十月最後の週末。きのう土曜日は当地群馬交響楽団の定期演奏会へ。七月のブルックナー以来だから三ヶ月ぶりになる。

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ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調 作品104
―休憩―
ベートーヴェン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品55 「英雄」
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チェロ:タチアナ・ヴァシリエヴァ
指揮:飯守泰次郎 管弦楽:群馬交響楽団
2016年10月29日(土)18:45~ 群馬音楽センター
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秋の陽射しもすっかり短くなり、会場の群馬音楽センターに着く頃にはすっかり日が暮れる。前日に電話予約しておいたチケットを受け取り、開場時刻を少し過ぎて席についたあとロビーで一服。コンビニサンドと缶コーヒーを小腹におさめる。都会の豪華ホールホワイエでチーズとシャンパンもいいが、築半世紀のレトロなロビーでひとりコンビニサンドもローカル色MAXで悪くない。
さて当夜は指揮者に飯守泰次郎(1940-)、独奏チェロにタチアナ・ヴァシリエヴァ(1977-)を迎え、ドヴォルザークのチェロ協とベートーヴェンの英雄という、休憩はさんで前後半がっぷり四つの重量級プログラム。例によって音楽評論家;渡辺和彦氏のプレトークのあと、定刻の18時45分に客電がおちて開演となった。
すっかりワグナー振りのイメージが強くなった飯守泰次郎氏。ドヴォルザークの協奏曲でも当然重厚な音楽作りを目指すかと予想していたが、やはりその通り。オケ編成も後半の英雄と同じ弦楽14型(14-12-10-8-7)で厚い布陣。第1楽章冒頭から色濃い音楽を繰り広げる。これでテンポが遅いと時に鈍重な展開になりかねないが、当夜はドヴォルザークもベートーヴェンも、20世紀の標準モダンオケとしてはやや速めのテンポ設定で、厚い響きと合わせて音楽の推進力に力がこもる。一方チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァは当夜の印象ではゴリゴリと力で押すタイプではなく、音楽全体のプロポーションを整え、無理のない音楽を展開するように感じた。もちろん1994年ミュンヘン国際コンクール第2位、宮田大が2009年に覇者となったロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで2001年に第1位となった実力はいかんなく発揮され、難曲のこの曲を上から下までまったく不安げなところなく弾き通す。 少々個性の異なる両人の演奏は、ソロ対伴奏という構図から離れ、まるでチェロ付きの交響曲のように豊かに響いた。飯守氏の積極的なオケコントロールは随所でチェロのソロに拮抗するフレーズをオケから引き出し、チェロと対話する木管群のフレーズ、弦楽群の隠されたアクセントなど、ぼく自身これまで幾度となく聴いてきたこの曲から多くの新たな発見を得た。
休憩のあとはベートーヴェンの英雄。こちらもドヴォルザーク同様のアプローチ。久々に聴く重厚なエロイカだった。ドヴォルザークもそうだったが、飯守氏は過度な弱音は避け、p指示はmp、mfはfくらいの印象を受ける。オケ全体の音量ディナーミクよりは、各パートごとのフレージングやアーティキュレーションに意を尽くし、分厚い音響とやや速めのテンポとでグイグイと音楽を引っ張っていく印象をもった。 それにしてもこの英雄交響曲、やはり稀代の名曲だ。第2交響曲までとほとんど変わらない古典的な2管編成ながら、コントラバスに独立した動きを与えたり、ホルンを1本追加してスケルツォで活躍させるといった斬新な試み、また第1楽章冒頭の主和音二つの叩きつけによる開始や、再現部にも第2の展開部ともいえるコーダをおく構成など、音楽そのものの斬新かつ緻密な組立てによって、それまでの古典交響曲とは一線を画す傑作となった。
