今朝の関東地方は、この秋一番の冷え込み…とはいえ、九月の下旬。肩をすぼめる程ではない。ひんやりとした空気の中、少し厚めのリネンのジャケットを羽織って出かけた。不順だった夏も終えて、ようやく秋到来だ。 さて、きょうも程々に業務に精励。九月の予定も無事終了。今のところ、秋そして年末までの仕事の見込みは順調だ。こんなとき、いける口なら仕事帰りにちょいと一杯。小粋な店に引っかかって行きたいところだが、下戸ではどうにもならない。帰宅後、冷えた麦茶と歌舞伎揚げで一杯のお粗末(>_<) せめて音楽だけでも気分を出そうかと、こんな盤を取り出した。

ナット・キング・コールのアルバム「After Midnight」。この盤を知ったのは、村上春樹/和田誠の「ポートレート・イン・ジャズ」。アルバムタイトル通り、クラブでのセッション本番が終わったあと、プレイヤー達が肩の荷を降ろして自ら楽しむ、くつろいだセッションの雰囲気が伝わってくる。
ナット・キング・コールがポピュラー歌手として有名になり始めた頃のピアノと歌、ゲストプレイヤーの味のあるプレイ、互いにアイコンタクトをしながらリラックスしてプレイする姿が目に浮かぶようだ。ゲストプレイヤーの一人、スタッフ・スミスのヴァイオリンを聴くと、ヴァイオリンはクラシック以外には合わないと思っている石頭の輩も(ぼくもそうだった)、あっという間に持論を取り下げるだろう。
かつてのアメリカでは、ナット・キング・コールを始めとして、ジャズスタンダードや穏やかなポップス、ファミリーソングを歌う男性歌手が沢たくさんいた。ジョニー・ハートマン、パット・ブーン、アンディ・ウィリアムス、トニー・ベネット、メル・トーメ、あっフランク・シナトラも…今は誰がそうした存在なのだろうか。
<Just You, Just Me>
<Sometimes I'm Happy>
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書棚を整理していたら、しばらく忘れていた封筒が出てきた。

大阪のギター製作家:故・松村雅亘氏から届いたもの。十数年前、大阪出張の折の工房を訪れ、その後新作を依頼したり何度か手紙のやり取りをしていた頃のもの。いくつかの貴重な資料に加え、来日したギタリスト:ステファノ・グロンドーナ氏が持参したDVDが同封されていた。
そのDVDは、1981年に開かれた第一回セゴビア国際コンクールのドキュメンタリー。当時BBCが作成して放送されたものを誰かが録画し、二十数年ぶりに、そのコンクールにも出場していたグロンドーナ氏の元へ届いたというものだった。そのコンクールの本選出場者6名の中には、日本から参加した共に二十代だった堀内剛志氏と岩永善信氏が残り、堀内氏はみごと優勝を果たした。そして、堀内氏が使った楽器が、当時ロベール・ブーシェの教えを受け、本格的に日本国内で製作は始めていた松村氏作のギターであった。当時に様子は、雑誌現代ギター誌にも掲載されたので、覚えのある輩もいるだろう。
今では日本人ギタリストも多くの国際コンクールで上位入賞するようになり、個々そして全体としてのレベルも当時と比べると著しく上がった。しかし一方で、コンクール入賞が音楽の終着点のようになって、押しなべて没個性の演奏や音になってしまっている現状も無視できないだろう(これはギターに限らない)。今から三十余年前の当時は、まだまだ世界は遠い時代だったが、高い志と個性が光る時代でもあった。
その貴重な映像を今はYOUTUBEで見ることが出来る。この第一回のコンクールで本選に残ったメンバーは以下の6名(カッコ内は当時の年齢)、堀内剛志(22)、岩永善信(28)、ポール・ガルブレイズ(18)、ステファノ・グロンドーナ(23)、エリオト・フィックス(27)、チェリル・グライス(28)。世界から集まった有能な若者を、暖かく迎える企画運営の様子も伺える。優勝した堀内剛志氏は当然嘱望される存在となったが、その後悲劇的な出来事があり、第一線から姿を消した。この動画の最後で一言そのことに触れている。本ブログではその件についてはこれ以上コメントしないことにする。
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きょうは帰宅途中に近所のショッピングセンター内の書店へ。雑誌を二冊買い、ついでに音楽書コーナーを覗く。もちろん一般書店なので珍しいものがあるわけではないが、国内クラシックギター関連書の老舗現代ギター社の新譜などは時々置いてある。きょうもあてもなく眺めていたら、そのうち手にしようと思っていた曲集があったので、レジへ持っていった。

