モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調
月があらたまって平成三十年戌年葉月。逆回転サーブ台風去って暑さカムバック。きょうも当地は猛暑日の一日となった。 いつも通り7時過ぎに帰宅。ひと息ついて、さて…モーツァルトの熱心なファンでもないのに、先日来の流れで今夜もWAMの短調作品。こんな盤を取り出した。

クララ・ハスキル(1895-1960)とイーゴリ・マルケヴィッチ(1912-1983)指揮ラムルー管弦楽団によるモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調と24番ハ短調。1960年ハスキル最晩年の録音。手持ちの盤は80年代初頭に出たフィリップス<Audiofile Collector’s>と称したシリーズの中の一枚。ジャケット上部に金色の帯が入り、3000円のプライスタグが付いている。当時、オーディオブームを反映して、この手のスペシャル盤がいくつかシリーズ化された。この盤がオーディオ的に取り上げたのは少々意外だったが、演奏そのものはそれ以前からハスキルの録音を代表する一枚として評価が高かった。今夜は収録曲のうち第20番ニ短調K.466に針を下ろした。
久々に聴いたのだが、何とも高貴で心洗われる演奏だ。モーツァルトの作品中でも傑作の一つとされる第20番ニ短調。この曲で語られる悲劇的な曲調や激しさから、ともするとそれを力尽くで表現するような演奏もある。とくに鋼鉄製のモダンピアノをブッ叩いて劇的表現を表出するような演奏に出くわすと、それはないだろうと思ってしまう。
ハスキルのピアノはもちろんモダンピアノだが、激しさを力で置き換えるようなところは皆無。フォルテでも音には余裕を残し、響きの透明さが確保される。テンポを大きく動かすところはなく、ほぼインテンポ。そうしたことから音楽全体の品格が高く美しい。この曲のオケパートを注意深く聴いていれば分かる通り、管弦楽は単なる伴奏の域を遥かに越えて各パートには独立した役割が与えられ、ピアノとの有機的な掛け合いに終始する。ピアノを力尽くで弾かずとも、オケパートと互いに聴き合いながら全体を作っていくことで、悲劇性も安息も表現可能なのだと、この演奏が教えてくれる。 マルケヴィッチ指揮ラムルー管のバックも秀逸で、やや控え目な表現がハスキルのピアノと同化する。残響は少なめながらパートバランスや左右の広がり等は良好で、デッカ録音のような派手さはないが、高音質盤としての面目を保っている。
この盤の音源。
チック・コリアと新日本フィルとのライヴ。1985年の貴重なFM音源。
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