これまでドヴォルザークの協奏曲も英雄も何度か実演に接しているが、当夜の演奏は、その色濃く分厚い響きと停滞しない推進力に満ちた曲の運び、そしていささか個性の異なるチェリストとの相乗効果など、管弦楽という形態がもつポテンシャルをあらためて印象付けた演奏会だった。
タチアナ・ヴァシリエヴァによるドヴォルザークの第2楽章。バックは香港のオケ。
タチアナ・ヴァシリエヴァが参加したブラームスのクラリネット三重奏曲イ短調第1楽章。
◆追伸◆
来日中のタチアナ・ヴァシリエヴァによる無伴奏作品(バッハ、コダーイ)のリサイタルが11月2日には東京文化会館で予定されている。
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きょうの関東地方は時折り冷たい雨まじりで気温も低く、晩秋の訪れを感じさせる一日だった。今週もあたふたと終わり週末金曜日。ひと息ついて、もう日付が変わる時刻だが、渋茶を一杯やりながらこんな盤を取り出した。

今や大御所の風格となったぺぺ・ロメロがフォルテ・ピアノを弾くウィルヘルム・ヘルヴェックと組んで、19世紀古典ギター黄金期の室内楽作品を弾いている。ぺぺが使っているギターはアントニオ・デ・トーレス1856年作とライナーノーツに記されている。1981年の録音。収録曲は以下の通り。
◇フェルディナンド・カルリ
ソナタ イ長調 Op.21 no.1
1. Moderato 2. Adagio 3. Rondo
◇アントン・ディアベリ
グランド・ソナタ・ブリリアンテ ニ短調 Op.102
1. Adagio-Allegro 2. Adagio 3. Allegro
ソナチネ イ長調 Op.68
1. Andante sostenuto 2. Rondo
◇フェルディナンド・カルリ
ソナタ ニ長調 Op.,21 no.2
1. Moderato 2. Thema con variazioni 3. Allegretto
ここに収録されている曲には使用楽譜に関していくつかの問題がある。旧友Y氏の指摘によると、カルリはオリジナルではなくハインリッヒ・アルバートの編曲(ツインメルマン社社刊)、 ディアベッリも本来の姿ではなく、ベーレントが4楽章パストラールを丸ごとカットしたもの(ボーテ&ボック社刊)とのこと。原典からかなり大きな改編(楽章が一つ無くなっているといった)がなされているにもかかわらず、使用した楽譜の出典が記されていないことは少々問題だ。この盤が録音された当時のギター界の状況を反映しているともいえる。今なら弾く側も音盤製作側も、もう少し気を使うだろう。そのことは横に置くとして…
曲は19世紀初頭の簡素な古典様式からなるもので、カルリ(1770-1841)の曲もこうしてアンサンブル版になると、その楽天的な曲想にいくらか重みが加わって鑑賞に値する曲になる。ディアベリ(1781-1858)の2曲はカルリに比べより感興に富んでいて、ピアノパートもカルリの曲より充実している。もっとも同時期のウィーン古典派大御所とは比べるべくもないが…
父セレドニオから受け継いだという名器トーレス(この楽器についてはこちらに詳細がある)を操るペペ・ロメロは技巧の切れもよく、同時に無理をしない弾きぶり。フォルテピアノとのバランスも良好だ。録音上の操作で音量のバランスを取ったり、ギターをより明瞭にピックアップしたりという作為がほとんど感じられない自然な音で収録されている。古典から初期ロマン派の端整な様式感をもった曲想にもマッチしている。こうした古典期の合わせ物はただ聴くよりも、やはり弾いて楽しみたい。この盤のいずれの曲も機会があれば合わせてみたいものだ。
アントン・ディアベリのソナタOp.102 第1楽章。
19世紀当時、市中のサロンで繰り広げられたギターをピアノのデュオの雰囲気はこんな感じではなかったかと思わせる音源。メルツ<フォルテピアノとギターのための歌劇「リゴレット」の主題によるディヴェルティメント>作品60.
