少し久しぶりだが、きょうは楽器の紹介。手持ちのギターの中からホセ・ラミレス3世を紹介したい。
ぼくが最もギターを弾いていた学生時代1970年代半は、日本国内でのギターブームが頂点を少し過ぎたあたりだった。当時海外製の楽器では、イグナシオ・フレタ、ホセ・ラミレス、ヘルマン・ハウザーが御三家というもいうべき時代だった。中でも実際に愛好家が手に出来る価格で、かつコンサート使用にも耐える楽器という意味では、ホセ・ラミレスが筆頭だったといっていいだろう。艶やかな高音、大型ボディーから出る豊かな音量、頑丈な作り、ラミレスは最も信頼のおける楽器の一つだった。一方で、音が甘くて分離が悪い、大きくて弾きにくい、少し上等な量産品、といった批判も当時からたくさんあった。ぼくはどちらかというと、そんな悪い方の評判に引っ張られ、ラミレスは縁のない楽器と思っていた。



この1978年製のラミレスを買ったのは、実はほんの1年前、昨年2010年の正月だ。縁がないと思っていたラミレスだが、その頃、典型的なスペインの音を持ったギターが欲しいと思っていたところに、都内某楽器店で1978年製のほとんど使っていないラミレスが売りに出ているのを見つけ、手に入れたのがこの楽器だ。表板は杉、横裏板はインディアンローズウッド、弦長664mmという当時のラミレスのスタンダードモデルだ。
前所有者はいたのだが、実際にはほとんど弾かれずにケースの中で眠っていたらしい。デッドストックといってもいい状態で、中古としては少々高めの価格だったが、新品のラミレスとみれば格安だった。音は当時のラミレスの典型で、高音は艶やかによく鳴り、やや高めのウルフトーンに設定された低音は、手元での量感こそあまり感じないが、少し離れて聴くと十分なエネルギーが感じられる。ほとんど弾き込まれていないことから、まだ楽器としてこなれていないので、弦の張りも強く、音も緊張感に満ちている。タッチによってはビロードのような甘い高音も出るが、全体的な印象としては音の立ち上がりもよく、分離も悪くない。
知人の1979年製1aモデル(松・ハカランダ・650mm)のシリアル番号と比べたところ、ラミレス工房では当時1年間で2,000台ほどを作っていることになる。ラミレス工房としては最も多くのギターを作り、全世界に出荷していた時期だろう。
この1年、週に一度程度は音出しをしていた成果もあってか、ようやく30年余の眠りから覚め始め、高音・低音とも少しずつ鳴り出したように感じる。またオリジナルのフステロ製糸巻きがやや不調だったので、GOTO製(ちなみにGOTOは、隣り町;伊勢崎市に本社工場を持ち、世界中のギターメーカーに糸巻きを供給している群馬が世界に誇る会社の一つ)のものに替えた。ラミレス工房の黄金期ともいうべき70年代のスタンダードとして、これからも愛用していくつもりだ。
◆過去の楽器関連記事◆
楽器全般;工房訪問記・楽器紹介等
マイ・ギター <その4> 西野春平 2007年作
マイ・ギター <その3> 故・水原洋 2003年作 ラコートレプリカ
マイ・ギター <その2> 中出敏彦 1983年作
マイ・ギター <その1> 田邊雅啓 2004年作 -続-
マイ・ギター <その1> 田邊雅啓 2004年作
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当地、群馬の県都;前橋はその昔、シルクの生産で知られ、MAEBASHIの名を冠したシルクは当地から横浜港へ運ばれ、世界に向けて輸出されたという。もともと関東ローム層に覆われ稲作に不適な土壌であったため、農地にはもっぱら桑が植えられ、その桑で蚕を育てて生糸をつむいだ。日本初の官営工場;富岡製糸場ほか、桐生・伊勢崎など県内には生糸を元にした織物の産地も多かった。
終戦直前の昭和20年8月5日、前橋は空襲を受け、焼け野原となった。市街地の8割以上の建物を消失するという大空襲であったが、中には戦禍をを免れた建物もあった。市内の中心部にあって戦災を免れた一軒の民家が昨年秋、カフェに生まれ変わった。



