渡辺範彦(G)



きょうで二月も終わりだ。ここ十年ほど、うるう年のきょう2月29日になると思い出すことがある。
かつて嘱望されたギタリスト渡辺範彦が2004年のきょう亡くなった。たまたまその翌日、あるギター業界の関係者と会う用件があり、突然の訃報に互いに驚いたのを思い出す。あれから12年かあ…と思いつつ、今夜はこの盤を取り出した。


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渡辺範彦(1947-2004)の1968年4月東京文化会館でのライブを収録した盤で、1981年に日本コロンビアからリリースされたもの。収録曲は以下の通り。

 1. 魔笛の主題による変奏曲(ソル)
 2. リュート組曲第2番より;プレリュードとフーガ(バッハ)
 3. アストゥーリアス(アルベニス)
 4. 組曲イ短調(ポンセ)
 5. マドローニョス(トローバ)
 6. クリオロ風ワルツ(ラウロ)

渡辺範彦といえばぼくら世代のギター愛好家には説明不要のビッグネームだ。しかしその名前の大きさと実績に比べ、彼はおよそスター性や華やかなステージだけの存在からは最も遠いところにいた孤高のギタリストといってよい。この盤はそんな彼が翌年1969年にパリ国際コンクールで日本人として初めて優勝する前年の貴重な記録。そして完璧主義と言われた彼が弾き込んだお馴染みの曲が並ぶ。

針を落とす前までかつての記憶を頼りにもっと重厚な音を予想していたが、冒頭の<魔笛>から透明感あふれる音が、愛器;河野賢作のギターから軽やかにはじけるように響く。この当時に比べ現代ではソルにも様々なアプローチがあるが、60年代の後半の演奏としては異例なほど軽やかな演奏といえる。続くバッハのBWV997はニ短調にアレンジした版を使っているようで全体に響きが高音域に寄っていて、現代の耳には少々奇異に響く。この曲のプレリュードで渡辺はちょっとしたミスをしているが、それがこの盤で唯一のミスだ。この時代のギター演奏としては格別に技巧的完成度が高い。アルベニスもポンセもいたって誠実な演奏で、その音色と合せて楷書の趣きといってよい。中でも組曲イ短調の<サラバンド>で素晴らしく豊かな歌を聴かせてくれる。トローバのマドローニョスでは切れのいいタッチを駆使して、躍動感あふれる音楽を奏でている。

80年代初頭までテレビやステージで活動を重ねていた渡辺範彦であったが、次第にファンの目に触れる機会が少なくなり、また体調を崩したとも伝えられ、やがて2004年春、突然の訃報に触れることになる。享年56歳。多くのギターファンに惜しまれた晩年であり、急逝であった。その後かつてのいくつかの演奏が発掘あるいは復刻されCD化されたが、この盤はまだ復刻再発されていない。


この盤の音源を二つ。JBL4312から出る音をビデオカメラで録画した模様。
マドローニョス(トローバ)
https://youtu.be/7ENH6A-H5R4


組曲イ短調(ポンセ)からジーグ
https://youtu.be/XytISWMEaII



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バッハ カンタータ<いざ罪に抗すべし>BWV54



きょうは2月28日日曜は復活節前第4主日(四旬節第3主日)にあたり、バッハのカンタータではBWV54<Widerstehe doch der Sünde:いざ罪に抗すべし>が当てられていると知り、それではと、例によってブリリアント盤のボックスセットを取り出した。