★★追伸★★
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十月も下旬。陽射し程々ながら穏やかな週末。昼をはさんで少々時間があったのでオーディオセットのスイッチを入れ、そういえばと思い出し、先日知人から借りた音盤を取り出した。

先回の記事に書いた東京コレギウム・ムジクムの演奏会。その案内を届けてくれた知人が一緒に持参してくれたのが、五嶋みどりと今井信子によるモーツァルトのドッペル<ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲ニ長調>。そのSACD盤。なんでも知人のそのまた知人がダブり買いをしてしまったのでと譲り受けたとのこと。しかし知人がSACD用の装置がなく、与太さんよかったら聴いてみる?…となった次第。 この演奏は以前から愛聴盤のひとつ。演奏内容はもちろん、録音も素晴らしくいい。手持ちの盤は当然CD盤で、同じ演奏をSACDと聴き比べるのは興味あるところだ。
CDはラックスマンのL-500に、SACDはデノンのDCD-1500にセットした。L-500は名器ながら20年以上前のもの。デノンのDCD-1500はエントリークラスで筋金入りのオーディオマニアからみればおもちゃレベルだろう。音盤の音質比較をするのに違うプレイヤーで、それもメーカーも世代も違う…そんなもの比較にも何にもならないだろうという突っ込みどころはいくらでもあるのは承知。もちろんCDもSACDもOKのDCD-1500で比べることは可能だが、ぼくの知覚能力ではディスクを入れ替えている間に音の記憶が薄れ、比較できる自信はない。というわけで、まあ、ちょっとしたお遊びレベル。そのあたりはどうかひとつ…。ちなみにアンプはこれまた古めのラックスマンL-570、スピーカは昨年入れ替えたアヴァロンECLIPSE。
SACDが世に出てかなり年月が経ち、プレイヤーもSACD対応機種がほとんどではあるが、メディアとしてのSACDは一向に普及せず、一時は風前のともし火になった。近年、SACDのDSD形式がハイレゾやネット配信などとの相乗効果で息を吹き返しつつあるといった状況だ。理由はいろいろあるだろうが、CDフォーマットの限界は登場当初から議論されていたものの、現実的にはCDでも十分に高音質が楽しめるというのが最大の理由だろう。実際ぼくの手持ちに中にもSACD盤は10枚とない。とはいっても、知覚能力の高い人はその違いが十分感じ取れるだろうし、もうあとには戻れないというSACD派もいるだろう。もちろんマルチチャンネル再生となればSACDの独壇場だ。
さて結果はどうだったか。
両音盤をそれぞれプレイヤーにセットし、楽曲がほぼ同時進行となるようにプレイボタンを押した。
まずはL-500によるCDを聴く。二人の奏する名工グァルネリ作のヴァイオリンとヴィオラの音色がともかく美しい。五嶋みどりのヴァイオリンはいつもながら音程が完璧、かつボーイングも均一で安定していて、あまりに正確過ぎて一聴すると線が細いと感じるほどだ。今井信子のヴィオラもさすがに世界のトップ。五嶋みどりに劣らず正確なピッチで、滑らかで暖かいヴィオラの音が堪能できる。今井信子はこの曲を弾くに当たって、楽譜の指定に従い調弦を半音上げたスコルダトゥーラで演奏している。これによって、原調の変ホ長調がヴァイオリン族でも最も弾きやすく音の出やすいニ長調で記譜されることになる。事実ヴィオラの発する音も張りのある音色で、ヴァイオリンとの「対比」というより「調和」を感じさせる。エッシェンバッハ指揮のNDR響もドイツの伝統あるオーケストラの実力を感じさせる安定した響きと落ち着いた渋い音色で申し分ない。録音も、クリアに録られた二人のソロと前後左右に展開するオケのバランスがよく、目を閉じて聴くとステージイメージも十分想像できるほどだ。CDで聴いてこれといった不満を感じない。 次にアンプの入力をDCD-1500に切り替えてみる。入力切替えのリレー音に続いて一瞬のミュートが入ってからSACD盤からの音に切り替わる。…う~ん、違う!二人のソロがよりクリアになり、オケ部とのコントラストが明瞭になる。オケ部の各パートもCDよりも更によく分離する。低弦群なども、コントラバスの弾くトリルの一音一音がはっきりとわかるほど。全体の響きも前後左右そして上下方向まで一段と広がり豊かになる。これはいい!思わずニヤッとし、しばし聴き惚れてしまった。
事前の予想では、ぼくの駄耳では違いに気付かないだろうと、(謙虚に)思っていたのだが、予想は一聴して覆された。何度もCDとSACDを行ったり来たりしたが、CDに切り替えるたびに音全体の解像度は下がるのを実感する。もっともそのままCDを聴き続けるとすぐに耳が慣れ、十分高音質に聴こえてくる。手持ちの盤をこれからSACDに買い替えるほど意気込みはないが、録音の良さにも魅力を感じて今後新しい盤を手に入れるようならばSACDを選択してみたいと思う。スピーカを含めた再生環境が音の広がりや空間再現性まで考慮できるレベルにあり、そうした要素をリスニングの対象として重視するなら価値有りというのが、きょうのところの結論だ。繰り返すが、プレイヤーが違うので、この違いが盤の違いとは断言出来ない。機会をみて同じCD盤を今回の二つのプレイヤーにそれぞれセットして、プレイヤー側の違いを確認してみたい。
この演奏の音源で第1楽章。何度聴いてもいい曲だなあ…。YouTube音源につき空間再現性云々は難しい。
同第2楽章。https://youtu.be/xOOftaGcsOs
同第3楽章。https://youtu.be/Uq1JtYHOC4o
モーツァルト作曲VnとVcのためのドッペル?!
