少し前の記事で、今年はシベリウス生誕150年と書いた。たまたま聴いていたFMで今年もうひとり生誕から150年になる作曲家がいると、ロシアの作曲家アレクサンドル・グラズノフ(1865~1936)を紹介していた。そうかぁ、グラズノフねぇ…と思い出して、彼の代表作の一つであるこの曲を取り出した。

グラズノフ作曲ヴァイオリン協奏曲イ短調作品82。
手持ちの盤はお馴染みナクソスの1枚。ヴァイオリン独奏はイリヤ・カーラー。80年代にパガニーニ、シベリウス、チャイコフスキーの国際コンクールですべて第1位となった逸材だ。それにしてはメジャーレーベルの録音はさっぱり。もっぱらナクソスレーベル専属という感有り。これには何やらストーリーがあるようだが、ここでは語らず…。この盤はドヴォルザークとのカップリングで、オケはこれまたナクソス御用達のポーランド国立放送カトヴィッツ交響楽団。指揮はカミラ・コルチンスキー。1994年録音。
曲はモデラート、アンダンテ・ソステヌート、アレグロの三つの楽章がアタッカで演奏される。三つの楽章といっても、真ん中の楽章にはカデンツァを記されていること、また全部で20分ほどの演奏時間ということもあって、三つの部分からなる単楽章という見方もされる。聴いていても、そんなイメージを持つ。
全編<美しい旋律の宝石箱やぁ~>とでもいうべきロマンティクな魅力にあふれる。特に前二つの楽章はその感が強い。時に19世紀的ヨーロッパロマンティシズムあり、ときにロシア民族色の色濃いエキゾティックなフレーズありと飽きさせない。もっともそれがアダで、少々構成感に欠けるところが、他の著名ロマン派コンチェルトと比べややマイナーな域を脱し得ない要因だろうか。終楽章のロンドは音楽が一気にダイナミックになり、技巧的なパッセージが続く。
あら懐かしや…シルヴィア・マルコヴィッチによる演奏を貼っておく。1972年、ストコフスキー90歳を祝した演奏会だそうだ。シルヴィア・マルコヴィッチはぼくら世代には懐かしい名前。70年代にルーマニア生まれの美貌のヴァイオリニストというふれ込みでデビューした。十代でエリザベートやロン・ティボーで優勝している。このコンサートのときちょうど二十歳とアナウンスされている。この曲は確か彼女のレヴュー曲だった記憶が。
第1楽章1分10秒~ 第2楽章5分30秒~ 第3楽章10分05秒~
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正月気分の実感もないまま新年を迎え、気付けばもう下旬だ。
このところ、ブログランキングの登録をしている<日本ブログ村>というポータルサイトがメンテナンス作業をしているとかで、せっかくクリックしていただいたバナーカウントが反映されないとか、掲示される画像が上手く反映されないとか、そんな障害情報が届いている。まあ無料サイトでお気楽な駄文を書いているだけなので文句もないし、世の諸事に比べてどうでもいいことではありますが…
ところで、ここ何回かオーディオネタを記事にしているが、それに合わせたようにアクセス数が増えている。このブログは一応音楽系ブログということになっているが、やはりオヤジ・ブロガー達にとって、オーディオ話は鉄板ネタなのだろうか。しばらくオーディオネタだけで行こうかとも思ったが、ブログタイトルの原点に帰って、きょうはギターの話。

三年ほど前から、米マリ社の弦が気に入って使っていたのだが、少し前に買ったもので立て続けに二回、低音不良弦に当たってしまった。外見も金属巻線の中のフィラメントがよじれているのが分かり、張ったときの音もボソッとしてまったく精彩を欠いた。昔ながらのオーガスチン弦が手元あったのだが、以前から一度使ってみようと思っていた、仏サヴァレス社のカンティーガ弦を取寄せ、ぼちぼち張替えのタイミングだった田邊ギターに張ってみた。


