コシュラーのモーツァルト
7月スタート。異例に早い梅雨明けとなった関東地方。盛夏というにはまだ手ぬるいが、きょうも暑い一日だった。少々ややこしい案件に手こずりながらも、明日できることはきょうやらない…と相変わらずの体たらく。程々で退勤となった。帰宅後ネットを覗いていたら、きのう7月2日の項に指揮者コシュラーの忌日とあった。コシュラー…しばらく聴いていないなあと思い出し、こんな盤を取り出した。


ズデニェック・コシュラーは1928年プラハ生まれ。1956年のブザンソン指揮者コンクールで優勝している。ちなみに小澤征爾の優勝が1959年。チェコを中心に活躍し日本のオケにも度々客演した。スター性とは縁がないものの堅実で中庸を心得たマエストロという印象であったが、残念なことに1995年に67歳で急逝した。この盤は1983年に当時の手兵スロヴァキア・フィルを振って録音されたもので、この前後に多くの録音を残した。当時からコシュラーに思い入れがあったわけではなく、この盤も以前も書いたように、ネットで知遇を得た方からLP盤を格安箱買いした中に入っていた。
久々に針を落としたのが、音が出るまでもっと貧弱でローカルな雰囲気の演奏かと勝手に想像していた。しかし41番の出だしが、決して華麗ではないが、思いのほか恰幅よく響いてきたのに少々驚き、勝手な想像は見事に外れた。まず急がずもたれずのテンポがいい。そしてフレーズの描き出しが明確だ。埋もれがちになる中声部がクリアに聴こえてくる。録音というよりはコシュラーが意図的にコントロールしているに違いない。ちょっとした木管の経過句や対旋律に気付かされ、今更ながらこんなフレーズがあったのかと身を乗り出してしまった。こうした演奏と比べるとカラヤンの一時期の演奏などはまるで団子状態で、マスの響きだけに終始しているように聴こえてしまう。コシュラーの明晰な音楽作りは、フーガを駆使して各声部が絡み合う終楽章で特に効果をあげ、まったく隙のない演奏に仕上がっている。
25番ト短調もいい演奏だ。コシュラーの解釈はあくまでまとまりのあるシンフォニーとしての音の組み立てを重視している。そしてアクセントやモーツァルトで重要な倚音や係留音の扱いが丁寧かつ明快だ。この曲はもっと悲劇性を強調したりアグレッシブに演奏することは容易な曲だろうが、このコシュラーのバランス感覚は素晴らしい。これをもって中庸という言い方をされるならば、中庸おおいに結構。スロヴァキアフィルは独墺のメジャーオケと比べると少々実力は劣るのかもしれないが、誠実な音作りでコシュラーの指示に応えている。
この盤の音源。第25番ト短調第1楽章。
同じコンビによるモーツァルトのレクイエムのさわり。
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