先日聴いたセゴビアの盤に収録されている曲のうち、気になった曲があって少しさらってみた。

F・ソルが書いた教則本に出ているギターの支持姿勢。

ギター弾きにはお馴染みのフェルナンド・ソル(1778-1839)。彼が故郷スペインを離れてパリに出た頃に書かれた曲の一つに作品5-5「アンダンテ・ラルゴ」というニ長調の小品がある。中上級クラスのギター弾きなら必ず弾いたことのある曲だ。
この曲は、曲の規模こそ5分ほどの小品ではあるが、ソルの作品の中でももっとも美しいものの一つだ。6弦ギターが持つ最も魅力的な響きが得られる音域の第1弦5から10フレットにメロディーラインをのせ、2弦の三度で下支えする。6弦のE線をDに下げる調弦で、音域を拡大すると同時にニ長調の安定した響きと、ポリフォニックに書かれた低音声部をしっかりとキープしている。中声部による多彩な和声展開は、ウィーン古典派の大家が書いたカルテットやピアノソナタの緩徐楽章に肩を並べるだろう。おそらく、ギターの楽譜の各声部をばらして、カルテットに仕立てても十分美しく聴き映えがするに違いない。
クラシックギター弾きの中には、クラシック音楽そのものとギター音楽が別の世界のものと思っている輩も少なからずいる。偉そうな言い方に聞こえそうだが、こういう曲を通して自分が弾いているソルやジュリアーニが19世紀初頭のウィーンやパリの香りを伝えるものであって、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンそしてシューベルトと続く系譜の中にあるという時代感覚と様式感を意識し、そこから古典派や以降のロマン派の音楽にも親しんでほしいものだと思う。
Boijeコレクションのアーカイブ。この5曲目。
http://boijefiles.musikverket.se/Boije_0460.pdf
詳細な運指を付したEdison_Lopes版
http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/d/d6/IMSLP247967-PMLP402029-Andante_Largo,_Op._5,_No._5_(Sor,_Fernando).pdf
当時の楽器とガット弦を使い、さらにソルが書いた教則本にならって、テーブルでギターの胴を支える姿勢で弾いている。
19世紀中庸に英国で流行したコンサティーナによる演奏。 ギター弾きでギター作品も残したレゴンディ(1822-1872)は人生の後半をコンサティーナ奏者としても活躍した。ソルはそのレゴンディに作品を献上している。
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十一月も半ば。深まる秋。前線通過で時折り雨もあるが、天気の崩れは短く、総じて好天続く。このところ業務多忙で帰宅も遅く、平日の晩はアンプの灯を入れることも少ない。本ブログ記事も週末にまとめてポンッと書き、日時予約でアップ…なんてこともしばしばだ。そんな中、時間を見つけては繰り返し聴いているのがブラームス。それも第3番の交響曲ばかり。そんな中、今夜はこんな盤を取り出した。