カンティーガは低音弦の製品で、高音の3本は他の製品を組み合わせる。今回、高音は同じサヴァレス社のニュークリスタルというオーソドクスなナイロン素材を使った透明弦を合わせた。もっと現代風な弦かと思っていたのだが、思いの外しなやかで、張力も中庸。第一印象はすこぶるよかった。
カンティーガ低音弦は、金属巻線のピッチがオーガスチンあたりと比べると細かく、弦を手にしてみると、しなやかで柔らかい。張ったときの感触も指によく馴染む。音色もコラム弦よりは現代風だが、それほど金属的な響きでもなく、タッチへの反応も上々で、軽く音が立ち上がる感じだ。高音系のニュークリスタル弦は、完全透明のクリアナイロン弦で、その見かけそのままに、音も素直でピュアに響く。カーボン素材のアリアンス高音弦ほど金属的な音を発しない。6本のセットとしては、音程、音量とも上出来で、音に品格があり、大いに気に入った。
もちろんギターとの相性もあるだろうが、おそらく、やや軽めのボディーと低めの低音ウルフトーンを持つ、古風な響きの楽器にはよい選択だろう。わが愛器:田邊ギター(ロマニリョスモデル2004年作)にはベストマッチの一つだと感じた。もう二週間ほど経つが、バランスがよく、低音のボリューム感と音全体の反応の良さを兼ね備えていて、文句のない状態だ。
わが田邊ギターは製作から10年を過ぎ絶好調。
2011年田邊工房を地元の新聞社が取材したときの動画。
http://www.shimotsuke.co.jp/dosoon/town/ashikaga/official/20110405/489977
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数日前の記事でブログランキング・バナーのクリックをお願いしたところ、さっそく通常より多くのカウントをいただいた。厚く御礼申し上げます。日々のクリックカウント1週間分の累計で順位が決まるシステム。どうか引き続きご協力を。
さて、先日届いたお楽しみアイテムを引き続き検分中。今夜はその中の大物、ゼンハイザーHD800のファーストインプレッションを記しておく。
ヘッドフォンは長らくソニーのド定番:MDR-CD900を使ってきた。少し前にはスタックスの初期型を手に入れて併用。そのいずれもが音源モニター用としての正確無比な再生音で満足していた。しかし一方で、より積極的にスピーカーリスニングの代替をヘッドフォンに対して求めたくもなり、もう少し<作られた音>のモデルを随分前から物色していた。具体的には、解像度を落とすことなく、音の前後左右への広がりやゆったりとして低音の量感を持ち、長時間のリスニングで頭も耳も疲れないモデルをと考えていた。こうした条件を満たすモデルとなると、スタックスのコンデンサ型最新モデルか、通常のダイナミック型の大型開放型ユニットを持つモデルに絞られる。
あれこれ行きつ戻りつして最後に選んだのが独ゼンハイザー社のHD800だ。直前まで同社のHD650、オーディオテクニカのATH-AD2000Xあたりが候補として残った。HD650はゆったりとした低域と全帯域でマイルドな音調で魅力的だったし、AD2000Xは高い解像度と音の広がりを兼ね備え、3Dウィング方式のヘッドサポートは抜群の装着感で大いに迷った。結局最後は総合点とゼンハイザーというブランド力で決定。ちょっとした小型スピーカーシステムが買える程の価格ではあったが、1万円キャッシュバックキャンペーンとやらにも背中を押されて一件落着となった。

先日のカナル型イヤホン>Shure535の記事にも書いた通り、まだまともにヘッドフォンをドライブ出来るハードウェアがなく、相変わらずノートPCのイヤフォン端子に差し込んでの検分。HD800には申し訳ない状況で聴いている。何せHD800は使っているノートPC3台分の価格。しょぼいイヤフォン端子でオイラを聴くとは、いい度胸。たいがいに加減にしろよ…と言われそうな状況だ。試聴には聴きなれている写真の盤を使用。ソニーCD900と差し替えながら相対比較ということでHD800のご機嫌を伺った。

CD900は中々高解像度で、低域の量感こそ控え目だが、40Hzの以下のローエンドまでレスポンスするし、装着感も悪くないし…と思っていた。が、こうしてHD800と比べると、やはり完敗だ。格下といわざるを得ない。CD900の名誉のために言うならば、そもそも土俵が違うのだ。
最初HD800を耳に被せ、PCのマウスをクリックしたとき、Windowsのピンッポンッというシステムエラー音が、ヘッドフォンの外から聴こえてきて、あれPC本体のスピーカーはならないはずなのに…と思った。よく聴くと音はヘッドフォンから出ていた。つまりヘッドフォンからの音の定位が頭の真ん中に集中しせず、周囲に広がる。もう20年以上前に初めてスタックスのコンデンサ型を使ったときのことを思い出した。

