来週末12月3日(土)、隣り町の高崎でギターのコンサートがある。同市内でギター教室を主宰している石原昌子先生とその関係者を中心にする演奏会だ。合奏やアンサンブル中心のコンサートだが、独奏と二重奏も数曲予定されている。実は私もゲストとしてお邪魔し、石原先生との二重奏を弾くことになっている。
今回取り上げるのは19世紀半ばにウィーンで活躍したヨハン・カスパール・メルツという作曲家の二重奏曲で、ギター2本のうち1本はテルツギターという普通のギターに比べ短三度(3フレット分)音程の高い楽器を使う。なおかつ今回はギター2本とも19世紀当時の楽器を使って演奏するという、ローカルな当地としては中々マニアックな企画だ。以下、宣伝をかねてパンフレットから抜粋しておく。

★★フレンズギターコンサート_石原昌子と仲間たち_vol.7★★
<日時> 2011年12月3日(土) 午後1:30開場/午後2:00開演
<会場> 高崎シティギャラリー・コアホール 高崎市高松町35-1/高崎市役所北隣
<入場料> 500円
<共催> 石原昌子ギター教室/VIVA高崎ギターアンサンブル
<出演>
・石原昌子、同門下生 ・高崎経済大学ギタークラブ
・高崎経済大学OBアンサンブル ・VIVA高崎ギターアンサンブル
<曲目>
・ドイチェ・ヴァイゼ ・マズルカ
・みかんの花さく丘 ・アストゥリアス ・禁じられた遊び
・踊り明かそう ・花 ・「ロミオとジュリエット」組曲第2番よりモンタギュー家とキャピュレット家
・アゲハ蝶 ・戦場のメリ—クリスマス ・早春賦
・バロック風;春が来た ・スペインの花 ほか
<19世紀ギターあれこれ> <K・ブランドル作テルツ>

曲目の最初にあげた2曲、「ドイチェヴァイゼ」と「マズルカ」がメルツの二重奏だ。初期ロマン派の香り高い佳曲で、技術的にはさほどややこしいところもなく楽しめる。第1ギターパートのテルツギターには、旧友Y氏から借用した19世紀中盤ドイツの名門アントン・シュタウファー工房の職人;カール・ブランドルが作ったオリジナルテルツギターを使う。私が受け持つ第2ギターパートは通常のギターで、手持ちの故・水原洋氏2004年作の仏ラコートのレプリカにするか、それとも19世紀終盤に作られた仏ラミー社の楽器にするか思案中だ。練習はすでに3回ほど合わせたが、アクシデントさえなければ、無難に弾き終えられそうだ。
以前シャコンヌの演奏を絶賛したジョン・フィリーと相方がモダンギターで弾いている動画があったので貼っておこう。ゆっくりめのテンポで、いささか生真面目過ぎるかな…
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昨晩はグールドの記事を書いたところで不覚にもPCに向かったまま寝入ってしまった。
本日まとめてアップです。
きょう土曜日は昼前から野暮用あって出かけ3時少し過ぎに帰宅した。外は陽射しに恵まれ、銀杏の葉が黄金色に輝きながら風に吹かれて舞い始めている。11月も残り少なくなってきた。この時期になると毎年決まってやることがある。そう、手帳選びだ。といってもこのところ選ぶことは終わり、もっぱら英国レッツ社製の手帳を使っている。先日、近所のショッピングモールに入っている紀伊国屋に注文していた来年の手帳が入荷して取りに行ってきた。

かつて文房具に随分と凝った時期がある。机の引き出しの一つにはその頃の残骸である筆記具が並んでいる。B級グルメならぬB級文具マニアとでも言おうか、少々値が張るのはモンブランの#149とパーカーのデュオフールドくらい。あとは安物ばかりだ。
そんな中に『英雄』というロゴの入った一群の中国製万年筆がある。ぼくら世代以上の方は記憶にあるかどうか。60年代後半に中国から数百円で買える格安の万年筆が入ってきた。当時の新聞記者が「書き心地も悪くない」とほめたことからブームになったことがある。何のことはない、パーカー万年筆のコピー品である。すぐにブームさめたものの、ぼくは高校・大学とこの万年筆を使っていた。
それから幾年月。そんな記憶もすっかり忘れかけていた頃、アメ横商店街にあったフレンド商会という文具店で60年代当時のデッドストックの『英雄』を見つけて買い求めた。さらに2000年代になって仕事で中国に行った際、まさか『英雄』万年筆はないだろうと宿泊先近くのデパートを覗くと、何と今も『英雄』ロゴの筆記具は健在だった。

