プチ演奏会@小江戸川越


昨日26日土曜日。関東は北風が吹きすさぶ寒い一日。そんな中、埼玉県の川越まで出かけてギターを弾いてきた。ひと月ほど前から参加しているmixiのクラシックギター仲間によるプチ演奏会が催され、当初来月から参加と考えていたが、旧友Y氏に背中を押されたこともあって急遽参加することになったのだ。
鉄道の運行状態があてにならないだろうと、当地前橋から川越まで70キロの道のりを車で出かけていった。川越は江戸の風情を残す蔵の町としても知られる。プチ演奏会の会場も造り酒屋の跡地に昨年オープンしたばかりの「蔵里;くらり」という江戸情緒を意識した施設で、レストランやみやげ物屋、ギャラリーなどがある。ここで月に一度、ギター仲間が小さな演奏会を開いている。いつものは天井が吹き抜けになった響きによいギャラリースペースを使っているようだが、今回は他のイベントがあって、会議室での開催となった。


川越市産業観光館 「蔵里」   会場入り口

3曲お披露目しました   只今練習中のY氏


ぼくは初参加であったが、そこは同じ道楽を楽しむ者同士。初対面にもかかわらずフランクな雰囲気でお互いの演奏を聴き合ったり、楽器談義をしたりと楽しく過ごせた。ぼくはほとんど準備していなかったので、以前このブログでも録音をアップしたF・ソルのワルツ・ホ長調Op.32-2とディレルマンド・レイスの「もしも彼女がたずねたら」、それとメルツの「燕が家にか帰るとき」の3曲を弾いた。技巧的には難の少ない曲を選んだのだが、やはり予想外に緊張して音を外した。中ではメルツの「燕が家に帰るとき」が楽譜を見ながらという安心感もあって、まずまず思い通りに弾けただろうか。他のメンバーも旧友Yがリペア上がりのシュファーファー系オリジナル19世紀ギターを披露したり、バロックリュートあり、ルネサンスリュートありの中々多彩な演奏会だった。
5時に演奏会が終わったとは同じ施設内にある食事処で懇親会となったようだが、下戸のぼくは今回はパスして帰途についた。次回開催は4月末の予定。今のところY氏と19世紀ギターによるデュオを予定している。曲は、F・ソルのランクラージュマンかパガニーニの協奏ソナタかのどちらかを考えている。


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グルダのベートーヴェン


地震以降、中々音楽を聴いたり楽器を弾いたりする気分になれないまま、やがて2週間になる。
元々このブログには音楽の以外の話を書くつもりはないので、地震以降更新も滞ることになった。あれこれ語らず、少しずつだが、また音盤を取り出して聴いていこう。
今夜はフリードリヒ・グルダの弾くベートーヴェンのピアノソナタ集からぼくの好きな第26番「告別」が入っている盤を聴くことにした。旧約聖書といわれるバッハの平均律クラヴィーア曲集に対して、新約聖書と称されるベートーヴェンのピアノソナタであるが、ぼく自身はあまり熱心な聴き手ではない。学生時代にグルダの弾くアマデオ盤の全集をを知人から借りてカセットに録音し、それをせっせと聴いていた記憶だけはあるが、その後はしばらく遠ざかっていた。写真のグルダのアマデオ盤は数年前に大阪梅田の中古レコード店で見つけて手に入れた。最近では少し前に手に入れたブレンデルのフィリップス盤の全集も時々聴いている。


グルダ アマデオ盤 ベートーヴェン ピアノソナタ全集   グルダ アマデオ盤 ベートーヴェン ピアノソナタ全集


グルダが2000年に亡くなってから早いもので10年以上が経った。会社帰りに車の中で訃報に接した記憶がある。モーツァルトやベートーヴェンを得意としながらも、ジャズや即興演奏でも知られ、むしろそうした面の印象の強いグルダであるが、元々はウィーン生まれで、1960年代にはイェルク・デームス、パウル・バドゥラ=スコダと共にウィーン三羽烏と呼ばれた、ウィーン古典派の伝統を受け継ぐ正統派ピアニストだ。グルダは自身が得意としたベートーヴェンの全集は3回録音している。1回目は1950年代前半に(この盤は近年発掘されリリースされた)、2回目は1950年代後半に英DECCA盤として、そしてこのアマデオ盤は60年代後半に、いずれもウィーンで録音された。