実際の音楽を聴いていても、その印象は変らない。CD900が高い解像度をキープしながらも、音が中央に集中するのに対して、HD800は広く分散するように聴こえる。そのことで、一層音の解像度が上がったように感じるのだ。オーケストラなど、音の数と種類の多い音源では特に顕著にその違いが分かる。各パートが明澄に分離し、かつトータルの響きが豊かに広がる。CD900は高い解像度と狭い音場ゆえに、音楽に集中することになり、いささか疲れることもあるが、HD800ではそれがない。明瞭に聴こえながら広がることで、リラックスして音楽を聴ける。低域の再現性は30Hzまで十分聴き取れる。量感はHD650に比べると少し少なめかもしれないが不足感はない。よく締まっていて、低音域のボリューム感が中音域以上の帯域を邪魔することがない。CD900から切り替えて、PCのボリューム設定をHD800用に上げてみるが、どうしても音量が下がったように聴こえる。これは音量そのものではなく、高い分解能を維持しつつ、音場が広がり、音の見通しが良くなることから、相対的に音量が小さめに感じるのだと合点した。適切なハードウェアでドライヴすると、きっといくら音量を上げてもうるさく感じない、そんな状態になりそうだ。
…ということで、いささか安直な条件下でのインプレッションだが、ゼンハイザー社フラグシップモデルの実力の片鱗を垣間見た感じがする。それにしても、以前はほんのアクセサリーだったヘッドフォンも昨今、オーディオアイテムの一角を確実に占めるようになった。各社のハイエンド機は当然6桁プライス。高いなあと感じていたスタックス製品も、今や普通の価格帯に感じる(スタックスもそう感じたのか、少し前に40万円近いハイエンド機を出した)。もっともHD800並の音の質感をスピーカーで実現しようとしたら、アヴァロンかウィルソンオーディオ辺りのハイエンド機が必要になるだろう。HD800は少々贅沢な買い物だったが、納得して愛用することにしよう。
秋葉原のヘッドフォン専門店による紹介動画。
オーディオの情報サイトにあるレヴュー
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きょうの関東地方は15日に続いて低気圧が通過。その後、午後から一気に気温低下し、寒い一日となった。昼をはさんで野暮用を片付け、夕方からの時間も空いたので、今夜当地で行われた群馬交響楽団の演奏会に行ってきた。少し前に帰宅。遅い夕飯を取ってひと息ついたところだ。

今夜の演奏会は定例の定期とは別枠のもの。新進気鋭のヴァイオリニスト:成田達輝(たつき)が来演。指揮は湯浅卓雄。現在もっとも国際的に活躍する日本人指揮者の一人だ。 プログラムは以下の通り。ブラームスとメンデルスゾーンという、ドイツロマン派の前期と後期を代表する作曲家の、しかも共に傑作中の傑作。ぼく自身ももっとも好きなロマン派の曲ということもあって大いに楽しみにし、会場に向かった。
メンデルスゾーン:序曲<リュイ・ブラース>
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
―休憩―
メンデルスゾーン:交響曲第三番イ短調<スコットランド>
成田達輝は2010年ロン・ティボー、2012年エリザベートで共に二位となり脚光を浴びた。1992年3月生まれで、まだ若い。札幌で生まれたが、中学1年のときに父親の仕事の関係で当地群馬へ移り住み、5年半を過ごした。中学校は前橋市内の公立中学に通い、高校から桐朋女子高校音楽科へ。東京調布市にある桐朋まで毎朝6時半の電車で前橋から通ったという。「前橋はぼくのふるさとです」と本人談。現在はパリ在住。
ブラームスを弾くのは2回目だそうだが、もちろん堂々とした弾きぶり。すでに国内外で多くのリサイタルやオーケストラとの共演も経験済みで不安な様子などみじんも無い。会場音響の影響か、使用楽器ガルネリの性格なのか、彼の持ち味なのか、きょう聴いただけではぼく自身よく分からないのだが、ブラームスのコンチェルトと聴いてイメージする、男性的で雄渾な響きとは違っていて、どちらかといえばリリカルな表現。音の線も細く感じた。特に第1楽章は動的というよりは静的で、落ち着いた弾きぶり。ただ、決してネガティブな印象ではない。長い第1楽章を楚々と抒情的に表現する解釈もある。第2楽章はそうした特質がよく合っていたし、転じて第3楽章では、身体でリズムをとるほどノッて弾いていた。アンコールで弾いたパガニーニのカプリース第1番と第2番も、もちろん技巧的な曲だが、いたってさらりと涼しげに弾いているのが印象的だった。ステージマナーも礼儀正しくかつフランクな雰囲気で好感がもてた。いずれにしてもまだ22歳という若さ。そして長身でステージ映えもするイケメンだ。今後ますます活躍することと思う。
メンデルスゾーンの<スコットランド>は、湯浅自身がBBCスコットランド響の首席指揮者であったことや、イギリスや北欧のオケとの関係が深いこともあって、まさに手の内にある曲。スコットランドの自然描写そのもののような曲想も、実感としてよく分かることだろう。大好きな曲の一つなので、ぼくも心の中で鼻歌を歌いながら聴いていたが、随所の決め所での処理も違和感なく、この曲の魅力を十分表現しつくしていたと思う。群響は特に弦楽セクションが秀逸で、この曲でしばしば出てくる弦楽パートの美しいメロディーを、よく整ったピッチとアーティキュレーションで弾いていた。
重量級の2曲が終わり、更にアンコールとしてベートーヴェンの<プロメテウスの創造物>序曲が演奏された。若い気鋭の奏者とベテラン指揮者の味わい。凍てつく夜の充実したコンサートだった。
2010年ロン・ティボー国際音楽コンクール。シベリウスVn協フィナーレ。
2012年エリザベート王妃国際コンクールでのブラームスVnソナタ。
メンデルスゾーンのVn協
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下戸のぼくには珍しく、きのうきょうと続けて飲み会。程々に楽しく過ごして帰宅。しかし…疲れましたヨ~。飲兵衛諸氏はこの疲労感も楽しみのうちなのか…わからん(^^;
さて、あすは休み。日付がまもなく変る時刻。きのう到着したお楽しみの腑分けをしつつ夜は更ける…
きのう到着したお楽しみグッズの中の一つ、ジョージ・セルとクリーヴランドのハイドン交響曲録音を集めた4枚組セットから第92番<オクスフォード>を取り出した。いつもならオーディオセットのスイッチを入れて、少々暖まるのを待つ…となるのだが、今夜はCDをノートPCのドライブに入れ、イヤフォン端子にきのう届いたshureのイヤフォンSE535を差し込んだ。

