パイヤールの<四季>
ふと思い出したのだが…
ジャン=フランソワ・パイヤールが亡くなってから5年が経った。1928年生まれ。2013年の4月15日に85歳で亡くなった。50年代に自身のアンサンブルを組織してパイヤール室内管弦楽団と称し、60年代から70年代にかけてエラートレーベルにぼう大な録音を残した。ぼくら世代にはパイヤールといえばバロック音楽の代名詞のような存在だったが、古典期のモーツァルトや更にフランス近代のドビュッシーなども得意にしていた。70年代にはエラート録音の比較的初期のものが廉価盤で出たため、手元にも何枚か彼の盤がある。


今更ながらのヴィヴァルディ<四季>。この盤は1976年の録音。社会人になって間もない1979年、当時としてはまだ新譜に近かったが、来日記念か何かで特別価格千円でリリースされた際に買い求めた。前後して初めてまともなオーディオ装置も買って、最初に針を落としたのがこの盤だった。デンオンのPMA-850というアンプに同じくデンオンのレコードプレイヤーDP-50M、カートリッジは定番DL-103。スピーカーはフォステクスの10センチフルレンジFE-103を長岡式の小さなバスレフボックスに入れた。格安廉価盤の最新録音に気をよくして会社の寮の部屋に持ち帰り、針を降ろしたときの驚きは今も覚えている。それまで聴いたことのない素晴らしい音だった。フォステクスの小さなスピーカーからはパイヤールらしい明るく流麗な音楽流れてきた。ヴァイオリンは艶やかで、コントラバスの低音もしっかり音程が分かるほどよく聴こえた。それまで学生時代はラジカセに毛の生えた程度の機械で聴いていたのだから、そう感じても当然だった。以来ときどきこの盤を取り出して聴くたびの、当時の光景を思い出す。
今夜は“夏”に針を降ろした。<四季>を聴くとき、昔は一番面白くないと思っていた“夏”が、今は断然面白い。物憂げなイントロダクション、ソロヴァイオリンやチェロが奏でる鳥たちの鳴き声、激しい雷雨の急襲…。バロック形式のヴァイオリン協奏曲の枠に、ソネットに書かれた自然の情景や人々の営みを見事に描写している。パイヤール指揮のパイヤール室内管弦楽団の音は、他のドイツ系バロックアンサンブルとは明らかに違っていて、明るく爽やかで流れるようにレガートな演奏だ。当時はまだ今ほどピリオド様式が盛んではなかったから、現代の視点でみると、歴史的オリジナル指向からは遠いだろうが、パイヤールの分かりやすく明快な音楽作りは、当時の多くの人たちに受け入れられ、バロックブームを支えたのは事実だ。
あらためて思うのだが、自分が普段聴く演奏の多くがすでに物故した演奏家のものであること気付く。ぼくが若い頃に巨匠といわれていた演奏家は、指揮者だけ思い浮かべてもすでにほとんどが他界したし、次世代旗手と言われたマゼール、アバドも鬼籍に入った。メータ、小澤も80代だ。今はぼくと同世代が活躍の真っ只中だろうが、ティーレマン、サロネン、ゲルフギエフ他ほとんど聴いていない。自分もそれだけ歳をとったという証しなのだが、<四季>の“夏”の物憂い響きと相まって、何だかやるせなくなる。
この盤の音源で“夏”
攻めるムター(^^; 第3楽章
ヴィヴァルディやバッハはロック野郎(じゃなかったか…)にも人気だ。
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