大晦日31日、寒波到来で各地で降雪の模様だが、当地前橋はいつもの冬晴れに恵まれ、穏やかな天気だった。昨晩長い時間換気もせずにアラジンストーブを点けた部屋にこもっていたためか、朝から頭痛に見舞われ往生している。そういえば、このブログを始めた三ヶ月前も頭痛ネタで始まった。
さて、きょうも一日だらだらと過ごしたが、3時過ぎから今年の聴き納めをするべく盤を選んだ。
今年話題となった惑星探査機「はやぶさ」。その帰還がどれほど奇跡的な出来事であったか。その「はやぶさ」に思いを込めてホルストの「惑星」をショルティ盤で聴くことにした。

この盤が録音された1978年当時、ショルティはシカゴ交響楽団とのコンビで絶頂期にあった。しかしこの盤はロンドンフィルとの録音だ。もちろんショルティにとってイギリスは活動の本拠地でもあったし、Sirの称号を受けたほどだから、ロンドンフィルとの録音は他にあって不思議ではない。実のところショルティはぼくのお気に入りの指揮者というわけではないが、この盤はショルティの特性がプラスに働き、素晴らしい演奏だ。第1曲「火星」は速めのテンポでグイグイと進む。ロンドンフィルのアンサンブルも極上だ。どんなパッセージも楽々とこなし、余裕を感じさせる。時折鋭いアクセントを打ち込むあたりはいかにもショルティらしい。第2曲「金星」はショルティとは思えないほどじっくりとした歩みで、弦楽器群の美しさが耳をひく。有名な「木星」は意外にもあっさりとした表現だ。
それにしても、この横尾忠則のジャケットデザインはどうだろう。ぼくはデザインやイラストにはまったく不案内だが、この未来的な光景と幻想的なエロスが融合したジャケットは一度見たら忘れられないほど印象的だ。この光景が目前に現れ、静かにこうべを垂れてたたずむ美女と第2曲「金星」の官能的ともいえる旋律が鳴り響いたら、そのまま忘我の境地にワープしてしまいそうだ。
さて終曲、消えゆくような「海王星」の女声コーラスを聴きながら、今年1年を締めくくろうか。大過ない1年であったが、よわい五十も半ばとなって、いよいよ勤め人としても残すところ数年。以前は何ともなかったことが、異常にシンドク感じるようになった。ラストワンマイルの辛さというところだろうか。来年はどうなるか。まあ、生来のグータラ路線は変わりそうもない。
開始から三ヶ月になるこのブログを読んでくださっている数少ないみなさん、ありがとうございました。みなさまにとって、来年もよい年でありますように。また年明けの更新でお会いしましょう。


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今夜もNHK-FMのバイロイト特集を聴きながらPCに向かっている。今夜はパルジファルだ。重厚で息の長いフレーズ、ゆっくりと時間をかけたクレッシェンド、ボリュームを絞り気味にしたステレオから深く静かで巨大なワグナーの世界が広がる。
さて今年の10枚…
年末なので、テレビの企画よろしく、今年聴いたベスト10を選んでみようと思ってこんな記事のタイトルを付けてみたのだが、さて音盤の棚を見回してみて実は驚いた。10枚が選べないのだ。選択に迷うのではなく、よく聴いたなあというアルバムが見当たらない。へヴィーローテーションの少ない1年だったというのが正直なところだ。そんな中、明らかに複数回聴いた記憶のある盤を選んだ結果が以下の通りだ。新譜でもないし、購入してから年月を経ているものもある。単に今年比較的よく聴いた盤、といったほどのものであることを最初にお断りしておこう。

