J・K・メルツ「音楽のパノラマ~136の小品集」



凍てつく冬の夜。ストーブの上でコトコトと揺れるやかんの音を聴きながら、ひとり爪弾く「湯の町エレジー」もといメルツの小品集。その趣きや如何に…


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ヨーゼフ・ガスパール・メルツ(1806-1856)の小品集「音楽のパノラマ:136曲の楽しいギター小品集」と題された曲集。手元にあるのは2013年に現代ギター社から2分冊で出たもの。初版は1850年代初頭にライプツィッヒのアイプル社から12分冊で発行された。中々の人気があったらしく、20世紀になっても何度か出版社を移りながら繰り返しリリースされた由。そのタイトル通り、十数小節の短いものから、せいぜい見開き半ページ程の小品が並んでいる。いずれも当時よく歌われていた民謡や、流行っていたオペラのアリアなどからの編曲。それも至ってシンプルに書かれていて、初級者の格好の課題、中級者の初見大会にはうってつけの曲が並んでいる。

それにしても136曲というのは壮観だ。もっとも壮観というほど敷居の高さは感じない。盛りだくさん、てんこ盛り…そんなところだろうか。第1集を開くと「アルプス一万尺」「庭の千草」「赤いサラファン」「埴生の宿」と民謡主題の懐かしい曲が並んでいる。オペラのアリアからの編曲では、ドニゼッティ、ヴェルディ、ベッリーニといった知られた名前に交じって、ラハナー、バルフ、フトロウといった、現代ではあまり馴染みのない名前が並び、興味深い。

楽譜を開き、片っ端から初見で弾き続ける。コンサートピースというわけではなく、当時のギター愛好家、それも初級から中級の人たちをターゲットにしていたと思われ、技巧も編曲に当たっての手の入れ具合も、いずれも平易な手法で出来ていて、正直なところそれほど面白いというものではない。しかし、そんな現代的視点で見てしまうのも味気ない。150年前の電灯もまだない時代の欧州。燈火のもと、あるいは暖炉から漏れ出る光を頼りに、こんな曲集を開いて、夜ごとの楽しみにしていたのだろうかと、そんな光景を思い浮かべながら弾くと、どうして中々趣き深い。それともう一つ、小品に与えられた性格、様式を知る上でもいい教材だ。ポラッカ(ポロネーズ)、タランテラ、ファンダンゴ、マーチといった音楽の「型」が持つリズム、テンポ、抑揚。あるいは舞曲や行進曲などの中間部(トリオ等)では、しばしば主部の下属調へ転調する…そんな約束事のサンプルを学ぶにも好適な曲集だ。


Boijeコレクションにあるオリジナルの楽譜は以下のURL
http://boijefiles.musikverket.se/Boije_0383.pdf

No.111 ロッシーニのオペラ「オテロ」から


No.128 God Save The King


同じ英国国歌をフェルナンド・ソルもアレンジしている。作品6の10 前半オクターヴ跳躍の練習があって1分30秒過ぎからGod Save The Kingが始まる。



メルツのGod Save The King
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ソルのGod Save The King
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クナッパーツブッシュのワグナー管弦楽曲集



相変わらず業務多忙。それでもかつてのような午前様もなく、まあまあ程々の忙しさ。もう前期高齢者だからね…。というわけで本日もそこそこ業務に精励。8時過ぎに帰宅した。師走に入り、冬の到来を実感。音楽も少し濃厚な響きを聴きたくなり、今夜はこんな盤を取り出した。


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ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)が晩年ミュンヘンフィルを振って録音したワグナーアルバム。オケはミュンヘンフィル。1962年録音。手持ちの盤は70年代半ばに出ていたLP2枚組。見開き隅に購入当時1976年の書き込みがあった。大学3年の年だ。記憶が正しければ、今はなき銀座ハンターで手に入れたはずだ。

ワグナー振りとしてつとに有名な彼クナッパーツブッシュを聴くには本来、ワグナーの楽劇全曲盤を聴くべきという向きも多いだろうが、管弦楽曲集のこの盤だけ聴いても、彼が如何に図抜けた音楽家であったかは十分にわかる。この盤を買ったのはもう40年前のことだが、当時からすでに耳にタコができるほど聴いていたマイスタージンガー前奏曲やタンホイザー序曲をこのクナーッパーツブッシュの盤で聴いたとき、それこそ腰が抜けるほどの衝撃を覚えたものだ。

