前回の記事では大人げなく愚痴ってしまった。スンマセン… 気を取り直して、パッと明るく前向きになるような曲でも聴こう。そんなときはハイドンだ。 ハイドンの交響曲第6番ニ長調。「朝」と呼ばれる交響曲。第7番「昼」第8番「夕」とで三部作を成す。デニス・ラッセル・デイヴィスとシュトゥットガルト室内管弦楽団による全集ボックス中の一枚。1995年録音。この曲に接したのはハイドンの全集を手に入れてからだ。少し前に知人に譲ったアダム・フィッシャー盤による演奏だった。1761年前後の作曲とされているので、ハイドンが30歳になった頃。例のエステルハージ侯爵に副楽長として仕え始めた頃の作曲ということになる。 この曲を初めて聴いたとき、短いながらも堂々とした第1楽章序奏に続き、突然フルートのソロが出てきて、フルートコンチェルトでも始まったのかと、思わずジャケットを見返してしまった。フルートのフレーズはオーボエに受け継がれ、以降も軽快に推進する弦楽群に乗って管楽群のフレーズが楽器を変えて響く。ソロ楽器の活躍は第2楽章以降も続く。第2楽章はヴァイオリンのソロで始まり、チェロのソロも聴こえてくる。第3楽章のメヌエットではニ短調の転じたトリオでファゴットのソロが楽しめる。 交響曲というよりは協奏交響曲あるいは合奏協奏曲風の構成とも言えるが、そこはさすがにパパ・ハイドン。単純なトゥッティvsソロといった構図にならず、充実した古典的和声感と構成で飽きずに聴かせる。夜のリスニングには似つかわしくないかと思いつつ、終始気分よく楽しんだ。 チェロのスティーヴン・イッサーリスが主催するノルウェイ室内管弦楽団による演奏。チェロの弾き振りというのはちょっと珍しくはないかしらん。VIDEO きのうアップされたばかりの音源。セレーノミュージックというプロモータ(かな)に属するオケによる演奏。華やかなドレスのステージもいい感じ。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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自虐的に言う必要もないだろうが、このブログの記事にはほとんどオリジナリティはない。多少は自分の感想、考えを書いてはいるが、大半はすでに世にある情報の繰り返しに過ぎない。取り上げる盤もたまたま聴いた盤を思い付くまま選ぶだけ。…ではあるが、それでも、演奏の印象をどんな風に表現しようか、参考になるようなYOUTUBE音源は何を貼ろうかと思い巡らす。そんな中、だいぶ前から気になっていることがある。このブログで取り上げた盤やジャンル、話題や貼ったYOUTUBE音源などをそのまま取り上げた、あるいはそれにきっかけを得て仕立てたような他のブログ記事を散見するようになった。ありていに言えば「何となくマネされているなあ」と感じることがあるのだ。 一度や二度なら偶然もあるだろうが、何度か続くと偶然とも考えにくくなる。ある知人からこんな話を聞いた。その知人は自分の趣味に関するインスタグラムを開いていて、写真と併せて考え抜いた簡単な説明や感想を記載している。知人によると、フォローし合っている他のインスタグラム利用者の記事に、しばしばその知人が考えたフレーズが使われているのだそうだ。知人曰く、そのフォロワーは知人の記事に対して「いつも素敵なフレーズで楽しみにしています」とコメントしてきたそうだ。知人としては、アクセスされるのはうれしいが、そのまま何のことわりもなく自分の言葉やフレーズが流用されるのは、やはり愉快ではないという。敬愛するその道のプロや作家をトレースするのはよくあることだし、ぼく自身は問題とは感じない。しかし素人が素人のマネをするのは感心しない(プロがプロの…も同様)。ブログを書く動機や目的は様々で、勝手気ままに書けばいいと思っているが、だからこそ自分の頭と感性の範囲で書けばよいと思う。アクセス記録を解析して何がしかの「裏取り」は可能だろうが、そんなことをする気もない。せめて「与太さん、その記事・音源ナイス!いただきます!」くらいのコメントがあると休心する。 …そういう与太さん、アンタの記事もあちこちのマネが多いぜ…と言われるかもしれない。ぼく自身はブログを始めてからというもの、自分の記事を書くのに精一杯で、他のブログをみることが少なくなったから、そもそもマネすべき記事に触れる機会が少ない。それに、もし自分が記事にしようと思っていたようなことが書かれているブログを見たときは、意識的に(心情的に)同じ話題は避ける。それでも偶然やその他の要因が重なり、そう思われることがあるかもしれない。そんな風に考えていると、こんなブログなどやめ、ひとり静かに音楽と接していた方がいいかなと思うのだ。 ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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きょうは都内での仕事を早めに切り上げ、知人と落ち合って上野入谷方面へゴー! 