天気晴朗なれど風強し。昼をはさんでチョイと外出。帰宅後は昨晩録画しておいた例のアレを観て、そのあと楽器を取り出し、三時間ほど戯れた。きょうは久々にカルカッシ教則本を開き、各調性のカデンツァとそれを使った簡単なアルペジオ練習、さらに練習曲などを飽かずに弾いて楽しんだ。

ぼくら世代のギター愛好家には馴染み深い<カルカッシ教則本>。黄色い表紙の溝淵浩五郎編の全音版はいまも版を重ねている。ぼくもギターを弾き始めた高校生の頃、部室にあったボロボロのカルカッシ教則本を使っていた記憶がある。しかし前半の初級向けページだけを順にさらい、あとはまともに見た記憶がない。そしてその後もこの教則本とは疎遠になっていたのだ、数年前に気になって今更ながらと思いつつ手に入れた。
あらためてこの教則本をみると中々興味深く、よく出来ているなあと感心することが多い。第1部;初等科ではギターでよく使われる調性(ハ・ト・ニ・イ・ホ・ヘの各長調とイ・ホ・ニの各短調)の終止形(カデンツァ)とスケール、アルペジオの簡単な練習曲がある。第2部;中等科ではスラーやグリサンド、装飾音などと、第4ポジションから第9ポジションまでの運指、ギターではあまり見かけない調性の基本、またカンパネラやハーモニクス、変則調弦などの特殊奏法が出てくる。第3部には50曲の小品が並び(オリジナルはここで終わる)、そして第4部;高等科ではカルカッシ以外の作曲家、ソルやコスト、タレルガなどの曲集になっている。中級レベルを自称する輩も、第2部中等科にある各ポジションの練習曲は初見力をアップさせるための基本を習得できるし、練習曲も古典的でチャーミングな曲が多い。音をひと通り出すに留まらず、楽曲形式の把握、アーティキュレーションやフレージングを考えながら弾くと十分な音楽的楽しみが味わえる。
とはいえ、多くのギター愛好家にとってカルカッシ教則本を通してしっかりマスターしたという輩は少ないのではないか。教室の先生もおそらくこの本のすべてを生徒に課すことはないだろう。そんな背景が影響しているのか、先日あまり目が向けられないであろうページに以下のような誤植を見つけた。
■溝淵浩五郎版■

■オリジナル:カルカッシ作品59■

手元にある溝淵浩五郎版は奥付によると1999年に改訂新版として出され、ぼくが手に入れた2010年までに16刷まで版を重ねている。その83ページ。初等科のページで出てくるギターでよく使われる調性以外の調についての解説で、シャープ6つの長調を<変ヘ長調>と記してあった。これは<嬰ヘ長調>の間違いだ。オリジナルのファクシミリ版をみても<FIS DUR>と書かれている(写真赤枠部分)。シャープ6つのdurの曲など通常出くわさないし、この本を手にした先生や生徒も、おそらく素通りしてきたことから、初版から半世紀以上経過しているにもかかわらずこれまで誤植が放置されていたのだろう。まあ、そんな重箱の隅をつついても意味のないことだが、このページ前後に記された<その他の調>と題され、ギターではあまり見かけない調性にも、この教則本でひと通り接することが出来ること確認し、もし手元にこの本がある愛好家諸氏はぜひこれらのページもひと通りさらってみることをおすすめしたい。この本で示される終止法(カデンツァ)とそれを使った簡単なアルペジオ練習では、単純に主要三和音だけということではなく、二、六の和音や減七なども使われ、古典的な和声感の基本的な響きが確認できる。また楽曲形式の把握やハイポジションでの左手のサンプルとして手ごろな練習曲が並んでいる。今更カルカッシ…という声が聞こえてきそうだが、あらためて手に取ると学ぶことが多い。クラシックギター愛好家にとっては<一家に一冊カルカッシ>と唱えたくなる。
愛媛県在住のギタリスト青木一男さんがご自身のホームページにカルカッシ教則本の全曲をYouTube動画でアップしている。その他にも初級から中級に進むにあたって必要な練習曲を多数アップしていて素晴らしい。特にカルカッシ教則本にある全練習曲を弾いた一連の演奏は賞賛に値する。曲によって19世紀ギターとモダンギターを使い分けているが、いずれも適切なフレージングとアーティキュレーションを施し、かつ時々ピリッとアクセントになるような表現も織り交ぜて弾いている。大曲、難曲にチャレンジするのもいいが、こうしたもう弾くことはないだろうと思っていた練習曲にスポット当てて、古典を味わうのも一興だ。
溝淵編;カルカッシ教則本P.72 Allegretto
溝淵編;カルカッシ教則本P.72 Vals
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早いもので四月も下旬。きょうは都内での仕事を終えたあと、知人と銀座で落ち合って食事。きのう開店した話題のギンザシックスも遠巻きに確認。外国人観光客も混じり大変な人出だった。知人もぼくも下戸につき、たらふく食べて歓談。それじゃまた、と帰途についた。