二冊の曲集。一つはギタリストの鈴木大介(1970-)作曲による「12のエチュード」。現代ギター誌に連載されたいたものがまとまっている。今年5月の出版。もう一冊は同じくギタリスト益田正洋(1978-)の校訂・運指によるグラナドス(1867-1916)の「12のスペイン舞曲集」。編曲は益田氏とやはりギタリストで作曲家でもある藤井眞吾氏による。昨年秋の出版。
パラパラとページをめくっただけだが、鈴木大介「12のエチュード」は、それぞれの曲に、はげまし・解き放たれた心・ドルフィン・記憶・ゆれる麦の穂…といった副題が付されていて、弾く前から何となく曲をイメージしたくなる。エチュードだから、曲ごとに習得すべき技術的・音楽的な課題があるのだろうが、現代風の小品としてもおそらく楽しめるのものだろう。
昨年そして今年と、没後100年・生誕150年となるエンリケ・グラナドスのスペイン舞曲集は古くからギター用編曲がなされ、アルベニスの諸作品と共に、近代スペイン音楽の薫りをギターで楽しめる貴重なレパートリーだ。近年、クラシックギターの演奏会で取り上げられる曲というと、70~80年代とは随分様変わりしていて、19世紀の古典ギター黄金期の作品や、スペイン近代の編曲物など、かつての王道プログラムの影が薄くなり、先日の記事に書いたバリオスなど中南米の作品や、ポップスやジャスの感覚を取り入れた現代作品などが増えてきているように感じる。そんな中、益田正洋氏は、古典期のソナタ集を録音したり、この曲集のようなスペイン物も取り上げたりと、かつての王道プログラムを積極的に取り上げ、素晴らしい成果を挙げている。
スペイン物はいずれの曲もその曲調に比して、技術的には中々ハードルが高い。特にピアノからの編曲ということもあって、音の展開に起因する左手の押弦の難易度が高い。このスペイン舞曲集も以前から見知っている曲だが、今回の編曲をちょっと眺めても、安直に楽しむというレベルではなさそうだ。まあ、初見で通せるような安直な曲ばかりでは一向に進歩もないし、少しは気合を入れて取り組もうかと…ひとまず今夜は心に誓ったところだ。さて、どうなるか…
益田正洋氏は以前よりこの曲集の演奏に傾注し、楽譜出版と共にCD録音も完成させた。
福田進一グラナドスを語る
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今朝の通勤車中で聴いたNHKFMの「きらクラ!」は題して「秋のブラームス祭り」。リスナーからは秋にふさわしいブラームスの名曲がエピソードと共にエントリーされていた。そうだよな、秋はブラームスだよなあ…と合点しながら放送に聴き入る。さて帰宅後、朝の放送を思い出し、リスナーから寄せられた「秋のブラームス」に相応しい曲の一つとして上がっていた、この曲の盤を取り出した。

ブラームスのクラリネット五重奏曲ロ短調。ウィーン八重奏団員よる演奏。アルフレード・ボスコフスキー(クラリネット)、アントン・フィーツ(ヴァイオリン)、ギュンター・ブライテンバッハ(ヴィオラ)、ニコラウス・ヒューブナー(チェロ)。手持ちの盤は、80年代初頭にミドルプライスで発売されたときのLP盤。録音は1961年。
ウィーン八重奏団はウィーンフィルのコンサートマスターだったウィリー・ボスコフスキーが主宰していた四重奏団に、クラリネット・ファゴット・ホルン・コントラバスが加わって構成された楽団だ。60年代入り、ボスコフスキーがウィーンフィル四重奏団や指揮者としての活動に移るため勇退。第一ヴァイオリンがボスコフスキーから、この盤でも演奏しているアントン・フィーツに代わったとライナーノーツに記されている。ちなみに、この盤でクラリネットを吹いているアルフレード・ボスコフスキーは、ウィリー・ボスコフスキーの弟である。
ブラームスのクラリネット五重奏曲は、モーツァルトのそれと共にクラリネットの名曲の一つだ。クラリネットの音色というと、ぼくなどは少々コミカルなイメージを持つが、ブラームスやモーツァルトの手にかかると、一転深みのある音楽を奏でる。このブラームスの五重奏曲も、いかにもブラームス風の落ち着きと憂いと優しさに満ちている。特に第2楽章の美しい歌は比類がない。ここでいう美しさとは言うまでもなく、耳あたりのいいキャッチーなメロディーということではない。憧れと悲しみ、希望とあきらめ、出会いと告別、そうしたものが隣り合わせになった、ブラームス特有の美しさだ。とかく軽く見られがちな第3楽章もいい。スケルツォ風の軽快な運びながら、クラリネットが楽天的になり過ぎないメロディーを吹き、弦楽合奏がそれを支える、聴き応えのある楽章だ。
