今週に入って暑さ復活の予報だったが、相変わらず猛暑には遠く、雨模様の梅雨時のような天気が続く。夏休み明けの一週間も慌しく終了。週末の晩、久々のギターのLP盤が並んでいる棚を物色。見つけたのがこの盤だ。アリス・アーツ(1943~)がフランシスコ・タレガの曲を名器;アントニオ・デ・トーレスのギターで弾いている。

近代ギターの原型を作ったとされるスペインの名工;アントニオ・デ・トーレスは、最近になってますます神格化され、現存する彼の作品は高級外車1台分以上の高値と聞く。まあ、それでもヴァイオリン族のレベル比べればかわいいものだろう。中々現物にお目にかかることもないし、あっても手に触れる幸運に恵まれる可能性はそう高くない。たまたまぼくは数年前、あるところで著名なコレクションの中の1台を試奏する機会があった。枯れて反応のいい高音と、ずっしりとお腹に響く低音が印象的な素晴らしい楽器だった。この盤では、アメリカのギタリスト;アリス・アーツが1858年作のLa Leonaと称されるトーレスのギターを使っている。
1979年録音のこのメリディアン盤はすこぶる音がいい。エコー処理は極めて控えめで、オンマイクでとらえられたトーレスの音がほとんど細工されずに生々しくスピーカーから飛び出してくる。最近でこそ使用楽器に焦点を当てた企画物アルバムも見かけるが、この年代にはまだ珍しかった。
ムーア風舞曲、アラビア風奇想曲を始め、タレガのお馴染みの曲が並んでいるのだが、こうして当時タレガが弾いたであろうトーレスから出る音楽をあらためて聴くと、今風の楽器から出る音に比べ、古風かつ19世紀的ロマンティシズムにあふれ、しかも控え目に響いて、すべてが好ましく聴こえてくる。タレガの曲は、とかく『ギター的』に弾かれて手垢にまみれている感があるが、この盤で聴くタレガはもちろんギター的ではあるのだが、録音当時30代半ばのアリス・アーツの見識もあって、いずれも品格高く、タレガが本来イメージしたのはこういう曲想だったのかと合点する。
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旧友Y氏から、YouTubeで素晴らしい演奏を見つけたとメールが届いた。アイランドのギタリスト;ジョン・フィーリーの弾くバッハ;シャコンヌの演奏だ。シャコンヌは言わずと知れたヴァイオリンの名曲。もちろん無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番として組曲全部を演奏されることが多いが、終曲のシャコンヌだけが単独で取り上げられることも少なくない。原曲のヴァイオリン版のほか、ピアノや管弦楽など、様々な形式で編曲されている。取り分けクラシックギターにおいてはアンドレス・セゴヴィアがこの曲を取り上げ、近代クラシックギターの存在価値を広く知らしめ、高めたとされ、プロ・アマ問わず、この曲はギター弾きにとっては大きな存在となっている。
<手持ちのバッハ;無伴奏VnのCD> <セゴヴィア編シャコンヌの楽譜>

このYouTubeの演奏者;ジョン・フィーリーの名は初めて聞いた。画面で見る限り相応の中年の様子だ。この演奏を聴いて何を感じるだろうか。ぼくがいたく感心し、これをギター版シャコンヌの名演と納得したのは以下の理由からだ。旧友Y氏も同様の感想だったようだ。
(1) 微動だにしない拍節感
(2) 明確な付点の音価
(3) 整った古典的様式感と適切なアーティキュレーション
(4) 曖昧なスラーやポルタメントの排除
(5) 安易なギター的ポジショニングの排除
(6) ギター本来の美しい音色
(1)から(3)は、バッハ以降ウィーン古典派に至るまで、西洋クラシックの演奏にはまず最初に必要なことであるが、ギター弾きはプロ・アマ問わずここに意識が向いていない演奏が多い。(4)(5)は、とかくギター的な効果や音色を求めるあまり、スケールであろうと和音のつながりであろうと、ギター的に、つまりギターで弾きやすいように変形し、本来の音形が持つ意味を台無しにてしまっているケースが多い。このフィーリーの弾くバッハは、いわゆるギター的な効果やメリットを極力排除し、本来の音形の持つ意味と効果に注力しているように思う。しかしそれならギターでなくてもいいではないかと言われそうだが、そこはギターの持つ美しい音色を素直に出し切っているから素晴らしい。
YouTubeには彼が弾く同じくバッハのチェロ組曲や、初期ロマン派のメルツの二重奏などの演奏もアップされている。いずれも聴き応え十分だ。終止落ち着いた弾きぶりながら、途中速いスケールをノン・スラーで弾き切るとき、口元に緊張が走るのが見て取れる。もう少しゆったりとしたゆるめの、ロマン派的解釈に寄ったシャコンヌを良しとする向きもあるだろうし、ぼくもそれを否定はしない。がしかし、今どき襟は正したくなるような、こうした演奏は貴重だろう。
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当地北関東は一昨日から雨模様。気温も一気に10℃以上下がって、今朝は肌寒ささえ覚えるほど。このまま秋というわけではないだろうが、ホッとする天気だ。さて、きょう日曜日で夏休みも終わり、明日から社会復帰。30年も勤め人をやっていて今更ナンだが、長期休み後の出勤は心身ともシンドイ。何とか気分切り替えて行きましょうカネ。
で、気分転換に一昨日久々に音盤買い出しに出かけた。最近はどんな買い物もお手軽ネットショッピングになりがちだが、店をぶらつきながら「これでも買ってみるか」的にCDを買い求めるのは、やはり楽しい。今回釣果は少なめで以下の2点。まだほとんど聴いていないが紹介しておこう。