アマデオ盤で聴くグルダのピアノは全体に明瞭で、やや近めのマイクセッティングなのか、きわめてリアルだ。高音域は輝かしく、しかも薄っぺらな感じがない。低音は芯のある強靭な音だ。およそ雰囲気で聴かせる音作りではないし、当然演奏もそれにマッチした弾きぶりだ。もちろんカッチリとした音楽作りだからといって、ハガネのような強靭さや剛直さとは無縁だ。告別ソナタは第1楽章から速めのテンポで進む。妙な遊びや大見得とは無縁の、堅実でしかも実のしっかり詰まった演奏が聴ける。告別ソナタはそのタイトルから、いささかセンチメンタルな曲想をイメージするが、グルダの演奏からはそうした気分は感じられない。グルダはこの曲の持つ縦方向の響きや音の重なり、対旋律などを立体的に描き出しているし、フレーズも短くめに切り上げる。微妙なうつろいや、それに付随する少々のロマンティシズム、曲を「横の流れ」として感じたいならブレンデル盤の方がいいだろう。
そういう意味では、ウィーン古典派の正統的な継承者でありながら、やはり60年代半ばの当時としては、それまでにない斬新なベートーヴェン演奏だったのだろう。1930年生まれのグルダにとっては、まだ30代の頃の録音であるが、晩年にもう一度ベートーヴェンの全集に取り組んでいたら、どんな演奏を繰り広げていたか。今はもう想像するしかない。

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フェデリコ・モンポウ、再び


地震から一週間が過ぎた。
北関東の群馬県南部では家屋の倒壊や火災といった直接的な被災はほとんどなかったが、関連する影響は随分と身の回りに起きた。勤務先の工場でもエネルギーインフラがかなり損傷を受けた。応急措置を終えて安全確認がようやく取れた段階で、これから生産再開に向けての作業が待っている。計画停電の影響も大きく、このところ稼動していなかった2万キロワット級のコ・ジェネシステムを急遽稼動させ始めた。それでも容量的には全工場を動かすには足らず、計画停電の空き時間をぬって細切れの生産活動が続きそうだ。燃費のいいわがプリウス号もさずがに勝てず、一昨日は1時間の列待ちをしてガソリンを入れた。今夜は19時から計画停電となり、ノートPC画面のバックライトを頼りに夕飯を食べた。明日からの三連休も設備・生産担当者は出勤だ。ぼくよりひと回り若いマッチョなマネージャーがきょう体調不良を訴えて帰宅した。しかし、それもこれも被災された方々の状況を考えれば天国のようなものだろう。


051.jpg   晩年のモンポウ(1893-1987)


それでも今夜は少しだけ気が安らぎ、久々に音楽を聴いている。
ブログ開設してほどない頃に一度取り上げたフェデリコ・モンポウの自作自演アルバム。いま、その中にある前奏曲集が流れている。モンポウはスペインの作曲家であるが、パリで学んだこともあってドビュッシーやサティーの影響を強く受けた。多くの曲はスペインの民族的雰囲気よりは仏印象派の作風を強く残している。前奏曲集もその路線と言えるが、ショパンの後期作品を思わせるような曲もあり興味深い。どの曲にも共通して流れている内省的で、選ばれた少ない音に凝縮されたロマンティシズムが、夜こうして聴くには相応しい。ドビュッシーほど先鋭的でなく、サティほど諧謔的でもなく、少々ゆるい(音楽としてはツメが甘い?)ところが、ちょうどいい塩梅という感じだ。もっと聴かれてもよい音楽だと思う。

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ムラヴィンスキー&レニングラードフィル 1973年東京ライヴ

暖かい日曜日。午後、携帯電話の買い替えのために近所のショッピングモールに出かけたが、大層な人出だった。大学や高校の受験もほぼ終わり、学生たちは春休みだ。そんな風情の家族連れで賑わっていた。帰宅するとテレビでは引き続き地震の惨状が報道されている。普通は日を追うごとに事態はよくなるのだが、今回ばかりはそうないかない。安穏と音楽を聴き、ブログの記事など書いている気分ではないのだが、あまり滅入っても仕方ないので今夜は久々にオーディオのスイッチを入れることにした。

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エフゲニー・ムラヴィンスキーと聴けば、中年以上の音楽ファンには、その威厳に満ちた風貌や手兵レニングラード・フィルとの名演の数々を思い浮かべるだろう。まさに東西冷戦時代を通じて20世紀の巨匠として君臨した指揮者の一人だ。今夜取り出した盤は1973年彼らが待望の初来日を果たした際のライヴ録音。1973年5月26日東京文化会館でも演奏でベートーヴェンの交響曲第4番とリャードフとグラズノフの小品2曲が収められている。同日に演奏されたショスタコーヴィッチの第5番も別の盤で出ている。

何といってもベートーヴェンの4番が素晴らしい。この演奏はベートーヴェンの時代の様式感とかウィーン古典派としての佳曲といった位置付けにはない。どこをとってもムラヴィンスキーとレニングラードフィルのベートーヴェンだ。全編通して極めて整ったアンサンブルが印象的で、ジャケット写真を見るとかなり大きな編成で演奏されたと思われるが、音だけ聴いているとそんな印象はない。各パートとも音程が正確で縦の線が揃っているために、オケの音が肥大化しない。まさに筋肉質の演奏だ。しかもエネルギーの集中はもの凄く、ここぞというときのフォルテやアクセントでは爆発的なパワーと発揮する。

