ジョージ・セル&クリーブランド管弦楽団 ライヴ・イン・東京1970


昨晩いつも通りブログをアップしたつもりが下書きのまま保存していたようで、きょうになって昨日の記事がアップされていないことに気付いた。この手のミスがこれで2回目か。本日まとめてアップしておこう。さて、きょうはバレンタインデー…甘い話も無縁につき、今夜は硬派中の硬派ともいえるジョージ・セル指揮の凛とした音楽を聴くことにした。

高度成長まっしぐらの1970年。この年大阪万博に合わせて多くの海外オーケストラが来日した。5月に来日したジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団もその中の一つだった。セルと同団のレコードがEPICというクラシックの世界では必ずしもメジャーとは言いがたいレーベルから出ていたこともあって、彼らの評価は世間的人気を得るものではなく、一部の好事家以外にはカラヤンやバーンスタインの人気の方が高かった。ところが最初で最後となったセル&クリーヴランドの来日公演はそうした世評を覆す素晴らしいもので、以後伝説的に語られることになった。それから30年。その伝説の日本公演がCD化された。写真の盤がそれだ。


ジョージ・セル&クリーブランド管 ライヴ・イン・東京1970   ブックレットにある当時の録音テープとセル最後のポートレート

ウェーバー   オベロン序曲
モーツァルト  交響曲第40番ト短調
シベリウス   交響曲第2番ニ長調
<アンコール>
ベルリオーズ  ハンガリー行進曲

収録曲は上記の通り。1970年5月22日東京文化会館での演目がすべて収録されている。盛大な拍手に続いてウェーバーの「オベロン序曲」が静かに始まる。録音やホールの特性もあるのだろうが、弦楽器群の透明な響きに驚く。序奏最後のトゥッティでの一撃もピタリを決め、快速調の主部に入る。速めのテンポと一糸乱れぬアンサンブル、透明感あふれる音色、堅固で筋肉質の低弦群の響き。ウェーバーの曲の良さもあってドイツ管弦楽曲を聴く楽しみここに極まれりという感じだ。
続くモーツァルトがまた素晴らしい。あまりに有名になり過ぎ、いささか手垢にまみれた感があるこのト短調のシンフォニーが、セルの演奏で聴くとそうした世俗的な殻が取り去られ、この曲の持つ本質的な骨格ともいうべき部分が明確に見えてくる。第1楽章の展開部、高音群と低音群の半音階的掛け合いや微妙な転調が続く部分など、一時代あとのロマン派の曲想をもイメージさせるような意味深さが手に取るようにわかる演奏だ。昨今のモーツァルト演奏とは違い大編成による演奏だが、響きが引き締まっているので肥大化した鈍重さは皆無だ。
当日休憩をはさんで演奏されたと思われるシベリウスがセル&クリーブランドの特性にマッチするだろうということは容易に想像できる。響きの透明感は言うに及ばず、短いフレーズの中でのクレッシェンドやディクレッシェンド、くさびを打つように入ってくる金管や打楽器のアンサンブルなど、オケの機能が完璧にコントロールされている。合わせて終楽章などは楽章全体を大きくつかんで盛り上げていく曲の運びも申し分ない。
盛大な拍手に続けてアンコールが演奏される。しかも圧倒的なクライマックスのシベリウスの直後、高らかに鳴り響くトランペットで始まるハンガリー行進曲。ハンガリーはセルの生まれ故郷でもある。これほどのアンコールピースはないだろう。曲の終盤ではセルが強烈なアチェルランドをかけ激しくオケをドライブする。会場の興奮もピークに達したに違いない。最後の和音が鳴り終るやいなや会場からブラーヴォの嵐となる。

1970年高校1年だったぼくは、ちょうどクラシックに興味を持ち始めていた頃だった。あれから40年。そしてこの盤のジャケットに写っている着物姿の少女も今は50歳前後になっているだろう。今どこで何をしているのか…。素晴らしい演奏の興奮が癒えたあと、様々に思いをはせるヴァレンタインの夜ではある。

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マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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