長谷川きよし



手元の音盤も見回しながら概数をカウントしてみると三千から四千枚の間となる。一日一枚順番に聴いていくと次に聴くのは十年後。残り健康寿命を勘案すると、どれもあと二回ほどしか聴けない。実際には均等に聴くわけではないし、音楽ゼロの日も多い。結局、聴かずじまいで終わる盤もあるだろう。そんな中、年に一度あるいは二年に一度といったインターバルで確実に聴く盤も多い。きょうはそんな盤の一つを取り出した。


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長谷川きよし(1949-)の<カスタム20>と称する、今でいえばベスト盤アルバム。1973年発売。この当時の彼の主だった曲が、<別れのサンバ>を筆頭に18曲収録されている。十数年前に近所のリサイクルショップで手に入れた。

長谷川きよしの代名詞というもいうべき<別れのサンバ>がリリースされたのが、1969年7月25日というから、ちょうど半世紀前。ぼくは中学3年。アポロ11号が月面着陸に成功し、三沢高校の太田投手が甲子園で人気になった、そんな夏だ。当時ぼくはまだコードをかき鳴らす以上のギターテクニックとは無縁だった。そんなときテレビで<別れのサンバ>を演奏する長谷川きよしを見て衝撃を受けた。こんなカッコいいギターがあったのか。それからせっせと彼の演奏をコピーした。といってもレコードは持っていなかったから、テレビやラジオから流れてくる曲をそのまま耳コピーするしかなかった。それでも練習の甲斐あって何とかそれらしくコードを押さえ、ギターに合せて下手な歌をうたうことが出来るようになった。年が明けて春には高校入学。入学からしばらくした頃、ギター・マンドリン部に入部しようと部室を訪ねると一人の先輩がいた。「何か弾いてみて」と言われたので<別れのサンバ>を弾いた。8小節のイントロをそれらしく弾き、続いてギターに合せて歌もうたった。すると先輩が「歌はいいよ(笑)スケール弾いて」ぼく「はあ?スケール…」先輩「スケール、音階、ドレミ」、ぼく「はあ…」 楽器の基本である音階(スケール)も知らずにいた田舎の高校生のクラシックギターとの出会いは中々笑えるエピソードで始まった。以来高校時代は日々スケール練習に明け暮れた。そして同時にギター伴奏で歌うことは止めた(笑)。その「スケール弾いてみて」とぼくに言った先輩が本ブログにも時々登場する旧友Y氏であった。彼とは結局大学も一緒だったが、その後音信不通となった。そして三十年余を経た2011年にふとしたことで再会を果たした。ぼくら世代には強烈な印象を残した<別れのサンバ>。あれから半世紀…。遥かに来てしまったなあと、妙に感慨にふける曲である。


別れのサンバ@2012with仙道さおり。変らぬ声とギター。今も元気に活動継続中だ。楽器は…サウンドホールからチラリと見えるラベルからすると、今もファンの多い70年代に人気だった田村廣のフラメンコギターようだ。


これも聴きもの<黒いオルフェ> 使用楽器はアントニオ・マリンかな。
https://youtu.be/hKoknP1O1rk



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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