グルダのベートーヴェン
地震以降、中々音楽を聴いたり楽器を弾いたりする気分になれないまま、やがて2週間になる。
元々このブログには音楽の以外の話を書くつもりはないので、地震以降更新も滞ることになった。あれこれ語らず、少しずつだが、また音盤を取り出して聴いていこう。
今夜はフリードリヒ・グルダの弾くベートーヴェンのピアノソナタ集からぼくの好きな第26番「告別」が入っている盤を聴くことにした。旧約聖書といわれるバッハの平均律クラヴィーア曲集に対して、新約聖書と称されるベートーヴェンのピアノソナタであるが、ぼく自身はあまり熱心な聴き手ではない。学生時代にグルダの弾くアマデオ盤の全集をを知人から借りてカセットに録音し、それをせっせと聴いていた記憶だけはあるが、その後はしばらく遠ざかっていた。写真のグルダのアマデオ盤は数年前に大阪梅田の中古レコード店で見つけて手に入れた。最近では少し前に手に入れたブレンデルのフィリップス盤の全集も時々聴いている。


グルダが2000年に亡くなってから早いもので10年以上が経った。会社帰りに車の中で訃報に接した記憶がある。モーツァルトやベートーヴェンを得意としながらも、ジャズや即興演奏でも知られ、むしろそうした面の印象の強いグルダであるが、元々はウィーン生まれで、1960年代にはイェルク・デームス、パウル・バドゥラ=スコダと共にウィーン三羽烏と呼ばれた、ウィーン古典派の伝統を受け継ぐ正統派ピアニストだ。グルダは自身が得意としたベートーヴェンの全集は3回録音している。1回目は1950年代前半に(この盤は近年発掘されリリースされた)、2回目は1950年代後半に英DECCA盤として、そしてこのアマデオ盤は60年代後半に、いずれもウィーンで録音された。
アマデオ盤で聴くグルダのピアノは全体に明瞭で、やや近めのマイクセッティングなのか、きわめてリアルだ。高音域は輝かしく、しかも薄っぺらな感じがない。低音は芯のある強靭な音だ。およそ雰囲気で聴かせる音作りではないし、当然演奏もそれにマッチした弾きぶりだ。もちろんカッチリとした音楽作りだからといって、ハガネのような強靭さや剛直さとは無縁だ。告別ソナタは第1楽章から速めのテンポで進む。妙な遊びや大見得とは無縁の、堅実でしかも実のしっかり詰まった演奏が聴ける。告別ソナタはそのタイトルから、いささかセンチメンタルな曲想をイメージするが、グルダの演奏からはそうした気分は感じられない。グルダはこの曲の持つ縦方向の響きや音の重なり、対旋律などを立体的に描き出しているし、フレーズも短くめに切り上げる。微妙なうつろいや、それに付随する少々のロマンティシズム、曲を「横の流れ」として感じたいならブレンデル盤の方がいいだろう。
そういう意味では、ウィーン古典派の正統的な継承者でありながら、やはり60年代半ばの当時としては、それまでにない斬新なベートーヴェン演奏だったのだろう。1930年生まれのグルダにとっては、まだ30代の頃の録音であるが、晩年にもう一度ベートーヴェンの全集に取り組んでいたら、どんな演奏を繰り広げていたか。今はもう想像するしかない。
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