10時少し前に帰宅。ひと息ついて、さて週末金曜日。一昨日のマティエカの記事で思い出し、久々にこんな盤を取り出した。

取出したのはロメロ一家、オヤジさんのセレドニオと長男ペペによる二重奏。1976年10月録音。収録曲は以下の通り。19世紀中庸のギター古典期のオーソドクスな曲が3つ入っている。(写真右アントン・ディアベリ)
1. セレナード イ長調 作品96-1(カルリ)
2. 協奏的変奏曲 作品130(ジュリアーニ)
3. セレナード ヘ長調 作品63(ディアベリ)
この盤が出た40年前といえば、すでにロメロ・ファミリーはペペやアンヘルのソロ活動も始まり、十分な人気を博していた頃だ。その時期に、こうした19世紀半ばヨーロッパでギターが広く定着しつつあった時代の、見方によってはやや地味とも思われる純古典曲を選んだこの親子にまず拍手を送りたい。ロメロ・ファミリーはスペイン物ばかりじゃない、ヨーロッパの古典もしっかり演奏できまっせという気概さえ感じる。
演奏もそうしたポリシーを反映するかのように実にオーソドクス。まるで古典派二重奏のお手本のような演奏で好感が持てる。カルリのイ長調のセレナーデは、冒頭の序奏や第1楽章などは、アマチュアの手慰み程度だと、度々出てくる付点音符の処理に手を焼くのだが、さすがに完璧に合っていて格調高い古典的な雰囲気十分だ。ジュリアーニの協奏変奏曲は、70年代半ばの当時人気の高かったジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの演奏などと比べると、闊達さや自在にには欠けるだろうが、ぼくはこのロメロ親子の生真面目なくらいきっちりした演奏を好む。ブリームとジョンの演奏はもちろん素晴らしいが、二人の名人芸の方に耳がいく。ディアベリのセレナーデでもロメロ親子のアプローチは変らない。ディアベリ(1781-1858)という、当時のウィーンにあって職業作曲家(ギター専門家ではない)として名声を博した人が書いたウィーン古典派の本流をいく<家庭音楽>の曲想はクラシックギター音楽の貴重な財産。もっと評価され、演奏されていいように思う。
この時代の曲は今であれば19世紀当時の楽器を使い、よりオーセンティックなスタイルで楽しみたいところだが、40年前は今ほどオリジナル志向は強くなかっただろう。ここはモダンギター(使用楽器はジャケット写真でみると、父セレドニオがラミレス、長男ペペがバルベロ1世だろうか)による70年当時のオーソドクスな解釈と演奏スタイルとして楽しむことにしよう。
ディアベリのセレナーデから行進曲とメヌエット。原曲通り第1ギターはテルツギターを使っている。全曲の楽譜はこちら
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旧友Y氏から楽譜が届いた。