長身で眼光鋭いムラヴィンスキーににらまれ、団員達もさぞ緊張していたに違いないが、この曲の随所に出てくる木管群の聴かせどころでも、いずれも切れ味のよい技巧をみせてくれる。弦楽群のアンサンブルも少々大げさな表現だが筆舌に尽くしがたい。速いパッセージを弾くコントラバスもビシッと揃っている。ムラヴィンスキー&レニングラードフィルの演奏はセッション録音でもチャイコフスキーの後期交響曲など素晴らしい盤を残しているが、やはりライヴにこそ真髄がある。内角胸元鋭くえぐるカミソリシュート。そんな感じのする今時聴けない演奏だ。

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さすがにこんなときには

きのうの地震で当地群馬県南部では幸い大きな被害はなく、ぼくの周辺も無事だった。しかし時間が経つに従い、ますます被害の甚大さが明らかになっていく。原発も極めて危険な状態のようだ。こうして安穏とPCに向かっている今も、現地では多くの被災者が眠れぬ夜を過ごしている。いつもは音楽を奏でているスピーカーからはラジオの地震情報が流れている。さすがにこんなときには音楽を聴いたり、楽器を弾いたりする気分にならない。

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カラヤン&ベルリンフィル ラスト・コンサート1988東京ライヴ


…昨夜書きかけた分と合わせてもまとめて更新…

昨日に続き、きょうはぼくの所属する部署での飲み会。4月からは一部分離して編成変えになるための解散会・慰労会だ。今夜は20代や30代のオジサン予備軍もいて、昨夜よりは平均年齢はだいぶ若いものの、製造メーカーの技術部門ゆえに残念ながら女性の姿はいつも通りない。ぶつぶつ言いながらも楽しく飲んで10時少し前に帰宅した。


カラヤン&ベルリンフィル 1988年東京ライヴ   中川右介著「巨匠たちのラストコンサート」


さて今夜は久々にオーケストラ、それもカラヤン&ベルリンフィルの盤を取り出した。モーツァルトの第39番とブラームスの第1番のプログラムで、1988年最後の来日公演の模様を収めたサントリーホールでのライヴ録音だ。ときまさにバブル期ピークに向かってまっしぐらの時代。高いチケットも飛ぶように売れたことだろう。
拍手に続いてモーツァルトが始まる。この39番の出だしの序奏部は中々難しいのか、冒頭のヴァイオリン群の下降スケールでアンサンブルが乱れている。以前聴いたスウィトナー&SKBのライヴ盤でも同様のキズがあった。序奏が終わってAllegroの主部に入るとようやくオケの硬さも取れてくる。ベルリンフィルはもちろん上手し、音の安定感抜群だが、ときに力ずくのところが耳につく。全体の響きも筋肉質というよりはかなり脂がのったトーンだ。モーツァルトの相応しいかどうかというと意見が分かれるだろう。
続くブラームスの第1番。こちらはモーツァルトで気になった部分がプラスに働く。ベルリンのフィルの音はカラヤン以降現代までのトーンとは異なり、どっしりと腰のすわった重心の低さを残している。弦のレガートはどこまでも厚く切れ目がなく、力を込める部分での力感も圧倒的だ。第3楽章での木管群の音も中々渋く、一昔前のオケの音に戻ったかのようだ。終楽章の重量感と浮つかない輝かしさも比類がない。
実はこのアルバムジャケットにはラスト・コンサートと記されているが、カラヤンのラストコンサートはこの東京ライヴの1年後、1989年4月ウィーンでの演奏会だった。このときの様子は写真の本、中川右介「巨匠たちのラストコンサート」に詳しい。この本は20世紀の巨匠たちのラストコンサートに焦点をあてたユニークなもので、きわめて面白い。

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G・グールドのハイドン


4月からの組織変更や異動に伴って、3月中旬になった今週から送別会やら何やらと節目の飲み会が続く。今夜は同じ工場構内にある関連部門との会合。ぼくも含め50代を中心にした真性オジサン達のにぎやかな飲み会だった。世のオバサン達を、よくしゃべるだの、やかましたのと評するが、オジサン連中もこの歳になるとかなり騒々しい。まあ元気な証拠ということで許してもらおう。


G・グールド LPオリジナルジャケットのCD復刻セット   G・グールド ハイドン後期ピアノソナタ集


帰宅後、グールドの例の80枚ボックスセットから、ハイドンの後期ピアノソナタを収めた盤を聴いている。グールドにとっては晩年の1982年の録音で、第56・58・59・60・61・62番のソナタが2枚のCDに収録されている。ハイドンといえば、古典的の均整の取れたイメージを持つが、グールドのこの盤を聴くと番号によって随分と印象が違う。第58番のAndante con espressioneや他の番号の緩除楽章など、これはほとんどロマン派の音楽ではないかと耳を疑うほどの深さだ。テンポは遅く、一音一音に意味がこもる。ゆっくりとしてテンポにより、ノンペダルの音と音の間に空間が作られる。その空間にこちら側のインスピレーションが吸い込まれかのようだ。グールドが晩年に、古典的均整の取れたハイドンを取り上げ、このような演奏をする意味が何となく分かるような気がする。

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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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