ヨーヨーマがヴィオラパートを弾いている演奏。アイザック・スターンのヴァイオリン。
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先日、知人から演奏会の案内が届いた。
東京コレギウム・ムジクム合唱団の定期演奏会がきたる11月6日にあるという。知人からは「与太さん、俗にまみれた日常を純粋なるハーモニーで清めてみてはどう?」とのお誘い。「ぼくが行けるかどうかわからないけど、ブログネタで紹介しておくよ」と、俗な返答をして案内を受け取った。

東京コレギウム・ムジクム合唱団TCMCは、30名ほどのメンバーからなるアマチュア合唱団。1975年に大阪ハイリッヒ・シュッツ室内合唱団を創立し、ルネサンスから現代音楽まで広く活躍して高い評価を受けている当間修一氏が主宰している。なんでも当間氏による合唱講座に端を発して2010年に創立されたそうだ。 次第は以下の通り。ご都合つく方はぜひどうぞ。
日時:2016年11月06日(日)
開場:15:30 / 開演:16:00
会場:かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール
(京成線青砥駅下車 徒歩5分/京成立石駅下車 徒歩7分)
指揮:当間修一 / ピアノ:小枝佳世
<演奏曲目>
◇I Would Be True
The Gift Of Charity
Jesus Child
Distant Land
永遠の花 A flower remembered (John Rutter)
◇Komm, Jesu, komm BWV 229
来ませ、イエスよ、来ませ! (J.S.Bach)
◇無伴奏混声合唱のための ざんざんと降りしきる雨の空に (寺嶋陸也)
◇五つの混声合唱曲 飛行機よ (萩京子)
合唱にはとんと縁がなく、このプログラムで察しがつくのはバッハのモテト、それとジョン・ラターの作品くらい。案じた知人が貸してくれたCDを聴くといずれも耳に心地よく響く。
ジョン・ラターは以前人気曲<レクイエム>の盤を記事にしたが、そのイメージと重なるもの。<永遠の花>は東日本大震災のあと、東北における合唱の復興を支援する団体<Harmony for JAPAN>が日本でも人気の高いラターに委嘱して作られたという。 寺嶋陸也の<ざんざんと降りしきる雨の空に>もまた、震災で被災した須藤洋平氏の詩をテキストとしているそうだ。 萩京子の<飛行機よ>のテキストは寺山修司の作品。寺山修司について何も知らないに等しいぼくなどが印象を語るのはまったくもってはばかられるのだが、寺山修司と聞いてイメージする暗い小劇場と昭和の匂いからは遠く、どこか懐かしくも清々とした憧憬が目に浮かぶ。
一時間余の合唱コンサート。冒頭でジョン・ラター<永遠の花>が歌われ、以降様々なフォーマットによる合唱の<今>が続く。
日本の日常の中で歌い継がれていきますように。
バッハのモテトBWV229。今回TCMCは8声のアカペラを二つに分けて対向配置で歌うとのこと。
★★追伸★★
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きょうの関東地方は気温上昇、夏日の一日。都内霞ヶ関での仕事が昼前に終わり地下鉄に乗ると、ジャケット姿のおにいさんの横には半袖Tシャツのおねえさん。いかにも都会らしい光景。ちょうど時間もよかったので、乗り継ぎ駅の日本橋で下車。ちょっと優雅に初秋の一人ランチを楽しんだ。 さて、二日ぶりの音盤タイム。先回のセル第九で思い出し、こんな盤を取り出した。

あまりに有名な盤。セル&クリーヴランド管、オイストラフ、ロストロポーヴィッチによるブラームス「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」(ドッペルコンチェルト)。1969年5月録音。この盤がカラヤン&ベルリンフィルによるベートーヴェンの三重協奏曲を共にリリースされたときは、その豪華な顔ぶれで評判になった。ベートーヴェンではオイストラフとロストロポーヴィッチに加えてリヒテルがピアノを受け持っている。
