中村紘子 グリーグ・ピアノ協奏曲イ短調
五月もきょうで終わり。最後の金曜日。少し早く七時半過ぎに帰宅。暑からず寒からず週末の夜。ひと息ついて雑誌を眺めていたら、日付けが変わる時刻になっていた。
偶然だが、このところ海野義雄、徳永兼一郎、潮田益子と<昭和の>日本人演奏家の盤を続けて聴いた。…となればこの人の登場だろうかと思い、レコード棚をサーチ。こんな盤を見つけた。


中村紘子の弾くグリーグ・ピアノ協奏曲。1979年の録音。大町陽一郎指揮東京フィルハーモニー交響楽団のバック。そして当時ソニー副社長だった大賀典雄みずからプロデューサーを務め、録音機材は当時ソニーが開発したPCM(デジタル)録音機という、鳴り物入りのレコーディングだ。ライナーノーツによれば、芸大卒のバリトン歌手でもある大賀氏はセッションを通じて常にスコアを片手にモニタースピーカーからの音を聴き、中村・大町両氏と意見交換をしてベストテイクを目指したとのこと。付け加えるなら、当時三十代半ばの中村紘子を写したジャケットの写真撮影は立木義浩だ。前橋汀子&篠山紀信を思い出す。このレコードをどういう経緯で手に入れたか記憶にないが、確か知人から「もう聴かないから」と譲ってもらった百枚ほどの盤の中にあったと記憶している。当時、中村紘子をジャケ買いすることは無かったはずだ。

演奏はかなり個性的だ。すべての楽章でテンポは遅め、表情付けはかなり濃厚で、ロマンティックな解釈。一方で曲が盛り上がった際のフォルテシモの響きは尋常でないほど強靭で、ソニーがデンオンに遅れをとったPCM録音の失地を挽回しようと総力をあげて開発したデジタル機材の威力もあって、スタインウェイのゴージャスな響きが荒川区民会館に響き渡る。それでも第一、第二楽章はよいとしても、さすがに終楽章まで重戦車のようなテンポと響きでやられるとたまらない。一向に音楽が流れない。あのリヒテル&マタチッチ盤が軽快に感じるほどだ。中村紘子は90年代後半にグリーグを録り直している。最近の演奏を耳にしていないが、今でも盛んにコンサートを開き、協奏曲も弾く姿勢には拍手を送りたい。
16歳の中村紘子。N響の海外公演に随行したときの演奏。
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