海の日を含む三連休終了。相変わらずの梅雨空続く関東地方。日照は平年の1割以下だそうだ。万事ほどほどに願いたいところだが、どうなるか…。 さて、あすはまた仕事という晩。何気なくYOUTUBEを覗いていて思い出し、こんな盤を取り出した。

グレン・グールド(1932-1982)によるワグナー。例のボックスセットから、後期ロマン派・重厚長大・ドイツの権化ともいうべきワグナー作品をグールド自身がピアノ用にアレンジして弾いている盤を取り出した。<マイスタージンガー前奏曲>、神々の黄昏から<夜明けとジークフリートのラインへの旅>そして<ジークフリート牧歌>の3曲が収められている。ワグナー・ファン、グールド・ファン、あるいはその両方のファンであれば、かねてよりお馴染みの録音。
管弦楽曲のピアノ独奏へのトランスクリプションは珍しくない。19世紀に入りピアノを所有するにいたった中流以上の家庭では、流行りのオペラのくだりや管弦楽をピアノで弾いて楽しむというライフスタイルが定着しつつあった。ピアノは無理だがギターなら買えるという家庭向けに、19世紀のギター作曲家であるジュリアーニやメルツらは、当時の有名オペラの編曲を数多く残している。
さて、この盤の演奏だ。今更説明も不要だろうが、<マイスタージンガー前奏曲>は複数のモチーフが順次提示され、それらが曲進行につれて絡み合い、統合されてクライマックスを築く、そんな曲だ。グールドが好んで弾いたバッハとは時代が二百年も違う後期ロマン派のワグナー作品であるが、主題の絡み合いという意味ではバッハの多声音楽と共通点があるように思うし、実際グールドの演奏を聴いていると、ワグナーの提示した主題のたてよこの絡み合いを意識した演奏に聴こえる。
<夜明けとジークフリートのラインへの旅>は大規模な管弦楽のサンプルのような曲でもあるが、こうしてピアノで聴くとオーケストラ版に比べ当然響きや和声の重なりは薄くなる。その分、様々なモティーフが明確に浮かび上がるし、オケ版では重層的な響きに埋もれがちの対旋律もよく聴き取れる。グールドの中では、バッハもワグナーも多層的な音楽、様々なモティーフが三次元的に構成されるものという意味で共通したイメージがあり、バッハもワグナーも本質的同じ音楽として扱っているように感じる。 もう1曲収められた「ジークフリート牧歌」は、すべての音符をいつくしむような弾きぶりで、やはり彼が好んだブラームスの間奏曲などと共通した味わいを感じさせる。
<マイスタージンガー前奏曲>を楽しそうに弾き、語るグールド。
<マイスタージンガー前奏曲>全曲
<ジークフリート牧歌>
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平野啓一郎著「マチネの終わりに」。だいぶ前から話題になり、メディアでも取り上げられていたが、先月文庫版が出たのを機に手に取ってみた。

