ベートーヴェン トリプルコンチェルト 新世代 vs 旧世代


五月最後の日のきょう、昼をはさんで野暮用があり、休暇を取った。出かける前に少し時間があったので、少しだけ音楽を聴くことにした。台風一過で天気も回復、窓からはさわやかな風も吹き込んでくる。いつになく軽やかになった気分に合わせて選んだのは、ベートーヴェンの通称トリプルコンチェルト、ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重協奏曲ハ長調Op.56だ。


DSCF7576.jpg  DSCF7575.jpg


取り出したのは、ジャン・ジャック=カントロフのヴァイオリン、ジャック・ルヴィエのピアノ、そしてチェロを藤原真理が弾いている盤。バックはエマニュエル・クリヴィス指揮のオランダ室内管弦楽団で、1985年の録音だ。藤原真理が1978年のチャイコフスキーコンクール・チェロ部門で第二位になりレコードデヴュー、その後人気が博した頃に企画されたのだろう。
ベートーヴェンのトリプルコンチェルトと言えば、必ず名盤として登場するのは、カラヤン指揮ベルリンフィルのもと、オイストラフ・リヒテル・ロストロポーヴィッチがソロを弾いた盤だ(写真右)。70年代のトップスターがレーベルを超えて集まったこの盤は大変な話題となったものだ。実際、演奏も実にシンフォニックで、巨匠四人による重量級かつ華麗で見事なものだ。それに対して、一世代若いこの日・仏・蘭コンビの演奏はまったく趣が異なる。一言で言えば室内楽的なアンサンブル重視のもので、メンバーの出所を裏付けるような中欧的な明るさと優しさに満ちている。オケが弱く伴奏を付け、独奏楽器群が奏でる部分などは、室内楽のピアノトリオを聴いている気分になる。
70年代巨匠たちの演奏は、とかくベートーヴェンの曲としていささか中身が乏しいといわれがちのこの曲を再評価させるきっかけとなった重量感あふれる素晴らしい演奏だが、この盤も違ったアプローチながら気持ちのいい演奏で、ベートーヴェンのこの曲の違う一面を楽しませてくれる。最終楽章のRond alla Polaccaのポロネーズ風楽章などは実に軽やかで、今の季節、風薫る五月に相応しい。


↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
関連記事

マイ・ギター <その5> ホセ・ラミレス3世 1978年製1a


少し久しぶりだが、きょうは楽器の紹介。手持ちのギターの中からホセ・ラミレス3世を紹介したい。
ぼくが最もギターを弾いていた学生時代1970年代半は、日本国内でのギターブームが頂点を少し過ぎたあたりだった。当時海外製の楽器では、イグナシオ・フレタ、ホセ・ラミレス、ヘルマン・ハウザーが御三家というもいうべき時代だった。中でも実際に愛好家が手に出来る価格で、かつコンサート使用にも耐える楽器という意味では、ホセ・ラミレスが筆頭だったといっていいだろう。艶やかな高音、大型ボディーから出る豊かな音量、頑丈な作り、ラミレスは最も信頼のおける楽器の一つだった。一方で、音が甘くて分離が悪い、大きくて弾きにくい、少し上等な量産品、といった批判も当時からたくさんあった。ぼくはどちらかというと、そんな悪い方の評判に引っ張られ、ラミレスは縁のない楽器と思っていた。


