四月半ば。好天の土曜日。いくつか野暮用こなし日が暮れる。あす日曜もちょっと外出予定あり。気ぜわしいという程のこともなく、この季節らしい。 さて、先日のスラヴ舞曲で思い出し、今夜はこんな盤を取りだした。

ブルーノ・ワルター(1876-1962)とコロンビア響によるドヴォルザークの交響曲第8番ト長調。ワルターが晩年に行った一連のステレオ録音中の一枚。この曲を最初に聴いたのは高校3年のときだったろうか。FMかテレビで耳にし、最終楽章、変奏形式の何番目かでフルートが変奏フレーズを半音ずつ下降しながら吹くところがあって、そこだけが記憶に残ったのを覚えている。まとも全曲を聴いたのは大学に入ってからだった。FMからエアチェックしたテープを何度も聴いた。その後レコードが欲しくなり手に入れたのがこの盤だ。当時レコードを選ぶ基準は明快で、安い廉価盤がすべての前提だった。この盤は米オデッセイレーベルの輸入盤で、国内盤が2000円のレギュラープライスであったのに対して1000円ちょっとで買えた。
ワルター晩年のコロンビア交響楽団とのステレオ録音は賛否あるようだが、私はいずれも気に入っている。この盤でのワルターはまったく年齢を感じさせない生き生きとした曲の運びで、終楽章の主部以降がややゆっくりめのテンポであるが、他の楽章は快速調で音楽は前へ前へと進む。コロンビア響もワルターのための録音セッション用オケで編成は小さいのだが、録音の妙もあってまったく不足はなく、ワルターの棒に反応し、ぐいぐいと音楽を引っ張っている。
ドヴォルザークはチェロ協奏曲という名曲を書いたこともあって、この曲でもチェロの扱いが素晴らしい。第1楽章の出だしは何度聴いても印象的なフレーズだ。チェロのこの主題を聴くだけで、一気にこの曲のもつボヘミア調の郷愁に引き込まれる。有名な第3楽章も音楽がよく流れて、思わず一緒に口ずさみたくなるほどだ。終楽章では木管の冴え冴えとしたフレーズ、金管の強奏など随所の聴きどころでビシッと音楽をきめていく。
ワルターはフルトヴェングラーやトスカニーニらと同世代であるが、長命であったため晩年1958~1961年に良好な音質のステレオ録音を多数残すことが出来た。モノラル時代のニューヨークフィルとの演奏もよいものがあるが、モーツァルト・ブラームス・ベートーベンなど、やはりコロンビア響とのステレオ録音が素晴らしい。
この盤の音源。全楽章。
マンフレート・ホーネック指揮hr響(旧フランクフルト放響)による中々エキサイティングな演奏。先に記した、高校生のとき最初に印象に残ったフレーズとは第4楽章。31分30秒の<コガネムシは金持ちだぁ~>のあと、31分40秒からの始まるフルートの下降音形フレーズ。32分からは<コガネムシ…>がズンドコ節になって繰り返され、フルートの下降音形フレーズも管楽器群によって奏される。
第4楽章のフルートパートの聴かせどころ。パユ先生の御手本。
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きのうの関東地方は真冬並みの寒さだった。4月に入ってから少々肌寒い日が続いている。これも季節の変わり目。四季もよし、四季の移ろいもよし…ということにしよう。 さて今宵の音盤タイム。この曲が春の宵に相応しいかどうか異論もあろうが、この時期に聴きたくなる曲の一つを思い出し、この盤を取り出した。

