18世紀ベネチア音楽集



先日、あるところでリコーダーデュオによるバロック作品を聴く機会があった。久々に聴くバロック…やっぱりいいなあと、帰宅後、音盤棚をサーチ。こんな盤を取り出した。


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最近見かけなくなったレーベル:独ART社から出ていた18世紀ベネチア(Settecento Veneziano)の音楽を集めたイタリアン・バロックのアルバム。何枚か出ているシリーズ物の1枚のようで、アルビノーニ、ヴィヴァルディ、ガルッピ、プラッティなど協奏曲、シンフォニア、トリオ・ソナタ集が収録されている。オッタヴィオ・ダントーネ指揮アカデミア・ビザンチナという団体による演奏。編成はヴァイオリン2・ヴィオラ1・チェロ1・ヴィオローネ1・チェンバロそれとアーチリュートが加わっていて当時のスタイルを再現している。1999年録音。

明るい陽射しを受けながら聴くイタリアンバロックは本当に気持ちがいい。がしかし、イタリアンバロックが明るいばかりかというとそうでない。貴族の慰安といっても明るい曲ばかりがリクエストされたわけではないのだろう。苦悩に満ちた人もいただろうし、夜会用に秘めた曲想も必要だったに違いない。これはバロックに限らず古今の音楽すべてに脈々と流れる役割だ。絵画も音楽も光と影はワンセット。この盤の最初に入っているガルッピのコンチェルト・クアトロ第4番ハ短調などを聴くとそうしたバロックの多彩さを再認識する。更にこの盤は録音もよく、スピーカを程々の音量で鳴らすと小編成の響きが部屋に満ちて心地いい。


ガルッピ(1706-1785)の協奏曲第4番ハ短調


古典派の響きをもつガルッピの曲を弾くミケランジェリ。このソナタはミケランジェリのチャーミングな演奏によってよく知られるようになったといってもいいだろう。




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ガヴォット・ショーロ



公開中の映画「マチネの終わりに」。11月1日の公開以来、行こう行こうと思いながら、中々時間が取れずにいたが、先日ようやく仕事先近くのシネコンに立ち寄ることが出来た。
クラシックギターの弾き手が主役となる映画はおそらく初めてではないだろうか。映画のあれこれは置くとして、スクリーンから聴こえてくる耳馴染んだクラシックギターの曲を聴きながら、「クラシックギター…やっぱ中々いいなあ」と、あまりに素直な感動に包まれ、我ながら驚いてしまった。バッハ、バリオスなどが流れる劇中の演奏風景に中で、妙に印象に残った曲があったので、楽譜を広げてさらってみた。


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ヴィラ・ロボス(1887-1959)作曲のガヴォット・ショーロ。ブラジル民謡組曲(Suite Populaire Bresilienne)中の1曲。ブラジル民謡組曲はマズルカ・ショーロ、ショティッシュ・ショーロ、ヴァルサ・ショーロ、ガヴォット・ショーロ、ショリーニョの5曲から成る。ヴィラ・ロボスはクラシックギター弾きにはお馴染みの名前だが、一般的には例のブラジル風バッハ辺りが知られている程度かもしれない。ヴィラ・ロボスは千曲を越す作品を残した多作家であり、または中々器用でギターの腕前も上級以上だったようだ。ギター作品はそう多いわけではないが、12曲からなる練習曲や5曲ある前奏曲などは上級以上を目指す弾き手には必修曲だ。ぼく自身は練習曲も前奏曲も手付かずの状態だったが、少し前に一応見ておこうかという程度の不純な動機もあって、あらためてお手軽なマックス・エシック社の曲集を買い求めた。

ブラジル民謡組曲はいずれも親しみやすい曲調で、初めてギターに接する人にもすんなりと受け入れられる曲調なのだが、いざ実際に弾こうと思うと、耳で聴くほどには易しくない。いずれも数分の曲で、冒頭は難なく進むものの、曲中何カ所かひっかかるフレーズが出てきて手こずることになる。そんな中、このガヴォット・ショーロは5曲中では最も取っ付きやすいもので、ニ長調ではじまるフレーズは、ややのんびりとしたテンポで弾くと心和む。途中ロ短調、嬰ヘ短調をはさんで、ニ長調のフレーズが繰り返され、ガヴォットのリズムにのって穏やかな逍遥が続く。映画のシーンを思い出しながらポロポロと奏でる民族調メロディーは中々楽しく、心温まる。


髭のおにいさんの飄々とした弾きぶりがナイス!