カール・ライスターと日本のトップメンバーによる演奏。
スコア付き音源。カール・ライスターとアマデウス四重奏団による演奏。ギター抱えて2ndヴァイオリンのパート辺りを追いかけてみるのもよい初見練習かと。
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最近弾いたギターの印象。備忘を兼ねて記しておこう。
そもそも日々ろくろく弾きもしないのに、楽器についてあれこれ講釈するのは、まったくもって不本意なのだが、気になる楽器があると身体がムズムズしてくるのは、もはや性癖を通り越して病気かも知れない。しかし周辺には更なる重症患者もいるので、気を楽にして程々に病気と付き合っているのが現状だ。最後に楽器を買ったのは2014年秋のオルディゲス(あっ、こんなのもあったか)。その後、症状は落ち着いていたのだが、この春くらいから少々ソワソワが続いている。そんな中、久しぶりに楽器店を巡回。以下順不同にインプレッション他を。どこの店かを明かさない方がいいかなと思い、年式他詳細情報は伏せておく。もっとも、ちょっとネットをサーチすれば分かるだろうが…。
■ドミンゴ・エステソ■
松・シープレスのエステソ。表板・裏板ともクラック修理跡があるが適切に修理されていて問題なし。ネックや指板の状態もよかった。この時代の楽器らしく、軽いボディーと薄めの表板により低音ウルフトーンはF#辺り。低音がドンと鳴り、高音も木質系ながら反応よく、高音のハイポジションのつまりもなし。音量も十分。相場よりも少々低めの価格設定。シープレスというと現代的視点ではフラメンコギターをイメージしてしまうのか、横・裏がローズ系(いわゆる黒)になると、それだけで3割程価格アップする。音に関してはシープレスは決して悪くない。
■フランシスコ・シンプリシオ■
トルナボス付き。松・ローズ。店主が調弦しているときから、6弦開放のEがドーンと部屋に満ちてびっくり。ドンッ、だけでなくサステインもあって、ドーンと尾を引く。高音ハイポジションは全体にややつまり気味だが、トルナボスの響きがのって、曲を弾くとそれほど気にならないだろう。エステソと比べると男性的で豪放な音。全体に均一で整っていたエステソはとは好対照。委託品とのことで、持ち主がペグをピカピカの後藤に替えてあったり、横板と裏板が材質も違っていて、店主曰く、一度開けて裏板を張り替えているようだとのこと。私もそうみた。そのあたりもあってか価格も安めに設定してあった。
■矢木聡明ブーシェモデル■
初めてみる楽器。アマチュア製作コンクールで優勝経験もある愛知の方だそうだ。ブーシェモデルだけにこだわって作っているとのこと。細部まで丁寧に作られていて、特に指板の工作精度は素晴らしく、ほれぼれした。力のある低音と、太い高音で、全体にやや渋めの玄人好みながらいいギターだった。
■佐藤忠夫■
3本在庫してあった佐藤忠夫の作品中、松・メープルのモデルを試奏。特徴的なヘッドデザインが好みの分かれるところだろうか。他全体の工作精度はまずまず。ネックの状態もよい。音もメイプルらしく、少し短めの余韻を伴って、コロコロ・コンコンとよく鳴っていた。低音も十分で、20万円を切る価格は超お買い得と感じた。
■中野潤サントスモデル■
もっぱらトーレスモデルやハウザーモデルで知られる中野潤。サントスモデルは注文主からのオーダーもあって、ギター文化館コレクションにあるサントス・エルナンデスを参考にして作られたとのころ。かなりかっちり作られた印象の楽器。低音力強く、高音も立ち上がり鋭く、エネルギー感もあって良く鳴っていた。年月を経た本家サントスのような枯れた味わいはさすがに無理だが、出来たばかりのサントスかくやと思わせる。
■寺町誠MT-2■
国内中堅製作家という印象の寺町誠氏。それでも東京、名古屋、大阪の複数の販売店が常時在庫する背景には、コンスタントに良品を提供している実績あってのことだろうし、その音質や品質も好評だからに違いない。松・マダガスカルローズ(漆黒板目の良材)の新作を試奏。見かけのプロポーションがフレタ似であることから、もっと男性的な楽器かと思っていたが、それほどガチガチではなかった。低音のウルフはG辺りだが、それより低い音域も充実した鳴り。高音はどの音も均一に鳴り、エネルギー感、サステインとも十分。工作精度、音ともに良い楽器。価格も適正。このレベルの楽器を早い時期に手に入れて長く弾き込むというのは最良の選択の一つだろう。
■一柳マエストロモデル■