shureのイヤフォンはちょっと特殊な装着スタイルが推奨されている。いわくshure掛け。羽生くんも…

実はお楽しみのアイテム、shureのイヤフォンとゼンハイザーのヘッドフォンの音をきちんと確認したかったのだが、メインのオーディオセットであるLUXMANのアンプL-570にもCDプレイヤーD-500にもヘッドフォン端子が付いていない。よりピュアな再生を目指して本来の再生機能以外のものは極力排したというわけだが、まあそういうストイックなポリシーをPRに使おうというものだろう。実態として、ドロップ抵抗式や簡単なオペアンプによるヘッドフォン端子くらい付けたところで、スピーカーからの音質をそぐほどのことはない。しかし、無いのだから仕方ない。今回のイヤフォンとヘッドフォンの調達に合せてヘッドフォンアンプも同時に手に入れるつもりでいたが、中々機種が決まらず時間切れ。拙速に怪しいモデルを掴むのもナンだなあと思い長考モードに。仕方なくPCのイヤフォン出力で聴くにいたったという御粗末。何故またイヤフォンとヘッドフォンを同時に、しかも結構なハイエンドモデルを…という件に関しては機会を改めて。
さてセルの<オクスフォード>。予想通りというか期待通りの展開。第1序奏から、過度に意味深長になるのを避けつつも、各声部の掛け合いが緊張感をもって提示され、主部に入る前からぞくぞくと背中に電気が走る。主部に入ってからは一切の弛緩なく、古典の造形と近代オーケストラの機能美による最高レベルのコラボレーション。見事というしかない。中間楽章もよく歌い、よく踊るが、衿を正した基本姿勢は変らず。妙に媚びたりしない古武士のような風情もこのコンビの持ち味だ。終楽章は一段と疾走感を強め、途中のフーガも一気呵成に、しかし浮かれずに大団円を迎える。
shure535の音は、もちろん大型ヘッドフォンと比べると低音も音の広がりもイマイチという気もするが、装着感や遮音性といった、ぼくがこのモデルに期待していた要素を加味して考えると問題なく及第点。これまで10年近く使っていた、3千円程度のソニーのイヤフォンと比べると、もちろん雲泥の差だ。遮音性にこだわらなければ、通常のダイナミック型のドライバーによるモデルで、さらに豊かな音を出すモデルはあるから、このshureが万人向けとは思わないが、バランスド・アーマチュア方式としての完成度は十分に高いと思う。 セルのハイドンを聴いていても、ヴァイオリン群や木管群のトゥッティもよく分離するし、コントラバスの基音もきちんと把握できて、音楽全体の骨格と響きの肉付けを感じ取れる。遮音性も完璧といってよく、ノイズキャンセルモデルは不要かと思わせるほどだ。
shureの535は数年前まで同社のトップモデルだった。今はさらに上位のモデルもあるし、535のスペシャルエディションなるものもあって迷ったが、地味な色使いも好感し、程々のところで手を打った次第。ノートPCのイヤフォン端子ではなく、もう少しまともなドライブを試みた上で、改めての評価したいと思う。
今どきの若いオニサン、オネエサン。スマホや携帯プレイヤーにお気に入りのイヤフォンを挿して聴くのが当世流。モデル435と535の聴き比べや如何に。
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Amazonよりアレコレお楽しみ到着!
順次実戦配備へGo!
なになに…