味わい深いローリンド・アルメイダの演奏。


楽譜付き音源



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群馬交響楽団@高崎芸術劇場



先週末の土曜日は群馬交響楽団(群響)の定期演奏会へ。会場はこの9月に落成した高崎芸術劇場。その大ホール(大劇場)が新しい群響のホームとなった。


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60年に及ぶ旧ホームの群馬音楽センターから新ホールへ移行。20年来の悲願がようやくかなった。惜しむらくは高崎芸術劇場の大ホールがクラシック音楽専門ホールとはならず、多様な音楽やバレエ、演劇まで幅広く対応するホールとして作られることになったが、クラシック音楽ばかり優先するわけにもいかない事情も理解できる。同劇場には音楽ホールと称して400名規模のホールがあって、こちらはクラシック音楽を主な対象としているようだ。とまれ新ホールの響きを楽しみに第553回定期演奏会へと向かった。


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同劇場へはJR高崎駅から屋根付きの回廊を歩いて5分程。アクセスはすこぶる良好だ。新幹線のおかげで東京や長野からも1時間後にはホール前に立てる。大ホールは約2000席。舞台を中心に扇型に広がる空間は広々とし、客席の勾配も十分にあって、隅々から舞台が見渡せる。多様なジャンルの公演に対応するためもあってから、天井や壁面のシャンデリアや装飾はほとんどない。木質の深い色合いの壁面はやや単調ではあるが、むしろ広々とした印象につながるし、天井にちりばめられたシンプルなライトが星のきらめきのようにも見えて悪くない。劇場内にはクローク、カフェ・レストラン、スタンドカフェなど整い、都心の劇場に見劣りしない。

当夜のプログラムは井上道義指揮で武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」とブルックナーの第7交響曲が演奏された。すでにこのホールを経験した知人からは、少々残量が多すぎる印象だったとも聞いていたが、当夜ぼくが座った2階最奥中央寄りのC席では、ホールエコー過多の印象はまったくなく、予想以上に良い印象を受けた。視覚的にも音響的にもステージからの遠さを感じないもので、弦楽群はボウイングのアタックまで鮮明に聴き取れるし、木管群も遠くなることもなかった。金管群や打楽器群のボリューミーな響きを聴くかぎり、むしろもう少しホールエコーがのってもいいのではないかと感じた。もっとも席によって千差万別だろうから、機会があればまた別のポジションで聴いてみようと思う。

聴き馴染んだブルックナーの第7交響曲。井上道義氏の解釈は実にモダンで、テンポの動きは少ないものの、スコアから読み取った各パートの動きをより強調させることで、長大なこの曲をまったく飽きさせることなく聴かせてくれた。お馴染みのスタイリッシュなアクションやポーズで、音のフレーズを視覚的にもみせてくれる分かりやすさは、この指揮者の魅力でもある。一方で、ぼくのような素人が言うのは僭越だが、群響の演奏はまだこのホールの響きと一体化した音作りには至っていない感もあった。デッドな音響の旧ホーム:群馬音楽センターでのスタイルが残っているためだろうか、ときに力づくの響きが気になった。この新ホールなら、それほど力まずに音調を整えることに専念できるはずだと感じた。

新ホールの完成、新しい本拠地での群馬交響楽団の新たなスタート… 高校生時代の半世紀前から同団を聴いてきた者としては隔世の感有り一夜であった。来月は恒例の第九、年明けには竹澤恭子を迎えてのブラームス、2月にはマーラーの復活と、楽しみなプログラムが続く。







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熟考チェッリビダッケのブラームス



秋の好日もちょっと息切れ。きのうきょうと冷たい雨に見舞われた。色付いた欅の葉が一気に濡れ落ちそうな週末だ。実はきょう土曜日、久しぶりに群馬交響楽団の定期演奏会へ出向いた。その始終はあらためて記すとして、今夜はまたまたブラームス。それもこのところずっと聴いている第3交響曲。取り出したのはこの盤だ。


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セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)が70年後半に残したシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR)とのブラームスの交響曲全集。ちょうど21世紀に変わった頃にリリースされたもの。手持ちの盤は発売とほぼ同時に手に入れた輸入盤セットだ。

70年代後半というと、チェリビダッケの名が本邦にも届き、まだ見ぬ巨匠への期待感と伝え聞くカリスマ的な存在感とからクラシックファンの間で大いに話題になっていた頃だ。録音が極端に少なかったこともその話題性に拍車をかけた。そして録音よりも先に、読売日響への客演指揮者として日本の聴衆の前に姿を現し、その演奏にも様々な評価が飛び交ったものだ。記憶に残っているのは、日本のオケのスタイルと変えたとまで言われたチューニング方法だ。それまでオーボエのAに合わせて一斉に音出しをしていたスタイルから、弦と管に分けて合わせるようになった(弦はしばしば低弦群だけ独立して合わせた)。演奏表現では弱音に意を尽くした解釈が、当時の日本では評価が分かれた。そうしたトピックスに事欠かなかったチェリビダッケであったが、没後数年してから晩年深く関わったミュンヘンフィルとのライヴ録音が一気にリリースされ、その個性的で説得力のある解釈で大いに話題になったものだ。DGからリリースされらこのブラームスは、晩年のミュンヘンフィルとは異なる、チェリビダッケ壮年期の油の乗り切った演奏が楽しめる。

