ミルバ&ピアソラ ライヴ・イン東京1988
プチ夏休みも終えて仕事再開。ちょっとダレた身体に喝を入れて、本日も程々に業務に精励。帰宅後、ひと息ついてから部屋をキンキンに冷やし、数年ぶりにこの盤を取り出した。


イタリアの歌手ミルバ(1939-)とピアソラ(1921-1992)が組んで来日した際のライヴ録音。バブル絶頂期1988年中野サンプラザでの公演。長らくこのときの録音はないとされていたが、サブマスターとして保存してあったカセットテープが見つかり、2009年にこの2枚組として日の目を見た。収録曲は以下の通り。
<ディスク1>
1. タンゲディアIII /2. わが死へのバラード(6時が鳴るとき) /3. ルンファルド/4. 迷子の小鳥たち/5.もしもまだ/6. ブエノスアイレスの夏/7. 孤独の歳月/8. ロコへのバラード/9. ムムキ/10. ミケランジェロ70
<ディスク2>
1. 行こう、ニーナ/2. 忘却(オブリヴィオン) /3. チェ・タンゴ・チェ/4. アディオス・ノニーノ/5. 3001年へのプレリュード(私は生まれ変わる) /6. フィナーレ“ブレヒトとブレルの間で” /7. 天使の死/8. ミルバの挨拶/9. ロコへのバラード (アンコール) /10. チェ・タンゴ・チェ (アンコール)
ピアソラは50年代から活躍してきたが、タンゴ愛好家以外にも今のように広く知られるようになったのは最近になってから。もっといえば1992年にピアソラが世を去ってからといってもいいだろう。バレンポイム、クレーメル、ヨーヨーマといったクラシック界の演奏家が取り上げこともあって、90年代後半からにわかにピアソラブームとなった。1988年の来日公演が今日のような状況下であれば、まともな録音が残っていないなどということはありえない。当時の受容の状況がうかがい知れる。
有名なアディオス・ノニーノやオブリヴィオンなど、今では様々な編成やアレンジで演奏される。それ自体は悪いことではないと思うが、本来ピアソラがイメージしたオリジナルがどういうものなのかを知ることは、様々な手を加える上でも重要だろう。その意味で、このアルバムに聴くピアソラ楽団の演奏と、ピアソラ自身が最高のピアソラ歌いと称したミルバの歌唱は、ひとつのオリジナル=原点として貴重だ。カセットテープから編集された音源ではあるが、音質はライヴらしい雰囲気をとらえていて悪くない。50歳前の円熟したミルバと晩年のピアソラによる音楽が、ときに情熱的に、ときに淡々と奏でられる。ミルバの歌はもちろん、ピアソラ五重奏団によるインスト演奏も素晴らしい。
ピアソラ楽団をバックにオブリヴィオン(忘却)を歌うミルバの音源。80年代後半と思われる。1984年に映画音楽として作られ、その後ミルバの歌唱でヒットした。以下のような歌詞が付いている。
重い、突然重く感じられる
あなたのベッドのビロードのシーツ
私たちの愛さえも思い出せない時には
重い、突然重く感じられる
夜の闇の中で私に巻き付いたあなたの腕
船は出発し、どこかに行ってしまう
人々は別れ別れに、思い出さない、私は思い出さない
…略…
この盤の音源で「Se potessi ancora(もしもまだ)」
ミルバが日本で有名になったのは<ウナ・セラ・ディ東京>を美しい日本で歌ってからだ。ザ・ピーナッツの<東京たそがれ>がオリジナルだが、ミルバの歌唱がきっかけで<ウナ・セラ・ディ東京>と改名され大ヒットとなった。
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