一時期はワープロで打った文書の最後に万年筆でサインを入れたものだが、いささか気障だと悟り、最近は私信以外そういうこともしなくなった。そういえば、ある雑誌の女性座談会で『どんなにオシャレなブランド製スーツを着ていても、取り出した筆記具がノベルティーでもらったような100円シャープペンではまったく興ざめよね。男性は手帳と筆記具には派手ではない趣味のいい品を持ってほしい。ポイントアップ間違いなしよ。』と女性陣が口を揃えて言っていた。しかしレッツ社の手帳とラミー社#2000シリーズの黒づくめで渋く固めているつもりだが、まったくポイントアップの恩恵にあずかっていない。どうしたものだろう。
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きょう11月18日はカール・マリア・フォン・ウェーバーの誕生日だそうだ。1786年にドイツ・リューベック近郊で生まれ、1826年にロンドンで客死したとある。ウェーバーの父の兄の娘・コンスタンツェはモーツァルトと結婚している。幼い頃から劇団を主宰した父親に連れられて各地を旅し、10歳を過ぎた頃から音楽の才を発揮し始めたとWikipediaに記されている。彼の作ったいくつかの歌劇によってドイツオペラが確立したといわれるほどの功績者だ。そんなウェーバー最晩年の作品の一つに歌劇「オベロン」があるのだが、歌劇としての人気はいまひとつながら、その序曲はよく出来た曲で人気も高く、独墺系オーケストラによってしばしば演奏される。古典派からロマン派の管弦楽曲小品といえる序曲、前奏曲のたぐいは山ほどあるが、この「オベロン」序曲は大好きな曲の一つだ。どのくらい好きかといえば、この10分ほどの小品を続けて3回くらいは聴いてもまったく飽きず、4回目を聴こうかと思う程度に好きだ。モーツァルトやベートーヴェンのいくつかの序曲より数段好んで聴く。

手元にはこの曲を収めた盤がいくつかあるが、最近よく聴いているのが、去る9月18日に98歳で亡くなったクルト・ザンデルリングとドレスデン・シュターツカペレ;SKDによる1973年の来日公演ライヴの演奏だ。この盤については以前記事に書いたことがあった。冒頭のホルンによる主題とそれを受ける弦楽群との対話から、もうすっかり気分はドイツの森のイメージなる。「魔弾の射手」や「ウィリアムテル」の序曲などもそうだが、ウェーバーの序曲導入部はいずれも秀逸だ。ホルンやチェロを巧み使い、ドイツの深い森と神秘的な雰囲気を表現している。ゆっくりと歩を進める導入部が終わり主部に入る。弦楽群が生気みなぎる旋律を繰り出し、管楽群がリズムを刻んでその旋律を後押しするして前進させる、そんな曲の運びで、途中いくつかの転調で緊張感を高めていく。ザンデルリングとSKDは抜群の合奏能力と艶やかでありながら華美にならない落ち着いた音色で、ドイツ音楽の代表格のこの序曲にはぴったりだ。
手元にある他の盤では、ジョージ・セルとクリーヴランド管の1970年の東京ライヴも素晴らしい。こちらは更に躍動的でオーケストラの機能性が十全に発揮される。おらが郷土の誇り、群馬交響楽団が豊田耕児の指揮で録音した盤も、同団が80年代以降躍進する起点になった貴重な記録だ。それ以前の、生気に乏しく技術的にも課題の多かった時代の演奏とは隔世の感がある立派な演奏だ。
YouTubeにあったチョン・ミョン・フンとフランス放送のオケによる演奏を貼っておこう。
チョン・ミョン・フンらしく各声部が混濁せず見通しがいい。う~ん、やはりいい曲だ。
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小雨混じりの日曜日。いつものように何をするでもなく一日が終わった。このところ昼間は20℃を越える暖かい日が続いていたが、どうやら明日からは気温もぐっと下がり、この時期らしい寒さになるとの予報。そろそろ身辺も冬支度か。文化の日から続いた四連休も終わって明日から仕事復帰という晩、晩秋に相応しくブラームスでも聴こうかと、中でもこの季節に相応しい第3番のレコードを取り出した。70年代半ばにルドルフ・ケンペが当時の手兵;ミュンヘンフィルハーモニーを振って録音したブラームス交響曲全曲(写真右)の中の1枚だ。