さて、このブラームス第3番交響曲。晩年と多くの演奏と違ってテンポはやや速めに設定される。そして、そのテンポはごく僅かながらしばしば動かされる。その動きは音量のディナーミクとの連動していて、フレーズの起伏と緊張・解決の連呼を巧みに表現する。また音量の大小だけでなく、同じフォルテやフォルテシモでも、頭にアクセントがつく場合、ふっと抜くようにアクセントはずしてかわす場合といった具合に、変化球を投げ込んでくる。ともかくスコアを徹底的に読み、その表現方法を吟味してから具体的な音響に反映させている感じがひしひしと伝わってくる。この一週間でこの演奏を数回聴いたのだが、聴くたびにその巧みさに感服する。今月に入ってから続けて聴いているブラームスの第3番。安定のベーム、豊潤のバルビローリ、明朗なワルター…それに続けて例えるなら「熟考のチェリビダッケ」といったところだろう。


この盤の音源@1976年。第1楽章終盤6分50秒過ぎ辺りからのクライマックスでは、気合を入れるチェリビダッケの唸り声が聞こえる。第2楽章終盤16分55秒過ぎからはテンポを一段と落とし、息の長いフレーズを歌う。


以下はミュンヘンフィルとの1979年の録音。SWRの録音とは3年違いなので、そう大きな変化はないが、トータル時間は4分程伸びている。



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田邊トーレス検分



このところ業務ひっ迫につき中々時間が取れなかったのだが、間隙をぬって先週末の晩、足利市の田邊ギター工房へ行ってきた。


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目的は他でもない、先般開かれた弦楽器フェアに出展したトーレスモデルの検分。田邊さんとは少し前から連絡を取り合い、展示を終えたあと一旦工房に引き上げるので、その時にでもということになっていた。先週末の夜、都内での仕事を少し早めに切り上げて帰宅。夕方6時過ぎに車で出発した。途中、高速も使って45分程で工房着。前回お邪魔したのは確かこの4月だったから、ほぼ半年ぶりだ。手持ち楽器の調整依頼もあったので、その用件を伝えたあとさっそく試奏となった。


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今回のトーレスモデルは、この夏に田邊さんと一緒に検分したオリジナルのトーレスをベースにしている。オリジナルにあったトルナボスは付けていないが、それがマイナスにならないよう、その他の工夫で低音域の拡充に務めたようだ。サイズは採寸したトーレスを踏襲。トーレスとしては大型の部類に入るだろうが、現代の標準からするとやや小ぶりなボディーサイズだ。弦長は650㎜。表板はスプルース、裏板はハカランダを中央にしてマダガスカルローズで挟んだ3ピース。先回検分した例のトーレスも3ピース構成だった。

驚くべきは表板の板厚。ここで数字を明らかにするのは控えるが、えっ!と驚くほどの薄さだ。一般に20世紀以降のモダンギターの表面板は2.5㎜前後とすることが多い。やや厚めで3㎜、やや薄めで2㎜といったところだ。大雑把に言えば、20世紀前半までの楽器は薄めで2㎜程度あるいはそれ以下のものもある。今回の田邊トーレスモデルはその最も薄い部類といえるもの以上に薄い仕上げ状態。田邊さん曰く「客注じゃないので、思い切り攻めてみた(笑)」とのことだった。板厚を薄くすると単純に割れや変形のリスクを抱えることにつながる。一方で、かつて「割れないギターは鳴らない」と言われたように、反応よく音を出す条件でもあって、製作家としてはその狭間で腕を振るうことになる。

今回の作品も単純に薄さを追求したわけではなく、表板そのものも素性や力木の加工などに配慮しつつ、製作段階でのタッピングで音を確かめながら進行したようだ。結果として、低音レゾナンスはE付近と低く、6弦ローポジション全体で十分なボリューム感ある低音が得られている。低音増強のあおりを食らいそうな高音もまったく不安はなく、中高音は音量、サステインとも良好で低音と十分バランスの取れた鳴り方だった。もちろん、百年を経たトーレスと同じ鳴り方ではないが、深く沈み込みながらも弾力のある低音と、それに見合った反応の良い高音を兼ね備えた出色のトーレスモデル。「与太さん、これ傑作ですよ!」という田邊さんの自己評価にもまったく同意の一本だった。


先に記した今回の田邊トーレスが拠り所の一つとしたアントニオ,デ・トーレスによる演奏音源。ザグレラスの所有品だったというこのトーレスは、現存するトーレスの中でも間違いなくトップレベルの楽器。この個体をじっくり試奏できたことは本当に幸運だった。物理的な状態が極めてよく、音も素晴しかった。この録音からもトルナボスがもたらす深い低音が随所で響く。ぜひ良質なヘッドフォンで視聴のほどを。



