先日の記事に書いた、石原俊著『音楽がもっと楽しくなるオーディオ粋道入門』同様、この十年間、折に触れ見返している本がある。『スジガネ入りのリスナーが選ぶ<クラシック名盤この1枚>』(光文社・知恵の森文庫2003年刊)。

あまたある名曲案内のたぐいの中にあって、この本は中々ユニークな一冊だ。多くの案内本は、音楽評論家やその道のコアな達人の手になるもので、その書き手の意向と嗜好で曲が選ばれ、その曲を収録したディスクのお薦めの1枚が紹介される。オーディオ評論やレヴュー同様、時としてそれらの記述は、音楽レーベル会社の提灯記事になることもある。あるいはプロモーターが売り出し中のアーティストの盤が優先的に◎評価されることもあるだろう。これはクラシックばかりではなくすべての音楽ジャンルに共通した傾向だ。その点、この本は決定的に異なる。
音盤を推薦する記事を書いているのは、プロの演奏家、制作者、評論家ばかりでなく、ジャーナリスト、アマチュア音楽家、大手メーカー役員、教員、銀行マン、普通の会社とバラエティーに富む。共通しているのは只一点、音楽が好きで好きで仕方がない連中ということだ。記述内容も、その音盤との出会いを思い出話のように懐かしく語るものあり、その盤の演奏のどこが素晴らしいかを分析的に語るものあり、あるいはその盤の演奏によっていかに慰められ勇気付けられたかを語るものありと様々だ。そのいずれもが誰から頼まれたものでもなく、提灯を持たされたわけでもなく、兎にも角にもその盤が自分にとっていかにかけがいのない1枚かと熱っぽく綴っている。
従って、当然ながらその内容は時にマニアックで、ごく有り体の案内本を期待する向きには、濃すぎる内容もあるだろう。それでもこの文庫は、先んじて単行本で出たものを大幅に書き改めて、というと聞こえはいいが、実態としてはマニア度を薄めて(手心を加えて)出来たとのこと。長年に渡る愛好の結果のマニアであるから、執筆者の年齢は総じて高く、紹介されている音盤には現在では入手困難な古い盤も少なくない。それをもって、案内本の資格無しというなかれ。人を感動させる演奏は、日進月歩ばかりではないことの証明でもある。ぼく自身、この本で知り、出会った何枚かの盤があって、そのいずれをも、この十年間実によく聴いたものだ。発売直後の2003年に手に入れ、数多くの出張を共にしたため、背表紙もはずれかかっているが、同じページを何度読んでも、その時々で興味深く、今もときどき見返している。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
石原俊著『音楽がもっと楽しくなるオーディオ粋道入門』(河出書房新社2005年)。
十年前に出た本だが、ときどき見返している。

ちょっとしたオーディオファンなら石原俊(1957-)の名はご存じのことだろう。この本が出る少し前からオーディオや音楽関係の雑誌にしばしば登場するようになった。オーディオ評論家という肩書が真っ先に付されるだろうが、オーディオ機器や音楽そのものに加え、背景になる文化やライフスタイルにも目配せしながら、適確かつバランスのとれたコメントをする。またオーディオ機器やCD、カメラ等のレヴューの他、バーンスタインやラヴェルに関する翻訳本も手掛けている。この本は同氏の著作『いい音が聴きたい -実用以上マニア未満のオーディオ入門』(岩波アクティブ新書2002年)の続編として書かれたもので、出版された直後、出張先の本屋で見つけ、帰途車中の暇つぶしにと買い求めた。
この本はオーディオ機器のおすすめ指南書ではあるのだが、実際の機器ハードウェアの選定にあたって、聴く音楽の時代性、編成、内容についてかなり仔細に考察した上で、聴く音楽と聴く道具であるオーディオ機器の関係について書いているところがユニークかつ説得力に富む。例えば冒頭の章では、様々な楽器からなる大編成でダイナミックレンジの広い曲としてマーラーの<復活>が取り上げられ、曲の背景を述べたあと、具体的に楽曲のある箇所の弦や管の響きを取り上げ、そうした響きを聴くためのチョイスとして、解像度とダイナミクスに優れたアヴァロン社のシンボル2という当時の同社エントリーモデルを紹介、試聴インプレッションを記している(最近、ぼくがアヴァロン社のスピーカーに変えた裏には、この本の影響がある)。