例えばマイスタージンガー前奏曲では、出だしのテーマこそさりげなく提示されるのだが、そのあと曲が展開して盛り上がり、音の構成が厚くなるに従い、どんどんテンポを落としていき、その度に音楽が巨大になっていく。同時に各パートの音の絡みが実に明快に描き出され、ワグナーの書いた複雑なスコアの骨格とその組立てが実によくわかる。タンホイザーも同様だ。そして息の長いフレージングとクレシェンド。自分も曲に合わせて拍子を取ってみるのだが、クナの息の長いフレージングのタイミングまで待てずに、いつも先に次の拍に入ってしまうほどだ。この盤に収められている他の曲、トリスタンとイゾルデ、リエンチ序曲、ジークフリート牧歌、いずれもクナッパーツブッシュの至芸が堪能できる。


この盤の音源。マイスタージンガー前奏曲。序盤が終わった4分過ぎ辺りから次第にテンポを落としていく。7分を過ぎ辺りから完全にクナ節になる。


ブリギット・ニルソンを迎えたウィーンフィルとの演奏。コンサートマスターにボスコフスキーの姿。ミュンヘンフィルのとのこの盤の録音に近い時期、1962年アン・デァ・ウィーン劇場。歌劇場出身らしい長い指揮棒。椅子に腰かけ、時折り立ち上がりオーケストラを自在にコントロールする。



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ザ・ポール・ウィナーズ


師走第二週。押し迫った年末感は乏しいが、日ごと寒さつのり、冬到来を感じる。帰宅後ひと息ついて部屋を暖め一服。しばらくジャズを聴いていなかったと思い付き、こんな盤を取り出した。


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ギターのバーニー・ケッセル率いるザ・ポール・ウィナーズの盤。1957年録音。バーニー・ケッセルの他にレイ・ブラウンのベース、シャリー・マンのドラムスによるトリオ。収録曲は以下の通り。お馴染みのスタンダードが並ぶ中、マイナー・ムードはバーニー・ケッセルのオリジナル。ナガサキはプッチーニのオペラ「マダム・バタフライ」にヒントを得て作られたと言われるハリー・ウォーレンの作品。

Side_1
1.ジョードゥ
2.サテン・ドール
3.イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー
4.ミーン・トゥ・ミー
Side_2
1.ドント・ウォーリー・アバウト・ミー
2.グリーン・ドルフィン・ストリート
3.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
4.マイナー・ムード
5.ナガサキ

ジャズのアルバムらしからぬ妙に明るいジャケットが印象的だ。左からレイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、シェリー・マンと並ぶ。その印象そのままに、中身もまったく屈託の無いスタンダードによる気軽なセッション。レイ・ブラウン以外は白人プレーヤーということになるが、三人ともゴリゴリ押し出すようなプレイはなく、どこまでも軽い、大人のたしなみという感じのセッションが続く。典型的なウェストコーストテイストのアルバムとしてヒットしたようだ。気軽なセッションと書いたが、ノリだけで弾き流す雑なところはない。おそらく一曲一曲きちんと構成を考え、打合せをした上での録音だったと思われる。
加えてこの盤、1957年というジャズのステレオ録音としては比較的初期のものにも関わらず録音も優秀だ。左右泣き別れに近い定位は時代を感じさせるものの、各楽器のリアリティやバランスなど、とても自然だ。レイ・ブラウンのベースも深く鳴り響き、申し分ない。


グリーン・ドルフィン・ストリート


サテン・ドール.