少し前から旧友Y氏が編纂を進めていた私家版<マティエカ・ソナタ集>。
ウィーン古典派ど真ん中の作曲家ヴェンチェル・トーマス・マティエカ(1773-1830)が書いたギター作品の中から<ソナタ>と題されている作品を集めたもの。海外図書館アーカイブ等から集めたファクシミリ版ベースの楽譜をあらためてまとめたもの。もちろん一部は現在も出版譜が流通しているが、こうしたまとまった曲集はない。少し前に出来し、プロのギタリストも含む愛好家諸氏に配布され、また先日4月9日にひたちなか市で行われてY氏も講師を務めた<バロックギターと19世紀ギターによるレクチャーコンサート>のテキストとしも使われたとのこと。収録曲は以下の通り。
大ソナタ1番
大ソナタ2番
ソナタ 作品16
ソナタ 作品17
<交響曲形式による>(第3ソナタ) 作品20-21
<ハイドンによる>ソナタ 作品23
6つのソナタ 作品31
Y氏によれば「不当に無視されているマティエカ、その実力に応じた正当な評価を得られるよう、また演奏会・発表会で演奏されるよう、作成した」そうだ。また巻頭言にはこうも記している。「…上記のように理解されるウィーン古典派だが、ギターではどう現れるか…。その時代・様式にあてはまるのは、S.モリトール、J.キュフナー、W.マティエカ、A.ディアベリそして有名なジュリアーニ…共通するのは彼ら(モリトール・ジュリアーニを除き)がギターがメインの作曲家ではなかったことです。キュフナーには交響曲・弦楽四重奏曲・ヴィオラ協奏曲・軍隊用の多数の曲があり、マティエカやディアベリには宗教音楽や歌曲、多数の室内楽曲がある。モリトール、ジュリアーニにも多数の室内楽がある。…ギターにおけるウィーン古典派の充実したソナタ、緩徐楽章の純粋に器楽的な美しさ、ギタリスティックな外連(けれん)味は皆無である。しかし一度は練習・演奏して欲しい…」
クラシックギターの世界は不思議な世界で、クラシックギター愛好家といいながら、ほとんどクラシックを聴かない、知らない輩があまりに多い(プロもアマも)。カルリやソル、ジュリアーニを弾きながら「ウィーン古典派、それってナア~に?」…。残念なことだが、それがクラシックギター界の現実だ。 ピアノにおけるバイエルのような古典的素養(日本において…)の第一歩もマスターせずに、いきなりバッハやソルの大曲に取組み、アマチュアの遊びだから何でもアリと平然と言い放つ人も多い。バイエルを終えたばかりのピアノ初心者が、「弾きたいから」という素朴な理由で、すぐにベートーヴェンの後期のソナタに取り掛かって、イヤー、弾けないなあ、もっと練習しないと…と言っているようなものだ。作品に対して失礼とさえ思える。古楽器奏者:竹内太郎氏も以前日記に書いていた。難しい曲を選びすぎる、バッハなんてプロでもおいそれと手を出せないバロック期の最高峰だと。
先日の私家版作曲家年表の記事にも書いたが、クラシックギターという特別な歴史があるわけではなく、古典ギター全盛期のカルリ、ソル、ジュリアーニ、メルツといった作曲家の作品はまぎれもなくクラシック音楽全般の古典派・初期ロマン派の中に位置付けられ、それらの様式感や解釈を会得するには18世紀末から19世紀初めてのクラシック音楽全般に親しむことがもっとも手っ取り早い。 もちろんギターでベートーヴェンやモーツァルトというわけにいかないが、マティエカやキュフナー、ディアベリの作品があることに気付くべきだ。Y氏は古典を<楷書>と位置付け、古典に対する理解と敬意なくしていは、その後のロマン派もそれ以前の古楽もないと論じるが、まったくその通りだ。
今回のマティエカの続編も計画中とのこと。私家版もいいが、現代ギター社あたりがきちんと出版してくれたらと願うところだ。
6つのソナタから第4番。
マティエカの作品としてもっとも知られる作品21<ノクターン>のオリジナル三重奏版の演奏(シューベルトがチェロパートを加えたという四重奏版もよく演奏される)。シュタウファースタイルの19世紀ギターレプリカを弾くのは古典作品を積極的に取り上げている益田正洋氏。ウィーン古典派ど真ん中の作風。
同時代のディアベリによる<協奏風セレナータ>作品105
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きょうの関東地方は一気に気温上昇し、各地で軒並み25℃超えの夏日。家の中にいると意外にひんやりした感じだが、外に出ると夏日を実感する。幸い湿度は低く、気候としては快適。きのうのノリテツの疲れも少々あって終日在宅の安息日となった。さて、あすからの仕事に備えてボチボチやすむ時刻だが、ナイトキャップ代わりの一枚をと、こんな盤を取り出した。