ギター、それもクラシックギターやその演奏家が物語の中心となる小説や映画があったろうか。三十年以上も前にことだが、逢坂剛の直木賞作「カディスの赤い星」では、名工:サントス・エルナンデス作のフラメンコギターが軸となったのを記憶している輩も多いだろう。村上春樹の本にも時折ギター曲が登場していた。
「マチネの終わりに」は数年前に新聞連載され、その後単行本として出てベストセラーになった。中身は実際の本を手に取ってもらうとして、特筆すべきは、クラシックギター弾き以外ではあまり馴染みのないギター作品や作曲家の名が出てくる。テデスコのギター協奏曲、バークリーのソナチネ、ソルの幻想曲等々。そして映画化。福山雅治と石田ゆり子という当代の人気俳優が演じるとあって話題だ。 歌手としての福山雅治はもちろんギター片手に歌うことはお手の物だろうが、クラシックギターとなると勝手が違う。しかしプロフェッショナルとしての姿勢や音楽的感性もあって、ギタリスト福田進一の指導のもとにレッスンを積み、すっかり主人公のクラシックギタリストを化したと、映画作品の公式サイトに出ていた。
主人公と同世代のアラフォー諸氏はもちろん、熟年からまもなく前期高齢者のぼくら世代も、たまには切なく甘いラヴストーリーもいいだろう。映画公開は今秋11月1日だそうだ。さあ、こんな与太ブログを書いている間があったら、ギターを手にして福山雅治になりきり、練習するぞ! ゆり子~待ってろよ!(^^;
先月末に公開された映像。 映画化に際し、福山雅治は福田進一のレッスンを何度か受けたほか、都内某クラシックギター専門店で名器を購入したとの情報も…
この物語の中で架空の名曲として登場する「幸福の硬貨」。以下は林そよか作曲「幸福の硬貨」の演奏音源。但し映画ではこの曲とは別の菅野祐悟作曲「幸福の硬貨」が使われる。林そよか作曲「幸福の硬貨」は楽譜も出版されたが、現在は版元品切れで再販の予定はないとのこと。ちょっと事情がありそうだ。
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20010年10月から始めた本ブログ。画面下方にあるアクセスカウンタはまもなく「333333」。もっともこのカウンタ数は信頼性イマイチで、少々怪しいのだが…。それはともかく、ここ2、3年は記事のマンネリ化ゆえか長期低迷状態。一日のアクセス数は一時期の7割くらいに下がったが、日々与太話に付き合ってくれる輩に感謝。どうか引き続きアクセスのほど、宜しくお願いいたしマスダアケミ(^^ またアクセスの折には更新有無に関わらず記事下にある<クラシック鑑賞>バナーをクリックしていただけると、いささかの励みにも。 ということで、さて…きょうも日々備忘のマンネリ記事更新。 先回のトルトゥリエで思い出し、久々にアレを聴こうかと、今夜はこんな盤を取り出した。

国内版発売元は東芝。お馴染みの赤盤。

ポール・トルトゥリエ(1914-1990)の弾くシューベルト:アルペジョーネソナタ。1959年の録音(トルトゥリエは80年代初頭にこの曲を再録している。50年代初期のモノラル録音も確か…)。グリークのチェロソナタがカップリングされている。ピアノ伴奏はロベルト・ヴァイス。手持ちの盤は60年代のちょっと古いLP盤(おそらく国内初出盤)。例によって十数年、頻繁に大阪出張があった頃、梅田の名曲堂阪急東通り店にてワンコイン程で手に入れた。
この曲の冒頭9小節、いきなり主題を提示するピアノによる前奏はきわめて重要だ。この盤のロベルト・ヴァイスはかなりゆっくりとしたテンポで弾いている。トルトゥリエのソロが入ってくるとややテンポを上げて音楽が動き出す。以降もかなり自在にテンポを変化させていく。当然のことだが、チェロとピアノの間で周到にストリーを練っておかないといけない。呼吸が合わないとまったく曲にならない。古典派までの曲を違い、この時代、特にシューベルト曲ともなると、そのあたりの塩梅が効いてくる。録音当時壮年期だったトルトゥリエは、よく練られたテンポ設定で飽きずにこの曲を聴かせてくれるが、分別臭さは皆無で、魅力的な音色とフレッシュなボウイングでこの曲の持つ瑞々しいロマンティシズムを伝えてくれる。アルペジョーネという楽器のアレコレはまたいずれ。
この盤の音源。全楽章。
ギター伴奏版。数年前チェロ相方と少し遊んだことがある。チェロも難しいようだが、伴奏とはいえギターパートも難易度高い。
コントラバスによる第1楽章。
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一昨日、梅雨空続く七月最初の週末日曜日。薄暮の時刻、物憂い空を眺めながら、こんな盤を取り出した。備忘のために記事に残そう。

