アキュフェーズのセットが到着してから、間もなくひと月になる。

このところ平日、休日問わず、まともに音楽を聴いている状態ではなく、せっかく導入したアキュフェーズも本領発揮に至らず、ではあるのだが、少しずつその性格も分かってきた。少し前に、パワーアンプA-70にインプレッションを書いたが、きょうはプリアンプC-2450について備忘を記しておこう。


今回アキュフェーズの導入に際して一番悩んだのが、プリアンプの機種選定だった。
入力のメインがCDプレイヤーからであれば、その出力レベルはパワーアンプの入力レベルに近く、増幅手段としてのプリアンプは不要なのではないか、入力セレクタとアッテネータによる、いわゆるパッシブプリアンプで用足りるのではないか考えた。これに関してはプリアンプの要不要について、オーディオマニアの間で議論百出であることは承知しているが、純粋な電気信号処理側面だけでなく、実際の音に対する情緒的判断が入ることから、その議論も結論には至らないことが多い。結局は、道楽なのだからお好きなように、ということになる。ぼく自身はパッシブアッテネータでも良いかと考えていたのだが、フォノ入力を受ける以上イコライザは必須で、その出力レベルは直接パワーアンプに入れるには少々低く、10dB程度は増幅したい。ならばパッシブプリに軽くゲインを持たせたバッファアンプでも入れればいいか…そんなことが考えていたのだが、そもそもパッシブプリでこれはというものが見当たらない。ましては今更自作も面倒だ。そんなこんなの堂々巡りで、やはりプリアンプを入れようとなった。
アキュフェーズのプリアンプは内蔵可能なフォノモジュールによってモデルが分けられている。エントリーモデルのC-2120は基板1枚構成のシンプルなAD-30がセット可能で、当初はこれで十分かと思ったが、上位機種に内蔵可能なフォノモジュールAD-2850の、左右独立した基板構成や周到な電源部をみると、基板1枚構成のAD-30はいかにも貧弱に見えてくる。マニアックなアナログファンではないが、手持ちの音盤の半数以上はアナログ盤であることから、ここはフォノモジュールはおごっておこうと決心。必然的にプリアンプの機種はC-2450となった。もちろんさらに上位のモデルもあるが、あきらかに分不相応。この夏に出たばかりの新製品ということもあって、中堅クラスのC-2450にした。
ここしばらくアキュフェーズのシステムを聴いてきて感じるのは、月並みな評価だが、その解像度の高さだ。今回はプレイヤーからプリアンプ、パワーアンプまで一気に入れ替えたので、その解像度の高さがどの段階に起因しているか特定できない。しかし、そのかなりの部分がプリアンプC-2450によるのではないかと感じている。
解像度が高いというと、何やら中高音がカリカリでエッジが立っているような音をイメージするが、そういうわけではない。一つ一つの音の粒に余分な付帯音がなくフォーカスが明瞭。音ににじみがないといえばいいだろうか。その結果、演奏者が繰り出す細かなニュアンスが手に取るようにわかる。クリコヴァのギターでは、音符を再現した本来の楽音に加え、クリコヴァが押弦する際の弦とフレットの当たり、左手のポジション移動の様子までも再現される。以前のラックスマンのセットでは気付かなかった演奏の気配、スタジオの空気感がよくわかる。五嶋みどりのアルバムでは、キレのいい彼女のボウイングから放たれる音が空間の前後左右ばかりか、上方へも広がり、スタジオの広さが想像できる。熱帯ジャズ楽団の活気あふれるライヴでは、複数のパーカッションから繰り出される音が四方八方に飛び散り、音圧によるものとは別の臨場感に包まれる。
C-2450はプリアンプとして必要とされる機能は完全に網羅していて、入力系統などは少々過多と感じるほどだ。またトーンコントロールのターンオーヴァー周波数は固定。この点は下位モデルのC-2120が低音、高音とも切り替えができ、特に低音のごく低い部分を少しブーストしたいというケースでは、むしろ上位機種より使いやすい。ヘッドフォン出力も十分な駆動力があり、ゼンハイザーHD800でもまったく問題なく、高音質で鳴らしてくれる。音量調節ボリュームの感触も、独自メカの採用により、リモコン対応のボリュームとしては悪くない。
システムの総入れ替えは相応の出費ではあったが、CD、LP問わず、音盤を聴くたびに、楽曲の成り立ちをより構造的に聴くようになり、同時に演奏者の気配を感じ取れるようになった。今のところその表現力に納得、脱帽の毎日である。