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編成はアルト独唱とヴァイオリン・ヴィオラがそれぞれ2パート。それに通奏低音が加わる。曲はレシタチーヴォをはさんだ3曲からなり、全曲通しても12、3分ほどの曲。しかし、曲の規模に反して、その中身は十二分に濃く、充実している。テキスト通り、俗な罪と欲を戒めるかのように第1曲の冒頭から印象的な不協和音(属七)で始まり、その後も意表をつく転調や二度のぶつかり合いが頻繁に現われるなど、こちら側の耳と心の応答が追いつかないほどだ。ヴィヴァルディ四季の冬に似たこの冒頭のフレーズは第1曲全体を通じて奏され、一度聴いたら忘れないだろう。レシタチーヴォをはさんだ第3曲はテンポを上げて4声のフーガが展開される。3分足らずの曲だが半音階進行を伴う充実したフーガで、アルトパートも独立した声部が与えられ、他の器楽声部と対等に扱われているようだ。
ブリリアント盤の演奏は、この盤お馴染みのネーデルランド・バッハ・コレギウムという団体で、現代のメジャーな古楽団体と比べると、細かな技量や洗練さでは及ばないが、録音を含めた響きは美しく、素朴で日常的なバッハ演奏として十分楽しめる。


ポーランドの古楽団体による音源。カウンターテナーの歌唱。冒頭からなかなかアグレッシブな演奏だ。


冒頭の特徴的な和声ゆえか、グールドがこの曲を取り上げている。こういう曲でも彼は暗譜で弾いている。


楽譜付きの音源。



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キャスリーン・バトル&クリストファー・パークニング


二月最後の土曜日。朝はそこそこ冷え込んだが日中は穏やかな日和。野暮用少々で日が暮れる。夕方になって部屋を片付け、気分が清々としたところでアンプの灯を入れ、先日のベルガンサとイエペスの盤で、そういえば的に思い出し、こんな盤を取り出した。


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ソプラノのキャスリーン・バトルとギターのクリストファー・パークニングと協演した盤。1984年録音。以前一度記事にしている。
パークニングは70年代半ば、米国の若手ギタリストとして人気を博した。その後日本ではあまり話題に上らず10年近くがたち、この盤で久々に彼の姿を目にした記憶がある。バトルもこの時期の人気歌手だった。テレビCMにも出ていたし、カラヤンが一度だけ振ったニューイヤーコンサートにも登場した。この盤ではリリカルなバトルの歌で、ダウランドから近代スペイン、ブラジル物、黒人霊歌まだ多彩な曲が取り上げられている。中ではグラナドスの『ゴヤのマハ』やファリャなどのスペイン物、そしてヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第5番のアリアやエンリーケ、オヴァーレ、バローゾといったブラジル物がいい。楚々として、軽みのある歌いっぷりだ。ダウランドはさすがに当世の古楽歌唱などを聴いたあとでは、時代錯誤とは言わないまでも、いささか厚化粧に感じてしまう。

パークニングは日本で名前が知られ始めた頃、ギターよりもその甘いマスクで人気が出たものだ。元祖イケメンギタリストというところだろうか。下に貼ったYouTubeのスペイン舞曲の映像では随分と力の入った(入り過ぎた)弾きぶりだが、この盤ではあくまでバトルの伴奏者としての役割に徹していて悪くない。


この盤のアルバムタイトルにもなっているグノーのアヴェ・マリア。


YouTubeに結構な数がアップされているパークニングの演奏からスペイン舞曲第1番のデュオ。
スペインの薫りからいささか遠い演奏だが…


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サヴァリッシュ&バイエルン国立歌劇場管弦楽団 管弦楽名曲集


先日2月22日はサヴァリッシュの命日だった。まだ記憶に新しい三年前2013年のこの日、89歳で亡くなった。N響との演奏はテレビでしばしば、そして実演でも何度か接した。ぼくら世代の日本人にはもっとも馴染み深い外国人指揮者の一人だった。そんなことを思いつつ、手元にある彼の演奏から、こんな盤を取り出した。


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サヴァリッシュ(1923-2013)はミュンヘンに生まれ、長らく地元バイエルンの歌劇場の音楽監督も務めた。この盤はそのバイエルン歌劇場のオケによる管弦楽名曲集。数年前にタワーレコード・新星堂・山野楽器の共同企画で作られたシリーズの中のもの。1987年録音。このシリーズでは2枚がリリースされたが、すぐに廃盤。その後EMIから再リリースされ、現在は入手可能のようだ。収録曲は以下の通り。きょう聴いた第2集にはスッペ;軽騎兵序曲、エロール;ザンパ序曲、スメタナ;売られた花嫁序曲、ベルリオーズ;ハンガリー行進曲、シャブリエ;狂詩曲スペインといったよく知られたオーケストラピースが収録されている。

