バッハ:カンタータ<イエス十二弟子を召寄せて>
朝夕の気温も次第に下がり、秋深まる。夜半にはぼちぼち暖がほしくなる時期だ。週明け月曜日。夜半近くなって、少し前から聴こうと思っていたこの盤を取り出した。


バッハの教会カンタータ<イエス十二弟子を召寄せて>BWV22。例によってブリリアントクラシックの激安バッハ全集ボックス中の一枚。ネーデルランド・バッハ・コレギウムによる演奏。以下の5曲からなる20分弱の教会カンタータ。
第1曲 アリオーソと合唱「イエス十二弟子を召寄せて」(Jesus nahm zu sich die Zwölfe)
第2曲 アリア「わがイエスよ、我を導きたまえ」(Mein Jesu, ziehe mich)
第3曲 レチタティーヴォ「わがイエスよ、我を導きたまえ」(Mein Jesu, ziehe mich)
第4曲 アリア「わがすべての最たるもの」(Mein Alles in Allem)
第5曲 コラール「慈しみもてわれらを死なせ」(Ertöt un durch dein Güte)
少し前に読み、今も時おりページを繰る「バッハの秘密」(淡野弓子著平凡社新書2013年刊)で教会カンタータのサンプルとして取り上げられていたもの。淡野弓子氏はハイリッヒ・シュッツ合唱団を設立し、長らく指揮者・指導者・歌手としてシュッツをはじめ、バッハの作品に関わってきた人だ。この本はその経験をもとにし、バッハ音楽のベースとなる教会音楽を中心に、その成り立ちをコンパクトに紹介している。バッハの生涯を俯瞰し、教会暦と教会カンタータについて概観、そのあと二つの大作<マタイ>と<ロ短調>を取り上げ、さらに数曲の異色のカンタータを紹介。そしてそれらの記述の中で、バッハの音楽にまつわる修辞学や構造的に組み込まれた数的要素の解き明かしもいくつか紹介されている。いずれも、もっと本格的な書籍があるのだろうが、新書一冊の手軽さもあって、発売と同時に買い求めた。今夜聴いている<イエス十二弟子を引き寄せ>BWV22番は23番と共に取り上げられ、2曲はセットで作られた経緯があり、またバッハがライプツィッヒ聖トーマス教会での職を得るにあたって演奏されたと記されている。
ト短調で始まる第1曲は器楽5声部にのってオーボエが先導、テノールとバスのアリアが続く。5分ほどの曲だが、淡野弓子氏の解説により、短いフレーズやリズム、対位法の声部の一つ一つに宿る様々な暗示的な意味や歌詞との関連性が解き明かされていく。オーボエとアルト、通奏低音の3声で始まる第2曲では、バッハの音楽でしばしば語られる<神の数字三>がどのように仕組まれているか、またフラットやシャープといった調号の修辞的な意味が紹介されている。
単にきれいな曲だなあと、ボーッと聴くのと違い、こうして明に暗に、バッハが楽譜に組み込んだ様々な意味合いを一つ一つ汲み取りながら聴くのは、まったく違った充実感と感興がある。同時に、この本のようにそうした仕組みを解き明かしてくれる先駆者にはまったく頭の下がる思いがするし、またそれだけの準備をして一曲一曲仕上げていくプロフェッショナルの仕事ぶりは驚愕に値する。 ぼくらギター弾きの多くがバッハに親しみ、取り組み…しかしプロアマともにバッハのベースである教会音楽、声楽曲に対して、また楽譜に込められた意味合いについてあまりに無頓着に過ぎると、あらためて感じる。BWV639のコラールをフルート・チェロ・ギターでやってみようということになった際、ぼくが「ギターは♭四つのヘ短調では弾きにくいから、半音下げて♯一つのホ短調でやろう」と言ったのに対して、知人のフルート吹きから「ヘ短調をあえてフラット三つで書いて常時dにフラット付した修辞上の意味合いを考えた上で原調で弾くべし」との意見があったのも、まったくその通りだ。素人の趣味・道楽だから何でもエエヤン…と知らん顔をせずに、やはり素直かつ謙虚にバッハの音楽全体を広く知るべしと、自戒を込めて思う。
この曲の全曲。
BWV22とセットで演奏されたBWV23<汝まことの神にしてダヴィデの子>
カール・リヒターによる演奏。
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