以降、取り上げられているシステムは…デスクトップのPCでヴェルディのオペラを見るための小型スピーカーとしてALRジョーダン社のエントリーS、古典的な響きでワグナーを聴くためにタンノイ社のスピーカー:サンドリンガム、モーツァルト<魔笛>での人物描写を忠実かつ中立的に表現するためのアンプとしてアキエフェーズのプリメインアンプE-212、濃厚なロマンティシズムを醸すブラームスの第一交響曲を聴くアンプとしてマッキントッシュMA-6500…といった具合だ。だからオーディオ機器と一緒に取り上げられている音楽そのものを知らないと、この本を読む楽しみは半減する。同時に本のタイトル通り、それぞれの音楽をそれぞれの機器で聴くことにまつわるスタイルや心意気を<粋道>として述べている。例えば、ミニマムながら極めてクオリティの高いスタックスのヘッドフォンシステムの項では、こんな風に結んでいる。少々スノッブな感じを持つかもしれないが、単なる、それも提灯記事のようなレヴューよりは、よほどイマジネーションに富んでいて、気持ちがいい。
―― 平日の昼下がりに、ぽかんとあいた時間ができる。夜はコンサートに行く予定。それまでの時間をどう使おうか。そうだ。コンサートの曲目の「予習」をしておこう。書庫からCDとスコアを取り出してくる。スタックスのヘッドフォンのスイッチを入れる。…中略…ヘッドフォンシステムとの上質な時間が流れていく。やがて「予習」が終わる。シャワーを浴びる。スーツとシャツを身に付け、ネクタイを結ぶ。コンサート会場へと赴く。…中略…そんな音楽とオーディオの付き合いができたら、それは、かなり粋なことだと、私は思う。 ――
安直な商品紹介本と思いながら手にしたのだが、十年に渡ってこの本をしばしば見返し、それに耐えうるというのは中々だと思う。その理由の一つが、具体的な商品はモデルチェンジしているものの、取り上げたメーカーがいずれも長い歴史を持ち、後継機種が存在し、現在まで商品コンセプトを変えずに生き延びているということがある。そのため現時点でも購入にあたっての指南書として有効なのだ。雑誌では一般的なオーディオ機器のレヴューや導入指南のたぐいも、商品サイクルの関係もあって、長期間流通することを前提とした単行本にはなりにくい。そんな中にあって、この本が十年に渡って版を重ねているのは貴重だ。とはいえ、初版から十年を数えることを考えると、その後のデジタルオーディオの環境変化や、アナログレコード復権等を勘案した続編を期待したいところだ。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
このところの連日更新が奏功したのか、ブログランキングも堅調で時々瞬間一位に。数字をみると、このブログに下方にあるランキングバナーを押してランキングサイトへ行く数(同サイトではINポイントと称する)より、ランキングサイトからこのブログへ飛んでくる数の方(OUTアウトポイント)がかなり多い。ランキングの中にある<注目記事>にリストされると、それをみてこちらをのぞいてくれる方が増えるようだ。まあ、お遊びなのでアップダウンでどうなるものでもないのだが、アクセス・コメント・拍手・ランキングバクークリック諸々引き続きヨロシクです。 さて、先日のマルティノン&VPOで久々に<悲愴>を聴いて、やはり名曲だなと感じ入り、今宵はこんな盤を取り出した。

ロブロ・フォン・マタチッチ(1899-1985)指揮チェコフィルハーモニーによる<悲愴>。1968年2月録音。手持ちの盤は十年ほど前に日本コロンビアの廉価盤シリーズ<クレスト1000>でリリースされたときの盤。かつてLP時代にも廉価盤で何度か出ていたので、その頃の盤をお持ちの輩も多いだろう。
ブルックナーやワグナーなどでスケール大きな演奏を聴かせたマタチッチだが、クロアチア生まれの彼にはスラヴの気質も息づいていたのだろう、古くからチャイコフスキー他のロシア物も得意にしていて、いくつか録音も残した。ほぼ同時期、来日した際にN響とも<悲愴>を演奏している(数年前にCDされた)。このチェコフィルとの録音もそんな中の一枚だ。
