カフェブロッサム 2016初夏



野暮用外出に引っ掛けて、隣県栃木山中のカフェブロッサムを再訪。先回初めて訪れたのが今年の一月末だからちょうど四ヶ月ぶり。築三十年のヴィンテージ&アンティークなログハウス周辺はまばゆいばかりの新緑。わずかに木立をゆする風と鳥たちのさえずりだけが響く。


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11時半に予約をして現地着。気持ちのよいテラス席に座る。きょうは看板メニューの一つ、ローストビーフを注文。肉は朝から火を入れた暖炉ですでに程よく焼き上がり、地場産野菜とパンをシンプルに塩・胡椒とオリーブオイルで食していると、待つまでも無く供される。赤身の肉は柔らかくジューシー。野趣にあふれながらもどこか洗練もされていて美味。さっぱりとしたソースの塩梅が絶妙で、ハーフポンドは難なく腹に収まる。


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貿易商を営んでいたという白い髭をたくわえた70代店主は、まるで物語から飛び出して来た様。分別臭いことは言わず、フレンドリーかつ品よく会話の相手をしてくれる。インターネット黎明期を思わせる手作り感MAXのホームページはこちら。佐野アウトレットツアー、日光散策の前後にでもどうぞ…とのこと。
アウトドア派、ログハウス好き、ターシャ・チューダー派やナチュラリストなど、関東一円在住なら一度は訪れる価値有りかと。但し、アクセスは車必須です。次回は錦秋の頃にせひまた。


店の紹介動画。

Cafe Blossom in HIKOMA from nostos-algia on Vimeo.



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陶器製スピーカーCERAMUSICA



晴天夏日の予報が少々はずれて、好天ながら気温ほどほどで快適な土曜日。車を走らせ、郊外で開かれていた<榛名山麓工芸展>なるイベントを覗いてみた。今回で9回目。陶芸、木工、染色など9名の作家の作品展。実用品主体で、自由に手に取り、その場で購入も可。洒落た会場建物の造形と相まって、小一時間のよい気分転換。


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木の造形を生かした会場に入ると、奥の部屋からチェロの響きが聴こえてくる。折からサロンコンサートでもやっているのかなあと進んでいくも、コンサートの様子はない。あれ?と思いつつ部屋を見回すと…


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床の上に無造作に置かれた、バスケットボールほどの球形スピーカが一対。ミニコンポにつながれ、そこからチェロの音が流れていた。あらためて聴けばもちろん生音ではなかったが、生音と勘違させるほどリアルな音に驚いた。<はるな陶芸工芸製>の陶器製スピーカCERAMUSICA。陶器製のエンクロージャは直径30センチほどの球形で、後ろ面にはバスレフポートが設けられている。ユニットはMarkAudio製のこのあたりだろうか。スピーカとして理想的な形状とされる球体から発せられた音は高い天上高の部屋によく広がり、同時にチェロの胴鳴りを感じさせる低音域もよく伸びている。

小型の製品としてラインナップされているもの
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感心して話を聴くと、ぼくが聴いたものは特注品で販売はしておらず、ふた回り小型の直径20センチほどのものが製品としてラインナップされているとのこと。こちらの通常製品も別室で音が聴いたが、やはりサイズなりにスケールダウンした音。本格的に聴くには物足らないが、小部屋のデスクトップ用途にはいいだろう。いずれもシンプルな形状に工芸品として美しい彩色が施されていて、雰囲気のいい部屋でさりげなくいい音で音楽を聴きたいという向きには好適だと感じた。


こんな器でそばをたぐり、茶漬けをさらりと食べたい。
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いいネ!
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展示主体の食器や道具類も、いずれも簡素ながら美しい形と色合いで、こういう優れた感性によって形作られたものを日用品として使いながら生活すれば、日頃の感覚も清廉で研ぎ澄まされるのかなあと、他力本願に思う。





かねてより陶器はスピーカエンクロージャとしての素性はよいとされてきた。一聴して、木製箱に比べ透明度の高い音がする。こちは陶器の本場、愛知県瀬戸市のメーカによる、かなり本格的なシステム。デジカメによる録音ながら素性の良さはわかる。


開発者による説明
https://youtu.be/Tk492HgEDVY


最近よく見かけるスマホ用陶器製<拡声器> ナイスなテーマ音楽で…井之頭五郎登場!