<第1集>
1. グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲
2. ボロディン:交響詩『中央アジアの草原にて』
3. ムソルグスキー/リムスキー=コルサコフ編:交響詩『禿山の一夜』
4. カバレフスキー:組曲『道化師』 op.26
5. プロコフィエフ:組曲『3つのオレンジへの恋』 op.33~行進曲/スケルツォ
6. リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 op.34
<第2集>
1. スッペ:喜歌劇『軽騎兵』序曲
2. エロール:歌劇『ザンパ』序曲
3. スメタナ:歌劇『売られた花嫁』序曲
4. スッペ:喜歌劇『詩人と農夫』序曲
5. オッフェンバック:喜歌劇『天国と地獄』序曲
6. ヴォルフ=フェラーリ:歌劇『マドンナの宝石』間奏曲
7. ベルリオーズ:劇的物語『ファウストの劫罰』 op.24~ハンガリー(ラコッツィ)行進曲
8. シャブリエ:狂詩曲『スペイン』

時にはこうしたオーケストラ曲を聴くのも楽しいものだ。通俗名曲などと言われることもあるが、通俗結構。オーケストラの音色、各パートの掛け合い、指揮者による料理の仕方など、聴きどころはいくらでもある。サヴァリッシュは正統派の独墺系指揮者というイメージ通り、いずれの曲でもまったく奇をてらわず正攻法のアプローチ。バイエルンのオケも実力は十分だ。チェロ・コントラバスの低弦群はどっしりとしているし、木管群のソロも鮮やかだ。しかも全体の音色は落ち着いていて弦と管がよくブレンドされていて安定したオーケストラサウンドが楽しめる。ぼくの好きなスメタナ;売られた花嫁序曲なども冒頭から快速調に進めるざわざわとした弦のうごめきがピタリと合い、そして切れのいいフリリアントのリズムが立ち上がるところなど、ぞくぞくするほどの緊張感。ハンガリー行進曲でも終始あわてず、立派な演奏だ。


N響を振ってこの盤にも収録されているエロール;ザンパ序曲を演奏している映像があったので貼っておく。1988年サントリーホールでの演奏。この時代のN響メンバーの顔が懐かしい。冒頭少ししたところでサヴァリッシュが指揮棒を落としてしまい、以降は棒なしで振っている。



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ベルガンサ&イエペス <スペインの歌>



次第に春の気配を感じるきょうこの頃だが、今朝の関東地方は所によって小雪が舞うほど。それでも日中は空気が緩み、真冬の険しさは遠くなった。さて二月も下旬。きょうもせっせと業務に精励。夜更けの音盤タイムには、何となく古風な響きが聴きたくなり、こんな盤を取り出した。


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スペインを代表するメゾ・ソプラノのテレサ・ベルガンサ(1936-)がギターのイエペス(1927-1997)の伴奏で、スペインの中世からルネサンス期の歌曲を歌っている1974年録音の盤。本来であればビウエラ(写真右)の伴奏が相応しいのだろうが、当時人気を博していた看板アーティストのベルガンサの相方として、10弦ギターで日本でも人気の高かったイエペスが選ばれたのだろう。少し細かくなるが収録曲は以下の通り。