マウリツィオ・ポリーニ(1942-)の弾くショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調。パウル・クレツキ(1900-1973)指揮フィルハーモニア管との演奏。ポリーニが1960年のショパンコンクールにおいて弱冠18歳で優勝し、その直後にロンドンで録音されたもの。ポリーニの最初のセッション録音にして、ライヴ録音を除き、今もってこの曲の唯一の録音だ。手持ちの盤は80年代初頭にミドルプライスで再発されたときの盤。70年代中庸には例の緑色ジャケットの廉価盤セラフィムシリーズで出ていた。この再発盤の帯には最新カッティング盤と記されている。これも十数年前に出張先の大阪・梅田の中古レコード店で手に入れた。
よく知られているようにポリーニは華々しく優勝を飾りながら、この録音のあと十年近く第一線から姿を消して研鑽を積み、その後あらためて一連のショパン録音で世に出ることになる。その意味でコンクールでの優勝と18歳という人生の一瞬の輝きともいうべき時の貴重な録音だ。
クレツキ指揮フィルハーモニア管のやや抑え気味の落ち着いた表情と淡々とした運びの前奏が美しく響く。アナログ最終期の最新カッティングも奏功してか、まったくといってよいほどトレースノイズを感じない。<北の宿から>を思わせるホ短調の主題も楚々と奏され、そしてピアノが入ってくる。ポリーニのピアノは意外にもと言ったらいいだろうか、勢いのある若者というイメージとは少し違う、落ち着いた弾き振りで始まる。今どきのコンクール優勝者であれば、もっと派手な弾きぶりで攻撃的とさえ言えるほどに攻め立てるような演奏をしがちだろうが、この盤のポリーニにそういう気配はない。もちろん技術的には優秀で余裕は十二分にあるのだろうが、力でねじ伏せる感じがまったくなく、終始しなやかに瑞々しく歌う。展開部や終盤の一部でさすがの力を感じるが、それとても汗の匂いなどは皆無だ。70年代以降の完璧な技巧とメカニズムが先に聴こえてくる演奏とは随分印象が異なる。まさに詩情あふれる清廉な弾きぶり。ロンド楽章の第3楽章でも印象は変らない。
第2楽章はそうした資質が一層映える。ショパンがこの曲を書いたのは20歳のとき。そして第2楽章について彼自身は「アダージョはホ長調で、静かな憂いを帯びた気持ちから生まれた。これは春の美しい月夜といった、多くの心地よい思い出を呼び覚ます風景にふれた印象を書いたのだ」と書いているそうだ。そうしたショパン自身の当時の有り様と、この録音のポリーニの演奏とはまさに一致するように感じる。同時に桜咲く今の時期にも相応しいのかなあと思い、聴いているこちらも若き日に戻った気分になるのだ。
この盤の音源。全楽章。
この曲の室内楽版。編曲は複数あるようだが、以下の音源はコントラバス入り弦楽五重奏のバックによるもの。
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関東平野部では桜も終わりに近付いてきた。新年度が始まって十日ほど経ち、仕事もボチボチ気合いを入る時期。陽気も悪くないしなあ…と、ボーッとしながら本日も終了(^^;。いつもの時刻に帰宅した。夜更けて音盤棚を眺めていたら、この盤と目が合って取り出した。

ドヴォルザークのスラヴ舞曲集。スデニェック・コシュラー指揮チェコフィルハーモニーによる1979年の録音。手持ちの盤は国内初出時の2枚組LP。十数年前にネットで知り合った方から目方でドン!的に箱買いした中に入っていたもの。
スデニェック・コシュラー(1928-1995)は1956年のブザンソン指揮者コンクールでアバドと1位を分け合った実力派。メジャーを制するスター指揮者とはならなかったが、残された録音はいずれも堅実でありながらもフレッシュさ感じさせるもので、指揮者としてはこれからというべき年齢で亡くなったことが惜しまれる存在だ。70年代初頭にスロヴァキア国立歌劇場の音楽監督となったことから、同じ地域のスロヴァキアフィルハーモニーとの録音が多いのだが、この時期コシュラーはノイマンが首席指揮者だったチェコフィルの常任指揮者も兼任していて、そのチェコフィルといくつかの録音を残している。そのうちの一つがこのスラヴ舞曲集。なおコシュラーは後年1987年にこの曲をスロヴァキアフィルと再録している。
他のいくつかの録音同様、このスラヴ舞曲集でもコシュラーの音楽作りは実に明快かつフレッシュだ。スラブ舞曲にはテンポは速いものとゆっくりのものとが混在するが、コシュラーは速いものはより快速調に颯爽と、ゆっくりなものはややロマンティックな表情でと、それぞれの舞曲の性格に応じて緩急のメリハリを付けている。当時まだ東欧と呼ばれた時代ではあったが、チェコフィルは決してローカル色は強くなく、十分に洗練された響き。アナログ最後期のスプラフォンの録音も優れていて、コントラバスの基音もしっかりととらえられて申し分ないアナログサウンドが楽しめる。
独自のリズムや時折り繰り出されるペンタトニックなど、スラヴ舞曲はいずれの曲も東洋人たるぼくらの琴線にダイレクトに訴えかけてくるものがある。作曲者のドヴォルザークが範にしたブラームスのハンガリー舞曲もしかりだ。いずれも数分のポピュラーなショートピースながら民族色に彩られた舞曲の数々は、どれを聴いても心躍る。
スロヴァキアフィルとの再録盤の音源。第1集作品46の第8番。もっともスラブ舞曲らしいといってもよいフリアントのリズム。チェコフィル盤に比べ、より陰影の濃いロマンティックな表現。
メータ&BPOによる第8番。コンマスに安永氏。1995年。オーケストラピースとしては上出来な演奏だと思うが、スラヴ舞曲の趣きにはいささか遠い感じがする。
ギター3本のアンサンブル。
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桜吹雪舞う週末日曜日。
夕方近くになって久しぶりに楽器を取り出し少々練習。メカニックなスケール練習のあと、このところ続いている「弾けない曲の確認」。きょうはこの曲の楽譜を広げた。