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福原彰美ピアノリサイタル2016@すみだトリフォニー



きのうは都内での仕事を終えたあと、予定していた福原彰美ピアノリサイタルへ。
すっかり日脚ものびて夕方6時を過ぎてもまだ明るい。会場のすみだトリフォニーへは昨年のちょうど今頃、室内楽新日本フィルの演奏会で行って以来だ。JR錦糸町駅から薄暮の中を歩くこと数分、開場時刻の6時30分少し過ぎて到着。小ホールロビーにはすでにいくつもの人の輪ができている。久々に会い歓談する人、プログラムに見入る人、いっもながらの開演前の心躍る光景だ。

定員250名の小ホールは8割ほどの入り。開演定刻の7時を少し過ぎたところで客電が落ち、福原彰美さんが登場した。濃いネイビーのシンプルなドレス。笑顔で軽く会釈をするとピアノに向かった。実は今回のリサイタルに先立ち、とあるところで彼女の演奏を間近で聴き、そのあと直接話をする機会にも恵まれた(よってこれからは福原さんと呼ばせてもらうことにしよう)。そのときの彼女の印象は、アメリカで15年間過ごし、相応のキャリアを積んだプロのピアニストとは思えないもので、立ち振る舞いから言葉の端々にまで、謙虚さと誠実さにあふれるものだった。まさにやまとなでしこ。当夜のステージの印象もまったくそのままだ。


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すみだトリフォニーホール(小ホール)
2016年5月25日(水)19時開演(18:30開場)
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バッハ/ケンプ編 BWV29より シンフォニア『神よ我ら汝に感謝す』
バッハ/ペトリ編 BWV208より アリア『羊は安らかに草をはみ』
シューマン/リスト編曲 『献呈』作品25より
ブラームス/ピアノ小品集作品118から第1番間奏曲イ短調、第2番間奏曲イ長調
ブラームス/ピアノ小品集作品119 第1番間奏曲ロ短調、第2番間奏曲ホ短調、
第3番間奏曲ハ長調、第4番ラプソディ変ホ長調。
 -休憩-
ショパン/バラード第4番へ短調作品52
ショパン/スケルツォ第2番変ロ短調作品31
ショパン/バラード第1番ト短調作品23
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前半のプログラムはバッハで始まった。カンタータBWV29と208から2曲のピアノ編曲版。BWV29のシンフォニアは無伴奏ヴァイオリンパルティータBWV1006のプレリュードとして馴染みのあるもの。今回は音数が多いというケンプ版による演奏。2曲とももちろんロマン派スタイルの編曲がなされたものだが、コンサート開始にふさわしい穏やかでスムースな弾きぶりで、聴く側の耳と身体も自然と会場とピアノの音に馴染んでいく。ピアノはスタインウェイだが、少し小ぶりなモデル。会場の広さからするとちょうどよいバランスなのだろう(ただ演奏途中、弱音で鍵盤から手を離すとき、ダンパーのせいだろうか、わずかに弦がビビるようなノイズが聞こえることがあった)。バッハ2曲のインロダクションのあと、リスト編のシューマンが続く。ほんの数分の小品だが、いかにもシューマンらしい、うつろうような和声が美しい。バッハと次に続くブラームスとの時代をブリッジする選曲だろうか。