01 アルフォンソ10世賢王:バラの中のバラ(Rosa das rosas)
02 ミゲル・デ・フエンリャーナ:アンテケーラの陥落(Pérdida de Antequera)
03 作者不詳:ディンディリンディン(Dindirindín)
04 アロンソ・ムダーラ:ダビデ王は悲しんでいた(Triste estaua el rey David)
05 作者不詳:悪い報せだ、カリーリョ(Nuevas te traygo, carillo)
06 作者不詳:人びとは大きな喜びに(Los hombres con gran plazer)
07 フランチェスコ・デ・ラ・トーレ:語れ、悲しい心よ(Dime, triste corazón)
08 エンリケス・デ・バルデラバノ:恋よ、どこからやってくる(De dónde venis, amore?)
09 ルイス・デ・ミラン:一生かけてそなたを愛した(Toda mi vida os amé)
10 フアン・デ・トリアーナ:言って下さい、御母よ(Dínos, madre del donsel)
11 アロンソ・ムダーラ: 誰か、私を呼ぶような(Si me llaman a mí)
12 フアン・デル・エンシーナ:巡礼(Romerico)
13 フアン・バスケス(ミゲル・デ・フエンリャーナ編曲):きみは私を殺めた(Vos me matastes)
14 ルイス・デ・ミラン:母さま、あの騎士が(Aquel caballero, madre)
15 アロンソ・ムダーラ:澄んで涼しい流れ(Claros y frescos rios)
16 アロンソ・ムダーラ:イサベルや、帯を失くしたね(Ysabel, perdiste la tu faxa)
17 ルイス・デ・ナルバエス:何をつかって洗いましょう(Con qué la lavaré?)
18 フアン・バスケス(ディエゴ・ピサドール編曲):バラの木の泉に(En la fuente del rosel)
19 アルフォンソ10世賢王:サンタ・マリア(Santa María)

中世・ルネサンスのスペインは、教会音楽、宮廷・世俗音楽、いずれもがヨーロッパの中でも独自の音楽文化を築いたという。ぼくらギター弾きには、ミランやナルバエス、ムダーラといった、ほんの僅かなビウエラの作曲家の名前が思いつく。この盤では無名の歌曲に加え、そうしたビウエラ作曲家達の世俗歌曲が多く収められている。ちょっと歌詞をみると、「ウグイスよ、ウグイスよ、わたしのこの便りを運んでおくれ、男友達に告げておくれ、わたしはもう亭主持ちだと」「マリ・ミンゴの娘がさきの日曜、結婚したぞ、あの村の若者と、お前にとっちゃひどいことさ、悪い知らせだぜ、お前はこんなにいい若者なのに」…といった具合に、たわいのない色恋沙汰の歌詞も多い。当時のスペインの民衆も宮廷人もこんな歌を、ビウエラをかき鳴らしながら歌っていたのだろうか。

ジャケット写真からも美しさがうかがえるベルガンサは録音当時ちょうど40歳。イエペスは47歳。共に人気アーティストだった。イエペスのギター独奏の演奏にはあまり感心したことはないのだが、この盤のイエペスは中々いい。お国物への共感もあってか、曲の時代性や背景を理解し、抑制の効いた表現で楚々と歌い、弾いている。


このアルバム以降、このコンビはスペイン歌曲のアルバムをいくつか出した。以下は近代スペインのファリャ<七つのスペイン民謡>。



イエペスのソロでルイス・ミラン<六つのパバーヌ>(原曲はビウエラ) ぼくら世代の中級アマチュアは必ず手がけた曲の一つ。



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小曽根真 <ディア・オスカー>



ちょっと久しぶりにジャスを聴こう。ピアノの小曽根真がトリオ編成で演奏したオスカー・ピーターソンへのトリビュートアルバム<ディア・オスカー>。1997年の録音。


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90年代後半、日本人のジャズを少しまとめて聴いた時期があった。そのときに手に入れた一枚。この盤が出た当時、小曽根真はメインストリームジャズの若手として大そう人気があった。きっと今もそのポジションに変りはないだろう。さてこの盤ではタイトル通り、オスカー・ピーターソンへの敬意を標榜し、収録曲全10曲のうちオスカーのオリジナル曲が5曲を占めている。

この盤に先立つこと1年前にリリースしたアルバム『ザ・トリオ』がよりアグレッシブな音楽運びをしているのに対してこのアルバムでは終始リラックスして、軽くスウィングするオーソドクスなトリオプレイが楽しめる。もっとも、単なる耳あたりのいいカクテルピアノにはならないところが一流の証しだろうか、M4の「枯葉」なども中盤から俄然音楽が息づき始め、イマジネイティブなインプロヴィゼイションが繰り広げられる。M5のバラード;ランド・オブ・ミスティ・ジャイアンツも限りなく美しくクリエイティブだ。