ひと言でいうと、マタチッチらしい骨太の演奏だ。各楽章ともやや速めのインテンポで通す。泣きが入るようなお涙ちょうだい風の歌わせ方はほとんどない。録音のバランスもあってか、各パートの分離、フレーズの出入り共に明快。同時に、N響とのブルックナーやワグナーほどのゴツゴツとした手触りではなく、引き締まった響きながら、演奏自体はしなやかさをも感じさせる。同じチェコフィルとのほぼ同時期の名演、ブルックナー7番(1967年録音)と比べると、低弦群のボリューム、残響共に控えめだが、アクセントや他のパートとのバランスの中で低弦群の骨格は明確に示されている。そうした音響バランスと、前述した演奏の組立てが相まって、総じて辛口の印象を受ける。その辛口さこそが、響きを肥大化させずに逞しい骨格でスケール大きな演奏を成し遂げたマタチッチの真骨頂だろう。
マタチッチとブダペスト交響楽団とのライヴ。一時期非正規盤で出ていたもの。第4楽章。出だしのフレーズからビックリ!初めて聴いたとき、これがマタチッチ?と驚いた。実にしなやかで流麗な響き。オケも健闘。1978年のライヴとあるが、詳しいことは寡聞にして不案内。
同第2楽章。ライヴ録音のためやや弦が遠いバランスだが、雄弁なチェロ、よく溶け合う木管、いずれも秀逸。
◆他の楽章もこちらからどうぞ◆
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
野暮用続きの週末が終わり、まもなく日付が変わる時刻。あぁ疲れたなあと、大きな溜め息一つ。加えて、暑い夏なんて大嫌いさ!と思いつつも、暑さ程々の日が続くと、夏も終わりか…と、青春カムバックのセンチメンタルな気分に。そんなオジサンの今宵の一枚は…

チャイコフスキーの交響曲第六番ロ短調<悲愴>。ジャン・マルティノン指揮ウィーンフィルハーモニーによる1958年の録音。手持ちの盤は70年代終わりに出ていた廉価盤。近所のリサイクルショップのジャンク箱から@150円也で発掘してきた盤質良好の拾い物。
このブログで<悲愴>について書いたのは、フリチャイ&ベルリン放響盤を取り上げた、ただ一度だけだったと記憶している。<悲愴>は若い頃の一時期よく聴き、手元にも何枚か音盤があるのだが、歳を重ねるにつれ、次第に聴く頻度が少なくなってきた。<悲壮>=暗い、重い、といったステレオタイプな感覚はないのだが、どこか積極的に聴く気分にならなくなって久しい。今夜こうして聴くのは、本当に何年ぶりのことだろうか。
この盤が英デッカの辣腕プロデューサ:ジョン・カルショウの手になる名盤と随分前から知りつつも、実際に手に入れたのは十年ほど前のことだ。マルティノン(仏1910-1976)、ウィーンフィル、チャイコフスキーという組み合わせからは、一般的には名演が生まれるとは想像できなかったことも、この盤を手にするのが遅くなった要因の一つでもあった。
確かに名演である、そして異色の演奏でもある。この曲で一般的にイメージする暗さや重さといった要素は希薄。変わって印象的なのは、この曲の旋律が持つしなやかなさや、綾織のような各パートのハーモニーだ。マルティノンは重層的な音楽を作るつもりはなく、次々に現われるモチーフを印象的に提示する。テンポはしばしば大きく動き、ハッとするような各パートバランスも耳につく。そうしたマルティノンの意図が、当時のウィーンフィルの明るく艶やかな音色と英デッカの明晰な録音とが相まって、一層明確に提示される。結果として、繊細かつメランコリックな表現につながり、重さではなく、軽さをもって<悲愴>を表現しているように聴こえてくる。
LP盤の音源。第1、2楽章。冒頭かなり間があって25秒過ぎから始まる。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
先日、某楽器店でヤマハのギターを試奏する機会があった。
ヤマハが本格的なクラシックギターを作り始めたのは60年代後半。他の楽器同様、様々なラインナップを持ち、お手軽な量産ギターから本格的なハンドメイドまで広く手がけていた。70年代にはスペインの製作家を社内に招いたり、反対に社員をスペインに長期派遣するなど、本腰を入れていた時期もあった。また豊富な材料ストックや様々な研究開発・量産への投資などは、個人製作家やガレージメーカーの及ぶところではなかった。しかし、ヤマハのクラシックギターに対するプロや上級アマチュア連中の評価はいま一つで、同社系列音楽教室の生徒用という域を出ない感があった。