ジョン・バルビローリ指揮ウィーンフィルによるブラームスの交響曲第3番ヘ長調。手元にはLP盤もあるが、今夜は安直にCDを取り出した。手持ちの盤は十数年前に交響曲全集として出た3枚組。当時、廉価盤ボックスセットを盛んにリリースしていたDisky_Classicsの盤。原盤はもちろんEMI。1966~67年録音。
バルビローリ(1899-1970)というと、ロンドン生れで「サー」称号をもつ温厚な英国紳士というイメージかもしれないが、イタリア人の父とフランス人の母をもつラテン系。資質としてはかなりの熱血漢で、演奏表現も情熱的な側面を強く持つように感じる。実際、ウィーンフィルを降ったこのブラームスも、遅めのテンポを基本とし、濃厚な表現ながら落ち着いた曲の運びでブラームスに相応しいとして評価が高い演奏ではあるが、時々その既定路線のボーダーラインを逸脱しそうな情熱的なフレーズも繰り出してきて、中々興味深い。
交響曲第3番はヘ長調の調性ながら、すべての楽章がしずかに終わることや、渋い和声感など、第4番以上に枯れた味わいが表現される曲だ。しかしバルビローリの手になるこの演奏は、ウィーンフィルの音色もあって、枯淡には遠く、またこの曲が時々称される「ブラームスの英雄」のイメージもなく、むしろ深い豊かさとその底にある情熱を感じる。「安定のベーム」に対して「豊潤なバルビローリ」とでも名付けたくなく、唯一無二の演奏だ。
この盤のスコア付き音源。全楽章。この曲も聴きどころ、私見はこうだ…
第1楽章:終盤の練習番号Lの4小節前(8分10秒)からの数小節(その前のホルンの強奏も!)。冒頭の主題音形が凝った和声で提示される。
第2楽章:終盤の練習伴奏F(17分5秒)からの8小節。
第4楽章:練習番号I(29分44秒)から緊張感ある転調の連続。そのあとに続く練習番号L(30分58秒)のからVcによる三連符メロディー(これより前の練習番号Cにも同フレーズ)。第1楽章の主題が静かに回顧されてエンディングも最高。
バルビローリの熱血漢としての側面を垣間見る練習光景。ブルックナー第7交響曲のスケルツォで手兵ハレ管を締め上げる!
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音盤棚を眺めていて久しぶりにこの盤が目にとまって取り出した。

手元にはセゴビア(1893ー1987)のLP盤が20枚余りある。多くは近年になって中古レコード店で手に入れたものだ。もちろんジャケットイメージや演奏は40年前から馴染みがあるし、CDでは80年代終盤に出たセゴビアコレクション全16巻が手元にある。今夜取り出したのは輸入盤のMCA-2524。収録曲は以下の通り。1961年のリリース。
A1. パバーナ第2番(ミラン)
A2. パバーナ第1番(ミラン)
A3. パッサカリア ホ短調(ド・ヴィゼ)
A4. ジーガ・メランコリカ(セゴビア編)
A5. ラルゴ・アッサイ(ハイドン)~<弦楽四重奏曲作品74の3>より
A6. メヌエット(ハイドン)~<弦楽四重奏曲作品76の1>より
A7. グラナダのサンブラ(アルベニス)
B1. ガリアルダ(サンス)
B2. エスパニョレータ(サンス)
B3. ソナタ ト長調 L.79 K.391(D.スカルラッティ)
B4. アンダンテ・ラルゴ ニ長調作品5の5(ソル)~「6つの小品作品5」より
B5. ロンド ハ長調(ソル)~「グランド・ソナタ作品22」より
B6. 無言歌 作品30の3(メンデルスゾーン)
B7. ロス・ピーノスのロマンセ(トローバ)
中々盛りだくさんのプログラム。ルネッサンス、バロックから古典、スペイン近代まで、いささかごった煮の感が否めないが、まあセゴヴィア節を聴くためのアルバム、選曲は二の次と思えば不自然でもない。その昔、ギターを始めたばかりの高校生の頃、セゴビア、ブリームやイエペスといった当代のメジャー演奏家の中ではセゴビアの演奏をもっとも敬遠していた。しかし、いま聴くと音楽的に一番真っ当なのはセゴビアだと感じる。19世紀的スタイルだとか、どんな曲も時代性を感じないセゴビア節だとか言われることも十分承知してはいるが、音楽の基本にもっとも忠実なのは誰かと問われたらセゴビアを挙げたい。ブリームやイエペスの腑に落ちない点をここであげつらうつもりはないが、彼らの演奏には時として不自然なアーティキュレーションを感じる。一方、セゴビアにはそれが少ない。スタイルは19世紀的だが、音楽の流れがきわめて自然だし、古典様式の基本である和声・フレーズの緊張と解決を適切に伝えてくれる。
セゴビアの弾くハイドンのメヌエット(弦楽四重奏曲作品76-1より)。音楽はよく流れ、伸ばす音、切る音、倚音の扱い、いずれも自然に処理される。
1967年セゴビア74歳の記録。 「動画は再生できません」と出るので、画面の指示に従い、「YouTubeで見る」の下線部をクリックすればOK。
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数年前、何度かいい加減な演奏を録音してはアップしたことがあったが、その後演奏録音はすっかりご無沙汰だ。そもそも楽器に触れることが少なくなってしまった。時間がないというのは言い訳にもならないだろうが、初見プラスアルファで弾けるような小品ばかりさらっておしまい。少しは気合入れてチャレンジするような曲に取り組もうとも思うが、それから先が進まない。まあ意欲減退という感もある。…と、ブツブツ言ったところで始まらないなあと思い、今夜はソルの作ったソナタから作品15-2をさらってみた。

