ハイドン<告別>
週半ばの水曜日。今朝の通勤車中で聴いていた曲をあらためて聴こうと、こんな盤を取り出した。

ハイドンの交響曲第45番嬰ヘ短調<告別>。デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管による全集盤中の1枚。同時代に作られた第47番ト長調<パリンドロウム(回文)>と第46番ロ長調がカップリングされている。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・センターでのライヴ録音。
他の作曲家にもよくあることだが、ハイドンの場合も作品番号(有名なところではホーボーケン番号)が必ずしも作曲順にはなっていない。近年、ハイドンの交響曲はいくつかの時代区分に分けられ、この第45番は1770年前後のシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)期に含まれている。この時期の交響曲としてはほぼ作曲年代順に、第38,58,35,59,49,26,41,65,48,44,43,52,42,47,45,46番が含まれ、疾風怒濤の言葉通り、積極的な感情表現の表出や劇的な曲想をもち、ハイドンの交響曲として有名な後期作品とはまた違った趣きの名曲が多い。また、そうした感情表現のためもあってか、短調作品が集中しているのも特徴だ。第26<哀歌>,49<受難>,44<悲しみ>,52,45<告別>番と短調作品が並ぶ。
この曲は作曲当時のエピソードや終楽章後半のギミックばかりが取りざたされるが、第1楽章から音楽はすこぶる充実している。ハイドンの他の短調交響曲にしばしばみられるように序奏を置かず、冒頭から悲しみがほとばしる。<疾走する悲しみ>は<モオツアルト>ばかりではないと実感する。フォルテとピアノの対比、短二度のぶつかり合いなど、ベートーヴェン<英雄>の先取りかと思わせる箇所もある。第2楽章は穏やかな緩徐楽章。がしかし、音楽はどこか不安と緊張をはらみ落ち着かず、<告別>の予感を思わせる。終楽章は巧みな転調やリズミックな処理もあって、第1楽章以上に疾走感に満ち、一気に聴かせる。突然、属和音が響いて静まると、これまでの音楽を忘れたかのように穏やかなアダージョとなり、そして例のギミックが始まる。パートごとに短いソロを終えると三々五々とステージを去り、指揮者もいなくなり、最後にヴァイオリンパートの二人が見つめるように弾き終えて曲の幕が下りる。
デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管のコンビによるこの全集の演奏は、折り目正しく古典的ではあるが、総じてテンポ設定が遅め。特にこの曲などでは、それが少々災いしている側面無きにしも非ず。一気呵成の疾走感にはやや乏しい。
コンラート・ファン・アルフェン指揮シンフォニア・ロッテルダムによる演奏。小編成のメリットが生き、闊達かつ自在に進む。
バレンボイム&ウィーンフィルによる第4楽章のパフォーマンス@2009年ニューイヤーコンサート。
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