彼岸を迎えた九月下旬。朝晩めっきりすごしやすくなりましたね…といった挨拶も今年は縁がない。きょうは昼をはさんでちょいと外出。帰宅後、久々にアンプの灯を入れ、この盤を取り出した。 ハンガリー生まれの指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914-1963)とベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」。彼が残した録音のうち特に晩年ベルリンフィルと入れた一連のステレオ録音はいずれもスケール感豊かで聴き応え十分だ。手元には懐かしい独グラモフォン系の廉価盤レーベル:ヘリオドールシリーズのLPをはじめ、近年になってCDで出た際に買い求めた盤がいくつかある。今夜取り出したのは第7番とカップリングされたCD。第5番は1961年9月の録音。 このベートーヴェン。いつも同じような言い方になるが、まず60年代初頭のベルリンフィルの音が素晴らしくいい。安定した低弦群の響き、よく整って緊張感のあるヴァイオリン群、全体の調和を重んじた吹きぶりの木管群、やや暗めの音色ながら底力のある金管群等々。まだフルトヴェングラー時代の名手がみな残っていた時代であったし、国際化の名のもとに均質化してしまった昨今とは違う、一本筋の通った「独逸」の音が聴ける。 フリッチャイについては何度か記事に書いた。50年代後半から白血病に侵され幾度となく手術を繰り返したフリッチャイは、この録音を録り終えたあと年末には再び病状悪化。ついに指揮活動を断念することになった。そんな当時のフリッチャイの状況が映し出されているのかどうか分からないが、ともかくこの第5番は気宇壮大だ。 遅めのテンポ、テヌートの効いた音価、後ろ髪を引かれるようなアウフタクト…とかく熱っぽさと勢いで突き進んでしまうこの曲の隅々まで克明に描き出していく。一般的には10分前後で終える第2楽章のAndante con motoに13分かけて丁寧に変奏を弾き進めている。ゆっくりしたテンポで緊張感を保つのは指揮者ばかりでなく団員全員にとっても精神的・肉体的に辛い作業のはずだ。このテンポで終始音の密度と緊張感を持続させるベルリンフィルの力量もさすがだ。このコンビのベートーヴェンは3番、5番、7番、9番がステレオ録音で残っていて、いずれも素晴らしい。■ 最後までお読み頂きありがとうございます ■ ■↓↓↓ランキングに参加しています↓↓↓■ ■↓↓ バナークリックにご協力ください ↓↓■にほんブログ村 第5番第2楽章。コントラバスの深い低音、緊張感のある弦楽群の歌いっぷり。VIDEO 終楽章VIDEO ■ 最後までお読み頂きありがとうございます ■ ■↓↓↓ランキングに参加しています↓↓↓■ ■↓↓ バナークリックにご協力ください ↓↓■にほんブログ村
先日来時折聴いている「英雄」。きょうはこの盤を取り出した。 ロジャー・ノリントンと彼が1978年に設立したロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(LCP)によるベートーヴェン交響曲全集(メルヴィン・タンとのピアノ協奏曲全曲も含む)。1986~88年の録音。ピリオドオケによるベートーヴェンとしては初期のもの。前後してブリュッヘンやガーディーナーなどの録音が出るようになり、ピリオドオケによるベートーヴェンあるいは古典派交響曲演奏の隆盛期を迎えることになる。またノリントンはその後1997年に着任したシュトゥットガルト放送交響楽団とライヴ演奏で再録音している。 ぼく自身それまでピリオドオケによる演奏に特別な興味はなく、手元に十数組あるベートーヴェンの交響曲全集もみなモダンオケによるものばかりだった。中ではデイヴィッド・ジンマン&チューリッヒトーンハレと高関健&群馬交響楽団による全集がモダンオケながら新しい研究成果を取り入れた演奏で、いくらか<ピリオド寄り>といえるものだった。モダンオケの重厚長大もいいが、そろそろピリオドオケも聴いてみようかと思っていた矢先に「7枚組2千円!持ってけ泥棒」的に叩き売られていたのを見つけて手に入れた。 第1番から第9番まで、いずれもよく整ったアンサンブルと明るい音色で前へ前へと進む音楽の推進力が素晴らしい。しばしば強打されるティンパニーは雷鳴のごとく辺りの空気を一変させ、突き抜けるようなホルンは生命の飛翔を後押しするかのようだ。 第3番変ホ長調「英雄」は、重厚長大に慣れ親しんだ耳にはいささか軽量級に過ぎるかと懸念したが杞憂に終わった。第1楽章から速めのテンポでたたみかけるように進み、ティンパニや各パートのアクセントが曲にクサビを打ち込みように決まる。この演奏を聴いたあとでモダンオケの、それもやや古いスタイルの独墺系オケの演奏を聴いたら、きっとそちらの方に「なぜそれ程までに重い荷物を力ずくで引っ張っていくような演奏をするのか」と違和感を感じるだろう。