フェルナンド・ソル(1778-1839)はいくつかの重要なソナタを残しているが、その中で作品15-2ハ長調のこの曲は、単楽章ながらセオリー通りのソナタ形式を踏襲し、しかも中級程度の技巧レベルで何とか楽しめる貴重な作品だ。全体を通してストレートな古典的表現が貫かれ、ソルの真骨頂である多彩な和声感はやや乏しい。モダンギターで弾くと手の小さいぼくなどは左手の拡張で少々難儀するところがあるが、その他は何とか通せるレベル。弦長640mm以下の19世紀ギターなら、ずっと弾きやすくなりそうだ。
曲はハ長調の明快な主題で始まる。そのまま弦楽四部で弾けばカルテットで成立しそうな曲想。程なく柔和な第2主題がト長調で現れ、一旦終始してから展開部へ移る。初めて弾いても曲の構成が一度で理解できるほどで、ソナタ形式の入門にはうってつけの曲だ。自称中級のギター弾きが古典様式を実感しつつ楽しめる曲。流行りのカッコいい曲あるいは弾けそうにない大曲ばかり追いかけないで、こうした古典中の古典のアレグロをしっかり弾くたしなみも大切だ。
楽譜はこちらに。(コーダ)末尾2小節のカットがないもの。
http://boijefiles.musikverket.se/Boije_0494.pdf
セルシェルの音源。解説の濱田氏の声も若い。提示の繰り返し有り。
マヌエル・バルエコによる比較的新しい録音。 この演奏に使っていると思われるバルエコ編によるソル作品集の楽譜も出ている。最後4小節に注目。
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11月に入って一気に季節が進む。朝晩も冷え込むようになった。少々気が早いが、年末に向けてひっ迫気味の仕事を気にしつつ、本日も業務に精励。8時を少し回って帰宅した。暖がほしくなる部屋で音盤タイム。今夜もブラームスだ。


