きょうは午前中大船で打合せ。昼ちょうどに終了して3時過ぎに一旦帰宅。4時過ぎにあらためて出社して午後9時前まで業務。1粒で2度美味しいというフレーズがあるが、1日で2度疲れたとでも言おうか、関東平野の端から端まで2往復した感じだ。やれやれ。
さて戦い終えて日が暮れて、はや日付が変わる時刻。明日も一旦出社後、都内出張につき、ギターも音盤も切り上げて床につきましょうかね。…と思いながらも、そば茶で一服しながらCDを取り出してしまった。

きょう2月8日は作曲家伊福部昭(いふくべあきら)の命日だ。そういえば2006年に亡くなったときのことを覚えている。たまたまその数日前に写真のCDを買い、伊福部昭の作品を初めてまともに聴いた直後だったからだ。伊福部昭は北海道帝国大学(現北大)農学部出身。在学中からギター曲や歌曲も作っていたようだ。一般には映画「ゴジラ」をはじめ多くの映画音楽を作ったことで有名だ。このナクソス盤の作品集には以下の作品が収録されている。
・シンフォニア・タプカーラ
・ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ
・SF交響ファンタジー第1番
いずれも管弦楽の能力を駆使したエネルギーとファンタジーに満ちた作品で、全編彼の特徴である民族的主題やオスティナートなどが存分に展開される。SF交響ファンタジーには「ゴジラ」のテーマも登場する。ナクソスがこの作品集は日本のオケでなく、ロシアのオケに任せた理由は定かでないし、演奏を担当しているロシアフィルハーモニーの技量にはいささか難もある。しかしここでは洗練された精緻なアンサンブルよりは土俗的なエネルギーを感じ取って、それでよしとしよう。
口当たりのよい音楽ばかりが持てはやされるが、ときにはこうした、人や自然の原始に根付いたような響きとエネルギーを感じさせる音楽も聴きたい。耳や頭も、いつものと違ったところが刺激されるような気がする。音楽愛好家なら一聴の価値ある盤、そして異例とも言える片山杜秀による10ページに及ぶ解説も圧巻だ。
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立春でちょっと暖かくなったと思ったら、また冬型に。きょうの当地前橋も朝の通勤時間帯は比較的暖かだったが、その後次第に冬型が強まって、午後からは寒風吹きすさぶ天気をなった。そう簡単に春はやって来ませんね。
さて、週末土日が仕事となったので先週からずっと休み無し状態だが、きょうは何とか9時前に帰宅。夕飯のあと十日ぶりにギターを取り出した。例によってオデルマンドリン教本を使ってスケール練習をし、そのあとバッハのチェロ組曲第1番のギター版をつまみ食い程度に弾いた。バッハのギター用編曲は多数あるのだが、ぼく自身は編曲の良し悪しを検討するほどバッハを弾いていないので、いろいろな版をそのときどきの気分で弾き散らかしている。きょうは高校時代から使っている小船幸次郎編のものを弾いてみた。この盤はチェロの原曲に対して、かなり積極的にギターで出しうる音を追加している。組曲第1番について言えば、第1曲プレリュードは追加音がいささか過剰に感じる。一方、第5曲のメヌエットなどは、ギターの4弦以下の低音と3弦以上の高音のとの役割分担がうまく機能していてので音としてのバランスがよく、弾いていて気持ちがいい。

そういえば、山下和仁がチェロ組曲を録音している盤があったことを思い出して久々に取り出してみた。この盤ではヴァイオリンパルティータ第2番とチェロ組曲第6番の2曲が収録されている。1980年、デジタル録音初期の盤だが、今聴いても音質はクリアで鮮明だ。この当時の山下のギターは、なぜそんなにむきになって弾くのかと思うことも多いスタイルだったが、このバッハはまずまずの曲の運びだ。それでも愛器ホセ・ラミレスから出る音は強じんで「入魂」という言葉がふさわしい。悪くいうとすべての音に強烈なアクセントが付いてくる。およそバッハの世界を抽象的な空間に描き、それを聴き手が自分の世界のものとして受け止め、味わうというものでない。あくまで強烈な個性の山下自身の存在とその匂いのようなものを感じる。当時山下和仁が20年、30年と年齢を重ねてどんな風に円熟していくのか興味があった。その後ぼくもギターから離れていた時期が長かったので、彼のその後はよく知らない。ただ雑誌のインタビューなどをみると、何か孤高の世界に入ってしまい、そこで山下ワールドが出来上がっているように感じる。、単なるエンターテイメントを提供するギタリストは他にたくさんいるのだろうから、それはそれで価値あることだろう。彼がいま、少し控えめで味わい深いバッハを弾くようになっているとしたら、ぜひ聴いてみたい。
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2月最初の日曜日。昨日に続ききょうも朝から出勤。同僚ら数名と昼をはさんで4時近くまで業務進行。日曜でもあるので、きょうは日の暮れないうちに終えて帰宅の途についた。とはいえ、足元の仕事はまだ解決をみず、当分のあいだ緊張MAXの日が続く。