ぼく自身もこれまでヤマハのギターは何度か弾いたこともあったが、あまり感心したことがなかった。唯一、好感をもって欲しいなあと思ったのは、エルナンデス・イ・アグアドのギターに範を取った80年代初頭に出ていたGC-30Bというモデル。これはその後もモデル名を変えて(生産終了となった数年前にはGC-61)、ヤマハのギターの中ではもっとも評判のいいモデルの一つだった。やや大型のボディーながら比較的軽く作られ、反応のいい高音とふっくらとした低音を併せ持っていた。そのモデルは開発を担当した同社の江崎秀行氏の名を冠して、江崎モデルと通称されたが、江崎氏が定年退職したあと、そのモデルは生産終了となってカタログから消え、ヤマハのHPにあった70年代の江崎氏のスペイン派遣やそれにまつわる開発秘話も消えることになった。企業としては仕方ない処置だろう。江崎氏はその後浜松に工房を構えてギター製作を始め、現在に至っている。
今回試奏したのは、そうした<江崎氏以降>のリニューアルしたヤマハのラインナップの中で実質的なトップモデルとなるGC-82。GC-82は希望小売価格115万円(ケース付)と、国産手工ギターの特注品を除く一般カタログ品のトップレベル相場にほぼ並ぶ。GC-82の上にはGC-70/71というモデルもあるが、これは以前からの継続モデルで受注生産となっている。材料は表板がスプルースまたは杉、横裏にはマダガスカルローズが使われている。糸巻きはゴトーの35G510QCで操作感はきわめて良好。塗装は全面セラックで塗られている。
抱えたときの第一印象は、大きさ重量もごく標準的で身体にスッと馴染む感じで悪くない。仕上げや造形の美しさ、使用材料の良さは、さすがヤマハだ。さて肝心の音は…。以前のヤマハギターに感じていた「どこか反応が鈍く、音のノビ、余韻に乏しく、弾きながら少々力づくになってしまう感じ」が影をひそめ、反応よく軽く弾いてもよく音が出る印象。今回のフルモデルチャンジに際して、様々な改良が加えられたことを実感するものだった。HPによれば、GC-82Sはサントス・エルナンデスやハウザー1世、82Cがマヌエル・ラミレスの音をイメージしていると記されている。しかし反応がいいといっても、例えばぼくが使っている楽器のうち、同じようにハウザー1世などのやや古めの楽器を志向している田邊雅啓氏やゲルハルト・オルディゲスのギターほどの反応の良さ、どっしりとした低音ながら全体としては軽みのある響きには至っていない。
量産という制約から<丈夫かつ均一>に作る必要性があるためだろう、そうした20世紀初頭の名器ほど<軽くかつ柔らかく>作れないのだろう。そうした<がっしり>感が音にも反映されている。その辺りは、例えば同じように<丈夫かつ均一>に作られている河野桜井ギターにも通じるし、個人の製作家において、製作本数が年間5本の人と20本の人との違いにも共通する。少々ラフに扱っても丈夫で狂わず、現代的なパワープレイにも対応する良質な楽器、という観点からは、ヤマハの新モデルも悪くない選択だと感じた。
GC-82でバリオス<フリア・フロリダ>を弾くベルタ・ロハス。
3分間でみるヤマハGCギターの製作工程。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
きょう日曜の午後は群馬交響楽団(群響:グンキョウ)の演奏会へ。当県北部の草津温泉で行われる草津国際音楽アカデミー&フェスティバルのプレコンサートの位置付けで、毎年お盆のこの時期に開かれるサマーコンサート。今回は、同アカデミーの講師陣の中から、クラリネットのカール・ライスターと指揮者のアントニ・ヴィットが来演した。

プログラムは以下の通り。
===========================
ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」(1919年版)
モーツァルト/クラリネット協奏曲 イ長調 KV622
―休憩―
ベートーヴェン/交響曲 第6番 ヘ長調「田園」 作品68
---------------------------
クラリネット:カール・ライスター
指揮:アントニ・ヴィット 管弦楽:群馬交響楽団
2015年8月16日 群馬音楽センター
===========================
カール・ライスター(1937-)は言うまでもなくカラヤン時代のBPOクラリネットトップとして活躍した、まさにミスター・クラリネット。指揮者のアントニ・ヴィット(1944-)はポーランドの重鎮にして、日本のオケへの客演やナクソスレーベルでの多くの録音で有名だ。
実はカール・ライスターと群馬交響楽団には30年余のつながりがある。