DSCF7579.jpg  DSCF7584.jpg


DSCF7582.jpg  DSCF7583.jpg


DSCF7589.jpg  DSCF7591.jpg


この1978年製のラミレスを買ったのは、実はほんの1年前、昨年2010年の正月だ。縁がないと思っていたラミレスだが、その頃、典型的なスペインの音を持ったギターが欲しいと思っていたところに、都内某楽器店で1978年製のほとんど使っていないラミレスが売りに出ているのを見つけ、手に入れたのがこの楽器だ。表板は杉、横裏板はインディアンローズウッド、弦長664mmという当時のラミレスのスタンダードモデルだ。
前所有者はいたのだが、実際にはほとんど弾かれずにケースの中で眠っていたらしい。デッドストックといってもいい状態で、中古としては少々高めの価格だったが、新品のラミレスとみれば格安だった。音は当時のラミレスの典型で、高音は艶やかによく鳴り、やや高めのウルフトーンに設定された低音は、手元での量感こそあまり感じないが、少し離れて聴くと十分なエネルギーが感じられる。ほとんど弾き込まれていないことから、まだ楽器としてこなれていないので、弦の張りも強く、音も緊張感に満ちている。タッチによってはビロードのような甘い高音も出るが、全体的な印象としては音の立ち上がりもよく、分離も悪くない。
知人の1979年製1aモデル(松・ハカランダ・650mm)のシリアル番号と比べたところ、ラミレス工房では当時1年間で2,000台ほどを作っていることになる。ラミレス工房としては最も多くのギターを作り、全世界に出荷していた時期だろう。
この1年、週に一度程度は音出しをしていた成果もあってか、ようやく30年余の眠りから覚め始め、高音・低音とも少しずつ鳴り出したように感じる。またオリジナルのフステロ製糸巻きがやや不調だったので、GOTO製(ちなみにGOTOは、隣り町;伊勢崎市に本社工場を持ち、世界中のギターメーカーに糸巻きを供給している群馬が世界に誇る会社の一つ)のものに替えた。ラミレス工房の黄金期ともいうべき70年代のスタンダードとして、これからも愛用していくつもりだ。


◆過去の楽器関連記事◆
楽器全般;工房訪問記・楽器紹介等
マイ・ギター <その4> 西野春平 2007年作
マイ・ギター <その3> 故・水原洋 2003年作 ラコートレプリカ
マイ・ギター <その2> 中出敏彦 1983年作
マイ・ギター <その1> 田邊雅啓 2004年作 -続-
マイ・ギター <その1> 田邊雅啓 2004年作

↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
関連記事

ご当地前橋 古民家再生カフェ 「前橋・本町一丁目カフェ」


当地、群馬の県都;前橋はその昔、シルクの生産で知られ、MAEBASHIの名を冠したシルクは当地から横浜港へ運ばれ、世界に向けて輸出されたという。もともと関東ローム層に覆われ稲作に不適な土壌であったため、農地にはもっぱら桑が植えられ、その桑で蚕を育てて生糸をつむいだ。日本初の官営工場;富岡製糸場ほか、桐生・伊勢崎など県内には生糸を元にした織物の産地も多かった。
終戦直前の昭和20年8月5日、前橋は空襲を受け、焼け野原となった。市街地の8割以上の建物を消失するという大空襲であったが、中には戦禍をを免れた建物もあった。市内の中心部にあって戦災を免れた一軒の民家が昨年秋、カフェに生まれ変わった。

IMG_0591.jpg  IMG_0605.jpg

IMG_0595.jpg  IMG_0597.jpg

IMG_0603.jpg  IMG_0608.jpg


少し前から話に聞いていた、その「前橋・本町一丁目カフェ」に先日行ってみた。
場所は市内中心部の国道17号線沿い。県庁に近く、金融機関や生保の支店ビルなどが立ち並ぶ近隣エリアには、ここ数年でマンションが林立。本町一丁目カフェは、そんな中に一軒だけ、まさにタイムスリップしたかのように建っている。近くには、前橋生まれの詩人;萩原朔太郎の生家跡がある。

