ようやく快晴の日曜日。日帰り小ドライブ。外は風もあり気温も少し低めだったが、車の中は陽射しを受けてポカポカ。気持ちのいい一日だった。のんびり陽が高くなってから出たため、帰宅も少々遅くなる。夕飯を済ませてひと息つくと、もう日付けが変る時間になっていた。 今夜は音盤ナシ。先日の記事にチラッと書いた、知人のそのまた知人が開く個展の賑やかしにギターを弾く件の業務連絡を。
日時:11月3日(日)文化の日 午後2時頃から30分程。
場所:ギャラリー『ブレーメンハウス』@浅草
浅草のど真ん中といってもいい場所。ちょうど浅草公会堂の裏口。近くには天丼が名物の大黒屋もある。間口一間半のごくごく小さなギャラリーのようで、個展といっても小数の展示をするのみとのこと(ギャラリーHPの展示スケジュールには記載なし)。演奏曲目はおおよそ以下の内容。
◇ バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番から プレリュード・サラバンド・メヌエットI/II
◇ A.ロジー:組曲ハ長調 シャコンヌ・クーラント・メヌエット・サラバンド・ガボット・ジグ
◇ ソルかメルツの小品2曲ほど
◇ 佐藤弘和作品集から3曲ほど
◇ ポピュラー:江部賢一編の楽譜(+ジャズ風自己アレンジ追加)で数曲
楽器を通常のモダンタイプにするか19世紀タイプにするか思案中。ギャラリーのスペースは広くなく、響きもよさそうなので、オリジナルの19世紀ギターにしようかと思い、今夜はだいぶ古くなっていた弦を張り替えた。先日の記事に書いた英チャペル社の楽器に、弦はガットの音を模して開発されたイタリア:アクイーラ社のアンブラ800という19世紀ギター用のローテンションのもの。

この弦の高音はやや特殊なナイロンで出来ていて、張りたてはまったく安定せずにどんどん延びる。こんなに巻いて大丈夫かと思うほどペグを回す。一晩おいて明日以降しっかりチューニングして様子をみる予定だ。曲目はここ2年ほどの間にmixiの集まりで弾いたもののかき集め。といっても、もう1年近く人前では弾いていないので、当日も楽譜を見ながらダラダラと弾くことになりそうだ。
天気に恵まれ浅草見物という方いらっしゃれば、天丼食べたあとの腹ごなしにでも、ぜひどうぞ。
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先週の台風一過以来、当地関東はずっとぐずついた天気が続く。気温も低めで、夜半には暖房が欲しくなるほどだ。ついこの間まで、真夏日だ、夏日だと言っていたのに…
さて、このところ仕事にそこそこ追われていて帰宅も遅め。ゆっくり音楽を聴く状態ではないのだが、こんな調子だとずっとアンプに灯が入りそうにないなあと、今夜はやや強引にスイッチを入れた。そういえば、きょう帰りの車中のFMでドヴォルザークの序曲「謝肉祭」が流れていたのを思い出し、手持の盤を引っ張り出してきた。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤルフィルハーモニーの演奏。激安ボックスセットの雄:ブリリアントレーベルのドヴォルザーク交響曲全集中の1枚。

交響曲のいくつかとチェロ協奏曲が突出して有名なドヴォルザークだが、他にももちろん多くの名曲がある。管弦楽曲だけでも、4つの交響詩、いくつかの序曲、伝説曲、チェコ組曲、アメリカ組曲やセレナーデ、スラヴ舞曲など、思い出してみると結構な曲数にのぼる。そんな中にあって、序曲「謝肉祭」は10分足らずの小品ながら演奏頻度も高い人気の曲。きょうのNHKFMはフランス国立管弦楽団の現地シャンゼリゼ劇場でのコンサート幕開けの演奏だった。中間部にフルートとオーボエによる美しい緩徐部をはさんで、前後はまさにボヘミアの謝肉祭を連想するような素朴で賑やかなフレーズが続く。もちろんドヴォルザークらしい、どこか懐かしいメロディーにあふれ、おそらく初めて聴いても一緒に口ずさみたくなるだろう。
昨年2012年のプロムスでの演奏。この曲は中間部をはさんだソナタ形式で出来ている。懐かしさあふれる第2主題は1分47秒から。ここを聴いただけでドヴォルザークの曲と察しがつく。美しい中間部は3分50秒から。イングリッシュホルン、そしてフルート、オーボエが続く。中間部が終わるとソナタ形式展開部に相当するフレーズが続く。7分25秒過ぎからは、バロック期以来20世紀ポップス、昭和歌謡まで続く和音進行VI-II―V-Iが聴ける。指揮をしているのは1946年プラハ生まれのイルジー・ビエロフラーヴェック。90年代後半にBBC響へデヴューし2006年に首席指揮者に。そんなイギリスとの縁からプロムスに出たのだろう。
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冷たい小雨降る日曜日。昼をはさんで少々野暮用。午後は久々に楽器を取り出してひとしきり弾いた。今のところ、これといって何か目標とする曲があるでもなく、暗譜するでもなく、いつもながら食い散らかしに近い練習。マンドリン用のオデル教則本に出ているスケール練習をいくつか弾いて指慣らし。そのあとはその日の気分で楽譜を広げる。きょうはソルの喜遊曲と、元々はソルがピアノために書いた曲のギターアレンジ譜を選んだ。楽器は19世紀半ばにイギリスで使われていたチャペル社の楽器を取り出した。