80年代初頭、群馬交響楽団の音楽監督になった豊田耕児が、カール・ライスターを招聘してモーツァルトの録音を行った。豊田耕児は当時、ベルリン交響楽団のコンサートマスターとして活躍中であったが、群響からの猛烈ラヴコールに応えて音楽監督に就任。以来、アンサンブルや音色、オーケストラの基本を徹底的に叩き直し、短期間のうちに同団のレベルを商業録音が可能な状態にまで引き上げた。そうして行った一連の録音の中に、カール・ライスターをソリストに迎えたモーツァルトとメルカダンテの協奏曲があったのだ。当時のカール・ライスターと言えば、カラヤン&ベルリンフィルと共にその絶頂期で、そんな世界的なソリストが、極東の片田舎のオケに来演し、しかもレコーディングまでするというのは驚きだった。当時ぼくは社会人になりたての頃で、そのレコードも買い、コンサートにも行った。あれから30年余。78歳になったカール・ライスターを再び群響のステージで聴けるだけでも、きょうの演奏会の価値は十二分だ。
お盆休みのサマーコンサートということで15時開演のマチネ。草津のイベント関係も多かったのか、1900名収容の群馬音楽センターは9割ほどが埋まり、お盆の最中、真夏のコンサートにしていは上々の入りだろう。 <火の鳥>は少し前に新日本フィルの演奏会で聴いたばかり。きょうの群響の演奏も負けずに立派なもの。12型(12-10-8-8-6)の編成ながら、弦・管・打のバランスはよく練られていて問題なし。アントニ・ヴィットの解釈は、この曲を古典的なスタイルにとらえ、大げさなテンポ変化を持ち込まず、大見得を切るような場面もなく、整然としてスタイリッシュなもの。ぼく自身の好みからすれば、もう少し濃厚な色付けが欲しかった感もある。
続いてカール・ライスター登場。胴回り120センチはあろうかという堂々たる巨体(^^;。30余年前と同様、指揮者横の椅子に座っての演奏だ。オケは10型(10-8-6-5-3)。モーツァルト晩年の、明るさの中にも憂愁が宿るオケの導入部に続き、カール・ライスターのソロが入る。78歳の年齢によるものかどうか、定かではないが、ぼくの予想をまったく覆すような、静的とも言えるほど穏やかな演奏で驚いた。現役バリバリの頃は、その完全無比なテクニックから、ややもすれば技巧優先の演奏と評されたと聞くが、きょうの彼をみると、穏やかに丁寧に、一音一音大事にしながら吹いているという印象を受けた。ステージ登場した際、そして演奏後、観客や団員に深々と丁寧に頭を下げる様子に、演奏同様、謙虚で温和な現在の彼が見て取れた。
休憩をはさんで<田園>。
オケは12型に戻り、かつ第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれる対向配置に変更(左からV1-Va-Vc-V2。CbはVcの後方)。<火の鳥>では古典的なアプローチを採ったヴィットだが、ベートーヴェンでは打って変わって、この曲のロマン派的側面を強調するようにな解釈。第1楽章からやや速めのテンポと時にうねるようなディナーミクで、この曲で時に感じる、焦点の定まらない凡庸なイメージをまったく感じさせない。特に第3楽章から嵐の第4楽章を経て終楽章に向かう下りは、雄弁なティンパニの活躍もあって劇的な場面展開。加えてきょうはコンサート冒頭から木管群、特にオーボエが絶好調で、この曲の標題音楽的側面を一層際立たせてくれた。
17時終演。カール・ライスターとの35年ぶりの再会に、自分もすっかり歳を取ったことを実感しつつ家路についた。さて、そんなことを思いつつ、ライスター&群響の当時の盤に針を降ろそうか…
カラヤン&BPOがオケ首席奏者(カール・ライスター、ローター・コッホ、ギュンター・ピースク他)をソリストに録音したモーツァルト管楽協奏曲集の中のもの。 1971年録音。
クラリネット・マウスピースのメーカー:バンドーレン社のプロモーション。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
ここ二日ほど時折り小雨まじりの日が続き、暑さも僅かだが小康状態。きょうは少し気合を入れて居残り仕事。九時半過ぎに帰宅した。ひと息ついて、ボチボチ日付が変わる時刻。あまり音楽を聴く気分ではなく、所在無くPCでネット巡回。いくつか気になるネタがあったので、その中から。