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ハイドン交響曲第49番ヘ短調「受難」



今夜は久しぶりにハイドンを。少し前に移動車中で聴いていて、近いうちにきちんと聴き直そうと思っていたこの盤を取り出した。


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ハイドンの交響曲第49番ヘ短調。「受難」という名が付されている。例によってデニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管による全集中の一枚。 ハイドンが四十代だった1770年前後のシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)期に含まれている。この時期の交響曲としてはほぼ作曲年代順に、第38,58,35,59,49,26,41,65,48,44,43,52,42,47,45,46番が含まれ、疾風怒濤の言葉通り、積極的な感情表現の表出や劇的な曲想をもち、ハイドンの交響曲として有名な後期作品とはまた違った趣きの名曲が多い。また、そうした感情表現のためもあってか、短調作品が集中しているのも特徴だ。第26(哀歌),49(受難),44(悲しみ),52,45(告別)番と短調作品が並ぶ。

第49番を知ったのは40年前の社会人の成りたての頃。確かFM放送だったか、冒頭の緩徐部分が第1楽章の序奏かと思いながら聴いていて、随分長い序奏だなあ、主部はいつになったら始まるのかと腑に落ちないでいた。その緩徐楽章が実は第1楽章そのものだったと後になって知った。すなわち形式としては「ゆっくり・速い・ゆっくり・速い」の教会ソナタ形式と取る。今ならネットで調べて即座に分かるところだろうが、当時はそうした一つ一つの確認に随分と時間がかかったものだ。

その第1楽章アダージョは悲痛な響きに満ちながらもどこか安らぎの表情もあって、中々聴かせる。古典派作品ではあるが所々ロマン派の足音さえ感じさせる。第2楽章はソナタ形式のアレグロ。各パートに受け渡されながらもずっと続く8分音符の刻みが、切迫する心臓の鼓動のようにも聴こえ、ついついこちら側も先を急ぎたくなる曲調だ。第3楽章は第1楽章の主題を使った型通りのメヌエット。第4楽章は再びテンポを上げ、激しく駆け抜ける。まるで弦楽オーケストラの課題曲のような曲調に、時々木管群の和音が重なって厚い響きを作る。

デニス・ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管によるこの全集演奏は、時にテンポの遅さが指摘されるが、この曲に関しては快速調で速度不足による不満はないだろう。この曲を含め、比較的初期の曲には指定されている通奏低音としてチェンバロが加わっていて、時折その音色がバックから聴こえてくるのも少し得した気分になる。


ジョン・ラボック指揮セント・ジョンズ・スミス・スクエア管弦楽団(OSJ)による演奏。


例の全集でハイドンの交響曲全曲を一気にポピュラーにした立役者コンビによるライヴ。時々音の不調箇所がある。


ザルツブルク・モーツァルテウム大学でピアノと指揮を学んでいるという大井駿氏の指揮とその大学オケのよる演奏。第3,4楽章。



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エルナンデス・イ・アグアド



ついにというか、ようやくというか、エルナンデス・イ・アグアドを手に入れた。


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楽器そのものに多少なりとも興味のあるギター弾きであれば、このギターに関しては説明を待たないだろう。通称アグアドと称されるこのギターは、マヌエル・エルナンデス(1895-1975)とヴィクトリアーノ・アグアド(1897-1982)の共作により、主として50年代から70年代、350本余が作られた。当時から名器の誉れ高く、サインツ・レヒーノ・デ・ラ・マーサ、ジョン・ウィリアムスをはじめ、多くの演奏家が愛器とした。ぼくがその名を知ったのはギターを始めた高校生の頃だったと記憶しているが、もちろん当時もその後も自分には縁のない、単なる高嶺の花であった。

真っ当な勤め人としての生活に専念し、30代から40代とギターとも疎遠をなっていたが、五十路に及んでカムバック。遅れてきた春のごとく、道楽バブルを謳歌することになったのだが、そんな中、かつての憧れの楽器への恋慕がつのり、そのいくつかを手に入れた。それでもまだアグアドは雲の上の存在であった。しかし五十路を終え、還暦を迎える頃になり、ほどほど真面目に生きてきた人生、一度くらいそんな楽器を手にしてもバチはあたるまいと思い、アグアド探しが始まった。そうは言いながら当初は半信半疑。名器として誰しもが一目おく存在ゆえ価格も第一級。流通する数も多くはない。本気で探し始めたここ数年で10本近いアグアドを試奏したものの、音の状態ほか諸条件でピンとくるものはなかったのだが、この夏、出会ったのが手元にある個体だ。