馴染みのギター専門店「アウラ」へお邪魔し、少々遅い年始挨拶方々気になる楽器をチェックしてきた。 試奏する知人アウラは昨年秋以来三ヵ月ぶり 。地下鉄日比谷線入谷駅から歩くこと数分でアウラに到着。例によって奥の間へ通される。事前に電話を入れ、見たい楽器を連絡しておいたでのさっそく試奏となった。きょうは拝見したのは以下のギター。いずれも高水準の音。ネックの状態など健康状態も良好なものばかりで楽しく試奏した。中でも印象に残った楽器をいくつか挙げておく。 エドガー・メンヒ1世 1966年 ハウザー3世 2007年 ハウザー3世 1981年 バルベロ・イーホ 1997年 ショーン・ハンコック ハウザー1世モデル 2017年新作 ブライアン・コーエン ルビオモデル 1983年 尾野薫 ハウザー1世モデル 2005年 他 今回、事前にリクエストしたおいた筆頭がメンヒ1世のギター。メンヒ2世はよく見かけるが、1世それも60年代あるいはそれ以前のものは中々出くわさない。10年程前、神田明神方面にあったメンヒ1世の60年代のものが好印象で記憶に残っていた。そのときの記憶ではボディーは軽く出来ていて、ボディ共鳴(低音ウルフ)もF#辺りと低め。ハウザー1世や古いスパニッシュをほうふつとさせる音だった記憶がある。今回の1966年作はメンヒ1世には珍しく横裏板がハカランダ。重量もあって、かなりしっかりした作りの個体だった。しかし出てくる音は意外に軽い発音で、特に中高音は澄んだ音が抜け良く響き好印象だった。メンヒ2世のギターは仲間内で使用者がいるのでしばしば耳にするが、1世の時代とは異なる、より現代的で重厚な音だ。 ハウザー3世はいつもながら安定していて素晴らしい音。2007年作はぼくが使っている2006年作と近いこともあって、音の印象も似ている。低音も高音も太く鳴りながら、あいまいなところがない。また弾き手の手元の鳴りは控えめながら、数メートル離れた前方では実に明瞭に聴こえてくる。1981年作は3世作としては初期のもので、#48のシリアル番号が付されていた。まだ2世(1911ー1988)が存命中の時期で、3世のラベルながら父子共作の頃だったかもしれない。30年余を経ていることと、前所有者がよく弾き込んでいたことを伺わせ、2007年作と比べると明らかに音の抜けがよく、今回もっとも印象に残った1本だった。 尾野薫とショーン・ハンコックのハウザー1世モデルは共にやや軽めのボディーで、低音高音とも品位のある音で申し分なくよく鳴っていた。ブライアン・コーエンのルビオモデルは太めの男性的な音ながら、高音は明瞭に発音し、660㎜の弦長も気にならなかった。 いずれ劣らぬよい楽器を囲んで、また鎌田社長のフレンドリーな対応もあって、いつながらの楽しい一時間。そして、これもいつもながら、試奏の礼代わりに知人は弦を、ぼくはナクソス盤のCDを1枚買い求めて店をあとにした。 ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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予報通り、関東地方は昼過ぎあたりから降雪。都内での仕事を早めに切り上げ、帰途につく。地下鉄に乗ると、いつもはまだ閑散としている時刻にも関わらず大変な混雑。雪による交通機関の乱れが予想されることから、どの職場でも早めの退勤となっている様子だ。下車駅の東西線大手町の駅では入場制限中。JR構内も大変な混雑。東北・北陸・上越の各新幹線ホームも人でいっぱいだ。いつもは在来線を利用する通勤客が雪影響の少ない新幹線に乗り込んで来たようだ。幸い新幹線、当地ローカル線共にほぼ定刻通りの運転状態で、普段とあまり変わらずに自宅最寄り駅に到着した。 JR前橋駅南口 1月22日18:45 この冬初めての本格的な雪。30センチ近く積もった。23時現在すでに雪はやみ、外は静まり返りっている。雪明りの夜半の一枚。こんな盤を取り出した。 雪になんの脈略もなく…(^^; ケニー・ドリュー・トリオの名がそのままアルバムタイトルになっているリヴァーサイドレーベルの名盤。ケニー・ドリューのピアノ、ポール・チェンバースのベースとフィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスによるトリオ。1956年のモノラル録音。 ケニー・ドリューの盤は、以前「ダーク・ビューティー」を記事に書いた。ダーク・ビューティーはケニー・ドリューがヨーロッパに移り住んだのち、方向転換をする過程で生まれた傑作だったが、今夜取り出したこの「ケニー・ドリュー・トリオ」はそれよりずっと前、50年代のビバップ全盛期に彼が残した、ピアノトリオの中でも傑作とされる名盤だ。収録曲は以下の通り。 