<1> ブラームス;間奏曲集 グールド(pf)
<2> ショパン;4つのバラード他 ツィマーマン(pf)
<3> バッハ;パルティータ第2番ほか ペライア(pf)
<4> ハイドン;交響曲全集 フィシャー指揮オーストリアハンガリアンハイドン管弦楽団
<5> 「バトゥカーダ-ジャズボッサ」 平賀マリカ(vo)
<6> 「スウィングの空の下で」 アンジェロ・ドゥバール(g)
<7> 「ブラッサム・ディアリ」 ブラッサム・ディアリ(vo)
<8> 「オータムインニューヨーク」 タル・ファーロウ(g)
<9> ブルックナー交響曲第8番 チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
<10> ピアソラ;フルートとギターのための作品集
<1> ブラームス;間奏曲集 グールド(pf)
今年、NHK教育テレビで坂本龍一が紹介してにわかに注目された盤だ。若きグールドがブラームスの静かな世界を素晴らしく克明に描き出している名盤。仕事に疲れた深夜によく聴いた。
<2> ショパン;4つのバラード他 ツィマーマン(pf)
ツィマーマンのショパンについては以前このブログでも書いた。いわゆるショパン名曲集のたぐいとは別世界のショパンを聴かせてくれる。<1>同様、深夜によく聴いた。
<3> バッハ;パルティータ第2番ほか ペライア(pf)
以前紹介したアルバム。ペライアのバッハは音色が美しく表現も中庸で、いずれも現代のリファレンスとして安心して聴ける。
<4> ハイドン;交響曲全集 フィシャー指揮オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団
ハイドンの交響曲全104曲33枚のボックスセット。数年前に入手してポツリポツリと聴いていたが、今年は少しまとめて聴いた。ハイドンの交響曲は初期のものでも古典的な構成感と躍動が素晴らしく、どれを聴いても、いつ聴いても楽しい。
<5> 「バトゥカーダ-ジャズボッサ」 平賀マリカ(vo)
人気の平賀マリカが歌う、ボサノバアルバム。半ば「ジャケ買い」の1枚ではあったが、歌も演奏も楽しめた。彼女についてはこちらを。
<6> 「スウィングの空の下で」 アンジェロ・ドゥバール(g)
ジャンゴ・ラインハルトのこと以前書いたが、その系譜を受け継ぐのマヌッシュギターの一人者。競演するルドヴィク・ベイエのアコーディオンも素晴らしく、ご機嫌なスウィングと哀愁あふれる歌が楽しめる、いいアルバムだ。
<7> 「ブラッサム・ディアリ」 ブラッサム・ディアリ(vo)
この盤についても、ブログ開設直後の記事に書いた。今年後半もっともよく聴いたアルバムかもしれない。
<8> 「オータムインニューヨーク」 タル・ファーロウ(g)
白人ジャズギタリストのタル・ファーロウは、ぼくの好きなジャズギタリストの一人だ。抜群のテクニックとよどみなく繰り出されるアドリブフレーズは何度聴いても飽きない。
<9> ブルックナー交響曲第8番 チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル
1990年チェリビダッケ晩年の来日公演のライブ。80年代後半以降一連の来日公演ライブのアルバムは賛否あるようだが、ぼくはいずれも素晴らしいと思う。チェリビダッケの作り出す音響バランスと、曲の隅々にまで行き届いた眼力に感服だ。
<10> ピアソラ;フルートとギターのための作品集
フルートとギターのための作品「タンゴの歴史」とお目当てで入手したナクソス盤。ボーデル1900、カフェ1930、ナイトクラブ1960、コンサート現在、いずれも哀愁と機知にあふれていて美しい曲。
最初に書いた通り、今年はあまりレコードもCDも聴かなかった。あるいはこれは長期的傾向で、だんだん音盤を聴く時間も少なくなっているようにも感じる。棚に収まったまま陽の目をみない盤も多い。だったらいっそ整理して、お気に入りの100枚だけを残してスッキリ片付けたいとも思う。昔は棚にぎっしりと並んだレコードコレクションが憧れだったが、もうそういう気分でもなくなってきた。単に年をとったということだろうか。


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寒波到来で、日本海側と北日本では大雪だそうだ。当地群馬南部は雪こそないが、朝晩の寒さは雪国並みだ。今朝も出勤時プリウスの温度計はちょうど零度を指していた。それでも陽射しのありがたさ、およそ1時間のドライブの間に陽も登り、8時過ぎに会社へ着いた頃には3℃ほどになっていた。さらに昼間は季節風もなく穏やかな日和だった。きょうあすで仕事も終わるとあって、部内にはきょうあすと休みを取って先週末から10連休にしている者もいる。円高の折、海外逃亡かと仲間内で冗談交じりのやり取りもあるが、まずは平和な年の瀬だ。さて今夜は夕飯を済ませ、遅ればせながら年賀状の準備を少ししたあと、昨日の釣果からブレンデルの盤を聴くことにした。