松・ハカランダの上位モデル。3年程経過した中古品だったが傷は少なく、ネック他楽器としての状態は良好。低音の充実ぶりは今回試奏した一連の楽器中トップかもしれない。どっしりと深く重く響く。中高音は低音側に引っ張られてか、ややマイルドな印象。太く穏やかな響き。こういうバランスが好みの人もいるだろう。
■パコ・サンチャゴ・マリン■
先日来宅した知人が使っていて、一気にファンになってしまったパコ・サンチャゴ・マリン。今回650mmと640mmの両方を試奏した。松・中南米ローズ。2本とも素晴らしくよく鳴る楽器だった。低音は強いウルフトーンは伴っていないが、6弦ローポジションまでしっかりエネルギー感がある。5弦の7~10フレット辺りのつまりも少ない。高音は先日の印象同様、立ち上がり鋭く、かつ明るくよく鳴り、実に気持ちがいい。
…と、初秋の巡回報告は以上の通り。秋は空気も乾き、楽器のコンディションも上向く季節だ。楽器は弾いてナンボ。さて、こんなろくでもない与太ブログなど書いていないで、練習に励みましょうかね。
フランシスコ・シンプリシオ1929
ドミンゴ・エステソ1930
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風邪は大事に至ることなく収束方向。きょうは朝から食事もとったし、体調が悪いと受け付けない珈琲も数日ぶりに香りが楽しめた。幸か不幸かこの三連休は台風接近もあってあいにくの予報。さて、のんびり音盤でも聴きながらリハビリにつとめようかと、こんな盤を取り出した。

手元にある昭和歌謡のLP盤は70枚ほど。まったく脈絡のない集合だが、ほとんどの盤は90年代後半から2000年辺りにかけて手に入れたもの。一部を除いて多くはリサイクルショップのジャンクボックスから@100程で救済してきた。従って盤質は玉石混合で、レコード盤の方ではなく、プレイヤーの針の方が痛むのではないかと思うような酷い状態のものもあって、そんな盤ではスクラッチノイズも盛大に出てくるが、それでも昭和のレコード盤に違いはなく、当時の録音技術、バックバンドの楽器や演奏のレベルなどが当時のままよみがえり、懐かしいことこの上ない。きょうはその中から布施明の盤を選んでみた。盤の状態は極めてよく、若き日の声を存分に楽しめる。
布施明は70年前後シャボン玉ホリデーでお馴染みの顔だった。デビュー当時まだ十代だったが、歌の上手さはよく覚えている。ぼくにとっての布施明は「シクラメンのかおり」以前の、「霧の摩周湖」や「恋」を歌う姿の印象の方が圧倒的に強い。この盤は1968年発売のベスト盤だが、当時はまだ二十歳そこそこであったはずだ。しかし声はよくコントロールされていて、伸びやかでよく通る声が気持ちいい。この頃の歌が今でも歌い継がれる大きな理由の一つは、プロの作詞家によって作られた歌詞と、その日本語を譜割りの音価一つ一つにのせ作った、プロ作曲家の作曲技法によるところが大きいと思う。音程に不自然な跳躍がなく、和声進行も自然で、結果として覚えやすく歌いやすい。今でこそ「そこそこクラシックオタク入ってます」状態のぼくだが、ベースには十代に聴いた歌謡曲や洋楽ポップスがある。歌謡曲もポップスのその和声の源泉は古くからの西洋調性音楽だ。Ⅵ-Ⅱ-Ⅴ7-Ⅰ(Am-Dm-G7-C)の和声進行などは、歌謡曲やポップスに多数見られるが、クラシックではバロック音楽時代以来の常套句。決して異質なものではなく、共通点も多い。遥かイタリアン・バロックに思いをはせつつ、昭和レトロの歌謡曲を聴くのもまた一興だ。
名曲<霧の摩周湖> この盤の音源と同じく初出時の音源と思われる。かぶせてある映像は…90年代以降でしょうかね。
こちらは70年代終わりから80年代初頭か。
2005年だそうです。
★★追伸★★
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日経新聞文化欄の「私の履歴書」。九月から湯川れい子(1936-)が登場している。すでに十話。戦中の幼少の頃を過ぎ、戦後の青春時代から大人の女性に成りつつある頃まできた。きょうは初めてダンスホールへ行き<マンボズボン>を履いたカッコいい男性に誘われるくだりだった。
「私の履歴書」は各界の著名人、第一人者の生涯を連載でたどる。日経新聞という性格上、登場するのは企業人・財界人が多いが、政治家や文化人などもしばしば現れる。いずれも一時代を成した人、その道の第一線を切り開き歩んできた人ということもあって、年齢的には70歳から80歳位の人が多いだろうか。人生の節目になった出来事など、それぞれに面白いが、ぼくが最も興味をもって眺めるのは、それぞれの時代の様子、空気、雰囲気…そんなものだ。