50年代までは中欧のローカルレーベルに近かったドイツグラモフォンは、カラヤンの存在により60年代以降、一気にクラシックの国際的メジャーレーベルになり、以降は黄色い帯の統一されたジャケットと共にクラシック音楽の代名詞のような存在となった。実際、カラヤン、ベーム、バーンスタインを抱え、ベルリンフィルとウィーンフィルを駆使して盛んに新録音を送り出した。写真のLP盤セットはまさにその頃の象徴のような盤だ。上段はブラームスの交響曲全集、下段はべートーヴェン。それぞれベーム、バーンスタイン、カラヤンが振っている(右上のカラヤンのブラームスが60年代録音。それ以外はすべて70年代から80年代初頭の録音)。カートンボックス入りの豪華な全集盤は当時中々手が出ず、後年CD期になりLP放出が盛んになって以降、中古レコード店で投売りされているのを買い集めた。今夜はそんなことも思い出しつつ、ベーム&ウィーンフィルのブラームス第3交響曲の盤を取り出すことにした。渋い曲想が秋に相応しい名曲だ。LPにするかCDにするか迷ったが、きょうは例のベームのボックスセット(モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスそれぞれの交響曲全曲を収録)からCDを取り出し、プレイボタンを押した。
やや遅めながら終始インテンポ。どこかのパートを浮き彫りにするようなバランスは決してとらない。フレーズの輪郭や音一つ一つにくっきりとエッジが立ち、ややゴツゴツした肌触り。総じて実に端整で真面目な演奏だ。 当時すでにベームは全盛期を過ぎていて、このブラームス録音も往時を知る人達の評判は決して賞賛ばかりではなかった。第1番は50年代のベルリンフィルとの盤に比べ、ぬる湯に浸かっているような演奏とさえいわれた。しかし、この3番は曲想からしてエネルギッシュばかりが求められるわけでもない。少し物足らないくらいの静けさや端整な造形がむしろ似合うようにも思う。ウィーンフィルは終始美しく、やや明るめの音色でベームの端整な解釈を支える。ムジークフェラインでの録音は幾分オンマイクで、カラヤンとベルリンフィルのイエスキリスト教会録音とは対照的。低音がすっきりとしていて、各パートの分離や解像度も良好だ。時々突き抜けるように響くウィンナホルンも印象的。個性的な名演があふれるブラームスの交響曲の中でも、長く繰り返し聴き続けられる安定・鉄板の演奏として愛聴したい。
この盤の音源。第3番全曲。
第1楽章の聴きどころ終盤8分40秒過ぎから。多くの演奏にあるような加速はせず、インテンポで貫くがゆえのスケール感が素晴らしい。第2楽章の19分過ぎの回顧調フレーズは涙物だ。有名な第3楽章は何度聴いても胸を締め付けられる。終楽章はブラームス節全開。三連符と付点音型が交錯する。31分50秒から始める緊張MAXのフレーズ、32分過ぎから32分30秒過ぎまではベートーヴェン運命交響曲のテーマを思わせる三連符音形で緊張を高める。その後付点音符音形が続き、33分10秒からは低弦群のピチカートにのってホルンが三連符を伴なったメロディーを歌う。そして最後は秋の夕暮れのように曲を閉じる。
日本人を母にもつアラン・ギルバート(1967-)とニューヨークフィルによる演奏。アラン・ギルバートは2009年から2017年の間、同団の音楽監督を務めた。日本にも度々客演し、当地群馬交響楽団も振っている。この演奏、アメリカのオケかと疑うほど落ち着いた曲の運びと音色だ。
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80年代後半バブル期に登場したシステム手帳。70年代から文具好きだったぼくには格好の遊び道具で、勤務先社内でも真っ先に手に入れた。しかし、地味なメーカー勤務の若造には、クライアントやらプレゼンやらアポやら、当時流行りだしたカタカナ用語も日常スケジュール管理も無縁で、出始めたワープロを駆使して作った自家製リフィルも空白ばかり。結局その頃の記録はほとんど散逸した。まあ、大した記録もないし、そんな記録を見返して懐かしがっても仕方ないのだが…。その後、馬齢を重ね、会議と出張に忙殺されてスケジュール管理が必須になってからは、普通の綴じ手帳を使い始めた。それでも少々こだわって横長開きの手帳を探し、分不相応にもエルメスの手帳に手を出したこともあったが、十数年程前に英レッツ社の横長開きのものを見つけてからは、それに落ち着いた。田舎の店にもこの時期手帳コーナーが店開きするが、レッツ社のものは置いてない。来年2020年用も先日、都内での仕事帰りに丸善で調達した。


上着の内ポケットにサッと収まる大きさと絶妙の縦横黄金比、シンプルながらチープさとは無縁の品格あるコスメティック、あれこれと押し売りしないページ内コンテンツ、万事中庸をよしとする英国魂とでもいうべき逸品だ。人によっては書き込みスペースが不足するだろうが、ピークを過ぎた老兵サラリーマンが程々の公私日常を管理するにはジャストフィット。同じサイズでも記載フォーマットで多くのバリエーションがあるが、ぼくの場合は横見開き1週間のもの。今年までの十数冊を重ねてみると、そこそこハードだったこの間の勤め人人生を思い出す。巻末には数ページに渡って英国の地図。昨年までは世界地図だったが、今年から英国オンリーに変わった。グレイト・ブリテンを見開き、都市の名前を見ているだけでも、音楽にまつわる名前やタンノイ社製スピーカーのモデル名を見つけて、ちょっと心和む。