このアルバムのタイトルチューンM1<ディア・オスカー>



小曽根真は2000年代に入るころからクラシックにも興味を示し、モーツァルトやショパンも弾いてコンサートも開くなど芸域を拡大している。フュージョン寄りのプレイヤーとのコラボも盛んだ。YouTubeに塩谷哲のとセッションがあったので貼っておく。



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バーンスタイン&NYP マーラー交響曲全集



週明け月曜日。仕事はぼちぼち月末そして年度末モード。急にアクセクするわけではないが、余裕をもって3月末を迎えようと、少々ハッスル。本日も鋭意業務に精励いたしました。
さて、きのうの記事に書いたバルビローリ&ハレ管による同じシリーズの盤で、マーラーの第1交響曲があったのを思い出し、それを聴こうかと思ったのだが、あまりパッとしない演奏だったような気がしてパス。代わって、少し前に入手したこの盤を取り出した。


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レナード・バーンスタイン(1918-1990)が60年代に当時の手兵ニューヨークフィルと録音したマーラー交響曲全集(第10番は1975年録音。また第8番はロンドン響との演奏)。何年か前にオリジナルLPジャケットデザイン12枚組のボックスセットで出たもの。オリジナルのLPセットを持っていたのでどうしようかずっと思案していたのだが、三千円でお釣りがくるという値段に背中を押されて、最近になって手に入れた。現在、アマゾンでまだ入手可能の様子

80年代後半になって独グラモフォンに再録音するまで、この<旧全集>は長らくバーンスタインの名刺代わりとでもいうべきものだったし、新全集が出たあと現在でもマーラー演奏のベストと推す意見も多い。それほどまでにマーラーの演奏を語るときには必ずといっていいほど引き合いに出される録音だ。ぼくも70年代半ばに三枚組で出た第5番と第9番のセットでマーラーにのめり込んだ。その後、リサイクルショップのジャンク箱から先に記したオリジナルのLPセットを捕獲し、他の録音を含めた全容を知るに至った。LP盤で不足はなかったが、2009年にDSDマスタリングされた音源を使ったとのふれ込みや、長丁場の曲はやはりCDの方が扱いやすいという安直な理由もあって手に入れた。

さきほどから第5番嬰ハ短調(1963年録音)を取り出して聴いている。先の三枚組LP時代から聴き親しんできた演奏だ。広いオーディオレンジと豊かに広がる音場感、ホールトーンに溶け込むピラミッドバランスの音響…そういう現代風マーラー録音の対極といってもいい録音音質であり、演奏自体もそうした見栄えの良さを追い求めたものではない。冒頭のソロトランペットもいささかショボイし、ニューヨークフィル全体の音も潤いに欠ける。しかし、どこを取ってもまさに血が吹き出るような情熱にあふれ、バーンスタインの熱い指揮棒に、オケがきしむような音で付いていく。コンサートホール中ほどのS席ではなく、バーンスタインの靴音が聞こえてくる指揮台のすぐ横で、熱気を感じながら聴くようだ。もちろん、必要なホールトーンは確保されているし、各パートのバランスも良好で、新しいマスタリングの効果もあってか音の解像度も良好。アナログからデジタルの移行期に録音されたテンシュテット&ロンドンフィルとのセッション録音による全集よりは音質良好と感じる。

マーラーをロマンティックなBGMとして聴きたい向きには他の選択肢があるだろうが、バーンスタインが心血を注いだといっていい、一時代を画したマーラー演奏をまとめて聴けるという意味において価値あるセットだ。


この盤の音源で第5番嬰ハ短調全曲



同曲の第4楽章アダージェット。十代の終わりにこの曲をこの演奏で聴き、これまでいったい何回聴いたか知れない。
一旦静まったあとの5分19秒、次のフレーズに入る一瞬の間合いに背筋がゾクッとくる。5分44秒から音楽は再び動き出し、以降バーンスタインがほとばしり出る熱情を抑え、オケがこらえ、しかしせきを切ったように流れ出る。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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