続いては当夜前半のメインであるブラームスの作品118と119だ。
今回のブラームスのこの作品を取り上げるにあたって、これまで慣れ親しんだ解釈を洗い直し、多くの新しい発見をした上できょうを迎えたと、福原さんがプログラムノートに書いている。ともすれば遅いテンポで演奏されがちな、これらブラームスの後期作品の楽譜をもう一度見直し、そこの仕組まれたフレージングやヘミオラ、三度音程の呼応などに光を当て、適正なテンポを再確認したところ、これまでとまったく違った音楽が浮かび上がったと書いていた。実際たとえば作品119の第1番などは、何気なく聴いていると旋律線や拍節、和声展開などがはっきりせず、なんとなくぼやけた印象で始まるのだが、当夜の演奏は冒頭の小節からすべてが明快で、こちらから耳をそばだてて聴きにいかなくても、何の疑問も持たずに音楽が自然に耳に入ってくる感じで、これが福原さんいうところの新たな発見だったのかと、自分なりに合点した。同時に作品119がひと組みのまとまりをもつたセットであることも、各曲の色合いが明確に弾き分けられることで、一層はっきりしてくる。ぼくはピアノ自体に馴染みがないので、音色感やテクニカルなことは不案内だが、福原のさんは絶えず美しい音色で、特に弱音のコンロトールが素晴らしい。一方で作品119の第4番では、堂々としたフォルテの打弦が聴かれたが、それも決してがなり立てるようなものではなく、楽器の特性、会場の大きさや響きに見合う範囲でコントロールされていて見事だった。

20分間の休憩。ホワイエのカウンタで軽くビールを一杯…といきたいところだが、こんなとき下戸はサマにならない。<トーキョーサイダー>なる清涼飲料で一服。強めの炭酸が「くわ~ッ、しみるゥ~!」って…どうみても冴えない。

さて休憩をはさんで、後半はショパンの傑作3曲の堂々たる構成。この3曲、いずれの曲も、構成の大きさ、起伏の拡大、テクニカルなパッセージなど、前半のやや抑え気味の曲調から一転して、ダイナミックな弾きぶりが展開する。小学生低学年の頃からその才能が評価されていた福原さん。おそらく十代前半からこれらの曲を十二分に弾きこなしてきただろう。しかし、手垢にまみれた曲を弾き流すといった風情は皆無。一昔一昔を丁寧に紡ぎだしていく。これはもうテクニックや解釈問題ではなく、彼女の謙虚で誠実な人柄によるものだろう。ショパンをもっとダイナミックに弾く演奏は他にもあるだろうが、2000人の聴衆を前に、強靭にチューニングされた巨大なフルコンサートピアノを力づくで叩きつけるように弾くことにどれほどの意味があるのだろう。ショパンだからといって19世紀風のサロン演奏に回帰するばかりが最善とはいわないが、どこかで折り合いをつけることが必要だ。当夜の福原さんのショパンは、その折り合いの、一つの回答のような気がした。いつか19世紀のプレイエルピアノで彼女の弾くショパンを聴いてみたい。きっとベストマッチするだろう。

一年ぶりとなった当夜のリサイタル。テーマはすべてのものへの<感謝>だそうだ。それを表すようにアンコールでは、自らアレンジしたシューベルトの有名な歌曲<音楽に寄せてAn die Musik>をしみじみと聴かせてくれ、そして最後にショパンの幻想即興曲で一筆書きのような鮮やかなタッチをみせてくれて終演となった。ワレフスカ(Vc)のパートナーに指名されたり、室内楽でも多くの経験をもつのも、譜読みや即応性のレベルの高さによるものだろう。そして繰り返すが、誠実で謙虚な人柄。長らく米国と日本の往復だったが、今般日本に拠点を移すと聞いた。十分なキャリアがあるとはいえ、まだまだ若い。これからの活躍を楽しみにして応援を続けていこうと思いつつ会場をあとにし、少しひんやりとした夜の空気を心地よく受けながら帰途についた。 久しぶりに、心温まる、いい演奏会だった。


福原さんがニューヨークタイムズで好評を受けた時の演奏。



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イヴァノヴィッチ <ドナウ川のさざなみ>



きのうの記事で久々に<金と銀>を聴き、ノスタルジックな気分も手伝って、今夜はこんな盤を取り出した。


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70年代半ばに出ていた廉価盤<Fontana>シリーズの1枚。以前、一度記事にしたもの。CDにもなったようだが現在入手難の様子。「ドナウ川のさざなみ/楽しいワルツのしらべ」と邦題が付いていて、レハールとワルトトイフェル、それとイヴァノヴィッチなど、著名なシュトラウス親子作品に比べてちょっとマイナーな、しかしぼくら日本人にはお馴染みのワルツが並ぶ。ウィーン交響楽団とヴィルヘルム・ロイブナー他の指揮。収録曲は以下の通り。