さてブラームスのドッペル。 この曲は出だしから指揮者とオケの技量そして気合が試される。付点つきリズムのトゥッティが2小節あったあと、いかにもブラームス的な三連符のトゥッティが2小節続く。ここで曲の印象がかなり決まってしまうほどだ。セルの多くの盤を出しているCBSソニーの盤に比べ、このVictor録音のセル&クリーヴランド管の音は、筋肉質のしまった響きはそのままだが、より重量感があって聴き応え十分だ。短いしかし渾身のオケの序奏に続いて、ロストロポーヴィッチのチェロが出てくる。これまた圧倒的な存在感だ。続くオイストラフのソロも太く逞しい音だ。オーケストラ、2つのソロ楽器、それをコントロールするセル、いずれもがブラームスはこうあってほしいというイメージをことごとく理想的に展開してくれる。重厚なオケの響き、一つ一つに重心がたっぷりのった、それでいてぴたりと合ったアインザッツ、弦と管の渋い音響バランス…曲の素晴らしさに加え、後期ロマン派の中にあって古典的装いを表出させたブラームスの交響的作品を理想的に表現した名演だ。
回顧的になるつもりはないが、いまこうした演奏が出来る組み合わせはあるのだろうか。もっとシャープで流麗かつ明瞭で…そんな演奏はいくらでも実現しそうだが、この盤のようなジャケット写真からして重厚な音がイメージ出来るような組み合わせは存在しなように思うがどうだろう。
この演奏の音源。全三楽章。
徳永兄弟とスウィトナー&N響@1982年。 ぼくら世代には涙物の記録。画質は残念だが音はまとに入っている。
ユリア・フィッシャー(Vn:1983-)とダニエル・ミュラー=ショット(Vc:1976-)による第一楽章。
★★追伸★★
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関東地方は予報外れて好天の。気温も30℃近くまで上昇してアララの一日。仕事帰りにちょいと寄り道。今月いっぱいで退職する知人への餞別にCDを2枚選んだ。格別音楽ファンというわけでもないようで、ならばと、村治佳織と寺井尚子のジャケ買いセット(^^; 美女に囲まれどうかお元気で。 さて、帰宅後ひと息ついて…先日来の第九の流れ止まらず、今夜は真打登場。こんな盤を取り出した。

2年ほど前に入手したセル&クリーヴランド管によるベートーヴェン交響曲全集の中の1枚。1961年4月クリーヴランド管の本拠地セヴェランスホールでの録音。70年代にはセル&クリーヴランド管の録音が廉価盤LPでまとめて出ていたが、当時このコンビの真価に気付いていなかったぼくは、その多くを手にすることなく過ごし、今頃になってこの誇るべきコンビの録音にまともに接している。
演奏は彼らの美点が随所に現れたもので、どこから聴いても第一級の素晴らしさだ。第1楽章は冒頭から音価を短めに切り上げ、思いのほか軽めの響きで通している。弦、管とも正確なピッチと端整なフレージングのためだろう、オケの編成が小さく感じるほどだ。重厚長大なイメージでは決してない。そして何より音楽が格調高い。 第2楽章はティンパニの強打がことのほか冴える。これ以上大きいとバランスが崩れるのではないかと思うほどの強打で第1楽章よりも重量感を感じるほどだ。そして第3楽章。実はこの盤の中でもっとも感銘を受けたのがこの第3楽章だ。前二つの楽章に比べ、セルの解釈は明らかにロマンティックに寄っている。弦楽群は柔軟なフレージングと豊かな響きでこの美しい楽章を歌い、弦楽群と対話するように応える木管が冴え渡る。そして終楽章。冒頭からクリーヴランド管の完璧なアンサンブル。忙しいフレーズで合の手を入れるトランペット、第3楽章を回顧する木管群、いずれもこれ以上ないくらいに正確無比だ。
手持ちのボックスセットは2013年夏に発売された盤で、ドイツでリマスタリングされたもの。かつてのEPICレーベル時代のやや硬い音質が改善され、広がりのあるワイドレンジな音に仕上がっている。各パートの分離もよく、独唱や合唱もクリア。コントラバスの動きもよく分かる。アマゾンでは1600円余でまだ在庫あり。ベートーヴェン交響曲のリファレンスとしてこれ以上のものはないだろう。カスタマレヴュー54件のうち星5つが42件という数字がそれを物語っている。