フムフム…

オオッ! shure 535

ワ~オッ!! SENNHEISER 800

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新年明けて十日が過ぎた。すっかり仕事モードの日々。関東地方は数日おきに気圧の谷が通過する際に少し崩れる以外、ほぼ安定した冬型の天気で乾燥した晴天が続いている。寒さはこれからのひと月がピークだ。
週末土曜日。昼を挟んで野暮用外出。帰宅後は年末年始の続きで少し録画してあったTV番組を観る。NHKの<ブラタモリ>復活第1回京都編、それと年始に再放送された以前のベストテイク編。昨今テレビはほとんど観ないが、<孤独のグルメ><ブラタモリ>そんな路線の番組は唯一の例外だ。 さて夜更けて音盤タイム。数日ぶりのアンプの灯を入れ、こんな盤を取り出した。

小澤征爾とベルリンフィルによるワグナーの管弦楽曲集。1989年6月ベルリン録音。廉価盤や再発盤専門のぼくにしては珍しく、発売されてほどなく手に入れたもの。今はミドルプライスで入手可能な様子。収録曲は以下の通り。
1. 歌劇≪さまよえるオランダ人≫ 序曲
2. 歌劇≪ローエングリン≫ 第1幕への前奏曲
3. 楽劇≪ニュルンベルクのマイスタージンガー≫ 第1幕への前奏曲
4. 歌劇≪タンホイザー≫ 序曲
5. 楽劇≪トリスタンとイゾルデ≫ 前奏曲
6. 楽劇≪トリスタンとイゾルデ≫ 愛の死
小澤は70年代からベルリンフィルには度々客演していて、ぼくの学生時代の70年代半ばにも、NHKFMで現地でのライブ録音が何度も紹介されていた。当時の記憶を思い起こしてみると、ともかく音楽の流れ、あるいはノリといった方がいいかもしれない、そうした要素を強く感じる演奏だった。まもなく90年代に入るという時期のこの演奏も、その路線の延長線上にある。
ワグナーと聴いてイメージする、あるいは少なくもとぼくの世代以上にはほぼ共通認識としてあるワグナーの特質からは少し距離がある。音色は明るく、フレーズはもたれずに流れる。これをもって軽量級という言い方もあるかもしれないが、ぼく自身はそうは感じない。何故なら、出てくる音はベルリンフィルそのもので、低弦群や金管群の重量感は圧倒的。中低音の分解能に難のあるタンノイの特性とも相まって、ドロドロとしたやや古めかしくどっしりした響きが部屋に満ちる。重量級かつ高性能のオケを、スッキリとした造形と明瞭な組立てでコントロールした演奏という感じだろうか。<オランダ人>はどっしりとしたスケール感に乏しい。<タンホイザー>は呼吸の浅さが気になる。<トリスタン>は耽美的な雰囲気に欠ける。しかしベルリンフィルの音は常に最上だ。その意味でこの盤は、小澤を聴くというより、1989年時点のベルリンフィルとフィリップスの録音を確かめると言った方が適当かもしれないし、小澤の指揮はベルリンフィルの持ち味をよく引き出しているとも言える。しかし、音楽としてじっくり向き合って聴こうとしたとき、同じベルリンフィルを振ったテンシュテットの演奏を聴いたあとでは、いささは分が悪いというの正直な感想だ。熱心な小澤ファンのひんしゅくを買いそうだが…
この盤の音源で<タンホイザー>序曲。
<タンホイザー>序曲とヴェヌスベルクの音楽。テンシュテット&ロンドンフィルによる1988年来日公演。
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