また各パートがはっきり分離してそれぞれの動きがよく分かるので、モダンオケでは埋もれがちなフレーズがあちこちで顔をのぞかせ、こんなことをやっていたのかと気付かされるポイントが多々ある。そしてベートーヴェンがいかに革新的であったかもあらためて実感する。あまたあるウィーン古典派の温厚かつ予定調和的な曲があふれていた当時に、これらベートーヴェンの曲がこうした演奏で響き渡る様はさぞ刺激的で聴衆を驚かせたに違いないと、再認識させられる。 第3番の第1楽章。2008年冬シュトゥットガルト放送交響楽団との来日公演@サントリーホールと思われる。フル編成モダンオケにピリオド風の味付け。奇異なところはまったく感じない。素晴らしい解釈とそれをオケに徹底させた手腕は大したものだ。ヴァイオリンは対向配置、コントラバスはウィーンフィルのニューイヤーコンサートで見られる後方一列(高関健&群馬交響楽団でもしばしばこの配置を取っていた)。管楽器の一部とティンパニーが古楽仕様かと思う。 3分00秒提示部を繰り返し、6分過ぎから展開部へ。7分24秒:通常のモダンオケの演奏では中々聴こえないホルンのスケールで展開部の佳境に入る。弦楽群がフーガ風に短いパッセージを繰り返しながら次第に緊張を高める。7分40秒あたりからヘミオラも入って更に盛り上がり、7分56秒にティンパニーとトランペットの一撃。そして8分14秒の短二度の激しいぶつかり合いで頂点を迎える。そして8分20秒からの弦のトゥッティによる単純な音形が展開部の山場の終わりを告げるように奏され8分24秒からの木管群のメロディーへつながる。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
先回聴いたザンデルリングとフィルハーモニア管弦楽団の「英雄」。じわじわと惹きつけられるその演奏に感心し、きょうは同じセットから第1番の交響曲を取り出した。 ベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調。ザンデルリンク68歳の円熟期の録音。音楽は悠々と流れる。音価いっぱいに引き伸ばされるレガートなフレージング、柔らかなアインザッツ。ベートーヴェンの交響曲がもつ熱く劇的なイメージは少ない。こう書くと腑抜けのベートーヴェンと受け取られかねないが、そんなことはない。腕利きが揃うフィルハーモニア管の追従もよく、ゆっくり、ゆったりでありながら音楽全体は整然と進行する。80年代以降の新世代の演奏と比べるとオールドファッションの感は否めないが、今となっては貴重なスタイルだ。内田光子がベートーヴェンの協奏曲録音に際し、「ザンデルリングとでなければベートーヴェン録音はありえない」とザンデルリンクとの協演を希望して録音が実現したという(内田光子のベートーヴェンとしては少し前にラトル&ベルリンフィルとの新録音がリリースされた)。ザンデルリングというと70年代初頭のシュターツカペレ・ドレスデンとのブラームスがまず思い出されるが、ブラームスでみせる男性的な表情とはまた違った色合いのベートーヴェンだ。 第1番の第1楽章。手持ちの盤からアップした。冒頭の序奏のテンポに驚く。VIDEO 同 全4楽章VIDEO カラヤン&ベルリンフィル 1977年秋@東京普門館 このときの来日公演ではベートーヴェンの交響曲全9曲が取り上げられた。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
先日聴いたケンペ盤の「英雄」で思い出し、音盤棚で隣りに並んでいたこの盤を取り出した。 最後の巨匠ともいわれたクルト・ザンデルリンク(1912-2011)がフィルハーモニア管弦楽団を振ったベートーヴェン交響曲全集。1980~81年のデジタル録音。手持ちの盤は20世紀が終わる頃、激安ボックスセットで出たときのもの。80年代初頭の録音ということだから、当初のリリースはLPだったはずだが、話題になった記憶がない。全曲が録音されていながらLP時代のリリースは一部にとどまったようで、このCDセットで初めて全容が明らかになったといっていいだろう。手持ちのDiskyCommunication版ボックスセットは、Disk-1に入っている第1番が第3楽章までで終わり、第4楽章はDisk-5へ飛ぶという、廉価ボックスとはいえ少々難有りの編集がいただけないが、その後再発されたセットは6枚組みになり楽章割付も正常化、加えて同時期に録音された序曲類も入って、まともなセットになった。きょうはこの中から第3番変ホ長調「英雄」の盤を取り出し、プレイヤーにセットした。 さて「英雄」。ベートーヴェンの9曲ある交響曲でよく聴くのはどれか…という自問自答をすると、若い頃から今に至るまで間違いなく最上位にくる曲だ。近年は第2番や第8番を聴くことが多いが、第3番を聴き始めると、斬新な楽想、周到な構成、感情表現の質と量等々、やはりこの曲の存在の大きさを再確認する。 