19世紀古典期のギター曲を当時のオリジナル楽器で弾く楽しみ。その響きにはモダン楽器では味わえないものがある。現代の楽器と比べると絶対的な音量、音圧はもちろん小さい。しかし、それを補って余りある響きと反応の良さ、音の広がり、和音の調和は比類がない。ソルやジュリアーニをはじめ、マティエカ、ディアベリ、フォッサ、カルカッシなどが残した曲から技巧的にあまり無理のない曲を選んでポロポロと弾いて楽しむ。弦長610~630mmが標準だった当時の楽器に、当時と同じくらいの低めの張力の弦を張る。無理なく楽器全体が鳴り響き、まことの心地いい。弦は1年以上交換しておらず、低音の巻き弦はすでに輝きを失っているが、音は適度にエッジが取れて、むしろ好ましい。モダンギターもそうだが、ぼくの場合弦の交換頻度はとても低い。新品の弦に付きもののビーンビーンというメタリックな音を(しかも暴力的なタッチで弾いた音を)聴いていると、あれは楽器の音ではなく弦の音だと感じるからだ。極端な言い方をすると、金属バットでブッ叩いて音を出しているように感じる。そんなに無理しなくても楽器は鳴るはずだし、無理せずに鳴るところで留めておくべきだと、自戒を込めて思う。
弦をはじいた瞬間に音が立ち上がり、短めの余韻で消えていく。ギターの音にサステインの長さを求めたくなる気持ちは分かるが、ピアノ同様、発音のあとは減衰しかない楽器の特性をネガティブに捕らえる必要はなく、少なくても古典期のクラシカルな作曲家もそれを考慮して音符を並べているはずだ。物理的なサステインに関して、当時は部屋の響きがその役割を負っていただろう。音を切らずつなげて弾きなさいと、かつての教科書や指導者は主張した。しかしそのために無理な左手の運指を強いられ、結局音が切れてしまう。前後の音との関係とフレージングでいくらでもレガートな演奏は可能だろうと思う。まあ、ぼく自身が範を示せるわけではないので、説得力はないのだが…
デイヴィッド・スタロビンによる19世紀ギター(ウィーンモデル)の演奏でジュリアーニとソル。大曲と格闘する前に、音符の並びから言えば技巧的にさほど無理のないこうした曲を、フレージングとアーティキュレーションでレガートに聴かせる音楽性を大事にすべきだと、この演奏が教えてくれる。
昨年末に19世紀ギターで弾いた演奏から、バロック期のA・ロジーの組曲を二つ。
組曲ハ長調
http://youtu.be/6wMYLPhSo-8
組曲イ短調
http://youtu.be/MS8CIUzqhI0
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連休を利用して八ヶ岳方面へ出かけてきた。その昔、山歩きをしていた頃以来だから、とんでもなく久しぶりだ。当地からは行程の半分ほど高速を使って130km、2時間半のドライブ。先週までの暑さも遠のいて爽やかな秋の好日に恵まれた。もちろん山を歩く体力・気力はもはやなく、清里周辺をウロウロするだけの中年ミーハーに終始した。折からあちこちにハロウィンの飾り付け。広大な自然と、都会的商業主義の同居。若い頃はそんな光景に眉をひそめたものだが、もう目くじら立てることもなくなった。


けさ宿泊先の食堂ホールで流れていたシューマンの交響曲が耳に残っていて、帰宅後、先日少しまとめて手に入れたシューリヒトの盤から第3番変ホ長調<ライン>を取り出してプレーヤーにセットした。南ドイツ放響(現・シュトゥットガルト放響)との1960年録音。コンサートホール盤の復刻中の一枚。以前から、シューリヒトのこのシューマンの演奏は独自の味わいを持つ名演とされてきた盤だ。

シューマンの4つある交響曲はいずれもドイツ物の交響曲の中では好きな曲のかなり上位に位置する。手元にはサバリッシュ&シュターツカペレドレスデン、コンヴィチュニー&ライプツィッヒゲヴァントハウスO、クーベリック&バイエルン放響(DG盤)、クレンペラー&フィルハーモニアOなどの全集盤がある。そうした演奏と比べる、このシューリヒト盤は抜きん出て個性的だ。
第1楽章の出だしから速いテンポと拍の頭でビシッビシッと決まる小気味よいアインザッツ、そしてフレーズのそこかしこに明確なアーティキュレーションを示していく。一気呵成ではあるが力ずくではない、しなやかなで生き生きとしたフレージングにシューリヒトの真骨頂がよく現れている。 意味のないことと知りながら、チェリビダッケ&MPOと演奏時間と比べてみると、チェリビダッケ盤が全5楽章に39分を要しているに対し、このシューリヒト盤は30分に満たない。ドイツの深い森のイメージやとうとうと流れるラインの流れでなく、もっと活気と生命力に満ちたライン川といったらいいだろう。古いコンサートホール盤の持つ冴えない録音というイメージも、リマスタリングの成果著しく、手持ちのSTAXで聞き耳と立ててみたが馬脚を現すこともない。シューリヒトの音楽表現の意図同様、細部までクリアによく録られていて驚いた。もっと深くたっぷりとした響き、うっそうとしたシュヴァルツヴァルトをイメージする演奏を求める向きにはお勧め出来ないが、若々しく生気にみなぎるシューマンは一聴に価するだろう。
この盤の第1楽章。
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