ポール・トルトゥリエ(1914-1990)が1972年に来日した際に録音した盤。ピアノ伴奏:岩崎淑。1972年といえばぼくが高校3年のとき。立川澄人と鳥飼久美子が司会をつとめていたNHKテレビ『世界の音楽』に、ちょうど来日していたトルトゥリエが出演してドヴォルザークのチェロ協奏曲の第3楽章を弾き振りしたのを覚えている。このレコードのライナーノーツはトルトゥリエの弟子;倉田澄子が書いているのだが、その記述によれば、この録音はリサイタルのすぐ翌日に世田谷区民会館で行われたとある。そのためかこの盤はリサイタル当日の熱気をそのまま聴く趣きがあって貴重な録音だ。収録曲は以下の通り。
<A面>
ヴァレンティーニ:チェロ・ソナタ第10番ホ長調 グラーベとアレグロ
ショパン:前奏曲第4番ホ短調
パガニーニ:ロッシーニの主題による変奏曲ニ短調
ドヴォルザーク:ロンド・ト短調
サン=サーンス:白鳥
パガニーニ:無窮動
<B面>
グラナドス:ゴエスカス間奏曲
サラサーテ:サパテアード
ラヴェル:ハバネラ形式の小品
トルトゥリエ:ビシュネット
マスネ:エレジー
フォーレ:夢のあとに
フォーレ:蝶々イ長調
ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ・ハ長調
ヴァレンティーニのチェロ・ソナタに始まり、サン=サーンス、フォーレ、グラナドスなどのチェロでよく弾かれる曲、またパガニーニやラヴェル、ドヴォルザークの編曲物など多彩なプログラムが続いている。1914年生まれのトルトゥリエは当時58歳。まだまだ技巧的も万全の頃だった。実際この盤でもテクニカルなピースをいくつか弾いている。元々ヴァイオリンのために書かれたパガニーニの「ロッシーニの主題による変奏曲」と「常動曲」、またサラサーテの「サパティアード」でみせる技巧の切れは素晴らしいの一言だ。一方、フォーレ「夢のあとに」やグラナドス「ゴエスカス間奏曲」での歌ごころも文句なしにいい。録音もややオンマイクながらチェロの音をリアルにとらえていて、少し大きめの音量で聴くとあたかも目前にトルトゥリエがいるかのように聴こえる。この頃伴奏ピアノで名をはせた岩崎淑がまたいいセンスだ。ゴエスカス間奏曲の冒頭、単調なピアノ伴奏にのせてチェロがひとしきり歌ったあと、ピアノのフレーズが出てくるあたりの雰囲気や入り方は絶妙でゾクッとくる。A面を聴き終えたところで一服し、続いてB面を聴けば、一夜のリサイタル気分にひたれる。
この盤の音源でフォーレ<夢のあとに>
同サラサーテの<サパティアード>
トルトゥリエの夫人もチェリストだった。家族で演奏した映像があったので貼っておこう。
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事情あってパコ・サンチャゴ・マリンのギターを検分中。
ギター製作においてスペイン・グラナダ系譜の御大ともいうべきアントニオ・マリン(1933-)。その甥にあたるパコ・サンチャゴ・マリン(1948-)の近作。日本国内では御大のアントニオ・マリンとやはりその甥のホセ・マリンの知名度が高いが、海外での評価はむしろパコの方が高いとも聞く。実際、製作コンクールでの入賞暦も複数あるし、製作暦も50年に及ぶ。日本では商社の販売戦略もあってか、ショートスケール640㎜のモデルを中心に入荷しているようだが、評判は上々と聞く。一昨年拙宅に遊びにきた知人が持参したパコ・サンチャゴ・マリンの新作は、ショートスケールであることをまったく感じさせない鳴りの良さで驚いたことがある。検分中の楽器もやはり弦長640㎜。ナット部指板幅50㎜。表板スプルース、横裏板は中南米ローズウッド(マダガスカルローズかと)。ペグはロジャーズ製とのこと。
特徴的なヘッドデザインに他、サウンドホールにかかる19フレットが途切れずに通っていること、駒の両端がゆるく曲線に仕上げられていること…といったあたりが外見上の特徴。