以前の記事にさわりを書いた通り、手に入れたのはボサノバやアコースティックなフュージョンで活躍した故佐藤正美氏の遺品である。2015年に佐藤氏が亡くなったあと都内の楽器店で売りに出たが、すぐに売済となった。その後紆余曲折があったようで、少し前にGG社から紹介され試奏した。弾き始めてすぐ音は気に入った。少し間をおき、再確認して購入を決めた。1973年作#443。弦長660mm。

70年代にはすでにアグアドの体調も悪く、マルセリーノ・ロペスやベルサール・ガルシア他の助っ人による製作も相当数あったとも言われ、60年代こそがアグアドの全盛期、70年代は格下といった評価もよく聞く。しかし、ここ数年でかなりの数を試奏し、購入直前にも数本を集中的に弾いてみて、製作年代よりも1本1本の個体差の方がずっと大きいという印象をもった。同じ60年代でも、軽く発音する古いスパニッシュテイストを感じさせるものもあれば、少し重めで剛性感の高い楽器もあって、まったく別の系統かと思う程違っていることもあった。弦長もアグアドの標準は655㎜とされるが、60年代の660㎜もあるし、特注だろうが640㎜もある。ボディーサイズも何台か確認したが、60年代と70年代と大きな違いはない。そもそも通称アグアドではあるが、木工作業の多くはエルナンデスが担当していたはずだ。そうしたことから製作年代よりも個体差という、ぼくなりの結論に至った。

今回手に入れた1973年作は660㎜のフルサイズボディーながら重量は1470グラムと大きさに比して軽量で、低音から高音まで一応に軽やかに発音し響きが豊か。低音共鳴(ウルフトーン)はGとF♯の間くらいだが、ドロップDでも6弦は十分にボリューミーだ。手に入れた手前味噌という側面があるだろうが、「いつまでも弾いていたくなる、他の楽器はもう要らない」という感覚を抱く楽器だ。もちろん佐藤正美氏がプロフェッショナルとして数々のライヴやレコーディングを通じて弾き込んできたという要素も大きいだろう。そういえば、10年程前からお付き合いのある高崎市の石原昌子先生が使っているアグアド(先代の母君から受け継いだ楽器)も1973年作でシリアル番号も数番違い。何度も拝借して弾いたことがあるが、その都度、その軽い発音と豊かな響き、ピュアな美音、それでいて音に核があって客席までよく通る音に感心したものだ。製作時期が極めて近いこと、また長期間に渡って弾き込まれてきたことなど、共通点があるのかも知れない。

そんなわけでクラシックギター人生半世紀にしてようやく楽器探し打ち止めの一幕。あとはせっせと弾くばかり。いずれつたない演奏音源をアップしたいと思う。


エルナンデス・イ・アグアドの640㎜ショートスケールを使っていた小原聖子氏の貴重な音源。マドリード王立音楽院流デ・ラ・マーサ直伝の正統派タッチの継承者。演奏スタイルの好みはおくとして、音は美しく、技巧のキレも十分だ。



このアグアドを使っている佐藤正美氏の演奏二題。90年代初頭のテレビ映像。





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バッハ:カンタータ「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV61



先週末から、ドイツのセオリーにのっとり、アドベント(降誕節)の始まりに合わせてシュトーレンをチビチビつついている。今年も昨年同様、TAKIBI_BAKERYという人気店のものを家人が通販サイトで調達した。シュトーレンはドライフルーツやラム酒などを使ったものが一般的のようだが、この店のものは渋皮栗が入っているのが特徴。日持ち対策といわれる外側の砂糖は控えめだが、熟成も進み中身自体がしっかりと甘く、深煎り珈琲によく合う。そしてお供にはこんな盤を取り出した。


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例のバッハ全集中の一枚。降誕節第一主日のために書かれたバッハのカンタータ「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV61。 時節はアドベント。クリスマスすなわちイエス降誕の4週間前から待降節の礼拝が営まれる。その始まりを祝す曲であり、同時に一年の教会暦開始を告げる曲でもある。ヴァイマル時代の初期傑作としても名高いようだ。第1曲は、フランス王室での王の入場に際してしばしば用いられた荘重なフランス序曲風をもってイエス入場をなぞらえる。その特徴的な付点リズムで始まるフランス序曲風の合唱<いざ来ませ、異邦人の救い主よ>を聴きながら、下戸の夜は更けていくのでありました。