まずこちらは、クラシックギター界の今や重鎮ジュリアン・ブリームの自選集ボックスセット。10枚組で2,500円ほどだった。ジュリアン・ブリームといえば、ぼくら世代のクラシックギター弾きには、セゴヴィア・イエペス・ブリームといった弾き手が御三家。ジョン・ウィリアムスは若手の筆頭という時代だ。昨今はギターの世界だけでなく、どんな楽器でも個性的な音色や解釈は次第に希薄になってきた。国際コンクール標準でトレーニングを目指すために均質になりがちと何かに書いてあった。60年代から70年代は、どの分野も個性あふれる弾き手が多かった。ギターの御三家も例外ではなく、貧弱なレコードプレイヤーで聴いても、それぞれの音色や歌いまわしは、高校生のガキだったぼくにも明白だった。ブリームは当時から、艶のある音色と興にのった歌い回しで、好きな演奏家だった。この自選集はブリームの数多いアルバムの中からチョイスされ、なおかつ発売当時のジャケット写真をそのまま使っている。久々に聴いてみると何とも懐かしい音だ。最近の、よりシャープな演奏や音色に慣れた耳にはかなり回顧的に聴こえなくもないが、これはこれで一時代を画した演奏だ。ルネサンス・バロックから古典、近現代までたっぷり10枚楽しめる、いいセットだ。

次は以前にも紹介した平賀マリカの新譜。この日、ブリームのボックスセット以外にはこれといって触手を伸ばすものもなく、そのままレジに行こうと思い、ジャズコーナーの横を通り過ぎようとしたときに、このアルバムに捕まってしまった。シックな装いでソファに身体をあずけ、誰かの話を聴いているのか、赤いルージュの口元に浮かべた笑み…このまま視線をこちらに投げられたらどうしようかと思いながら、あわててブリーム盤と一緒にレジに持っていった。実はこのアルバム、まだ聴いていない。いずれ、とっておきの夜に…ということで。 はい、ジャケ買いの一枚でありました。
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このところレコードプレイヤーの調子がおかしく、きょう聴こうとしてスイッチを入れたところ、ターンテーブルが数秒回ったかと思ったら、そのままヘロヘロと止まってしまった。買ってから十数年経つものの、さほど酷使したわけでもなく、サーボ用の電子回路が不調になったのかと思い、いよいよ修理かと覚悟。念のためにと、アルミダイキャスト製のターンテーブルを外そうとしたところ…。何のことはないモーターの回転を伝えるベルトがプーリーから外れかかっているのを見つけた。ベルトをかけ直して結果オーライとはなったが、もしかするとベルトが少々へたっているのかもしれない。そうでなければ簡単に緩んで外れることもないはずだ。近々ベルト交換ですね。

さて、きょう取り出した盤は60年代の国内盤LP。壮年期のサヴァリッシュが振ったハイドンの交響曲。ウィーン交響楽団との一連の録音の一つだ。この盤、60年代半ばのものを思われるが、中々雰囲気のあるジャケットといい、分厚い盤質といい、当時の国内プレス盤の気合が見て取れる。フィリップス・レーベルながら発売元は日本ビクターとなっている。しかもモノラルでカッティングされていて時代を感じさせる。オリジナルはステレオだったはずだし、70年以降日本フォノグラム社から廉価盤で再発されたときはステレオ盤で出ていた記憶がある。
この時期のサヴァリッシュへの評価は、若手の気鋭ではあるが、よく言えば堅実、いささか地味で際立った個性乏しいといったものだった。しかしハイドンの交響曲を聴くのに堅実以上の何がいるというのか。ウィーンフィルと比べると格下とされるウィーン交響楽団ではあるが、音楽の保守本流、独墺系本拠地のナンバー・ツーだ。ハイドンを聴くのに何の不足もない。モノラルカッティングがゆえに、かえって目先の音の派手さに惑わされず、音楽の流れだけに集中できるのも好適。第94番「驚愕」、第100番「軍隊」と曲も充実した名曲。いいハイドン演奏だ。
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只今8月7日(日)朝5時。普段こんな時間に起きることはない。きょうもこの時間に起きたわけではなく、昨晩夕飯後そのままソファでうたた寝。気付けば夜が明け始めていたというお粗末。時間的にはうたた寝を通り越して、たっぷり寝てしまったので布団に入り直する気にもならず、顔を洗って目を覚ました。せっかく起きたので何かしようと考え、よき家庭人なら庭の草取りでもとなるのだろうが、ぐーたら与太郎としてはそれはないだろうと、いきなりギターを取り出し朝練開始となった。