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トローバ「マドローニョス」



今週も穏やかに始まった。朝晩の冷え込みはまだ差ほどでもなく、日中は陽射しに恵まれ暖かい。市中の欅並木も色付き、見頃を迎えている。そんな中、業務は少々ひっ迫。年内は気が抜けない状況が続きそうだ。それでもきょうは少し早めに帰宅。ひと息ついてギターを取り出し、こんな曲をさらってみた。


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スペイン近代の作曲家フェデリコ・モレーノ=トローバ(1891-1982)が残したギター曲「マドローニョス」。この曲を知ったのは高校生の時分だったろうか。ギター弾きの間では「スペイン物」という言い方で通っているアルベニスやグラナドスの編曲物にあまり好印象を持たなかったのだが、同じスペインながらトローバのこの曲だけは印象に残り、いつか弾いてみたいと思っていた。貧乏学生時代には思うように楽譜も買えずにいたが、社会人になってから音盤優先の合間をみて少しずつ楽譜も手に入れるようになった。このマドローニョスもそんな時期に手に入れた。

昔から輸入楽譜のデザインには心惹かれるものが多かったが、この楽譜もその一つ。白地に黒と赤の配色で簡潔に描かれたギターの絵が印象的だ。マドローニョスはスペイン語で「木いちご」という意味らしく、派生した意味として「マドリッド生まれ」を指すとも聞いた。曲は3分にも満たない小品だが、フラメンコを思わせる調子ながら、ちょっと物憂い感じの出だしで始まり、以降も小粋なメロディーがミディアムテンポで奏でられる。譜面を見るとそれほど難所はなさそうだが、実際に弾いてみると、左手は案外面倒な箇所もあって一筋縄ではいかない。和音の構成音を確保するための左手のポジションを十分吟味し、その上でメロディーを小粋に歌いたいところだが、技量に余裕がないと「小粋に」が中々実現しない。

セゴビアによる演奏。


20世紀初頭に作られた名器エンリケ・ガルシアで弾いた演奏。



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明朗ワルターのブラームス



穏やかな秋の好日に恵まれた週末。出たり入ったりで慌ただしく過ぎた。ひと息ついてアンプの灯を入れる。このところ聴くのはもっぱらブラームスの第3交響曲。今日はこの盤を取り出した。


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ブルーノ・ワルター(1876-1962)とコロンビア交響楽団による録音。手持ちの盤は70年代後半に出ていた「ブルーノ・ワルター3000」と称するシリーズもの。2枚組2セットでブラームスの交響曲全4曲が収められている。例によって十数年前、大阪出張を繰り返していたときに、投宿先近くの阪急梅田東通りの中古レコード店で買い求めた。

久々に取り出した40年前のLP盤に針を降ろすと、予想以上にフレッシュな音が飛び出してきた。フルトヴェングラーやトスカニーニらと同世代で、20世紀前半の巨匠時代の一翼を担ったワルター。長命であったことから、晩年にステレオ録音によって多くの録音を残すことが出来たのは本当に幸いであった。ブラームスの交響曲もそうした録音の一つで、1959年から1961年に録音されている。ニューヨークフィル時代(モノラル録音)の快速で熱気あふれるブラームスも名演だが、彼のために用意されたコロンビア響との晩年のセッション録音も捨てがたい。

ブラームスの第3番も冒頭から年齢を感じさせない活気あふれる展開。テンポもやや速めといっていい。しかるべきところで加速し、しかるべきところでアクセントが入る。音色も明るく、フレーズの起伏も明快だ。コロンビア響はやや小型編成の急ごしらえで、団としてのアンサンブルには難があったといわれるが、この曲に関してはそうしたことがネガティブな要素にはなっていない。むしろ小編成ゆえのキビキビとした運動性能と、各パートの明解な分離が印象的だ。第3番では各パートのリズムの交錯や重層的な和声などがしばしば現れるが、ワルターのコントロールもあって、そうした要素が明快かつクリアに示され、この曲を明朗で前向きなイメージに仕立て上げている。


この盤の音源。全4楽章。第1楽章終盤、8分3秒からのホルンの強奏を受け第1主題の回顧するフレーズではオケをドライブして加速するあたりでは、さすがに編成の小ささが露呈する。もう少しオケの重層的な響きが欲しくなる。第2楽章16分46秒過ぎからの聴きどころはさすがのワルター流。第3楽章共々胸に迫る。終楽章も晩年であることを感じさせない若々しい表現だ。


小澤征爾&サイトウキネンオーケストラ@1991 録音セッションのドキュメンタリーをはさんで、8分36秒から第3番の演奏。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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