このボックスセットには、ブレンデルが70年代から80年代にかけてフィリップスに録音した彼にとっては生涯3回の録音のうち、2回目のベートーヴェン;ピアノソナタ全曲と、80年代前半のライブ録音のピアノ協奏曲全曲の全12枚が収められている。今夜その中から、ピアノ協奏曲のうちぼくが好きな第3番と第4番を収めた盤をセットした。このピアノ協奏曲が録音された80年代前半当時ブレンデルは50歳台前半、シカゴ交響楽団を振ってバックを務めるジェームス・レヴァインは40歳になるかならないかという時期。共に才気あふれる全盛期といってよいだろうか。
第3番は出だしのオケの音からして少々剛直なイメージだ。それがレヴァインの指示なのか、シカゴ響の特質なのか不明だが、多分後者だろう。何といってもまだ豪腕ショルティが君臨していた時期のシカゴ響だ。あらゆるところにショルティのくせが染み込んでいるのかもしれない。もう一つは、この録音がライブ録音であることも一因だろう。スタジオセッションであれば、もっと細かな部分も磨き込んだだろうが、ライブ録音であれば、その場の勢いや演奏会での前後の曲にも左右されるに違いない。とはいっても、それゆえにこの第3番のイメージは、剛健なベートーヴェンのイメージに似つかわしいともいえる。ぼくとしてはもう少ししなやかな表現を期待したいところだ。
第4番ではシカゴ響の整った合奏が各声部を克明に描き出し、この曲の持つ独自の緊張感にプラスに働いていて、第3番よりもずっと出来がよい。ベートーヴェンの曲の中でも傑作の一つである第2楽章などは、より神秘的で瞑想的な表現が欲しいと思うのだが、レヴァインは神秘性よりは感情の激しい表出が前に出る感じだ。それでも第3楽章などはそれがプラスに機能して実にシンフォニックな出来上がりだ。しかしこうして聴いていると、どうしてもピアノよりもオーケストラ部分の響きや表現に耳がいってしまう。それはそれでコンチェルトを聴く醍醐味の一つではあるのだが。


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きょう12月26日の朝も冷え込んで、前夜アラジンストーブから出た水分で、窓ガラス一面に結露がいっぱいだった。昼前から隣り町高崎の駅近くにあるタワーレコード高崎店へ。よせばいいのに、ポイント3倍押しの誘惑にまんまと引っかかってふらふらと出かけてきた。以前書いたように、物欲にかられた四十代を終えて五十台半ばとなり、気分的には有形無形のいろいろなものを整理したいところなのだ。いま流行の「断捨離」そのものだ。だからレコードもCDも本も、むやみに無闇に増やすことなどもってのほかなのだが、きょうは年末ということもあって少々気がゆるんでしまった。

…ということで、写真の通りの釣果となった。醜い物欲をが制御できないなんて恥ずかしい限りだ。それはさておき、手にしたのは…サイモン・ラトルの出世作ともいうべき、バーミンガム市立交響楽団時代のマーラー全集(一部はベルリンフィル及びウィーンフィル)、少し前に引退を表明したアルフレッド・ブレンデルのベートーヴェン;ピアノ協奏曲とソナタの全曲集、そしてバルシャイ&ケルン放送交響楽団によるショスタコービッチの交響曲全集、以上を枚数で数えると37枚となる。他にジャズを4点。ちらっと見えると思うが、ウッドベースを抱きかかえているニッキ・パロットの1枚は完全な「ジャケ買い」であることを正直に告白しておこう。
一応言い訳もしておく。ラトルのマーラーはやはり彼の代表的な成果であって、バーンスタインやテンシュテットの全集が手元にあるものの、新時代のリファレンスとしてあってもよいかなと考えた。ブレンデルのベートーヴェンは70年代後半から80年代前半の彼の全盛期とも言える時期の英デッカ録音。協奏曲の伴奏がレヴァンイン&シカゴ交響楽団というのが少々引っかかるし、協奏曲もソナタもグルダやポリーニの盤があるのだが共にLP盤。CDによるピアノソナタのリファレンスが以前から欲しかったので、このブレンデル盤はちょうどよいタイミングに廉価でリリースされた。バルシャイとケルン放響によるショスタコービッチは数年前に出た盤で、以前から古いムラビンスキーの音の悪いモノラル盤を飛び飛びに持っていただけだったので、いつか全集で揃えようと思っていた。
さらに言い訳をしておくならば、全37枚となるものの、値段を枚数で割り返すと1枚あたり単価は300円ほどだ。それがどうしたと言われそうだが、ぼくとしては、そう高い買い物ではない、内容を考慮したら破格の激安価格と言いたいのだ。