細部の仕上げも良好。

640㎜ショートスケールは小型で弾きやすいというメリットがある反面、音響特性への懸念もゼロではない。しかし実際に弾いた感じでは、少なくても手元の鳴りはまったく遜色ないと感じた。楽器の胴サイズを実測してみると、意外にも大型の印象が強いラミレス3世と胴長さ以外はほとんど一緒だった。パコ・サンチャゴ・マリンは指板幅50㎜、ネック断面のU字状の肩を少し落とした感じで、ラミレスと同等のボディーサイズにも関わらず、すんなり身体に収まる。こうしてみるとラミレスが大きく感じる理由は、指板幅(ナット部で53~54㎜m)とU字状で厚めのネック形状に起因するようだ。
胴幅(上-中-下)
パコ・サンチャゴ・マリン:285-237-370
ホセ・ラミレス:283-237-370
胴長
パコ・サンチャゴ・マリン:482
ホセ・ラミレス:490
ラミレス3世(弦長664㎜)とのツーショット

ハウザー3世(弦長648㎜)とのツーショット

慎重に調弦を済ませて弾き出すと、一昨年知人のパコ・マリンを弾いたときの印象がよみがえってきた。低音から高音まで全域で音量感がたっぷりとしている。特に1弦ハイポジションは突き抜けるように、かつ強い音圧でよく鳴る。あえてあら捜しをすると、いくつかの音で強い発音後の余韻が短めに収束することくらいだろうか。だた、実際の曲を弾く上ではほとんど問題にならないだろう。また、一般には鳴りにくい3弦のハイポジションがすこぶるよく鳴り、サステインも良好。2弦と同等に感じるほどだ。低音共鳴音(ウルフ)はGとF#の間にあるが、6弦ローポジション全域でボリューム感十分。6弦開放、あるいはDに落とした場合も音量の低下はない。手元にある楽器の中では爆音系とされるサイモン・マーティーを除くいずれの楽器にも劣らない。
グラナダ系譜らしくというべきか、音質は高次の高調波を多く含み明るく、タッチに変化に対してもよく反応し、甘い音から鋭い音まで適応する。より深く低い低音共鳴と落ち着いた高音の音色をもつ系統の楽器の対極ともいえそうだ。加えて、何度か弾いたことのある同じグラナダ系譜のホセ・マリンなどと比べると、音の重量感、音圧の強さを感じる。このあたりが他のマリン系と異なる美点で、プロ奏者の使用楽器として、アントニオ・マリンやホセ・マリンよりも見かける頻度が高い要因かもしれない。
YOUTUBEで見かけたパコ・サンチャゴ・マリン使用の演奏三題。
アンドレア・ゴンザレス・カヴァレロによるマラッツ「スペインセレナーデ」
イザベア・ゼルダーによるウォルトン「バガテル第1番」。
ノラ・ブッシュマンによるヴィラロボス「前奏曲第5番」
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手元の音盤も見回しながら概数をカウントしてみると三千から四千枚の間となる。一日一枚順番に聴いていくと次に聴くのは十年後。残り健康寿命を勘案すると、どれもあと二回ほどしか聴けない。実際には均等に聴くわけではないし、音楽ゼロの日も多い。結局、聴かずじまいで終わる盤もあるだろう。そんな中、年に一度あるいは二年に一度といったインターバルで確実に聴く盤も多い。きょうはそんな盤の一つを取り出した。