 ドナウ川のさざなみ(イヴァノヴィッチ)、
 金と銀(レハール)、メリー・ウィドウ・ワツル(同)、エヴァ・ワルツ(同)、
 スケーターズ・ワルツ(ワルトトイフェル)、女学生(同)、スペイン(同)、トレ・ジョリ(同)

70年代当時の感覚でいえばホームミュージックといった感じの盤だろう。その名の通り楽しいワルツ集。シュトラウス親子らと同時代でウィンナワルツと総称していい曲だが、少し素朴で控え目なところがチョイ渋で中々味わい深い。 イヴァノヴィッチ(写真)の<ドナウ川のさざなみ>などは昨今耳にすることすら珍しいのではないだろうか。短調の哀愁あふれるメロディー。昔はよくラジオから流れていた。J・シュトラウスと同世代だったイヴァノヴィッチが<美しき青きドナウ>の向こうを張って作ったのだろう。レハールの<金と銀>はいつ聴いても美しく麗しいし、<エヴァ・ワルツ>はこの盤で初めて知ったが中々華麗なワルツ。フランスのワルツ王;ワルトトイフェルの曲には駄作も多いと聞くが、ここの収められた4曲はいずれも傑作だ。

今どきのホームミュージック入門にはどんな曲がリストされているのか寡聞にして不案内だが、四十年以上そこそこクラシックを聴いてきて古典から後期ロマン派、近現代のメインストリームをひと通り聴きかじっているものの、この盤のような曲を聴いてしみじみするときなど、わが道楽人生の原点にはこうした<昭和のホームミュージック>があることが感じる。


序奏付き正調?!<ドナウ川のさざなみ>


<スケターズ・ワルツ> ロベルト・シュトルツ指揮ベルリン響。


スパニッシュな<女学生> ロベルト・シュトルツ指揮ベルリン響。



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マーラーを聴く、もとい、読む



久々に面白い音楽書を読んだ。


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ヴォルフガング シャウフラー 著、天崎 浩二訳<マーラーを語る:名指揮者29人へのインタビュー>。この春三月に音楽之友社から上梓された新刊。

40年以上に渡って音楽を聴いてきて、いわゆる音楽書のたぐいも相応の数が手元にある。少なくても、仕事に関わる本や、そのベースになった学生時代の専門分野の本よりも多いだろう。とはいっても、いわゆる音楽家のエピソード、私生活や生涯のあれこれといった話題にはとんと興味なく、またその結果、いわゆるトリビア的知識も無いに等しい。生意気なようだが、音楽は音楽に接していればよく、その背後にある事情やエピソードには無頓着だったのだ。しかし最近になって、そういう話題に接するのもいいかなあと思うに至った。そんな矢先に出会った本の一つが、この<マーラーを語る:名指揮者29人へのインタビュー>だ。この本では、現在のクラシック音楽界でもっとも人気のある作曲家の一人であるグスタフ・マーラーについて、今を代表する29人の指揮者が語っている。29名の顔ぶれは、古参組としてはハイティンク、アバド、マゼール、ブーレーズあたり、もっとも若手はドゥダメル。いずれもマーラーを意識的に取り上げている指揮者が登場する。

著者ヴォルフガング シャウフラーがそれぞれに指揮者に対して、同じ質問をし、それに指揮者が応えるというインタヴュー形式が展開する。「初めて聴いたマーラーは?」「マーラーは何を望んでいたのでしょうか?」「影響を受けたマーラー指揮者は?」といった具合だ。そうした質問に対する指揮者の回答が興味深いのはもちろんだが同時に、単純に同じ質問を繰り返すのではなく、指揮者からの回答に応じて、関連の問いかけや変化球を投じる質問する側の著者の当意即妙な対応がいい。その変化球に対応して、また指揮者側から新たな話が出てくる。インタヴュー形式の本としては理想的な展開。さらに特筆すべきは日本語訳の素晴らしさだ。
実は先日、翻訳者の天崎浩二氏と話をする機会があり、この本の事情について話を伺うことができた。天崎氏は長らく楽譜輸入や出版に関わり、また音楽書に関しても本著以外にブラームスに関するいくつかの著作がある。氏いわく「マーラーがどうのこうのいう以前に、とにかく面白い音楽書を提供したい、読者に翻訳書とは思えないと言わせてみたい。"再読必至。読了後、音楽が聴きたくなる本"でありたい」そう考えたそうだ。実際この本は、よくある翻訳書の違和感がまったくない。日本語としてこなれた、そしてときに洒脱な表現もあって、原著者の指揮者へのインタヴュー光景がリアルに目に浮かんでくる。