少し前に浦和の堤ギター工房にお邪魔した際に、同じ埼玉に住む関口久男氏が弾いたカルカッシ練習曲集のCDをいただいた。関口氏はクラシックギター界ではもっとも権威あるコンクールの一つ日本ギタリスト協会主催のクラシックギターコンクールで1973年に優勝している。イタリアの作曲家;マッテオ・カルカッシ(1792~1853)の作品60;25の練習曲はギター弾きにとっては初級を卒業して中級レベルを進むにあたっての必須教材だ。ピアノで言えばブクルミュラー;25の練習曲にあたるだろうか。技術的な練習と様々な古典的な曲想が学べるよい教材だ。このCDでの関口氏の演奏は、教材としてのよき手本であると同時に古典的小品としての魅力を十分堪能させてくれる。堤氏製作のギターを使っていて、その透明ですっきりとした音色も素晴らしい。カルカッシの曲は高校時代に随分と弾き散らかした記憶があるが、最近また取り出して弾いている。今朝は朝練として25曲のうち半分ほどを通して弾き、そのあとカルカッシの教則本後半にある曲をパラパラと弾いた。当時流行したロッシーニのオペラや南欧の民謡から主題を得て、カルカッシ得意の変奏曲に仕立てたものが多い。フェルナンド・ソルほどの充実感はないものの形式・和声とも古典時代の定石に従った展開で、安心かつ穏やかな感興をもって楽しめる。
さてすっかり明るくなって陽射しが照り始めた。関東では昨日あたりから夏復活。日曜のきょうも暑くなりそうだ。
◆Youtubeにあったカルカッシの小品の動画。19世紀ギターをリュートタッチで弾いている。
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このところ、まるで梅雨時のような天気が続く。
東電エリアの電力需要も予想を下回る状況。今週後半から暑さ復活の予報だが…
さて先日の日曜午後、少し車を走らせて、地元で評判になっているという和風甘味処へ行ってきた。確かに待ちが入るほどの盛況。ただ京都のイメージを持ち込んだというが、想像していた雰囲気とはかけ離れていて、やや落胆。そして味の方は甘さ控えめ。『甘さ控えめで美味しい〜』とよく聞くが、甘いものはしっかり甘くあってほしい。控えめ=上品という公式を拠りどころにしているのだろうが、食後やひと息つくときに口にする菓子・デザートの類は、甘味や酸味が十分あってほしいと思うがどうだろう。
甘辛といえば、音楽にも味付けによる分類が可能だ。今夜はいわば甘口、オールドファンには懐かしいミシェル・エルマンのヴァイオリンを聴こう。1891年生まれでSP時代からの盤歴を持つエルマンだが、CD時代になってからは中々入手が難しかった。現在は数年前に日本コロンビアのヴィンテージシリーズとして復刻されたCDが手に入る(写真右。こちられ試聴も)。今夜は70年代初頭に出ていた廉価盤のLPを取り出した。数年前に中古レコード店の100円コーナーから救済してきた盤だ。チゴイネルワイゼン、序奏とロンド・カプリチオーソ、タイスの冥想曲、クライスラーの小品他、ヴァイオリンの名曲が収められている。

まず一聴して分かるのは、エルマン・トーンと称されたその特徴的な音色だ。ヴァイオリンに関してはまったく不案内なので、その秘密を語ることは出来ないのだが、楽器そのものや楽器細部の調整、弦や弓の選択、そしてボーイングの力加減、そうしたものが合わさって出てくるものだろう。時代からしてもクラシックギターにおけるセゴヴィア・トーンと状況は似ているかもしれない。
オールドファッションの音色と言うと太く、甘く、たっぷりとした印象がある。音色は60年代のステレオ録音にもかかわらず、ちょっと鼻にかかったような、周波数レンジの狭いSP盤のような印象さえある特徴的なものだ。しかし太くたっぷりかというと、そうでもない。ぼくの再生装置の影響もあるだろうが、この盤で聴く限りエルマンの音はむしろ線が細く繊細だ。演奏のスタイルは19世紀的要素を持ち合わせた、ロマンティックに寄った解釈だが、甘くはあっても繊細な音色も手伝って、こってり厚化粧という感じはしない。また、この録音が晩年の技術的にはかなり衰えが現れていた時期のものということもあり、速いテンポで鮮やかに弾き切るというものではないため、全体にゆっくりしたテンポを取っている。それが曲を深く見据えることにもつながり、一つの味わいになっている。昨今ではこうした際立った個性の音色を持つ奏者は、どの楽器でも少なくなってしまった。
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