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気付けば11月も下旬。師走前、最後の週末日曜日。
朝からいきなりヒートポンプ給湯器(エコキュートですね)が故障。しばらく前からタンクユニット配管系統のOリング劣化と思われる微小水漏れ等あったが、だましだまし(無視して)継続使用。今回は漏電ブレーカーがオフする不具合。復帰を試みると一時的に動くこともあるがやはりダメ。職業柄(といってもほとんど退役)パネルを開けて電装系統をチェックするくらいは出来るのだが、設置から13年間大過なく稼動してきたことを考えれば、まずまず寿命全う。出入りの電器屋に入替えの相談となった。今年に入ってから、冷蔵庫・キッチン換気扇と立て続けに製品寿命尽きて入替えた。給湯器もボチボチかなあと思っていた矢先のダウン。次に控えるのは十数年物のエアコン数台…まあ、仕方ない。 さて、そんなこんなであたふたとした一日が終わって夜更けの音盤タイム。このところのバッハつながりでこんな盤を取り出した。

バッハの世俗カンタータ<悲しみを知らぬ者>BWV209。ぼくら世代にはお馴染みのコレギウム・アウレウム合奏団のよるハルモニアムンデ盤。1966年録音。手持ちの盤は70年代終盤に出たハルモニア・ムンディ1500と称されたシリーズのミッドプライスLP盤で、<結婚カンタータ>BWV202とカップリングされている。両曲ともソプラノが活躍することから、このカップリングになったのかもしれない。ソプラノ独唱はエリー・アメリンク(1933-)。ジャケット帯には「アメリンクの声が最も美しかった絶頂期の名唱」とある。
第1曲ロ短調のシンフォニアは<二つのヴァイオリンのための協奏曲>を思わせるフレーズで始まる。独奏フルートと弦楽合奏とが交互にあらわれ、フルート協奏曲といってもおかしくない内容だ。ハンス・マルティン・リンデのフルーテ・トラヴェルソの音色もあって、落ち着いた色合いの充実したフレーズを繰り広げられる。このシンフォニアだけでもこの曲は十分に魅力的だろう。レシタティヴに続くホ短調のアリアは感傷的なフレーズに満ちた美しいアリア。友人との別離と出発の祝福が歌われ、中間部では明るいト長調に転じる。ふたたび短いレシタティヴをはさんでト長調のアリアが8分の3拍子の舞曲風リズムにのって歌われる。この2曲のアリアとも終始フルートのオブリガートが活躍する。
ぼくはバッハの作品中過半を占めるカンタータを仔細に聴いたわけではないが、このBWV209は中でも印象的な佳曲の一つだろう。イタリア語で書かれた数少ないカンタータということもあってか、ホモフォニーな美しい旋律的フレーズに満ちていて、聴き入ってしまう。
通奏低音にリュートも加わったフランスの古楽団体による演奏。
ベルリンフィル首席オーボエ奏者アルベレヒト・マイヤーは、バッハのいくつかの曲をオーボエ用にアレンジしたアルバムを出している。BWV209もシンフォニアと2つのアリアで3楽章構成にしたオーボエ・ダモーレ協奏曲に仕立ている。その音盤のPV。
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数日前の日経新聞文化欄にオルガン製作の第一人者望月廣幸氏の記事が出ていた。氏は埼玉県の小さな教会に生まれ、武蔵野音大へ進んでオルガンを学んだ。1964年オルガン奏者としてドイツへ渡るが、やがて関心はオルガンの製作へ。帰国後は多くのオルガン製作に関わる。初仕事は1968年、日生劇場に設置した移動式オルガン。ミュンヘン・バッハ合唱団を率いて来日する予定のカール・リヒターが公演会場にオルガンがないと聞いて激怒したことから急遽製作することになったそうだ。 そんな記事を読んだこともあって、数日ぶりの音盤タイムにこんな盤を取り出した。

カール・リヒターが弾くバッハのオルガン曲集。収録曲は以下の通り。
(1)幻想曲BWV572 (2)前奏曲とフーガBWV548
(3)コラール「おお愛する魂よ」BWV654 (4)前奏曲BWV544
(5)コラール「汝イエス、天より降りたもうや」BWV650
(6)トッカータとフーガBWV540 (7)トッカータ、アダージョとフーガBWV564