長谷川きよし(1949-)の<カスタム20>と称する、今でいえばベスト盤アルバム。1973年発売。この当時の彼の主だった曲が、<別れのサンバ>を筆頭に18曲収録されている。十数年前に近所のリサイクルショップで手に入れた。
長谷川きよしの代名詞というもいうべき<別れのサンバ>がリリースされたのが、1969年7月25日というから、ちょうど半世紀前。ぼくは中学3年。アポロ11号が月面着陸に成功し、三沢高校の太田投手が甲子園で人気になった、そんな夏だ。当時ぼくはまだコードをかき鳴らす以上のギターテクニックとは無縁だった。そんなときテレビで<別れのサンバ>を演奏する長谷川きよしを見て衝撃を受けた。こんなカッコいいギターがあったのか。それからせっせと彼の演奏をコピーした。といってもレコードは持っていなかったから、テレビやラジオから流れてくる曲をそのまま耳コピーするしかなかった。それでも練習の甲斐あって何とかそれらしくコードを押さえ、ギターに合せて下手な歌をうたうことが出来るようになった。年が明けて春には高校入学。入学からしばらくした頃、ギター・マンドリン部に入部しようと部室を訪ねると一人の先輩がいた。「何か弾いてみて」と言われたので<別れのサンバ>を弾いた。8小節のイントロをそれらしく弾き、続いてギターに合せて歌もうたった。すると先輩が「歌はいいよ(笑)スケール弾いて」ぼく「はあ?スケール…」先輩「スケール、音階、ドレミ」、ぼく「はあ…」 楽器の基本である音階(スケール)も知らずにいた田舎の高校生のクラシックギターとの出会いは中々笑えるエピソードで始まった。以来高校時代は日々スケール練習に明け暮れた。そして同時にギター伴奏で歌うことは止めた(笑)。その「スケール弾いてみて」とぼくに言った先輩が本ブログにも時々登場する旧友Y氏であった。彼とは結局大学も一緒だったが、その後音信不通となった。そして三十年余を経た2011年にふとしたことで再会を果たした。ぼくら世代には強烈な印象を残した<別れのサンバ>。あれから半世紀…。遥かに来てしまったなあと、妙に感慨にふける曲である。
別れのサンバ@2012with仙道さおり。変らぬ声とギター。今も元気に活動継続中だ。楽器は…サウンドホールからチラリと見えるラベルからすると、今もファンの多い70年代に人気だった田村廣のフラメンコギターようだ。
これも聴きもの<黒いオルフェ> 使用楽器はアントニオ・マリンかな。
https://youtu.be/hKoknP1O1rk
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先日の日曜日にギターをさらった際、いくつかの楽譜に混じって懐かしい曲があったので記事にしておこう。


ギター弾きには教則本でお馴染みのマッテオ・カルカッシ(1792~1853)による<ルソーの夢>変奏曲作品17。手持ちの楽譜は60~70年代に出回っていた、今は無き好楽社のピース。オレンジ色の表紙に国藤和枝編の文字が懐かしい。
社会契約論で有名なフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは音楽家としても活躍した。<ルソーの夢>と題されるこの曲の元歌は、彼が書いたオペラの中のもので、当時イギリス、フランスではかなり流行ったとのこと。日本では童謡<むすんでひらいて>と言えば、なんだあの曲かとなるだろう。ギターのみならず当時の音楽マーケットでは、流行りのオペラのアリアを使った変奏曲やポプリは重要なジャンルの一つだった。この曲も、イタリア生まれながら生涯の多くをフランスで過ごしたカルカッシが耳にして、さっそくギター用にアレンジしたのだろう。
ラルゲットの比較的長い序奏のあと<むすんでひらいて>の主題が提示され、その後9曲の変奏が続く。変奏それぞれは、当時19世紀古典期ギター曲にみられる典型的な技巧をベースにしている。和声的には特別凝ったところはなく、簡潔な古典的和声感。グッとくるほどの響きの良さはないが、当時の雰囲気を楽しむには相応だ。中では2声が絡み合うように進む第2変奏、和声の変化が楽しめる第5変奏、短いながら唯一短調に転じる第8変奏あたりが充実している。最後の変奏が属七の和音で擬終止したあと、アンダンテ・エスプレシーヴォの回想的な8小節のフレーズがあって曲は終わる。自称中級諸氏には基本技巧の復習に好適な素材かと。
Boijeコレクションにある楽譜。
http://boijefiles.musikverket.se/Boije_0085.pdf
埼玉県狭山市在住の石村洋氏による演奏。この曲を取り上げる姿勢だけでも値千金かと!
もうひとりのシューベルトとでもいうべき、同時代にドレスデンで活躍したフランツ・アントン・シューベルトによると伝えられる<ルソーの夢>変奏曲。
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