さて今夜は、お馴染みのナクソス盤からピアソラのフルートとギターのための作品を収めた盤を取り出した。お目当ては「タンゴの歴史」だ。この曲は、ボーデル1900、カフェ1930、ナイトクラブ1960、コンサート現在、の4つの曲からなる。フルートパートはよくわからないが、ギターパートはアマチュア上級なら何とか演奏可能な技巧レベルで、プロ・アマ問わずよく演奏会で取り上げられている。ぼくも一昨年隣り町高崎市内で、リコーダーの本多悦子さんとギターの草場学さんのコンサートで初めてこの曲の実演に接した。
ボーデル1900は軽快なフルートのパッセージとそれに呼応するリズミックなギターとで曲が進む。カフェ1930は深い抒情をたたえたメランコリックな旋律が印象的かつ美しい。ナイトクラブ1960は速い躍動的な部分と、それと対照的にテンポを落として歌われるメロディーの対比が素晴らしい。中間部、ギターの半音階進行にのせてフルートが奏でる旋律が印象的だ。
90年代になってクラシック音楽は辺境への広がりを見せるようになった。その一つの表れがピアソラの音楽だろう。様々な形態で演奏されるピアソラだがフルートとギターという組み合わせは珍しい。この曲が唯一か。フルートというと、すこぶるノーブルな楽器というイメージで、辺境の抒情というには少々アクが足らないかと思ったが、どうして中々いい。演奏しているフルートのイルムガツト・トッパー、ギターのウーゴー・ヘルマン・ガイド、共に美しい音色でこの曲の魅力を堪能させてくれる。ブックレットにのっている写真をみるとギターのヘルマン・ガイドは随分こわもてに見えるが、演奏は繊細かつ深い呼吸で文句のない出来栄えだ。ぼくも一緒に合わせてくれるようなフルートのパートナーがいたら、ぜひトライしてみたい曲の一つだ。
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昨晩に続き10時を少し過ぎた時刻に帰宅。今夜もぼちぼち日付が変わろうかという時刻。フレンチローストの豆で1杯ドリップしてPCに向かい、ひと息ついたところだ。このところ平日にはまったく楽器を触っていない。週末土曜日には隣り町のサークルへ顔を出すので、そこで数時間のまとめ弾き。手を付けている曲はいくつかあるが、練習もしていないし暗譜も進まない。こんな状態をぐずぐず続けているうちに歳を取って、指も回らなくなるのかなあと漠然と考える。

せめてギターの音盤でも聴こうかと、村治佳織のCDを取り出した。
ぼくの手元には彼女のデビュー盤から2003年頃までのリリース作品がある。特にロドリーゴの作品を中心に構成されたこの「パストラル」はよく聴いたし、今も時々取り出す。この盤は1997年、彼女がまだ十代の頃の録音だが、その玄人好みの選曲とフレッシュな演奏で彼女のアルバムの中でぼくにとってはベストだ。
「古風なティエント」での神秘的かつオリエンタルなイメージの表出、「小麦畑にて」の浮き立つような抒情。「ファンダンゴ」の土着的な表現、当時二十歳前だということが考えると、いずれも素晴らしい。愛器;ロマニリョスの透明感あふれる音色とそれを引き出す彼女の技巧の冴えも見事だ。
彼女はこの頃から人気の絶頂になり、その後2003年には英DECCAと契約を結んで世界メジャーからアルバムを出すようになる。しかしその頃から、それまでのビクターエンターテイメント時代と比べ、明らかに路線変更が行なわれた。ビクター時代にはクラシックギターの王道をいくレパートーリーで次々にアルバムを出していた。実際このロドリーゴの作品集などは実に通好みの選曲だ。しかし英DECCAに移籍する前後から、ポピュラリティーの強い選曲や、合唱とのコラボレーション、ウィズ・ストリングスなど、随分とあからさまにコマーシャルベースのコンセプトになってきた。彼女自身の方向性の変化や、新たなチャレンジ、いろいろ理由もあるだろうし、それを良しをする向きも多いだろう。従ってそれを否定するものではないが、正直なところぼくは今の彼女には少々幻滅だ。彼女自身の意志によるものなのか「事務所の意向」なのかわからないが、昨今の新譜には手が伸びない。彼女はいったいどこへ行こうとしているのか。
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