カール・リヒター(1926-1981)はミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者として50年代後半から膨大なバッハ録音を残した。しかしもともと彼は、バッハ自身も楽長を務めたライプツィッヒ聖トーマス教会のオルガニストとして音楽のキャリアをスタートしている。この録音は彼が晩年来日した際に、東京カテドラル聖マリア大聖堂でライヴ録音されたもの。バッハの曲が本来作曲されたシチュエーションに近い状態で再現された演奏とも言える。
散らかった机上の整理をしながらアンプが温まるの待つ。20分ほどしたところでCDをトレイにセット。ボリュームノブを時計の針で10時過ぎ頃まで回してプレイボタンを押した。最初のトラックの幻想曲ト長調BWV572が始まる。冒頭1分半ほど即興的な音形のパッセージがあり、一瞬の休符をおいたあと、ペダル音の重低音を伴ったオルガンの総奏がアヴァロン・エクリプスから流れ、部屋の空気を揺るがすように響き渡る。バッハのオルガン曲の醍醐味、オーディオ的快感、双方入り混じり、しばし響きに身を任せる。
ライナーノーツにも書かれていたのだが、この演奏は一般のコンサートホールでの演奏とは少々趣きを異にしている。教会で奏でられる音楽、残響豊かなドームに響く音響そのもののが持つ価値…そんな側面を強く感じる演奏だ。純音楽的にとらえれば、各声部の描き分け、曲想の移ろいといった部分に注力するだろう。しかしこの東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライヴは、教会の日常的行為としてのオルガン演奏として、即興的かつ教会内に響き渡る音響芸術とでもいうべき雰囲気を重視しているように感じる。リヒターは幾多の名演をレコードに残し、単身来日してチェンバロとオルガンの演奏会を開いたこの1979の来日から2年たった1981年2月に逝去。まだ55歳の若さだった。
この盤の音源。BWV540のトッカータ
同BWV548のフーガ
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このところテレビのバラエティーで、とかく笑いの自虐ネタにされる群馬・栃木・茨城の北関東三県。様々なランキングで最下位争いに甘んじている当群馬県であるが、全国ランキングの上位にリストされる項目もある。例えば車。運転免許所持率はトップ、世帯当たり車所有率も常にトップ集団。…まあ、田舎の証明ということだけですけどね(^^; 車ナシでの日常生活は難しい。世帯に住む大人の人数だけ車を所有する家も多い。我が家の隣り組のある家では、世帯主夫妻、その父母、子供二人、家族全員分計6台の車が車庫に並んでいるが、珍しい光景ではない。もっとも当県だけなく、大都市圏以外は日本全国似たようなものだろう。
いまぼくが乗っているのはトヨタ・プリウス。二代目のモデルで2007年に購入し、まもなく11年。15万キロほど乗ったが、不具合なく快調そのもの。心配していた電池劣化もなく、燃費も新車当時と変わらない(街乗り17キロ、一般道遠出25キロ、高速20キロ)。もっぱら通勤用途だったが、50代の最も多忙かつハードな10年を支えてくれたという感慨もある。そんないくつかのポジティブな要素があるので、長く乗り継ごうかと考えていたのだが、以前と通勤距離が変わって、さほど燃費を気にしなくてもいい状況になったこと、それとさすがに10年乗って、ちょっと違う車に乗りたくなったという浮気心もあって、ぼちぼち退役させようかと、少し前から思案している。
乗りたい車の筆頭いすゞ117クーペ

きょうは家人の乗るアクアの冬タイヤ履き替えのため国道沿いのディーラーへ。馴染みの営業担当と、そんな浮気心の人生相談。当然彼は新型プリウスへの乗換えを進めるが、現行モデルのエクステリアデザインがダメなのよねぇ~とゼロ回答。流行りのSUVには興味ないし、クラウンのような大型車も受け付けない。いわゆるCセグメントの程々のサイズで、すっきりしたデザイン。上質ではあるが、あまりオッサン臭くなく…などど考えていると、意外に選択肢はなくて、結局外車に目がいってしまう…と話すと営業担当の彼もうなづきつつ同意。そうはいっても何か選ぼうかと思っていて候補は、スバルかワーゲン・ゴルフ、あるいはBMWの3シリーズ辺り…というと、「ゴルフ、試乗しますか?」と彼。そのトヨタディーラーに隣接してフォルクスワーゲンのディーラーがあることを思い出した。ヤナセが手を引いてからフォルクスワーゲンの販売店をトヨタ系列の販売店が併設していることも多く、その店もそうだったのだ。