11時半の開店に合わせて店につくと、すでに女性客が一人店先で待っている。店内はナチュラルかつアンティークな雰囲気で、その日は女性ボーカルのジャズが流れていた。4種類ほどあるランチメニューから、豚ばら肉のグリルと温野菜のコンビネーションを注文。ほどなく料理が運ばれる。野菜とスープを一口…旨い。よくナチュラル志向と称して、必要以上に減塩されて味気のない皿も多いが、この店の料理はいずれもしっかりと塩が効いている。続いてカリッとグリルされた豚ばら肉にナイフを入れる…これまた旨い。どうもグリルしたときに塩を降っただけでなく、塩豚のように漬け込んでおいたのではないだろう。豚ばら肉のうま味が実によく出ている。肉そのものも厳選しているのが、臭みやくせもない。溶かしバターが添えられたパンも美味。唯一惜しむらくは、食後に出た珈琲。ドリップしたのか機械式で淹れたのか定かでないが、少々素っ気ないテイストで、食後の珈琲としては以前訪れたこの店にようにコクがほしいところだ。それでもプラス150円でデザートもついて1,100円は納得のランチ。
シャッター通りと化して久しい県都;前橋の中心街だが、久々にいい店に出会った。あまり賑やかにならず、メニューも定番だけであれこれ手を広げず、ひっそりと商いを続けてほしい。

↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村

関連記事

バッハ ミサ曲ロ短調 R・ヤーコブス指揮ベルリン古楽アカデミー他


さて週末。今週も七転八倒・一喜一憂の一週間。生来、胃腸はもっぱら丈夫な方であったが、少し前から空腹時に軽い胃痛を感じるようになった。もう30年以上も勤め人をやっていて、今更仕事のプレッシャでもあるまいとは思うのだが、心身とも老化、耐久期限切れがせまりつつあるのだろうか。万事に耐性が弱くなっているように感じる。
ふ~っ…とタメ息一つ。今週後半はほとんど音盤を聴くことなく過ぎた。今夜少し音楽を充電しようかと、あてもなく音盤の棚を眺めて取り出したのはこの盤だ。


IMG_0620.jpg  IMG_0616.jpg


クラシックギターを弾いていたことから、バッハの作品には昔から親しんでいたが、その範囲はバッハの作品の中ではごくひと握りに過ぎない器楽曲ばかりだった。教会付の音楽家としてのキャリアがほとんどだったバッハの作品の多くは、声楽を伴う教会音楽だ。10年程前に激安バッハ全集を手に入れて、あらためてバッハ作品における声楽曲の重要さを知った。
さて、ロ短調ミサ。バッハの教会音楽の中でも傑作の誉れ高い大曲だ。クレンペラー&ニューフィルハーモニア管のコンビによる重厚長大型の名盤も手元にあるが、きょう取り出したのは小編成のベルリン古楽アカデミーによる盤。第1曲;キリエから何とも柔らかく優しい響きが広がる。独シャルプラッテン録音の高音質も手伝って、音はよくブレンドされながらも各パートの分離は明確。低音の伸びもよい。大編成の迫力とはまた異なった次元ではあるが、音の充実感は十分だ。
曲の冒頭、およそ20分ほど続くキリエ「主よ憐れみたまえ」を聴くだけでも、ロ短調ミサを聴く価値があるというのが自論だが、久々に聴いて、やはりこのキリエは素晴らしい。キリエの第1曲では各パートが次々と主題を受け渡しながら盛り上がり、そして静まる。時に大胆な転調も加わり、音楽はどんどん深くなる。キリエの続く第2曲、第3曲も、各パートの動きやオーケストラパートの絡みが明確に歌い分け、弾き分けられる。梅雨入りの雨夜のひととき、バッハのポリフォニックな響きの魅力に吸い込まれていく。


↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
関連記事

チェリビダッケ ムソルグスキー 展覧会の絵


レコードもCDも、最近とんと買っていない。興味をひく盤はもちろんあるのだが、どうしても聴きたいというほどの切迫感はない。次々に出る新譜を追いかける時間も気力もない。手持ちの盤でも曲の良さを楽しみ、感じるには十分で、「更なる」感興を求めなくなってきた。五十代半ばにして、これも老いの兆候かと最近思うのだが、どうだろう。…と、そんなジジくさい話もナンなので、今夜は少し前向きに音楽を聴きましょう。
格別この曲が大好きというわけでもないのに、何枚かの盤が集まってしまった曲がいくつかある。ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」などはその一つだ。以前、ちょっと変わった編曲の盤(ジュリアン・ユー編・演奏;オーケストラアンサンブル金沢)について書いたが、今夜は聴きなれたラヴェル編曲を聴くことにし、チャリビダッケ指揮ミュンヘンフィルの盤を取り出した。同コンビのこの曲のうち手元には、1993年ミュンヘンでのライブと1986年東京サントリーホールでのライブの二つがある。きょうは93年盤を聴くことにした。この二つは基本的な曲の運びは同傾向ながら、細部ではいくつか違いがある。特に終曲「キエフの大門」の終わり近く、例のグランカッサが入るタイミングは、まったく異なる。