ケンペについては、以前彼の振るブルックナーの盤を記事に書いた。派手さとは無縁で堅実な職人指揮者というイメージがあったケンペだが、50年代からベルリンフィルを振ったり、ドレスデンのオケとリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を録音したりと、日本での人気が高まる前から欧州では一流の評価がなされていたのだろう。ミュンヘンフィルとのブラームス録音は彼の晩年の録音ではあるが、指揮者としては夭折だった彼のキャリアからすれば、まさに充実した壮年期の演奏記録と言える。この盤の第3番も、どこをとっても充実した音楽が鳴り響く立派な出来映えだ。
やや早めのテンポを採った第2番などと違い、この第3番でケンペは中庸よりややゆっくりめのテンポ設定で曲を始める。どこかのパートを強調したり、テンポを煽ったりすることもなく落ち着いた歩みだ。特に緩徐楽章がいい。第2楽章は淡々と曲を進めながらも、ブラームスが仕組んだ聴かせどころ、終盤の弦楽のフレーズなどは深い呼吸で歌い抜く。第3楽章も有名になった主題をフレージングは相応に起伏を持たせて訴えてくる。それでも全体としては整然とし、この曲に相応しい落ち着きと節度を崩さない。第3番をこうした演奏で聴くと、しみじみ秋の深まりを感じる。
残念ながらケンペがこの曲を振っている映像はないが、ケンペと並んで中欧の堅実派指揮者という評価だったスィットナーがN響を振った演奏があったので貼っておこう。先年亡くなったスィットナーだが、この映像あたりが元気な姿の最後だった。ゆっくりめのテンポで楚々と歌う。しみじみ…というのは正にこの演奏のためにあるように思う。
こちらはケンペの他、クーベリック、サバリッシュ、レーガーといったお馴染みの指揮者がつどい、バッハのコンチェルトを弾いている貴重な映像だ。独語のやり取りは残念ながら分からないが、全体のまとめ役はクーベリック、ピアノの名手でもあるサバリッシュも盛んに意見を出している。ケンペはレコードジャケットの姿そのまま。70年代半ばの記録だろう。
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四連休の中日、好日に誘われて都内で行われている『弦楽器フェア』に行ってきた。場所は日本武道館近くの科学技術館。地下鉄を九段下で降り、靖国神社を右手に見ながら北の丸公園方向へ折れ、武道館の横を通り過ぎると会場の科学技術館だ。毎年文化の日前後の週末に開かれる。2000年から2005年頃まで何度か足を運んだことがあるが、今回は数年ぶり久々だ。
<九段会館を臨む> <田安門>

<田安門> <武道館>

<武道館から科学技術館への道> <フェア会場の科学技術館>

その名の通り、各種弦楽器見本市といった感じのフェアで、プロ・アマ製作家の作品展示、楽器商社のブースなどが広がる。会場はヴァイオリン属とギター・リュート属に大別されるが、相変わらず華やかな雰囲気のヴァイオリン属のエリアに比べ、ギター・リュート属は年々出展者も減り規模縮小。以前見た頃に比べ三分の一程度の面積と出展者数になってしまい、少々さびしい。にぎやかな会場内でも朗々と響くチェロや、よく通るヴァイオリン属の音に比べ、ギターは遠くからでは鳴っているのかさえ分からないほど音が小さい。こういうイベントにはそもそも馴染まないのだろう。
それでもギターの出展作品の中からいくつか試奏してきた。中では岐阜の製作家;寺町誠氏と名古屋の大西達郎氏の楽器が印象に残った。寺町氏の作品はフレタ型のボディでかっちり作られ、低音も高音も張り詰めた緊張感があって気に入った。大西達郎氏のトーレスモデルは、隅々までこだわりぬいて作られた小型のボディー全体から豊かな音が広がるように出てくる。バランス的には低音寄りだが、響きのいい部屋やホール聴くといい雰囲気のある音を聴かせてくれそうだ。