少し前から話に聞いていた、その「前橋・本町一丁目カフェ」に先日行ってみた。
場所は市内中心部の国道17号線沿い。県庁に近く、金融機関や生保の支店ビルなどが立ち並ぶ近隣エリアには、ここ数年でマンションが林立。本町一丁目カフェは、そんな中に一軒だけ、まさにタイムスリップしたかのように建っている。近くには、前橋生まれの詩人;萩原朔太郎の生家跡がある。
11時半の開店に合わせて店につくと、すでに女性客が一人店先で待っている。店内はナチュラルかつアンティークな雰囲気で、その日は女性ボーカルのジャズが流れていた。4種類ほどあるランチメニューから、豚ばら肉のグリルと温野菜のコンビネーションを注文。ほどなく料理が運ばれる。野菜とスープを一口…旨い。よくナチュラル志向と称して、必要以上に減塩されて味気のない皿も多いが、この店の料理はいずれもしっかりと塩が効いている。続いてカリッとグリルされた豚ばら肉にナイフを入れる…これまた旨い。どうもグリルしたときに塩を降っただけでなく、塩豚のように漬け込んでおいたのではないだろう。豚ばら肉のうま味が実によく出ている。肉そのものも厳選しているのが、臭みやくせもない。溶かしバターが添えられたパンも美味。唯一惜しむらくは、食後に出た珈琲。ドリップしたのか機械式で淹れたのか定かでないが、少々素っ気ないテイストで、食後の珈琲としては以前訪れたこの店にようにコクがほしいところだ。それでもプラス150円でデザートもついて1,100円は納得のランチ。
シャッター通りと化して久しい県都;前橋の中心街だが、久々にいい店に出会った。あまり賑やかにならず、メニューも定番だけであれこれ手を広げず、ひっそりと商いを続けてほしい。
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さて週末。今週も七転八倒・一喜一憂の一週間。生来、胃腸はもっぱら丈夫な方であったが、少し前から空腹時に軽い胃痛を感じるようになった。もう30年以上も勤め人をやっていて、今更仕事のプレッシャでもあるまいとは思うのだが、心身とも老化、耐久期限切れがせまりつつあるのだろうか。万事に耐性が弱くなっているように感じる。
ふ~っ…とタメ息一つ。今週後半はほとんど音盤を聴くことなく過ぎた。今夜少し音楽を充電しようかと、あてもなく音盤の棚を眺めて取り出したのはこの盤だ。

クラシックギターを弾いていたことから、バッハの作品には昔から親しんでいたが、その範囲はバッハの作品の中ではごくひと握りに過ぎない器楽曲ばかりだった。教会付の音楽家としてのキャリアがほとんどだったバッハの作品の多くは、声楽を伴う教会音楽だ。10年程前に激安バッハ全集を手に入れて、あらためてバッハ作品における声楽曲の重要さを知った。
さて、ロ短調ミサ。バッハの教会音楽の中でも傑作の誉れ高い大曲だ。クレンペラー&ニューフィルハーモニア管のコンビによる重厚長大型の名盤も手元にあるが、きょう取り出したのは小編成のベルリン古楽アカデミーによる盤。第1曲;キリエから何とも柔らかく優しい響きが広がる。独シャルプラッテン録音の高音質も手伝って、音はよくブレンドされながらも各パートの分離は明確。低音の伸びもよい。大編成の迫力とはまた異なった次元ではあるが、音の充実感は十分だ。
曲の冒頭、およそ20分ほど続くキリエ「主よ憐れみたまえ」を聴くだけでも、ロ短調ミサを聴く価値があるというのが自論だが、久々に聴いて、やはりこのキリエは素晴らしい。キリエの第1曲では各パートが次々と主題を受け渡しながら盛り上がり、そして静まる。時に大胆な転調も加わり、音楽はどんどん深くなる。キリエの続く第2曲、第3曲も、各パートの動きやオーケストラパートの絡みが明確に歌い分け、弾き分けられる。梅雨入りの雨夜のひととき、バッハのポリフォニックな響きの魅力に吸い込まれていく。
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毎度ブルーな週明け月曜日。4月に入り新年度になってからアクシデント続きで万事あたふたとした日々が続いている。悪いときに悪いことが重なり、何とか切り抜けれれると思いきや、思わぬ伏兵が現れる…そんな毎日の連続だ。まあ、勤め人の人生なんてそんなものかと悟りながらも、こう冴えない状況が続くと、いささかうんざりだ。こんなときは、ひとつパーッと派手に遊ぶ才覚も財力ももないので、ちょっと派手めな音楽でも聴いてお茶を濁そうか。