<1993年ミュンヘンライブ>                   <1986年東京ライブ>
DSCF7565.jpg  DSCF7564.jpg


さて、聴きなれたラヴェル編曲…と書いたが、実はこのチェリビダッケの演奏は、聴きなれたとはとても言えない演奏だ。少し大げさに言うと、最初に聴いたとき、これが同じ編曲の展覧会の絵かと腰を抜かしそうになったほどだ。まず晩年のチェリビダッケの特徴として、テンポ設定が遅い。最初のプロムナードなど、誰もがえっと驚くだろう。しかも弦も管も、音は徹底的にレガートかつテヌートに保持される。以下に続く各曲も押しなべて遅いテンポと、周到に計算されたアーティキュレーションが続く。スケール感は最大限に拡張されつつ、荒削りな豪放さではなく、眼光紙背に徹すのごとき拘りが貫かれる。

中でも「カタコンブ」の異様さは圧巻だ。どこまで続くのかと思わせる金管群の深い咆哮、突然のフォルテシモとそのあとに現れる脱力したピアノシモ。この「カタコンブ」の部分だけでも、この盤の価値があるように思えるほどだ。終曲「キエフの大門」では、失速寸前までテンポが落とされ、同時にスケール感も拡大される。音楽を聴いていて息苦しくないことはないが、この盤に限っては、チェリのテンポで呼吸をしていると息絶えそうになるだろう。こんな演奏を組立てたチェリもチェリだが、その指示に従いブレスの限界まで吹き続けるミュンヘンフィルの金管セクションにも脱帽だ。凡百のオケなら、ギャラを倍もらっても、こんなテンポで吹き続けられないとクレームを付けるに違いない。そうさせないチェリビダッケ、そうしなかったミュンヘンフィル。この盤は、双方の固い意志と深い信頼関係が生んだ名演だ。

↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
関連記事

マタチッチ ブルックナー 交響曲第8番


…続けてマタチッチいきます(^^;

話は飛ぶが、東北楽天イーグルスの星野監督が言ったそうだ。「肉親のことを思い、感謝し、恩返ししようという気持ちでプレイする奴を俺は信じる」。星野監督自身、母親の手一つで育ち、選手・監督時代を通して、ずっとその母親への恩返しを心に誓ってきたという。
例えば、マタチッチが決して起用でもなく(自作の交響曲を自分でうまく振れなかった逸話は有名)、人気指揮者ようなカリスマ性を持つわけでもないのに、いくつかの、特に日本において格別の演奏をした理由は、N響の面々が年老いた彼を自分の肉親のごとく思い、敬愛し、彼のためなら全力を尽くそうと思ったからに他ならない。多くの指揮者が年齢を重ねて晩年にいたり、最後のひと花、ふた花を特定のオーケストラと生み出す背景はそんなところにあるように思う。