<材料商社のブース> <美しいバーズアイメイプルも>

<無量塔蔵六氏一門のブースと氏が1974年に復元した正倉院所蔵の古代ハープ「箜篌=くご」レプリカ>

このフェアでは開催中の午後になると、会場内にある小ホールでプロの演奏家による出展楽器の弾き比べミニコンサートがあって呼び物なっている。あいにく時間が合わず聴けなかったが、きょう初日は遠藤真理さんがチェロを、川畠成道さんがヴァイオリンをそれぞれ受け持った。あすはギターの宮下祥子さんも登場予定だ。入場券は三日間有効なのだが、当地群馬からでは連日行くにはいささか遠く残念。かなりさびしくなったギター属の展示をひと通り見てフェアを早々に切り上げたあとは、都内のクラシックギター専門店を2軒ほどハシゴして帰途についた。秋の好日、心身共に充足の一日だった。
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水曜日のきょうは三時過ぎから来客があり、所用終了後夕方から勤務先近くの店で会食となった。9時前に帰宅。心身共に弛緩のひととき。実はあす文化の日から週末にかけて四連休なのだ。勤め人生活も残り数マイルというこの歳になって、いささかおとな気なくナンだが、小声でバンザ~イ!と叫んでしまった。そして休日前の晩、何か聴こうかと棚を見回し、取り出したのがこの盤だ。

カラヤン最後の来日となった1988年の公演から、5月4日東京文化会館でのライヴが収められた盤だ。この88年の来日公演は4月29・30日の大阪ザ・シンフォニーホールを皮切りに、この盤の東京文化会館での公演を挟んで、5月2日・5日にサントリーホールで行われた。以前の記事で5月5日のライヴ盤を取り上げたことがあった。この盤5月4日のプログラムは、ベートーヴェンの交響曲第4番とムソルグスキー;組曲「展覧会の絵」。ジャケットの帯にはラスト・コンサートと書かれているが、中川右介氏の本によれば、カラヤンはこのあといくつかの公演をし、ロンドンでの公演が真のラスト・コンサートとなったそうだ。
それにしても、やはりこれは最晩年の演奏だ。ベートーヴェンの4番が始まってすぐに、その感を強くした。50年代のフィルハーモニア管との演奏や、ベルリンフィルとの60年代・70年代の演奏も手元にあるが、それらと比べ、これがあの颯爽としたカラヤンか思わせるほどテンポは遅く、一音一音に重心がのり、悠然と音楽が進む。しかし重苦しいわけではなく、むしろ表情は淡々あるいは悠然としている。これをもって晩年の境地を言えば、そういうものかと合点する。
「展覧会の絵」もしかりだ。かつて70年代の彼であれば、オーケストラの機能性を最大限に駆使し、聴く者を圧倒するような表現をとっていただろう。しかしこの盤の演奏にはそうした気配を感じない。もちろん名手揃いのベルリンフィルにぬかりはないし、響きに余裕もある。しかしその余裕で他を圧しようとはせず、曲は最後まで悠然と進む。これをもって、手ぬるいだの凡庸だのと言う向きもあるだろう。しかし音楽としては至極真っ当であるし、何の過不足もない。つまりはそれがカラヤンだったのだと、そう感じる演奏だ。とかく対比されるチェリビダッケ晩年の「展覧会の絵」は聴き手に最大限の緊張を強い、そして最後の圧倒的なカタルシスをもたらす。そうした演奏とは別の種類のものだとあらためて実感した演奏だ。
この盤の演奏当日NHKFM中継の音源があったので貼っておこう。CDには入っていないアナウンサーのナレーションなどもあって懐かしい。
こちらは晩年のカラヤンを追ったドキュメンタリーの一部。生涯たった一度だけ振った1987年ニューイヤーコンサートでの姿もある。
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