手帳への書き込みはもっばらシャープペン。ゼブラの百円シャープは耐久性・フィット感とも及第だが、人前では体面重視でLAMY2000シリーズに持ち替える。漆黒のミニマルデザインは60年代独工業意匠の傑作。フォーマル、カジュアル、どんな場面でも取り出せる。シャープ・4色ボールペン・万年筆(太字・中字)勢揃い。見かけに反して万年筆のタッチはとても柔らかく、たっぷりとしたインクの出具合もあって書き味は申し分ない。4色ボールペンもスリムなデザインで、これなら多色ペンを持ってもいいかと納得した。シャープペンはメカニックの出来がイマイチで、一度修理に出したがまともには治らなかつた。仕事用ノートへは殴り書きも多く、ステッドラー社0.7ミリ芯製図用モデル925を何年も使っている。田舎の文具店にもあって500円也。ペン軸のメーカーロゴの印刷はとっくに消えて見えなくなったが、それ以外は滅法丈夫で壊れない。

B級万年筆コレクションも最近は出番がなくなった。中にはまともなペンもあって、以前は書類へのサインや書き込みにべリカンを使ったり、あらたまった席での記帳にモンブラン149を胸ポケットから取り出したりもしたが、少々大仰と心得て止めた。 中国製というよりは中共製という方が似合うパーカーコピーの<英雄>も数本ストック。文革時代の60年代後半に上陸。某新聞社の記者が絶賛し、数年聞流通したが、その後いつしか消えていった。ぼくも当時手に入れて、せっせとラブレターを書いたものだ(もちろんすべてが徒労に終わった)。<英雄>はいずこへと思っていたら、90年代半ばに上野アメ横で見つけて購入。まだデッドストックがあったのかと驚いたが、2000年代になってから仕事で中国に出張した際、上海のデパート文具売り場に、呆気ないほど当時のままの姿で並んでいた。
気心知れた友と手書きの書簡を往復させる風情に憧れたものだが、そういう相手も中々いない。そもそもこちらも手書きで文章を書けなくなった。PCに向かって<ひとり交換日記>のような与太ブログが続く。ナンだかなあ…という感じであります。
数年前に話題になった動画。公開後、パイロット社へはNamiki_Falconの国内モデル:パイロット・エラボー万年筆の注文が殺到した。
日本語はいかに。
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話題の映画「マチネの終わりに」が公開となった。


クラシックギタリストが主人公となるということで、平野啓一郎の原作が新聞連載されていたときから、クラシックギター業界関係者の間では話題になっていた。昨年映画化が決まり、福山雅治と石田ゆり子という当代の人気スターが主演するということで、日頃は地味なクラシックギター界も脚光を浴びるのではないかと期待するむきもあったようだ。原作では冒頭から、フレタだのスモールマンだの、バークリーだのバリオスだのと、クラシックギター弾き以外には馴染みのない単語が並び、映画への期待も高まる。
原作中で一つのキーとなった曲「幸福の硬貨」の楽譜が久々に再販されたので先日手に入れた。林そよか作曲。ホ長調というギターには最適の調性を取り、のびやかな響きが楽しめる。ご覧の通りの譜面で、中上級者ならほとんど初見で通せるだろう。実は映画では同じ曲名ながら別の作曲者:菅野祐悟によるまったく別の曲が使われる。なぜ別の曲が使われるのか…その辺りの事情は置くとして、映画ではこの菅野祐悟作曲の「幸福の硬貨」を福永雅治自身が実際に弾いているとのこと。福山ファンならずとも楽しみだ。
映画予告編
林そよか作曲の「幸福の硬貨」
映画で使われる菅野祐悟の「幸福の硬貨」 楽譜は未出版。この演奏は耳コピー版とのこと。
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