さて、あすあさってと出勤すると年末年始の休みとなる。休みのあいだは、ゆっくり腰をすえて音楽を聴くとも出来るだろうからと、久々に真空管アンプを出してきてセットした。UV-845という大型の直熱管によるA級シングルのアンプだ。目ざとい方はお気付きかもしれないが、これはシャーシ加工の済んだ部品キットを組み立てたもの。現在は某通販系ショップが扱っているが、ぼくのものはそこが扱う以前、横浜のオーディオショップ;ウェルカムから発売されていたオリジナルモデルだ。通常このUV-845にはプレート電圧1000Vほどかけて20Wをたたき出すのだが、ぼくのこのモデルは700V程度で、従って出力も10W程度と軽い使い方だ。845本来のポテンシャルからみればぬるい使い方だと言われそうだが、まあそう目くじら立てることもあるまいと、そのまま使っている。


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クリスマスイヴが明けたきょう12月25日、関東一円はこの冬一番の冷え込みとなった。寒波渡来で日本海側は降雪が続き、当地群馬も新潟県との県境付近では雪、そして県南部では気温は低いものの冬晴れの一日となった。いつもの通り、午後からは隣り町;渋川市のマンドリンアンサンブルの練習へ。10名ほどが集まり今年最後の練習となった。
夜になって今夜はしんしんと冷えている。食事と風呂を済ませたあとギターを取り出し、先日の記事に書いたJ・K・メルツの「燕が我が家に帰る頃」を少し念入りに繰り返した。さて珈琲を淹れて一服しようと思って取り出したのは、この盤だ。

ヴィヴァルディ、トレッリ、コレッリ、マンフレディーニ、ロカテルリといったイタリアンバロック時代の作曲家たちの合奏協奏曲から、クリスマスにちなむ曲を集めたアルバムだ。「クリスマスにちなむ」いうのは、曲中にパストラーレ(田園・牧歌)風の楽章を持つ曲のという意味で、8分の6あるいは8分の12拍子で、持続低音(ドローンバス)やオーボエ・フルートなどを使って、羊飼いをイメージする曲想を持つ。そのことがすなわちキリストの降誕の物語につながるという、宗教的バックボーンがあるようだ。パストラーレはバロック時代だけでなく、古典期以降でも例えば有名なベートーヴェンの交響曲第6番その名も「田園」にもその形式が使われている。
イタリアンバロックの作曲家達の作品はいずれも、おおからで美しく、同じバロックでもバッハのような深遠さはない。それがよくもあり、少々飽き足らないところでもある。演奏しているイタリア合奏団は、かつてのローマ合奏団を母体に1979年に結成された。この盤は1993年イタリアのコンタリーナ宮殿での録音で、世界屈指といわれるその音響が素晴らしい。少し大きめの音量で愛器;2S-305から繰り出される音を聴いていると、チープな拙宅の8畳間がにわかに豪華な石造りの間に変わったかのように感じるほどだ。


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きょう12月23日の天皇誕生日、ぼくの勤務先は出勤日。メーカーの生産工場のため、工場稼働の効率を優先して、とびとびの休みを避けことが多い。きょうの出勤分は11月に勤労感謝の日の前に休みを設定して四連休として先取り済みだ。
さて、おとといきのうと忘年会が続いたので、きょうは早めに帰宅。食事を済ませたあと、ひとしきりギターを弾いた。ブログでこんな与太話を書いているよりは、楽器を弾いた方がいいのかなとも思うが、正直なところ平日は中々楽器を取り出す元気がない。ギターは手軽な楽器の代表格だが、ケースを開けて楽器を取り出して調弦を確かめ、楽譜を広げて弾き出すまでの段取りが案外面倒だ。右手の爪を整えてそれで終わりとなること多い。まあ今夜はいくつかのハードルを越えてギターから音を出すところまでこぎつけた。最初30分ほど例のオデル教本のスケール練習をし、そのあと懐かしいカルカッシ25の練習曲を久々に弾いてみた。高校生の頃せっせと弾いた記憶もあるが、その後疎遠だった。たまたまサークル仲間の若奥様Yさんがいつも練習しているのをみて、カルカッシもいいではないかと思い、先日あらためて小原安正・聖子編の楽譜を購入した。この25の練習曲は技巧的には初級~中級レベルだが、スラーを正確に弾いたり、各声部の音価を正しく保って弾くなると、中々手ごわい。さらに曲として音楽作りをしようと思うとクラシックの古典的様式感も養う必要があるだろう。今更ながらによい教材だ。

