北欧の思い出 <2005年12月ストックホルム> 現地オケを聴く:ストックホルムフィル


夕食後PCに向かってネットニュースを見ていたら、ノーベル賞授賞式のためスウェーデンを訪問した、日本人受賞者のお二方の姿が出ていた。授賞式のあるこの時期を彼の地ではノーベルウィークと呼ぶらしい。仕事で北欧を何度か訪れたことは以前書いたが、きょうは2005年12月の思い出を記すことにした。実はこのとき2005年12月のスウェーデン訪問は、冬季に入って現地で発生した商品トラブルの対応だった。


◇ ストックホルムフィルハーモニー演奏会

商品トラブル対応で日本からの援軍待ちをしていたある日の晩、息抜きに現地のインフォメーションでコンサートを探すとちょうどその晩に宿泊しているホテル近くのコンサートホールで、かつてはフルトヴェングラーも客演した歴史を持つ北欧きってのオーケストラ、ストックホルム・フィルの演奏会を見つけ、当日券を買って聴くことが出来た。この頃から注目され始め、現在ロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督にまで出世した若手指揮者;グスターボ・ドゥダメルの指揮で、ブラームスのドッペル(ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲)とチャイコフスキーの交響曲第4番というプログラム。ブラームスのソロは、ヴァイオリンがダニエル・ローン、チェロがダニエル・ブレンドルフという若い兄弟が務めた。ブラームスの二重協奏曲は、大好きなブラームスの中でもとりわけ好きな曲の一つ。それを異国の地のコンサートホールに一人身を置き、ライブでは初めて聴くブラームスのドッペルを聴くことになるとは夢にも思わなかった。ドゥダメルの指揮は、熱血あふれるもので、特にチャイコフスキーは終始熱くオーケストラをドライブして素晴らしかった。


当日のポスター  ストックホルム市街中心部にあるコンサートホール


ホール入口  ホール階段


ホール内部 開演前   ホール内部 席数1500程度か 響きはとてもよかった


◇ ストックホルム市街地点描

静かな海に映える市庁舎   この時期日の出午前10時、日没午後3時 これでも午後3時前


ショーウィンドウはどこもXmas   モーツァルトのトルコマーチを巧みに弾いていました  


◇ スウェーデン北部 シェレフティオの街
このときの出張では商品トラブルの現地確認とその解決のためスウェーデン北部のシェレフティオという小さ街の家庭を訪問した。ストックホルムから国内線で2時間。北緯64度を越える極寒の地で、金鉱開発で出来た街だということだ。天気に恵まれればオーロラが見られると言われたが、当日は夜から曇り、それはかなわなかった。


スウェーデン北部 シェレフティアの飛行場   現地で昔から使われているソリ

クリスマスを前に一般家庭の窓辺はいずこも飾付けが   スウェーデンの一般家庭の食卓

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ラグビー早明戦 宿沢広朗


12月第1週の日曜日午後2時。ぼくはテレビの前に陣取り、チャンネルをNHK総合に合わせる。毎年この日この時間に関東大学ラグビー対抗戦の早稲田対明治の試合が行なわれる。もう何十年も続く年中行事だ。野球は早慶戦だが、ラグビーは何と言っても早明戦だ。今シーズンは全勝明治に対し早稲田と慶応が1敗で続き、きょうの早明戦の結果次第で優勝がどこに行くか混沌としている状態だった。試合が行われる午後2時から夕方まで外出していたため、録画しておいた試合をさきほど観た。結果は明治有利の事前の予想とは異なり、早稲田の快勝。早稲田の鋭い出足のディフェンスに明治が攻めあぐねた格好だ。ヨッシャー、早稲田勝利!そう、ぼくは早稲田ファンなのだ。

実はぼくは高校時代ラグビーをやっていた。今は当時の面影皆無の鈍重極まりない体形になり、誰も信じてくれない。1970年の夏、県内の高校生を集めて在京の大学ラグビー部のメンバーが指導するというイベントあって参加した。その中に早稲田のスクラムハーフ宿沢広朗がいた。のちに早稲田の監督、全日本の監督も務めることになる名ハーフバックだ。彼が出すパスを受ける練習になって、いつも通りの距離感でポジションを取ると、もっと離れろという。彼がいいというまで離れたら、それの距離は普段ぼく達が練習している距離の倍ほどになった。えっ、と思いながらも練習が始まると、彼はその長い距離から素晴らしくコントロールされたロングパスを送ってきた。あぁこれが早稲田宿沢のパスかと驚き、そして納得した。そのとき以来ぼくは早稲田ファンになったのだ。


朝日文庫「早稲田ラグビー」(1987年刊)  全日本のユニフォームを着た宿沢


受験期を迎え、志望校に早稲田と書きたかったのだが、理系志望にも関わらず、数学と物理が苦手だったぼくには、受験科目数が少ない私立理系はマッチしなかった。結局文系科目の多い地方国立大学工学部に滑り込むことになり、以来早稲田は「心の母校」となった。国立競技場でガールフレンドと早明ラグビーを観戦し、早稲田の勝利に酔いながら神宮の銀杏並木を歩くというのがぼくの夢だった。

夢は実現せず、ギターや音楽に夢中になってインドア志向になるに従い、スポーツとは縁遠くなった。しかしラグビー観戦、とりわけ12月第1週日曜の早明ラグビーだけは特別なイベントとなり、テレビの前で「心の母校」早稲田を応援することになる。以前は下馬評で「重戦車フォワードの明治が優勢、軽量の早稲田はタックルと展開で活路を見出せるか」といった早稲田劣勢の報道が常で、その報道通り、早稲田が明治のスクラムに苦しみながら捨て身のタックルと一瞬の隙をつく展開で辛勝するパターンが多かった。その後何世代かが代わり、早稲田のフォワードも強力になった。またルール変更もあって、以前と比べるとスピーディーな展開のスポーツになった。反面、背番号が見えなくなるほど汚れたユニフォームでスクラムやラックで長時間に渡ってぶつかり、押し合う重量感、悲壮感は少し薄れたように感じる。

40年前、早稲田がぼくの「心の母校」になるきっかけと作った宿沢広朗。埼玉県内の進学校である熊谷高校卒業の彼は成績も優秀で、早大政経学部を卒業後住友銀行に入行。仕事面でも成果を重ね専務役員となり、次期社長候補とも言われた。しかし2006年6月、当地群馬県の赤城山を登山中に心筋梗塞に襲われ、帰らぬ人となってしまった。毎年この時期になると早明ラグビーにエキサイトし、心の母校早稲田を想って青春回顧してきたが、ここ数年は宿沢氏のことを思い出す日にもなっている。

◇1987年雪の早明戦◇
YouTubeで検索すると沢山の早明ラグビーの動画があった。さすがに宿沢氏の現役時代の姿は見られなかったが、1987年伝説の「雪の早明戦」ロスタイムの攻防があったので貼っておこう。宿沢の再来とも言われた小柄なスクラムハーフ堀越、のちに早稲田やサントリーの監督を務める清宮、現・明大監督の吉田らの姿が観られる。10対7でリードされていた明治はゴール前のペナルティでもキックでゴールを狙わず徹底したフォワード戦に挑む。早稲田の必死のディフェンスそして勝利。今も記憶に残る素晴らしい試合だった。



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マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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