ホワキン・ロドリゴ(1901-1999)作曲の「三つのスペイン風小品」。お馴染みショット社セゴビア版。曲はその名の通り「ファンダンゴ」「パッサカリア」「サパテアード」の3曲から成る。第1曲「ファンダンゴ」と第3曲「サパテアード」は曲名通りスペイン風舞曲のリズムを借りている。第2曲は形式としてのパッサカリアを踏襲しているが、随所にフラメンコギターを思わわせるラスゲアードが登場するなど、やはりスペイン色満載の曲だ。ロドリーゴの生地であるバレンシア地方を含むスペイン南部は、地中海に臨むその風土から「太陽の織り成す光と影」といった言葉で語られることが多いが、スペイン風と題されるこの曲からは、その影の方を強く感じる。
伝統的なリズムにのって程々に近代的な和声とキャッチ―なメロディーが繰り広げられる第1曲「ファンダンゴ」は取り分け人気が高い。この曲に接したギター弾き連中がすぐに楽譜を手に入れて弾きたくなる曲の一つだ。しかし実際に楽器を手にして挑むと、多くの場合いきなり弾き飛ばされる。耳で聴く以上に技巧的な難易度が高い。特に左手の押弦に四苦八苦する。ぼくも楽譜を開く度にしばらく格闘するも、大きな溜息と共に途中棄権することがほとんどだ。きょうもやはりその延長。真剣に左手運指の確認する前に息絶えてしまった(^^; いつまでたっても先に進まない…嗚呼。
単独でも演奏されることの多い人気曲<ファンダンゴ> アダム・コシュラーというギタリスト。
第2曲<パッサカリア>
第3曲<サパテアード> ドリュー・ヘンダーソンというギタリスト。
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今年の桜は開花こそ平年より少し早めだったが、このところの低温傾向で足踏み状態だった。ようやく気温も上向いてきたきのう昼飯後、暖かさにつられて都内の仕事先近くをちょいと散歩。束の間のプチ花見を楽しんだ。


さて週末金曜日。ネットを覗いていたら、きょう4月5日はカラヤンの誕生日と出ていた。そう言えばしばらく聴いてないなあ、カラヤン…と思い、こんな盤を取り出した。

カラヤン(1908-1989)とベルリンフィルによるブラームス。1960年代ベルリンイエスキリスト教会でのセッション録音。手持の盤は一連のブラームス交響曲録音を集めたボックスセットの初出盤。解説書には昭和45年(1970年)発売・定価6,000円と記されている。高校入学当時のぼくにはまだ縁のなかった盤で、手に入れたのは十数年前。例によって大阪出張の折に梅田の中古レコード店で手に入れた。高校生のバイトが一日1,000円時代の6,000円の盤。手に入れた2005年頃は高校生のバイト代が6,000円程。この盤の購入金額は1,500円…なんだか、わかったようなわからないような…
それはともかく、カラヤン&ベルリンフィル全盛期のブラームス録音。先ほどから第2番ニ長調に針を落として聴いている。この当時のカラヤンはこの盤の解説書にも記されている通り、それまでのローカル色の強かったドイツ楽壇に新しい風を送り込んでいた。速めのテンポとレガートで流麗なフレージング、多彩なプログラムと積極的な録音活動や国際的なプロモーション等々。そうだったよな…と思いつつこの盤を聴き直してみると…。さすがにその後の音楽界の変化を経験し、21世紀の視点で聴くと、以前のイメージとは随分違って聴こえてくる。具体的には、確かにレガートでシームレスなフレージングはその通りだが、テンポは決して速くはなく、アンサンブルの縦の線も意外にカジュアルで、深いアインザッツの方が目立つ。決して新しい解釈とは感じない。確かに半世紀前には斬新に聴こえたのだろうが、今聴くと十二分にオーソドクスで伝統的な解釈に聴こえる。
ベルリンフィルはまだ往時の響きが濃厚で、弦楽群中心にアンサンブルが組み立てられている。木管のちょっとしたフレーズなど、今ならもっと積極的に前に出てきて朗々を吹くところだろうが、この録音では決して出過ぎず、渋めの音色でアンサンブルに溶け込んでいる。金管群も華やかな押し出しよりは、重厚な下支えとなって響いてくる。安定のブラームス。これ以上何が要るのかという思いに至る。
カラヤンは60年代の多くの録音を残したが、ブラームスばかりでなく、ベートーヴェンやチャイコフスキー他多くの録音について70年代・80年代に再録している。それぞれにその時代のカラヤン&ベルリンフィルの有り様や音響録音技術が反映されているだろうが、総じて60年代の演奏に分があると感じるのはぼくだけでないだろう。
この録音の音源。全4楽章。
スコア付き音源。演奏はクライバーとウィーンフィルだそうだ。こうしてみるとスコアはすこぶるシンプルだ(見た目だけは…)。
第2番第2楽章。冒頭のチェロパートの歌はいつ聴いても素晴しい。カナダのオタワにある国立芸術センターを本拠地とするオーケストラ。指揮するのは、あら懐かしやピンカス・ズーカーマン。このオケの音楽監督を務めているようだ。
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当地群馬県北部で建設中の八ッ場ダムの工事が佳境を迎えている。
2019年2月初旬。八ッ場大橋よりダム本体をのぞむ。

