステンハンマル、ベルワルドの曲が聴ける。いずれも初期から中期ロマン派の曲想をたたえた美しい曲ではあるのだが、せっかくいいモチーフを使いながら、それを構成力で展開させ、聴く者を引き込むほどの魅力には乏しい。グリーグやシベリウスに比して、スウェーデンの作曲家の名がメジャーにならないのもうなづける。