マルティノン&VPOの<悲愴>
野暮用続きの週末が終わり、まもなく日付が変わる時刻。あぁ疲れたなあと、大きな溜め息一つ。加えて、暑い夏なんて大嫌いさ!と思いつつも、暑さ程々の日が続くと、夏も終わりか…と、青春カムバックのセンチメンタルな気分に。そんなオジサンの今宵の一枚は…


チャイコフスキーの交響曲第六番ロ短調<悲愴>。ジャン・マルティノン指揮ウィーンフィルハーモニーによる1958年の録音。手持ちの盤は70年代終わりに出ていた廉価盤。近所のリサイクルショップのジャンク箱から@150円也で発掘してきた盤質良好の拾い物。
このブログで<悲愴>について書いたのは、フリチャイ&ベルリン放響盤を取り上げた、ただ一度だけだったと記憶している。<悲愴>は若い頃の一時期よく聴き、手元にも何枚か音盤があるのだが、歳を重ねるにつれ、次第に聴く頻度が少なくなってきた。<悲壮>=暗い、重い、といったステレオタイプな感覚はないのだが、どこか積極的に聴く気分にならなくなって久しい。今夜こうして聴くのは、本当に何年ぶりのことだろうか。
この盤が英デッカの辣腕プロデューサ:ジョン・カルショウの手になる名盤と随分前から知りつつも、実際に手に入れたのは十年ほど前のことだ。マルティノン(仏1910-1976)、ウィーンフィル、チャイコフスキーという組み合わせからは、一般的には名演が生まれるとは想像できなかったことも、この盤を手にするのが遅くなった要因の一つでもあった。
確かに名演である、そして異色の演奏でもある。この曲で一般的にイメージする暗さや重さといった要素は希薄。変わって印象的なのは、この曲の旋律が持つしなやかなさや、綾織のような各パートのハーモニーだ。マルティノンは重層的な音楽を作るつもりはなく、次々に現われるモチーフを印象的に提示する。テンポはしばしば大きく動き、ハッとするような各パートバランスも耳につく。そうしたマルティノンの意図が、当時のウィーンフィルの明るく艶やかな音色と英デッカの明晰な録音とが相まって、一層明確に提示される。結果として、繊細かつメランコリックな表現につながり、重さではなく、軽さをもって<悲愴>を表現しているように聴こえてくる。
LP盤の音源。第1、2楽章。冒頭かなり間があって25秒過ぎから始まる。
★★追伸★★
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