十年前の民主党政権時代に建設中止の決定がなされたことで全国区の話題となった当地群馬県の八ッ場(やんば)ダム。その後2011年に工事再開が決まり、ここ数年は後れを取り戻すべく突貫工事が続いている。これまでに湖底に沈む住宅や川原湯温泉の宿などは高台に造成されたエリアに移り、JR吾妻線も大規模な移設工事を終え、周辺道路や新設の橋の整備もほぼ完了している。2016年夏から始まった工事のメインイベントともいうべきダム本体のコンクリート打設工事は24時間体制を行われ、現在ほぼ完成時高さにまで達している。すでに一部の機械は解体も進めているようで、早晩ダム本体の工事は完了し、周辺整備や試験的な湛水(たんすい)に移るようだ。
首都圏で見られる大型工事。ネット時代を反映して工事事務所HPには様々なコンテンツが並んでいる。YOUTUBEには専用チャンネルが開設され、現地では見学ツアーがいくつも企画されていて、草津温泉帰りのぷらっとツアーから、八ッ場コンシェルジュによる団体ツアー、更にファン倶楽部。インフラツーリズム・ヤンバブランド…とちょっと驚きの様相だ。
二ヶ月ほど前に現地を訪れた(写真)。時折小雪の舞う中、重機の音が谷合にこだましていた。写真に写っているほとんどの部分が今年度中には湖水で満たされる。
国土交通省八ッ場ダム工事事務所チャンネルの「早わかり やんば」
同チャンネルのドローン映像2018年
ぷらっと見学会
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長い勤め人生活が染み付いているのか、一年の始まりは一月よりも四月の感が今も強い。月あらたまって平成最後の卯月。平成最後の新年度スタート。新元号が決まったこともあって、年甲斐もなく気分も引き締まる。さて、そんな気分に相応しい盤は何かと考え、この盤を取り出した。

ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調。カルロス・クライバー(1930-2004)指揮バイエルン国立管弦楽団による1982年5月2日のライヴ。このライヴはその少し前に亡くなったカール・ベーム( 1894-1981)の追悼コンサートして行われたもの。そして、この曲について語るとき必ず引き合いに出される盤だ。手持ちの盤は帯にも記されている通り、クライバーの来日記念として千円の廉価盤としてリリースされた。さほど長くない4番だけを表裏に贅沢にカッティングしてある。
第4番はベートーヴェンの交響曲の中では規模の小さい部類に入り、シューマンによって「3番と5番という巨人に挟まれたギリシャの乙女」と称された。隙のない古典的な様式感とベートーヴェンらしい緊張感とが凝縮されている。贅肉のない、きりりとした造形は、乙女と言わずギリシャ彫刻を思わせる。この曲をクライバーが振ると聞いただけで、どんな演奏か想像できそうだが、実際の演奏もその想像通りの音が展開する。緊張MAXの冒頭序奏に始まり、主部に入るやしなやかに疾走する。第2楽章の歌もこの上なく品格高く、過度の思い入れなく進む。バイエルンのオケは当初硬さがあるのか、技術的なミスも散見されるが、楽章を追うごとによくなっていく。終楽章もクライバーのテンポはいささかも弛まず、オケにとっては中々の難所が続く。例の終楽章のファゴットソロなど危機一髪ですり抜ける。もちろんピリオドアプローチではないオーソドクスな編成と奏法ながら、クライバーの棒によって引き出される音楽のフレッシュさと勢い、そして品格の高さはさすがのひと言に尽きる。新年度スタートに相応しい演奏だ。
この盤の第1楽章
クライバーがアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団を振ったライヴ。確か80年代前半の同時期だったかと。ステージ後方の階段から指揮者が現れる、お馴染みの名ホール:コンセルトヘボウ。いつ見ても美しく明快かつ無駄のない指揮ぶりだ。
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