この盤の音源で第2楽章。再生リストには全楽章のっている。お時間ある向きはぜひ。
リストはベートーヴェン交響曲全曲のピアノソロ編を残した。その版による第九の第2楽章。
★★追伸★★
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PCに日付を入力してEnterキーを押すと、たいがいはwikipediaがヒットして、その日にまつわる出来事や、誕生日あるいは忌日にあたる人物のリストをみることができる。きょう10月13日をみると、荘村清志、大和田獏、ジョン・ローン、森昌子、松島菜々子が生まれ、太地喜和子、丸谷才一、やなせたかし、アダチ龍光(知ってるかな?)が亡くなっている。そんな中に指揮者のヨーゼフ・クリップスの名前を見つけ、それではと、こんな盤を取り出した。

1902年4月2日ウィーンに生まれ、1974年のきょう10月13日ジュネーヴで亡くなった指揮者ヨーゼフ・クリップス。そのクリップスがロンドン交響楽団を指揮したベートーヴェンの第九交響曲。1960年録音。このコンビによるベートーヴェン交響曲全集の中の1枚。 手持ちの盤はぼくら世代には懐かしい70年代半ばに出ていたコロンビアの廉価盤シリーズのもの。70年頃には1000円盤だったが、折から1073年の第一次オイルショックのあおりで諸物価高騰。1000円盤のジャケットを変えて1500円で再発となった時期のものだ(それにしても、黄色いロゴが目に付くこのジャケットデザイン。どうみても名門独グラモフォンのパクリ)。この時代の1枚物第九の定石通り、第3楽章の途中で盤面が切り替わる。 過去何度かCD全集版のボックスセットで出ているが、昨年SACDで再発された。
クリップスというとウィーン情緒にあふれる正統派モーツァルトなどで有名だが、ぼく自身はほとんど馴染みなく、手持ちの盤のこの第九くらいかもしれない。少なくても、ベートーヴェンの一つのイメージである、力強さ、悲壮感といった面からおよそ遠い感じがする指揮者だろう。しかし、クリップスとロンドン響との全集は意外に玄人受けするようで、HMVに寄せられている購入者のコメントも総じて評価が高い。そんなことを思いつつ針を降ろしてみた。
第1楽章は中庸のテンポ。16分で通している。迫力不足という感じはないが、やはり力強さや巨大な構築性といった側面は控えめ。聴きどころの畳み掛けるような展開部も追い込みは程々。全体にしなやかで見通しのいい展開が続く。第2楽章は速めのテンポで一気呵成に進む。録音セッションだからそんなこともないだろうが、ライヴであれば、ようやく第2楽章でエンジンがかかってきたという感じだ。第3楽章はクリップスの良さがよく出た演奏。丁寧に弾き進めつつも歌い過ぎない室内楽的なアンサンブルで、まるでディベルティメントを聴いているかのよう。神がかったところはなく、屈託なく歌う。 第4楽章は冒頭の低弦群のレチタティーヴォがまさに歌うように奏される。明るい雰囲気が伝わってきて、この曲全体に対するクリップスの方向性が集約されているように感じる。合唱とのやり取りが続く後半も、過度な思い入れを差し挟む間もなく速めのテンポで進み、コラール風の中間部も、常にリズムを感じさせながらよく歌う。
この演奏、中庸を心得たウィーン風の味わい深いものという世評が大勢であるが、言い換えれば、管弦楽の緻密なアンサンブルや劇的な展開、崇高な美的表現といった側面からは一歩引いた演奏。歌劇場叩き上げのクリップスらしいというべきか、声楽が入る第4楽章を中心に、この曲のエンターテイメント性を感じさせる解釈という印象をもった。
この盤の音源。オケは対向配置をとっているようで、左奥からコントラバスが聴こえてくる。手持ちのレコードではいまひとつはっきりしなかったが、この音源ではよく分かる。
第4楽章コントラバスのパート練習。これを聴いて曲のどこかわかる程度には聴き込むべし(最初はわかるよね)。スコアをみて、かねてより「ここは合うのか?」と思っていた6分30秒からのフレーズ。これをチェロ・バスがユニゾンで弾いて、どれほど合うのだろうか…。
★★追伸★★
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