YouTubeに田部井辰夫さんの演奏がいくつかあるが、その中でカルカッシの練習曲の第4番を取り上げたものがある。後半2分半ほどたったところから同曲を弾いている。参考になりそうなので貼っておこう。
さて先日田邉ギターに初めて取り付けたダダリオのチタニウム弦(高音1~3弦)は、初期の伸びも収まってチューニングも安定。音の明るさと立ち上がりの速さはカーボン素材入りのサバレス;アリアンス弦と印象が重なる。一方チタニウム弦の方は音が太く、重さもある。言い換えれば、繊細さやしなやかさといった面ではアリアンスより少し後退する。そういえば河野・桜井ギターも出荷時の高音弦としてダダリオのチタニウム弦を張っている。総じて音色よりは音量重視の印象で、現代的な音の典型というところだろうか。しばらくはこの組み合わせで様子を見るとしよう。


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きょうは朝まで降っていた雨が午前中にあがり、そのあと暖かい南風が入ってきて気温も上昇、師走とは思えない暖かさとなった。さて、きょう12月14日で思い出すのは何と言っても忠臣蔵。赤穂浪士四十七士の討ち入りだ。かつて忠臣蔵と言えば日本人の共通認識だった。演劇、映画、テレビドラマと年末になると必ず登場する年中行事のようであった。しかし近年はどうだろう。忠臣蔵をチュウキョゾウと読むという笑い話も笑えないほど認知度は低くなっているのではないか。忠臣蔵と聞いて、そのあらすじや様々な劇中の名場面を具体的に語れる人はごく僅かになっているように思う。世代的にはいまの70歳台までではないか。50歳台半ばのぼくを例に言えば、NHK大河ドラマの第2作、東京オリンピックのあった1964年に放映された長谷川一夫主演の「赤穂浪士」がかすかに記憶に残っている。若い頃東京下町で過ごし芝居好きだった母親がドラマを見ながら、堀部安兵衛がどうの、一打ち、二打ち、三流れの山鹿流陣太鼓がどうのといった話を炬燵の向こうでしていたのだろう、断片的な記憶が残っている。しかし忠臣蔵全体のあらすじや名場面のあれこれを知るに至ったのは成人になって以降だ。そんな忠臣蔵体験の一つに三波春夫の歌謡浪曲「俵星玄蕃」がある。多分高校生の時分にNHKの歌謡ショーで何度か見たのだろう、紅白で見たのかと思ったが、記録を調べると紅白では1964年と1999年の2回しか歌っていない。

御存知の通り、三波春夫の芸能活動は浪曲師として始まった。歌謡浪曲というジャンルを作り出し、何曲もの名曲を生み出したが、その中でこの「俵星玄蕃」は、曲の構成、歌唱部分の馴染みやすいメロディー、ドラマティックな語り部分と歌唱部との絶妙なブリッジなど、最高傑作と言ってよい。10分近くに及ぶ歌謡曲としては異例の規模のこの曲のクライマックス…雪を蹴立てて、サク、サク、サク、サク、サク、サク、「先生~!」「おぉ~そば屋かぁ~」のくだりは、当時忠臣蔵のあらすじも何も知らない高校生のぼくの記憶の奥底に刻まれた。その後この曲が青春期や壮年期の興味を引くこともなく幾年月が過ぎた。この曲が「俵星玄蕃」というタイトルであることを知り、忠臣蔵の物語の中での位置付けを確認し、何より三波春夫の歌唱をまともに聴いたのは、写真のこの盤をリサイクルショップのジャンク箱から100円で救出してきた10年ほど前のことだ。
まず何より三波春夫の口跡(今風に言うと活舌/滑舌か)が素晴しい。浪曲で鍛えたというよりは天性のものだろう。出だしの静かな語りの導入部は浪士達が主君を思って耐え忍んだ月日をそのまま表現しているかのようだ。中盤の浪曲調、山鹿流陣太鼓の一打ち、二打ち、三流れ、2/4・3/4・4/4とストラビンスキーばりの変拍子で始まり、クライマックスに向けて「時は元禄15年12月14日…」と畳み掛ける講談調、いずれも明快な語りと抑揚が文句なしだ。そして「先生~!」「そば屋かぁ~」で興奮はピークになる。3つの歌唱部分を間に挟んで語りでつなぐ構成もオペラの演奏会形式上演のようだ。スコアの指示はMaestosoに違いないと思わせる最後の歌唱部分は浪士たちの堂々たる歩みをたたえるようでグッとくる。
こんな駄文で四の五の言うより、YouTubeでの名演を見ることにしよう。この演奏では冒頭の語りが省略されているが、ライブならではの迫力にあふれる見事なパフォーマンスだ。ネットをみると年齢にかかわらず「俵星玄蕃」フリークはそれなりに存在するようだ。古臭い!何コレ?と理解に苦しむ輩にはうっとうしいだけだろうが勘弁願おう。
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