運よく試乗車は空いていて、アクアのタイヤ交換をお願いしている間にゴルフの試乗となった。試乗したのはエントリークラスTSIとスポーツモデルGTI。 ぼくはカーマニアでも走り屋でもないのだが、ゴルフは以前から一度は乗りたいと思っていた車の一つ。そのデザインは誕生から40年を経過しても基本が変わらず、いつの時代も「いまひとつダサいよね」といわれながらもそれを頑なに変えないことで、それがやがて価値に変わるということ自ら証明している。現行モデルも日本車の視点から見たら、インパクトがない、刺さらないなどといわれて、企画会議でボツになりそうなデザインだろう。しかし、見るほどに無駄がなく、継続されたコンセプトが息づく。乗ってみれば、ドアの開閉から始まって、上質感があふれ、走りも秀逸。直噴1.2リッターの小型エンジンながらターボの恩恵で低回転域から力強い加速感。加えてミッションも国内の主流となったCVTと違い、ダイレクト感覚の7速DSG(DCT)。アクアやプリウスとは段違いの走行フィーリングだった。
スポーツモデルのGTIにも試乗。直噴2.0リッターのターボ付きエンジンは、最高出力230ps、最大トルク35kgm。こちらは別次元の速さ。ちょっと踏んでみて下さいという営業担当のお誘いもあったので、周囲の様子を伺いながらアクセルを踏み込むと圧倒的な加速感。まさにぶっ飛ぶ。巡航速度が150キロを超えるアウトバーンで追い越し加速するにはこのくらいのスペックが必須なのだろう。
久々の新車試乗に気分高揚。現行ゴルフにはきょう乗った1.2リッター・ターボの上に1.4リッター・ターボもあって売れ筋だとういう。流行りの安全予防や運転支援のシステムもひと通り入っているようだ。そしてなんと言ってもこのクラスの車のベンチマークとして君臨するだけの実力を備えた車であることに納得。営業担当に礼をいい、カタログ片手に帰途についた。
プリウスの車検は年明け1月末。気になるもうひとつの車。スバルの新型インプレッサも次世代プラットフォームの導入でゴルフに迫る乗り心地と走行性能らしい。国内メーカーとして今やユニークな存在となったマツダとスバル(今年4月に富士重工から社名変更)。マツダ=広島ほどには、スバル=群馬の認知度はないが、開発部門・主力工場を当地に置くスバルは、間違いなく群馬純血種。郷土愛も手伝って、水平対向エンジンとAWDの伝統メカニズムを楽しみたい気持ちもあり、しばらくは悶々と悩む日々が続きそうだ。
今春マイナーチェンジしたゴルフ7
エントリークラスの小型車だったスバル・インプレッサも3ナンバーのCセグメントになった。昨年秋にフルモデルチェンジした現行モデルは、運転支援システムのアイサイトと共に評価が高い。セダンモデルのG4のスタイルは中々いいと思うがどうだろう。
実は、本当に乗りたいのはこの車、いすゞ117クーペ(写真)。ぼくら世代には懐かしい名車だ。しかし自分でメカをいじる技術もなく、この手の<旧車>に手を出すわけにはいかないだろう。
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きのうからきょうにかけ、この秋一番の寒波到来。北日本を中心に大荒れ。当地でも陽射しはあったものの気温上がらず。終日暖房ONの一日だった。あすは更に寒くなるらしい。落ち着いて秋を楽しむ間もなく冬になってしまうのか…。 さて、週末土曜日。いくつか野暮用こなして一日終わり、夜半のひととき。あまりややこしいことを考えずに楽しもうと、こんな盤を取り出した。

ウィーン古典派の重鎮ディッタースドルフによるシンフォニア集。この手の落穂ひろい的レパートリーの発掘では最右翼のナクソスレーベルの1枚。演奏はハンス・ペーター・グミュール指揮ファイローニ管弦楽団。ファイローニ管はハンガリー国立歌劇場の選抜メンバーによる団体のようだ。1995年録音。