ザンデルリングは全体にややゆっくりめのテンポを設定し、あわてず騒がず曲を進める。おそらく初めて聴くと物足りなさを感じるかもしれないが、聴き進めていくうちにじわじわとその手中にはまり、スケールの大きな音楽の流れの中に身をおく感覚に包まれる。第1楽章冒頭のトゥッティなど、いささか力感が不足するように感じるが、曲の進行に伴って次第に熱量を上げていき、展開部のクライマックスに至る頃には響きの充実感に冒頭の不足感など吹き飛んでしまう。第2楽章以下も同様のアプローチで、次第に聴く者を引き込んでいく。指揮者への適応能力と演奏能力共に高いフィルハーモニア管弦楽団の好演もあって、充実した一時間を約束してくれる演奏だ。 この盤の音源。全4楽章VIDEO 「音楽と情熱」ベンジャミン・ザンダー による第1楽章のレッスン。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
風薫る五月というけれど、どうも今年はそんな日がほとんどなかったように感じるは気のせいだろうか。月があらたまってから、じわじわと湿度感を増すきょうこの頃。夜半近くなって少しひんやりとした空気を感じながら、さて今夜の「盤ご飯」。久しぶりにこの盤を取り出した。 ルドルフ・ケンペ(1910-1976)とミュンヘンフィルハーモニーによるベートーヴェンの交響曲全集。70年代初頭の録音。この頃ケンペは指揮者としてのピークにあって、このベートーヴェン他、ブラームスの交響曲、ブルックナーのいくつかの交響曲、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲など、次々と録音を重ねていった時期にあたる。手持ちの盤は2000年に当時の廉価盤ボックスセットのラッシュをBrilliant_Classicsと競ったDisky_Classicsから出たもの。原盤はEMI。 この盤を手に入れた当時はいま思うと恥ずかしいくらい音盤を買い漁っていた。ベートーヴェンも同時期にかつての名盤が続々とボックスセットでリリースされたこともあって、我ながら完全に制御不能な状況がしばらく続いた。このセットもそんな時期に手に入れたものだ。今夜は久々にボックスケースを開け、第3番変ホ長調「英雄」をプレイヤーにセットした。 第1楽章冒頭、Es_durの主和音が驚くほど柔らかなタッチで響く。ハンマーを思い切り叩きつけるようなアインザッツの対極だ。テンポは当時の平均的な設定といったところだが、拍節のアクセントやフレーズの緩急の具合など万事が穏やかかつ中庸なためか、一聴してテンポが遅く感じられる。そしてミュンヘンフィルの落ち着いた音色。おそらく当時も今も、この手の演奏は「派手さのない」「滋味あふれる」「堅実な」…といった形容詞で飾られる。あの手この手を尽くし、聴き手を飽きさせまいとする演奏と比べたら、ツマンネェ~と一蹴されかねない演奏かもしれない。しかし、さすがに聴き手のこちらも馬齢を重ねたからか、この手の演奏のたくまざる奥深さ、味わい深さに十分反応できるようになった。流麗で起伏に富み、爆発も嘆きも全開といった演奏にいささか食傷気味なった頃、こういう演奏を聴くと、飾らない昔ながらの中華そばに出会ったような感じを受ける。楽譜に忠実に過剰な演出をさけ、調和を旨とし…そんなケンペのイメージがそのまま音になったような演奏。久々に聴いたが、心温まる「英雄」だった。 この盤の音源。第1楽章VIDEO 晩年1975年、ストックホルムフィルとのライヴ。ミュンヘンフィル盤と比べ、少しテンポが遅いように感じるが、演奏全体の印象はよく似ている。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
先日来のブラームス祭りの続き。きょうはこの盤を取り出した。 英国の指揮者エイドリアン・ボールト(1889-1983)とロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(第3番のみロンドン交響楽団)によるブラームス交響曲全集から第1番ハ短調を聴いている。1889年生まれのエイドリアン・ボールトがこの盤を録音したのは80歳を超えた70年代初頭。ホルストの「惑星」を初演したことで知られるボールトだが、同国のビーチャムやバルビローリなどに比べると少々地味な存在だったのか、壮年期の録音は少ない。このブラームスをはじめ、多くの盤が晩年の録音だ。他の英国系指揮者同様、エルガー、ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズといった自国作品を得意としたのはもちろんだが、ボールトは修行時代にライプツィッヒに渡り、ニキシュに私淑したということからも伺える通り、ブラームスやベートーヴェンなどのドイツ物にもよい演奏を残した。このブラームス全集もその一つだろう。 この盤を手に入れたのは二十年程前。