1. Caravan 2. Come Rain Or Come Shine 3. Ruby, My Dear 4. Weird-O 5. Taking A Chance On Love 6. When You Wish Upon A Star 7. Blues For Nica 8. It's Only A Paper Moon お馴染みのスタンダードが並ぶが、中ではアップテンポのM4,5,8が抜群にいい。特にマイナーチューンのM4のスウィング感は思わずアンプのボリューム上げて聴きたくなる。ピアノトリオという、クラシックでいえば弦楽四重奏にあたる過不足ない編成。それぞれが与えられた役目をきっちり果たしつつ、個性を発揮する。このメンバーがベストのパフォーマンスを演じるこの盤ではその醍醐味が十全に楽しめる。 この盤の全曲。M4のスウィンギーなマイナーチューンWeird-OVIDEO M5のTaking A Chance On LoveVIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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穏やかな日曜日。昼をはさんで野暮用外出。三時を少し回って帰宅した。夕方から北風強まり気温低下。ここ数日続いていた暖かい陽気もきょうまでらしい。あすの関東地方は低気圧の通過に伴い、午後から夕刻にかけて降雪の予報だ。 さて二月も下旬。あすからもまた仕事という晩。今夜も道楽部屋のオーディオセットはオフ。例によって夜半のダイニングテーブルでノートPCに向かながらの音盤タイム。こんな盤を取り出した。 ロイ・グッドマン(1951-)が指揮するハノーヴァーバンドによるシューベルトの交響曲全集。その中から取り出した第4番ハ短調<悲劇的>。十数年前、激安ボックスセットの先駆者ブリリアントレーベルから出たもの。原盤は英国ニンバスレーベル。同コンビによる一連のピリオドスタイルの演奏はこの他にもベートーヴェンやシューマンなどが出ていた記憶がある。激安ボックスの宿命でライナーノーツはまったくなく詳細の情報は不明。録音時期は1988-90年。 ハ短調という調性、そして自身が名付けた「悲劇的」という呼称からして分かるように、ベートーヴェンを多分に意識した作品と言われる。第1楽章の冒頭、2分余に渡って続く序奏はシューベルト19歳のときの作品だということがにわかに信じられないほど意味深長に響く。ソナタ形式のセオリー通りの主部は、のちの「ザ・グレート」を思わせるような経過句も時々顔を出しながら展開していく。適度に長調への転調や推進力のあるリズム音形のためか、「悲劇的」というタイトルほどに悲痛な曲想ではない。第2楽章はシンプルな三部形式で少々物足りなさが残る。ここは先日の記事に書いた2番のように変奏曲を聴きたかった。第3楽章メヌエットは実質スケルツォ。ヘミオラ気味に前のめりになる主題と横へ流れる副主題が対照的で中々聴かせる。終楽章は再びハ短調に戻る。やはり根っからの悲劇性は感じられず、前向きのハ短調だ。展開はやや冗長な感なくもないが、作曲当時19歳という年齢を考えれば、やはり天才的といっていいだろう。最後は長調に転じて明るく大団円となる。 ロイ・グッドマン&ハノーヴァーバンドの演奏は元々英ニンバス社の良質音源。同社倒産の折に廉価盤レーベルの雄、ブリリアント社が買い取ってリリースという、いつものパターン。ピリオドアプローチらしく軽快でスッキリとした解釈。残響多めながらクリアーな録音と併せて、存分にこの曲の持ち味を楽しめる。 この盤の音源で第1楽章。0分15秒で入る1stヴァイオリンの2音目にわずかなピッチの乱れが…VIDEO この曲について語るロイ・グッドマンVIDEO ルイ・ラングレ(1961-)とパリ管による演奏。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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週末土曜の朝。早起きを強いられる平日から解放され、寿命が3年は延びる感じ。気持ちよさにつられて朝食のパンも対平日比5割増だ(^^; さて、そんな気分につられて朝の音盤タイム。こんな盤を取り出した。 ウェーバーのフルートソナタ集作品10。ジャン・ピエール・ランパルのフルート、ジョン・スティール・リッターのピアノ。1982年録音。第1番から第6番までの6曲からなり、元々ヴァイオリンとピアノのための作品として出版され、のちにフルート版がウェーバー本人の許諾も得て出版された由。ヴァイオリン版との違いはフルートでは演奏不可能な低い音域の変更や和音の単音化など僅かにとどまり、ピアノパートはまったく同一、とライナーノーツに記されている。 全6曲のうち半分は2楽章だけ、比較的規模の大きな第6番を除くと、いずれもちょっとした小品というほどの規模だ。