ディッタースドルフ(1739-1799)はハイドン(1732-1809)、モーツァルト(1756-1791)らと同時代にウィーンを中心に活躍した(こちらの年表参照)。何でも、ハイドン・モーツァルト・ヴァンハル・ディッタースドルフの4人で弦楽四重奏を弾いたという記録もあるらしい。ナクソスのこの盤には、オウィディウスの『変身物語』をテーマにした6つの交響曲(シンフォニア)のうち1番から3番が収められている。オウィディウスの『変身物語』がどんな物語で、これらの曲のどこと関係があるのか、寡聞にして不案内である。が、そうややこしいことを言わずとも、ウィーン古典派の典型的な響きを楽しめばそれでよしとしよう。いずれも4楽章形式ではあるが、標題にはシンフォニアとあり、ハイドンによって完成をみる古典的な交響曲への過渡期の形式といえる。曲はいずれも古典的な様式感に満ち、充実した響きだ。特に第1番の第1楽章ラルゲットや第2楽章アレグロ・エ・ヴィヴァーチェなどは、ハイドンもかくやと思わせるほど完成度が高い。テーマそのものが魅力的だし、その扱いも適度な緊張感を持つ。第2番は「変身物語」のイメージが盛り込まれいるのか、メルヘンチックなテーマがたびたび現れ、第1番より標題的な作りを感じさせる。一方でシンフォニックな魅力は第1番に譲る。第3番は、通常は終楽章に現れるようなロンド風の主題で開始。時折短調に転調して緊張感を感じさせるが、全体としては軽快で穏やかな曲想だ。
当時のウィーンには職業作曲家が数百人いたらしい。彼らの手になるこうした古典期作品が、山ほど作られ、演奏され、そして多くがそのまま消えて行ったのだろう。モーツァルトやベートーヴェンの天才性・革新性は素晴らしいが、ディッタースドルフ、ヴァンハル他、職業作曲家の手馴れた手法で書かれた典型的な古典様式の曲は、革新性では一歩譲るにしても、当時の響きを安心して再現してくれて、飽かずに楽しめる。
第1番ハ長調
ディッタースドルフといえばこの曲が一番有名だろうか。コントラバス協奏曲。ちょっと珍しいマンドリンアンサンブルをバックにした演奏。
同じくコントラバス協奏曲。ロンドン交響楽団首席奏者による演奏。さすがに上手い。
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11月も半ば。関東地方は好天続く。
先週から難儀していた案件が何とか片付き休心。気分もいくらか軽い週末金曜日の夜。仕事帰りに調達してきた深入り珈琲豆を挽き、濃い目の一杯とチビチビやりながら、久々にこんな盤を取り出した。

オットリーノ・レスピーギ(1879-1936)のピアノ曲集。コンスタンティン・シチェルバコフというピアニストが弾いているナクソス盤。1996年録音。収録曲は以下の通り。
リュートのための古風な舞曲とアリア(抜粋)
6つの小品
ピアノ・ソナタ ヘ短調
グレゴリオ旋律による3つの前奏曲
この盤はレスピーギのピアノ曲がコンパクトにまとまっていて、彼の作風の一面を知るには好適だ。<6つの小品>や<グレゴリアン聖歌による前奏曲>など、こうして夜更けにやや絞り気味の音量で聴くに相応しい。大音量でばく進する管弦楽曲<ローマ三部作>と同じ作家というのがにわかに信じがたいほどだ。 レスピーギはラヴェルなどフランス印象派の影響を強く受けたという解説がなされているが、そこに元々の擬古典風の作風が加味され、耳に馴染みやすく心地よい。小品はややサロン風に過ぎると軽んじられるかもしれないが、ヘ短調のソナタなどは古典回帰の彼の作風がよく出た充実した響きで、ブラームスを思わせるところなどあり、中々聴かせる。
<リュートのための古風な舞曲とアリア>のピアノ編曲版を聴くと、もちろんロマン派の味付けはあるのだが、オリジナルの和声感は崩しておらず、違和感なく聴ける。例えて言うなら、ブゾーニ編のシャコンヌほどにはデフォルメしていないというところか。 <6つの小品>も粒揃いの美しさと多彩な表現。ワルツは可憐だし、夜想曲は深刻にならない程度に心を沈静させてくれる。 どの曲も美しいが甘過ぎず、ときに渋さもただよう。
ピアノを弾いているコンスタンティン・シチェルバコフは1963年シベリアの中心都市ノボシビルスク生まれ。バリバリの技巧派として知られ、超絶技巧を要する曲を多数録音しているようだが、そんな彼が、かすかな甘さや控えめな抒情を漂わせるレスピーギのピアノ曲を丁寧に弾いていて好感がもてる。
この盤の楽譜付き音源で<6つの小品>。仏印象派の影響を受けた作風。サティーを思わせるサロン風の「甘美なワルツ」から始まり、「カノン」「ノクターン」「メヌエット」「練習曲」「間奏曲・セレナード」と続く。
<グレゴリアン聖歌による三つの前奏曲>。 この曲を元にした大規模な管弦楽曲「教会のステンドグラス」という作品があるが寡聞にして不案内。
ピアノ・ソナタ ヘ短調。19世紀末の作品ながら、作風はロマン派MAX。ときにシューマン、ときにショパン、ときにブラームス(^^;
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