メージャーレーベルから版権を譲り受けて廉価ボックスセットを出すことで有名な蘭DISKY社からリリースされたもの。昔から評価の高い演奏であることは知っていたが、実のところあまり期待もせずに手に入れた。しかしこれが存外によかった。 80歳を超えた晩年の録音であることから、おそらく徹底的にオケを絞り上げて練習を重ねた録音ということなく、半ばスタジオライヴ的に録ったのではないかと思う。それゆえかオケのアンサンブルは鉄壁というわけにはいかず、弦楽群のアインザッツにはいくらか乱れもあるし、前進する推力も圧倒的というものではない。しかし、対向配置を取るオケ全体の響きは十分厚く重量感に不足はない。テンポは意外にもほとんどインテンポで進む。また音色も派手さのないもので、共にブラームスに相応しい。特筆すべきはこの曲で重要な任を負うホルンセクションの素晴らしさだ。第1楽章では単純な音形のひと吹きにも深さを感じるし、展開部で聴かれるベートーヴェンの「運命」のモチーフに似たタタタ・ターンのフレーズもよく突き抜けてくる。第2楽章終盤、例のヴァイオリンソロとの掛け合いでも美しい音を聴かせてくれる。もちろん第4楽章でのホルンの活躍を言うに及ばない。思えば英国にはホルンの名手が多い。デニス・ブレイン、アラン・シヴィル、バリー・タックウェル等。その伝統がこのときのロンドン・フィルにも息づいているのだろう。 世には様々なブラームス演奏があるが、このボールト&ロンドン・フィル盤は一見すべてが中庸のようでありながら、スケール感、要所要所での力感、ブラームスらしい憧れを引きずるような歌、それらを過不足なくなくコントロールして具現化する手腕など、文句の言いようのない出来栄えだ。 この盤の音源。第1番ハ短調。第1楽章の提示部を繰り返している。VIDEO この盤の音源。第1番から4番まで全4曲が続く。概要欄にある楽章ごとのタイムスタンプを参照されたい。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
このところ続けて聴いているブラームス。クラシックを聴き始めて間もなくブラームスの交響曲に惹かれて以来半世紀、一体何度聴いたことか。そしてきょうもまた飽きもせず、この盤を取り出した。 オイゲン・ヨッフム(1902-1987)がロンドンフィルと入れたブラームス全集LP盤から第2番ニ長調を聴いている。1976年録音。以前も書いたが、手元には結構な数のブラームス交響曲全集盤がある。カラヤン/BPO(60年代・70年代)、ベーム/VPO、バーンスタイン/VPO、フルトヴェングラー/BPO他、ワルター/コロンビア響、ヨッフム/LPO、クレンペラー/PO、ケンペ/MPO(以上はLP盤)、ボールト/LSO、バルビローリ/VPO、セル/クリーブランド、アンチェル/チェコPO、ヴァント/NDR、チェリビダッケ/SWR、ザンデルリング/SKD、シャイー/RCO、インバル/フランクフルト放響、スウィトナー/SKB。この他に<単品>がゴロゴロという状況。中ではこのヨッフム盤はあまり頻繁に聴いた記憶がない。演奏が気に入らないという理由ではなく、そもそも音楽そのものをむさぼるように聴いた時期を過ぎてから手に入れた盤だという理由による。そんなこともあって、今夜は久しぶりにこの盤に針を下ろすことにした。 ヨッフムは晩年になっても老成することなくあまりテンポも落ちず、明快な音楽作りをしたと認識している。この盤もそれを証明するように、録音当時70代半ばながら巨匠然とすることなく、音楽は極めてスムースに進行する。テンポは中庸でフレーズの歌いまわしも極めてナチュラル。それでいて決め所の重量感に不足はない。第2楽章など、もっと寂寥感をただよわせて歌い込んでもいいかなと思うのだが、その一歩手前で抑えているあたりが老練の技かもしれない。終楽章は年齢が信じられないほど精気にあふれ、最後のコーダに入ってからのアチェルランドには思わず手に汗握る。ロンドンフィルは細かいところのアンサンブルで時々難がないではないが、雰囲気は実にブラームスらしく落ち着いた音色と深いアインザッツでヨッフムの棒に応えている。録音場所はキングスウェイホール。もう少し響きのブレンドと空間の広がり感がほしい気もするが、低弦群の重量感はたっぷりでブラームスのシンフォニーに相応しい仕上がり。他のEMI録音でも感じるように、キングスウェイホールでの録音はホールトーンをやや控えめ、反面各パートの分離は良好で広めのスタジオでのライヴを聴く趣きだ。 ブラームスはこの第2交響曲を避暑先のペルチャッハで作った。明るいニ長調の調性と相まって、初夏を感じさせるこの時期にしみじみ聴くのに相応しい名曲だ。 この盤の音源。第4楽章VIDEO ブラームス自身が編曲したピアノ連弾版による演奏。全4楽章VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村