ブラックビューティー:カーメン・ランディの盤。この盤は彼女がJVCと契約していた時期の2作目で1997年の録音。ライナーノートをあらためてみると1954年11月1日生まれとあった。まさに同世代。この盤以前にすでに何枚かのアルバムを出していたようだが、日本で知られるようになったのはこの盤のリリース時期、90年代後半からではないだろうか。歌手としては遅咲きというところだろう。この盤ではジャズのスタンダードの他に、ソウルのスタンダードも何曲か入っていて、いわゆるブラックテイストを強く感じさせる曲もある。アレンジもいかにもコンテンポラリーな仕上がりで刺激に満ちた仕上がりだ。今や彼女は、カサンドラ・ウィルソンやダイアン・リーヴスらと並ぶジャズ界の大御所になりつつあるようだが、かつてのサラヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレイらの時代とは明らかに違う新しさを感じる音楽だ。
2005年のステージ。ノリノリのライヴ。これではナイトキャップにはならないなぁ…(^^;
この盤に収録されている<When Your Lover Has Gone>
同じく<YOU'RE NOT IN LOVE>
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四月半ばの土曜日。ふと思い立って、わたらせ渓谷鉄道へ。
国鉄時代の足尾線から平成になって第三セクターわたらせ渓谷鉄道(筆頭株主は群馬県)となった、群馬県桐生市のJR桐生駅から県境を越えて栃木県日光市足尾町の間藤までの40キロ余の非電化単線路線。江戸時代から昭和に至るまで銅を産出した足尾は、その過程で発生した鉱毒被害と、その原因・責任究明の歴史として広く知られるところだろう。第三セクターのわたらせ渓谷鉄道となってからは、銅山観光や途中駅周辺での観光開発を進めてきた。また昨今は、沿線の素朴で豊かな自然景観をめでる人々が県外や海外からもツアーを組んで訪れるようになった。ぼくが初めてこの路線に乗ったのは、もう三十数年前のこと。その後、仕事やプライベートで数回利用した。今回は本当に久しぶりの乗車。
基点はJR桐生駅。レトロなディーゼル2両編成。車内もいい味出してます。といっても平成2年生まれ。






乗り込む前に仕入れた<ほうとういなり> ご飯の代わりにほうとうを詰め込んだレアな一品。お味は…


途中駅の水沼駅・神戸(ごうど)駅周辺は桜と桃の花が満開。新緑そして紅葉の頃も、沿線の渓谷美は絶景。

終着駅の間藤(まとう)。かつてはこの先にも鉱石運搬用の線路が延びていたが、現在は閉鎖されている。近くには銅山時代からの縁で古河金属系の事業所がわずかに残るのみ。観光客の多くは途中の水沼駅(駅内に温泉有り)や通洞(花の名所)で途中下車のようだった。



足尾町は銅産出が盛んであった明治から昭和初期には四万人近い人々が生活をし、栃木県内第二の町であったが70年代に閉山。80年代には精錬事業も終了し、以降は過疎化が著しい。ぼくも過去何度かこの地へ足を延ばしたが、今でも明治以来の当時の建築物が廃墟と化して往時の名残として現存し、いわゆる廃墟マニアの巡礼もしばしば見かける。
わたらせ渓谷鉄道 上り 通洞(つうどう)駅入線。ホームは多くの観光客で賑わっていた。iphone取り出しにわか撮影。YOUTUBEにはトリテツ諸氏の力作が山ほどあります。
わたらせ渓谷鉄道、通称<わ鐵>のオフィシャル動画。春の巻。
冬景色。豪雪地帯ではないので、ほどほどの雪。
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◆◆◆ 当コンサートは諸事情により中止となりました ◆◆◆
先日、知人から演奏会の案内が届いた。
東京コレギウム・ムジクム合唱団の教会コンサートが来る4月23日(日)にあるという。知人からは「与太さん、俗にまみれた日常を純粋なるハーモニーで清めてみては?」とのお誘い。