2007年に発売されたグールドのコンプリートボックス。ぼくは発売直後に手に入れたのだが、その後廃盤となり、買い逃した輩も多い様子。そんなア・ナ・タ…に朗報!すでにご承知の方も多いかもしれないが、この9月にほぼ同内容のコンプリートボックスが発売されるとのことで、現在大手CDチェーンやアマゾンで予約受付中だ。
グレン・グールド・リマスタード~(81CD)
ザ・コンプリート・ソニークラシカル・アルバム・コレクション
・24cm×24cmサイズのハードカヴァー別冊欧文解説書付き
・日本語スペシャル・ブックレット付き
・初出LPデザインによる紙ジャケット仕様
・サイズ: 横 26.3 cm x 縦26.3 cm x 高さ 16.7 cm 重量: 5.35 kg
…と、中々魅力的なスペック。81枚セットで2万6千円也。USBメモリー媒体のハイレゾファイルでの提供もあって、こちらはほぼ倍の価格。2007年に出たセットとの相違もコメントされている。こんな具合だ。
================================
「オリジナル・ジャケット・コレクション」(2007年/80枚組)との差異
● 全点新規DSDリマスタリング → 2007年盤はSBMマスタリング
● 1955年の「ゴルトベルク変奏曲」はモノラル盤と疑似ステレオ盤の2種類を収録 → 2007年盤はモノラル盤のみ
● 1981年の「ゴルトベルク変奏曲」は、デジタル・マスターと並行して収録されていたアナログ・マスター素材から、グールドやサミュエル・H・カーターの使った編集用のスコアをもとに編集、DSD化した音源を使用 → 2007年盤はデジタル録音のオリジナル・マスターを使用
● 「グレン・グールド、ドイツ語でバッハを語る」「グレン・グールド、ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番を語る*」「グレン・グールド、ベートーヴェンの熱情・悲愴・月光を語る*」「グレン・グールド、シェーンベルクを語る**」をDISC81に収録(**は世界初CD化/*日本でのみCD化されていた音源) → 2007年盤は収録ナシ
● ブラームスの間奏曲イ長調 op.118-2の別録音も収録 → 2007年盤は収録ナシ
● グールド没後に発売されたソニー・クラシカル音源は収録ナシ → 2007年盤はグールド没後に発売されたバッハのイタリア風アリアと変奏ほか、トロント響メンバーを指揮したワーグナーのジークフリート牧歌も収録
================================
最大の違いはDSDリマスタリングが施されたことだろうか。さて、それでどれほどの音質改善が成されるのか不明だが、少なくても前回のセットを買い逃した人には朗報だ。価格も前回より下がっている。ぼく自身は、前回のセットでこれといった不満も無いので触手は動かないが、もし手持ちのボックスセットを誰か譲り受けてくれるという話でもあれば、買い換えようかとも思うのだが…

ついでにHMVのサイトを見ていたら、ブロムシュテット&SKDのベートーヴェンとシューベルトも再発されるとのこと。こちらもリマスタリングを売りにしている。ベートーヴェンの方は、10年程前にブリリアント・クラシックから出た激安ボックスで手に入れたのだが、知人に譲ってしまい、現在手持ちにない。シューベルトのセットをスウィトナーかブロムシュテットで手に入れたいと思っていたので、こちらはひとまず購入予定リストに入れることにした。
ブロムシュテット&SKDのベートーヴェン交響曲全集
ブロムシュテット&SKDのシューベルト交響曲全集
サイモン・ラトルとBCSOの全録音52枚セットなども、ちょっと触手が動く。ぼくはこのコンビのマーラー全集を持っているので、迷うところだが、もしマーラーをまとめて聴きたいということなら、ついでにシベリウスや近現代の管弦楽曲を含む、このコンビのセットは魅力的だ。その他HMVやタワーレコードのサイトは、相変わらずボックスセットのオンパレード。もう音盤は増やさないと心に誓ったはずだが、議員定数削減の如く、○増○減でトータル減ならいいのではないかと、勝手な理屈をこねている。
★★追伸★★
ブログランキングポイントは下降傾向。引き続き、下記のバナークリック<一日一打>のほど、お願いいたします。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-