この曲は元々<アマチュアに向け作曲・献呈されたヴァイオリンオブリガート付き段階的ピアノソナタ集>と題されていたそうで、時代的にはロマン派に属するウェーバーではあるが、古典的な様式感と簡潔な和声で書かれている。ただ、この時代以降好まれた異国趣味が反映されていて、ボレロ、ポロネーズ、ロシア風といった指定が、全6曲の5つの楽章に付されているのが特徴的だ。 このレコードも以前ネットで激安箱買いした数百枚の中に混じっていたもの。そんなことでもなければ、フルート学習者でもないぼくが自ら選んで手にすることもなかったろう。作品の規模、難易度から、コンサート用プログラムにのることはほとんどないのだろうが、爽やかな休日の朝に聴くに相応しい中々チャーミングな作品だ。 全6曲の中ではもっとも規模の大きな第6番ハ長調(といっても8分ほど)。オリジナルのヴァイオリンによる演奏。近年しばしば来日しているイザベル・ファウスト(ヴァイオリン)&アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)というコンビ。VIDEO 同第2番VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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きのうの続きでフリッツ・ライナーを聴く。 フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団によるロッシーニ序曲集。1958年録音。手持の盤は十年程前に隣り町のTWRで叩き売られていた輸入盤。収録曲は以下の通り。 ・『セヴィリャの理髪師』(イギリスの女王エリザベス)序曲 ・『泥棒かささぎ』序曲 ・『チェネレントラ』(シンデレラ)序曲 ・『ブルスキーノ氏』序曲 ・『絹のはしご』序曲 ・『ウィリアム・テル』序曲 数年前、かつて反映を極めた自動車産業の町、デトロイトの凋落ぶりが報道されていた。とっさに思ったのはデトロイト交響楽団のこと。アメリカのオーケストラはいずれもぞれぞれの町に根付いている。デトロイト、ボストン、ニューヨーク、クリーヴランド、ユタ…町の繁栄をバックにオーケストラも発展した。やはり自動車産業の町シカゴのオケ、シカゴ交響楽団:CSOもそんな楽団の一つだ。フリッツ・ライナーはCSOの第1期黄金期の立役者。多くの優れた録音を残し、そのいずれもが鍛え上げられた鉄壁のアンサンブルと無二のパワーを併せ持つ名演揃いだ。このロッシーニの序曲集も全盛期のCSOが堪能出来る1枚。 私見ながら誤解を恐れずに言えば、ベートーヴェンなら少々技量に不安があるオケの演奏でも音楽になる。アマチュアオケや学生オケでもベートーヴェンは何とか聴ける。音楽の底辺にあるメンタルな要素で音楽の半分は成立するからだ。しかしロッシーニの序曲を技量未熟なオケがやっては楽しむべきところはなくなる。こういう曲こそ、うまいオケの演奏を理屈抜きに楽しみたい。華やかに鳴るトゥッティ、技巧を凝らしたパッセージ、美しいメロディ、そして一気呵成のロッシーニクレッシェンド…。人生哲学、苦悩や勝利を考える間もなくロッシーニの音楽は突き進む。ライナー&CSO盤はそんなロッシーニの魅力を、大真面目かつ圧倒的な力で繰り広げる。見るからに怖そうなライナーは、その様相通り仏頂面で指揮棒を振り下ろし、団員もニコリともせずそれに応える。その真剣さと真面目さゆえに、却ってちょっとしたルバートに遊びや洒脱を感じる。いずれの曲もCSOは芯のある強靭な音と鉄壁のアンサンブル。金管群のパワーはもちろん、木管群も上手い。弦楽群はどんな細かなパッセージもピタリと合っているし、カンタービレはまるで一本の絹糸のようにピッチが揃う。どの曲も実に立派で構えが大きく、まるでシンフォニーのようだ。この盤にはお気に入りの「泥棒かささぎ」も入っていて、その序奏だけでも鳥肌ものの演奏。「ウィリアム・テル」の終曲では激しくドライブをかけるライナーに、さしものCSOも性能限界ギリギリの勝負で応えている。アバドのしなやかで歌心あふれた明瞭な演奏も魅力だが、このライナー盤の真剣勝負のロッシーニも捨てがたい一枚だ。 この盤の音源で「ウィリアム・テル」序曲。終曲、特に最後の1分間のエキサイティングな追い込みは、まるでライヴの様。VIDEO <泥棒かささぎ序曲> アバド&VPO 1991年ニューイヤーコンサート。VIDEO ギター二重奏版の<泥棒かささぎ序曲> クピンスキー・ギターデュオというユニット。VIDEO ■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■ ■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■にほんブログ村
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