東京コレギウム・ムジクム合唱団TCMCは、三十名ほどのメンバーからなるアマチュア合唱団。1975年に大阪ハイリッヒ・シュッツ室内合唱団を創立し、ルネサンスから現代音楽まで広く活躍して高い評価を受けている当間修一氏が主宰している。同氏による合唱講座に端を発して2010年に創立されたそうだ。 次第は以下の通り。ご都合つく方はぜひどうぞ。
日時:2017年04月23日(日)
開場:15:30/開演:16:00
会場:カトリック本郷教会
(JR山手線/東京メトロ南北線 駒込駅下車 徒歩7分)
指揮:当間修一
<演奏曲目> (すべてアカペラ)
◇聖金曜日のためのエレミア哀歌 (T.L.de.Victoria)
◇ブルックナー モテット集より
MOTETTEN:Ave Maria/Locus iste/Os justi/
Christus factus est/Virga Jesse (A.Bruckner)
◇さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集
「ぜんぶ ここに」より (相澤直人)
◇混声合唱のための「方丈記」 (千原英喜)
合唱にはとんと縁なく、このプログラムで察しがつくのはブルックナーのモテトくらい。それもブルックナーのテデウムやミサ曲からの勝手な想像だ。エレミア哀歌もトマス・タリスの曲があることは承知しているが手元に音盤はなかったはずだ。ことほどさように、あらためて自分の音楽体験の偏狭さに気付く。案じた知人が貸してくれたCDを聴くと、まさに心洗われる響き。日頃ギターを相手に、平均律ベースにところどころ補正を加えてお茶を濁すチューニングで良しとしている耳に合唱のピュアなトーンは新鮮だ。
相澤直人作曲:さくらももこの詩による無伴奏混声合唱曲集「ぜんぶ ここに」より<ぜんぶ>
千原英喜/「方丈記」よりIII.夜もすがら。歌詞は鴨長明の方丈記そのもの。
TCMC指導者の当間修一率いる大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団。
ブルックナーのモテトから6曲が歌われている。7声を基本に書かれているようだ。彼の交響曲の分厚い響きと異なるところ、共通するところ、双方を感じ取れる。
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以前作って一度公開した作曲家年表(のようなもの)を久々にアップデートした。といっても前回2014年に作った際に抜けていたイギリス近現代作曲家を加えただけ。FC2ブログではPDF形式がアップできないので仕方なくJPEGでのせることにした。またアップロードファイル容量制限が2MBということで、ほどほどのピクセル数(A3版プリントアウトで何とか使えるかな)。もし印刷して利用されるようなら一般家庭でA3版カラープリントは難しいだろうから、コンビニ受け取りのネットプリントの利用が便利かと。
こちらからどうぞ ⇒ ◆私家版 作曲家年表2017年版◆

日頃接しているクラシックギターやマンドリン音楽の愛好家が、そのベースとなっているクラシック音楽全般の潮流に無頓着であるのを見るに見かねて作った…というと生意気なようだが、実のところはぼく自身も一度確認しておきたかったというのが本音だ。ごく私的な確認目的に作ったもので、それ以上の価値もない。思いつくまま作曲家の名前を思い浮かべてリストアップし、生没年を調べて書き加えただけの安直なもの。A3版に収めることもあって、マニアックな人選はなし。また思わぬ大家の抜けがあるかもしれない。表中の矢印は特にクラシックギターやマンドリン(ここでは19世紀末からのものに限定)音楽への影響を示したもの。異論があることは承知だが、一つの目安にはなるかと。
この表で伝えたかったのは、クラシックギターという特別な歴史があるわけではなく、例えば古典ギター全盛期のカルリ、ソル、ジュリアーニ、メルツといった作曲家の作品はまぎれもなくクラシック音楽全般の古典派・初期ロマン派の中に位置付けられ、それらの様式感や解釈を会得するには18世紀末から19世紀初めてのクラシック音楽全般を聴き親しむことがもっとも手っ取り早いということだ。 プロ・アマ問わず一部のギター演奏を聴いていると、バッハ、ソル、アルベニスやヴィラ・ロボスも、ともかく<ギター音楽>としてひと括りに同じ語法で弾く姿にしばしば出くわす。ギター的な美しい音や間違えない技術、バリバリ弾くパワーは悪いことではないが、それを最優先するがために、その作品の時代背景、様式感、雰囲気、そうしたものを置き忘れたような演奏には魅力を感じない。ギター作品以外の同時代の作品に触れ、その時代性を感じ、それをギターで表現できるようになれたらと思うのだがどうだろう。
そういえば、昨年末亡くなった佐藤弘和氏のレッスン室にはこの年表が貼られていたはずだ。数年前、佐藤氏とSNSを通じて何度かやり取りした際に、この年表を気に入ってくれて、さっそくレッスン室に貼りましたとメールをいただいたことがあった。アップデートしたら貼り替えてもらうかと思っていたのだが…
<追伸>
PDFあるいは編集可能なEXCELファイルのリクエストあれば連絡先を添えてコメント下さい。もちろんコメント・メールアドレスは公開しません。
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