例えば、いま登場している湯川れい子。父は軍人、母は武家の娘。幼少の折は東京山の手に住む。父は務めから帰ると着物に着替える。無駄のない所作でそれを手伝い、脱いだ衣服を手際よくたたむ母。終戦の玉音放送のあと母に呼ばれ、「これからはいろいろな人間がやってくる。もし辱めを受けるようなことがあったら、これで自害しなさい」と、懐刀の使い方を教えられる…。そんな描写を読みながら、ぼく自身の記憶にもない、今となってはおそらく日本のどこにも見られなくなった光景を想像すると、意外にリアルなイメージが頭の中に広がり、もしそうした時代に生きていたら、どんな風に過ごしていただろうかと、とりとめもなく考える。数分で読める連載だが、そこから広がるイメージが存外に大きく、職場の書架から取り出して休憩時間に眺めるのはちょっとした楽しみだ。ちなみに連載小説も今月から新たに林真理子の「愉楽」が始まった。初回からシンガポール駐在の男と人妻との情事の場面で始まり、こちらも仕事の手を休めてリフレッシュするにはちょうどいい塩梅だ。

さて、きょうは前ふりが長くなってしまったが…週明け月曜の夜。久しぶりにこんな盤を取り出した。
マリオ・ジョアン・ピリスの弾くショパンの後期作品集。2008年録音の2枚組。収録曲は以下の通り。
<ディスク:1>
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58
2つの夜想曲 作品62 夜想曲 第17番 ロ長調 作品62の1
2つの夜想曲 作品62 夜想曲 第18番 ホ長調 作品62の2
3つのマズルカ 作品59 マズルカ 第36番 イ短調 作品59の1
3つのマズルカ 作品59 マズルカ 第37番 変イ長調 作品59の2
3つのマズルカ 作品59 マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 作品59の3
<ディスク:2>
1. ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61≪幻想≫
3つのマズルカ 作品63 マズルカ 第39番 ロ長調 作品63の1
3つのマズルカ 作品63 マズルカ 第40番 ヘ短調 作品63の2
3つのマズルカ 作品63 マズルカ 第41番 嬰ハ短調 作品63の3
3つのワルツ 作品64 ワルツ 第6番 変ニ長調 作品64の1≪小犬≫
3つのワルツ 作品64 ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64の2
3つのワルツ 作品64 ワルツ 第8番 変イ長調 作品64の3
マズルカ 第45番 ト短調 作品67の2
マズルカ 第47番 イ短調 作品67の4
チェロとピアノのためのソナタ ト短調 作品65
マズルカ 第51番 ヘ短調 作品68の4
ショパンは1810年に生まれ、1849年に39歳で亡くなっている。この盤にはその晩年1844年以降の作品がほぼ網羅されている。この頃ショパンは体調を崩し、父を失い、ジョルジュ・サンドとの別れもあった。まさに失意の晩年だったろう。若い頃はショパンに対して<女学生が甘ったるい小説を小脇に抱えながら聴く音楽>といった、いささか偏見めいた印象もあって、積極的に聴くことはなかった。しかし近年、特に後期作品やマズルカなどは頻繁に聴き、その良さを実感するようになった。この盤はそんなぼくの最近の心情にジャストミート。滅多に新譜には飛びつかないが、この盤は発売されてまもなく出会い、迷わずレジに持っていた。
ピリスは抑え気味の抑揚で静かにショパン晩年の心情をなぞるように弾いている。オーディオの音量をやや控え目にして聴くとより味わい深く響く。<子犬のワルツ>もピアノ発表会聴くような陽気にパラパラと弾く様には遠い。マズルカは沈み込んだ音調がいっそう聴く側の心を打つ。
チェロソナタは多くのピアノ独奏曲にはない渋い曲想の佳曲。晩年の作品あるいはショパンの作品とは思えない起伏と力に満ちたフレーズもときにあるが、しかし底流には心折れるような悲痛でメランコリックな曲想が流れる。この盤ではパヴェル・ゴムジャコフという1975年ロシア生まれのチェリストが弾いていて、やや暗めの音色でよくこの曲のイメージをつかんでいる。
この盤のプロモーションビデオ。ショパンの晩年作品について語り、弾くピリス。
チェロソナタ。この盤の演奏音源。
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