IMG_0582.jpg


この盤、1984年NHK交響楽団との録音によるブルックナー交響曲第8番も、そう思わせる演奏だ。出だしから速めのテンポで曲を進めるマタチッチ。スケールの大きな演奏というと、とかくゆっくりしたテンポを思いがちだが、彼のブルックナー、特にこの8番に関してはそうではない。速めのテンポにも関わらず大きなスケール感を感じるのは、そのぶっきら棒とも言えるフレージングが奏功しているのだろう。丁寧にフレーズを歌わせようとか、つながりを整えようとか、そういう気配がない。それがかえって荒削りな豪放さにつながってくる。
ここでのN響の演奏は、お世辞にも上手いとは言いかねる。管の音はよく外すし、弦も潤いが無い。残響の少ないNHKホールという条件もあっただろう。海外誌では学生オケ並との評があったという噂もうなづける。それでも団員全員が、高齢ゆえにこれが最後の来日になるかもしれないマタチッチのために全力を尽くし、本気で望んだ演奏であるがゆえの圧倒的な存在感のある演奏に思えてくる。

マタチッチが亡くなってすでに25年が過ぎた。この記事に共感する方はすでにご存知のものだろうが、YouTubeにこの盤の演奏と同一と思われる動画があったので貼っておこう。第4楽章の冒頭部分だ。




↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村


関連記事

マタチッチ ブルックナー 交響曲第7番


きのう記事に書いた1886年生まれの指揮者ポール・パレーは調べたところ、フルトヴェングラーと同い年であることを知った。なるほど、戦中から戦後にかけての世代は、少し長生きしたかどうかで、随分とその盤歴に差が出てくる。ポール・パレーは1979年に93歳で亡くなった。当然ステレオ全盛期にも多くの録音が残せたし、もう少し生きていればCDの時代にも間に合ったわけだ。一方のフルトヴェングラーは1954年に亡くなり、残念ながらステレオ期には存命しなかった。19世紀生まれの指揮者をつらつらと思い浮かべ、しかもぼくら世代に馴染みのあった指揮者は…そうだ、マタチッチがいるではないか。というわけで、きょうはロブロ・フォン・マタチッチの盤の中から、ブルックナーの第7交響曲を取り出した。


IMG_0584.jpg  IMG_0587.jpg


今更マタチッチやブル7の解説は必要もないほど、書籍やネットでも多くが語られている。ぼくら世代には70年代から80年代初頭にかけてのNHK交響楽団への客演時の姿が焼き付いている。巨体を降らしながら登壇し、手刀を切るようなぶっきら棒な指揮スタイルだった。が、日頃冷静なエリート集団が、マタチッチを前にすると人が変わったように身を乗り出して演奏していた。きょう取り出したブルックナーの第7番は、60年代後半にチェコフィルハーモニーと行った一連の録音の一つで、30年以上前の学生時代からブルックナーの盤として最もよく聴いた盤だ。

第1楽章冒頭から実に構えの大きな音楽が広がる。悠揚迫らずとはこの演奏のためにある言葉ではないかと思うほどだ。ブルックナー開始に導かれて始まるホルン、それに続く弦楽群の息の長いフレーズ。自分も呼吸を合わせて旋律を歌おうと思うのだが、必ずこちらの方が先に出てしまう。急がず、あわてず、アルプスの頂きへの長大なアプローチを歩むがごとく進む。チェコの名門;スプラファンによる録音もマタチッチの意図を十全に汲み取るような素晴らしい録音だ。チェコフィルの演奏は管楽器群にときどき音程のあやしいところなども出てくるが、弦楽セクションはとてもいい。特にブルックナーでは重要なチェロ・コントラバス群の響きも充実していて、開始後1分半から2分あたりの低弦群の入りではスピーカーの右奥方向から、スーッと床面に音が伸びてくる。第1楽章の主部に入る前の冒頭6分間だけでも、この盤は価値を失わないだろう。
主部に入ってもいささかも音楽は品格と重量感を失わずに進む。この第7番はブルックナーの交響曲の中にあって、秀逸な第1楽章に比べ後半以降の楽章の評価が低いのだが、マタチッチとチェコフィルによるこの盤を聴いていると、そんな世評は微塵も感じずに70分のブルックナー・ワールドを堪能できる。

↓↓にほんブログ村ランキングに参加中↓↓
↓↓↓↓ワンクリックお願いします↓↓↓↓
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
関連記事
プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
リンク
QRコード
QR
閲覧御礼(2010.10.01より)