バッハ:カンタータ「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV61
第1曲 合唱『いざ来ませ、異邦人の救い主よ』(Nun komm, der Heiden Heiland)
第2曲 レチタティーヴォ『救い主は来たれり』(Der Heiland ist gekommen)
第3曲 アリア『来たれイエスよ、汝の宮に』(Komm, Jesu, komm zu deiner Kirche)
第4曲 レチタティーヴォ『見よ、われ戸口に立ちて叩く』(Sehe, ich stehe vor der Tur und klopfe an)
第5曲 アリア『開け、わが心よ』(Oeffne dich, mein ganzes Herze)
第6曲 コラール『アーメン、アーメン』(Amen! amen!)
例によって「動画は再生できません」と出るので、指示に従って「YouTubeで見る」の下線をクリック。


スコア付き音源



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バロックチェロ協奏曲集



気付けば師走。毎年同じセリフになるが…早いなあ…。
週末日曜日。野暮用いくつかこなし日が暮れる。薄暮の音盤タイム。先回聴いたイタリアンバロックで思い出し、こんな盤を取り出した。


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アントン・ヴィヴァルディ、レオナルド・レオ、ジョゼッペ・タルティーニといった、ナポリやベニスで活躍したイタリアンバロックの作曲家によるチェロ協奏曲を収めた盤。英ターナバウトレーベルの1枚。トーマス・ブレースというチェリストのソロ、シュトゥットガルト・ソリスツのオケ。詳細なデータは記されていないが、リリースが1968年とジャケットに記されているので、録音はその前あたり60年代後半か。

ヴィヴァルディは数百曲の同じような(ワンパターンの)協奏曲を書いたと、ときに揶揄される。中にはその言葉通り、いつもながらの音形で、またかと思わせる曲もある。一方で特に短調作品における憂愁を湛えた曲想にはさすがの曲もあって、一筋縄ではいかない作曲家だ。ここに収められているイ短調の協奏曲もいつものヴィヴァルディ音形が続くが、チェロの比較的低い音域を使っていて落ち着いた雰囲気、2楽章のカンタービレも美しく、単なる能天気なヴィヴァルディでない。ソナタや協奏曲など、チェロに取り分け注力した作曲家だけのことはある。
レオナルド・レオはバロックにあまり馴染みのないぼくなどはほとんど聴いたことのない作曲家だが、この盤に収められているイ長調の曲はゆっくり・速い・ゆっくり・速いの4楽章形式を持つ充実した曲。全楽章とものびやかで、チェロのよく響く音域を使っているのか、実によく歌う。第3楽章は短調に転じ、憂いに満ちた旋律が続く。チェロの協奏曲としてはヴィヴァルディのそれより明らかに旋律的で、おそらくチェロ奏者にとっても弾きがいのある曲だろう。
トーマス・ブレースというチェリストについては寡聞にして不案内。ちょっとネットで調べてみるとこの盤のレーベル:ターナバウトにいくつかの録音があって、リュートのミヒャエル・シェーファーがハイドン作品として録音した四重奏の盤でチェロを弾いていた。コレギウムアウレウムの盤でもいくつか弾いているようだ。来日もしている様子。この盤の録音が60年代後半ということからして、現在では相応の年齢だと思うが、現役盤ではナクソスにいくつか録音があるようだ。


この盤に収められているレオのチェロ協奏曲イ長調


レオナルド・レオ ニ短調の協奏曲。


同ニ短調の協奏曲第2楽章。やはりこの作曲家の旋律性にひかれる人がいるようだ。憂いに満ちた表情の女性について、以下の提供者コメントがある。「The pictures are screen shots showing actress Valentina Yakunina, as Rachel, in Gleb Panfilov's film "Vassa" (1983). 中々意味深長な映画のワンシーンだ。 以前も何かの記事に一度貼ったことがあった。音質がかなりざらついているのが残念。


ビルスマによるレオのチェロ協奏曲全6曲。この盤のイ長調は第1番とされ56分45秒から始まる。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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