ご覧の盤は、旧ソビエト時代の指揮者キリル・コンドラシンが米ソ冷戦の最中に敵地米国でRCAビクター交響楽団と録音した有名が盤だ。アメリカの青年、ヴァン・クライバーンが1958年の第1回チャイコフスキーコンクールにソビエトの俊英を差しおいて見事優勝、その凱旋公演にソビエトのコンドラシンがついてきて、その際にアメリカのオケを振っていくつかの盤を録音した。そのうちの1枚というわけだ。
第1曲、ハチャトゥリアンの仮面舞踏会のワルツからゴージャスな音の洪水に包まれる。華やかさの中にも、ほの暗さやスラブ風の野性味を併せ持つ、魔力的な魅力を持つ曲だ。少し前にTVCMに使われたり、フィギュアスケート浅田真央の音楽にも使われた。腕利きのミュージシャンを集めたと思われるRCAのオケ。それをやはりRCAが当時誇ったリヴィング・ステレオの鮮明な録音がとらえている。併録されているカヴァレフスキーの組曲「道化師」も実に鮮烈で、豪華な音楽に仕上がっている。手持ちの10インチ盤LPをかけながら、古いデジカメで録った動画を以前アップしたが、ここにもう一度貼っておこう。
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昨日の記事に書いた通り、30日土曜日の川越プチ発表会に引っ掛けて、その日の午前中、浦和でギター製作をしている堤謙光氏の工房を訪れた。目的はもちろんギターを見ることだが、特に氏が力を入れて製作しているハウザーモデルがどんなものか確かめることにあった。当地前橋を7時半に出発。途中、隣り町で旧友Y氏をピックアップし、本庄児玉ICから関越道にのった。所沢ICを降りたあと出口方向も間違えるというミステイクはあったが、約束の10時に工房に到着した。

堤氏は電話での会話もそうだったが、気さくに話をしてくれるフランクな方で、この日も興味深い話をいろいろと伺った。見せていただいた楽器は、ハウザー1世をモデルにした松・ハカランダのもの、次にハウザー2世モデルの松・ローズのもの、そしてハウザーモデルをベースにしながら、より音が出しやすいようにしたオリジナルのもの、以上3本である。
最初に弾いたハウザー2世モデルは、低音・高音とも引き締まった音で音の透明感、分離など申し分ない。表面板の板厚が3.5ミリと聞いていたので、もっと「鳴らない」楽器を予想していたが見事に裏切られた。音量は十分に出ている。先日弾いた土井金松のハウザー2世モデルとよく似た響き方だ。続いて弾いたハウザー1世モデルは、2世モデルに比べると緊張の糸をいくらかほぐした感じだ。高音・低音とも少し太く、緩やかになる。6弦ローポジションの低音のボリューム感がぐっと増し、楽器全体としての音響は、低音をベースにしたピラミッド型になる。私が弾き、Y氏に聴いたもらった印象では、ハウザー1世モデルの方が低音がしっかりしていてバランスよく聴こえるとのことだった。但し、ある程度広さのあるホールなどで弾いたとき、より音の絞まった2世モデルの方が通るかもしれないが、こればかりは分からない。最後に弾いたオリジナルモデルは、楽器店に来る軽いタッチの初心者でも音が出し易いようにチューニングしていあるとのことで、確かに音は軽く出る。しかし、それがアダになり、少し強めのタッチで弾くと音が飽和する感じがあるし、和音の分離もよいとはいえない。単音ではきれいにメロディーを弾けるが和声感を基本とした音楽では分離が悪いという、日本のギターによくある音作りだ。堤氏も、本来の自分の音作りとは少し方向性が異なるが、店頭ウケのよい楽器を求められることもあって、工夫しながら作っているとのことだった。
ハウザー1世モデルをY氏とふたりでいい楽器だと言っていたら、「ここで弾いていてもよく分からないだろうから、自宅に持ち帰ってゆっくり弾いてみてほしい」と堤氏。せっかくの好意なので遠慮せずに自宅お持ち帰りとなった。昨日から一夜明けたきょう、自室でゆっくりと弾いてみたが印象変わらず。しっかりとした低音、その上に分離のよい高音がのるというハウザーのイメージそのもので、すこぶる気持ちがいい。
川越に向かう前に堤工房に立ち寄ることを知ったmixi仲間から「うん?楽器はそのままお持ち帰り(購入)?」と冷やかされ、「なあにほんの試奏ですよ、試奏」と返答したのだが、どうもその彼の予言通りになりそうな気配である。 マジ、やばいッスよ…というところか。
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