現代を代表するといってよい29名の指揮者に共通して語られる事象がある。ユダヤ人という民族性に関わること、それと関連して先の大戦とマーラー受容との関係、ワグナーやブルックナー、シェーンベルク、ベルク等、同時代、前後世代との関係、そして欧州では一部の曲に関してまだ初演すら行われなかった60年初頭からマーラーを積極的に取り上げたバーンスタインのこと、そうしたことへの認識が多くの指揮者から語られる。この本を読み、そうした多くの指揮者が必ず引き合いに出す事象を考えると、マーラーを聴くという行為は音楽、音響としてのエンターテイメントではあるが、やはり20世紀初頭の欧州世界の状況やその背景にある文化・歴史・民族という側面への理解があるとないでは、まるで認識が違ってくるという、当然といえば当然の帰結に至る。

もっとも、そういう小難しいことをいつも考えつつ音楽を聴くわけではないし、この本はそうした深い問題以前に、読み物として、興味深いエピソードやウィットに富み、まったく飽きさせない面白さに満ちている。原著のそうした面白さを120%生かした翻訳も相まって、久々に楽しく読んだ好著。訳者の狙い通り、読後にあらためてマーラーを聴きたくなった。


<クラシックニュース>の翻訳者:天崎浩二氏へのインタビュー。



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浜松市楽器博物館と19世紀ピアノ


人並みに仕事に追われた三十代、四十代を終え、ギターや音楽に再び時間を費やすようになったのが十年ほど前。同時に同じギターでも20世紀以降、現在に至るまでの主流であるモダンギターと併せて、19世紀の欧州古典ギター全盛期の楽器にも興味を持つようになった。そんな折、運よく訪れたのが静岡県浜松市にある浜松市楽器博物館だ。以前一度記事にしているが、自分でも忘れかけていることもあり、備忘のために再掲しておこう。


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2005年夏、ひょんなことから浜松駅近くにある浜松市楽器博物館に立ち寄る機会があった。楽器の街、浜松らしい施設。ほとんど来館者もない平日の昼下がり、そのコレクションをたっぷりと見ることができた。帰りがけに併設のショップで手に入れたのが写真のCD3点だ。同館所蔵の19世紀前半のフォルテピアノや16~19世紀チェンバロの当時のオリジナル楽器で、ウィーン古典派を中心にした当時の作品が収録されている。フォルテピアノとクリストフォリピアノは小倉貴久子、チェンバロは中野振一郎が弾いている。ピアノ編ではお馴染みのシューベルトの即興曲、メンデルスゾーンの無言歌、ベートーヴェンのソナタなどが作曲された当時の音でよみがえる。

それはどんな音か…軽やかで明るく(しかし輝かしくはない)、音の立ち上がりが速い。サステインは短めで、音のエネルギーとしては低音より高音が勝る。反応がよい分、感情表現の変化もよく出る…ピアノは門外漢でよく分からないながら、そんな印象の音だ。ギターにおける現代の楽器と当時の楽器の違いによく似ている。スタインウェイやヤマハに代表される現代のピアノは、より強靭で輝かしく、音のサステインは長い。反面キーメカニズムは当時より重くなり、その分楽器の性能を出し切るには、強いタッチが求められる。それは、家庭やサロンでの演奏を前提にしていた18世紀から19世紀半ばまでと違い、より大きなホールでの演奏を求められた時代背景による変化だった。

19世紀ピアノはより軽いタッチでコロコロと鳴る。現代のように力を込めて鋼を叩くような弾き方ではなかったのだろう。19世紀ギター同様、当時の作品を弾くにあたって、当時の楽器を使うと作曲が意図した響きや流れが見えてくるように感じる。実はこの博物館で感激したのは、ギター弾きのぼくとしてはピアノではなく、ギターやそのルーツ、末裔などの楽器群だ。入浴剤で知られるツムラの元社長が集めたいうバンジョーやフレンチマンドリンのコレクションは圧巻だった。ヴァイオリン族・リュート族・シターン族も本でしか見たことのなかった楽器の現物にお目にかかれた。和楽器もたくさんあった。当時の性能の悪い携帯カメラの写真だが載せておこう。機会があれば再訪したい施設だ。


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マリーネトランペット!
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合図の大砲代わりに使われたドラム
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各種ストローヴァイオリン
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和太鼓  琵琶

三味線  琴


ショパン時代のプレイエルピアノによるバラード作品23。



静岡県広報課による同館の詳細ビデオ。



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福原彰美(Pf)リサイタル ~ ブラームスとショパンを予習中



先日のワレフスカ(Vc)の記事にも書いた、福原彰美のリサイタルに行くことを決め、目下予習中だ。


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[会場] すみだトリフォニーホール(小ホール)
[日時] 2016年5月25日(水)19時開演(18:30開場)
[チケット] 3,000円(全席自由)
[プログラム]
バッハ/ケンプ編 BWV29より シンフォニア『神よ我ら汝に感謝す』
バッハ/ペトリ編 BWV208より アリア『羊は安らかに草をはみ』
シューマン/リスト編曲 『献呈』
ブラームス 4つの小品 作品119
ショパン バラード第1番、バラード第4番ほか

★★★チケットはまだ入手可の様子。ご都合付く方は、ぜひともどうぞ!!★★★

ワレフスカの伴奏者としてその名を知ったピアニストだが、15歳で渡米し、ジュリアードで学び、ソロばかりでなく多くの室内楽での経験を積むなど、その実力の程は知る人ぞ知るとのこと。今回、知人の誘いもあり、当日は都内での仕事を終え次第、錦糸町へ向かう予定だ。思い起こしてみると、ピアノソロのコンサートは実に久しぶり。そしてプログラムもご覧の通りのもので、ブラームスの後期作品とショパンのバラードが二つ聴けるという、ぼく自身にとっては願ってもない機会だ。


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ブラームスの作品119は一連の後期作品116から118番などと同様、ブラームスが晩年に行き着いた心情告白を聴くかのような音楽だ。坂本龍一の紹介を待つまでもなく、かねてよりグールドの盤で親しみ、少し前には作品117から119が収められている写真のアファナシエフの<ブラームス:後期ピアノ作品集>を手に入れた。アファナシエフの深くミニマルな表現は、これらの曲に実に相応しい。取り分け今回取り上げられる作品119は、初期作品や交響曲、協奏曲といった大規模な作品とは次元を異にする深さをもち、古典的作風といわれるブラームスが、やはり正真正銘の後期ロマン派の時代人であることを感じさせる作品。その第1曲などは一聴するとスクリャービンかリヒャルト・シュトラウスかと思うほどだ。

ショパンのバラード2曲もお馴染みとはいえ、あらためて聴くとブラームス共々、技術的にも音楽的にも超難曲であることを認識する。とくに楽譜を眺めて聴くと、一体この曲をどうやって弾くのだろうと、アマチュアギタリストのレベルでは想像すら出来ない譜読みの難しさを実感する。バッハの編曲物のうちBWV29は、ホ長調の無伴奏ヴァイオリンパルティータ・前奏曲として知られ、リュート組曲第4番BWV1006aとしても知られる、ギター弾きにはお馴染みの曲。華やかな中にも、深いロマンティシズムを感じさせるプログラミング。当日の夜が楽しみだ。


ケンプ編のBWV29 ケンプ自身による演奏音源。


ブラームス演奏の第一人者だったジュリアス・カッチンによる作品119。


ショパンのバラード第4番。ルビンシュタインによる演奏。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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