ボロディン弦楽四重奏曲第2番ニ長調



少し前に書いた記事にコメントをいただいた。記載内容に旧知の事柄が書いてあったようで、大そう懐かしく拝読、これからも頑張って下さいとの内容だった。非公開設定だったのでこちらから返答も出来ずに失礼しているが、そんなコメントがあると、もうやめようと思っていたこの与太ブログもマンネリながら続けようかと考え直してしまう。コメント寄せてくれたYさん、ありがとうございます。 さて、令和二年にちなみNo.2を冠する曲を続けて聴いている。今夜はこんな盤を取り出した。


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アレクサンドル・ボロディン(1833-1887)の弦楽四重奏曲第2番ニ長調。その名もボロディン弦楽四重奏団による演奏。1962年録音。手持ちの盤は80年代初頭にロンドンレーベルのミドルプライス盤で出たときのもの。ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲第8番とカップリングされている。

70年代半ばの学生時代、夜11時からのNHKFMクラシック番組「夜のしらべ」で、テーマ曲にこの曲の第3楽章が使われていた(確かオーマンディー&フィラデルフィアの弦楽合奏版だった)。「夜もだいぶ更けてまいりました。」というアナウンスで始まったその30分の番組では、一日の終わりに聴くに相応しい落ち着いたクラシックを流していたのを思い出す。

何度聴いてもこの曲は美しい。くだんのテーマ曲に使われた第3楽章「夜想曲」はそのタイトル通り、夜のしじまに染み渡るようなチェロの深々とした旋律で始まる。甘美で抒情的なメロディーは凍てつく冬の夜にも、あるいは魅惑的な春の暖かな宵にも相応しい。途中冒頭のモチーフを各パートが受け渡しながら繰り返すくだりは、仲間たちの穏やかで秘めやかな会話を聞いているかのようだ。そして忘れてならないのは、この曲の第1楽章の素晴らしさだ。ここでも冒頭チェロの一気に引きつけられる美しい旋律で始まる。 ボロディンは19世紀半ばのロシア五人組みの一人として活躍し、ロシア国民音楽の創出に尽力した。作品数は多くなく、ぼくら一般的なクラシックファンが聴く曲も、二つの弦楽四重奏曲や交響曲第2番、そしてかつては中学校の音楽の授業で必ず聴いた「中央アジアの草原にて」や歌劇「イーゴリ公」からのいくつかの曲といった程度かもしれない。しかしそのいずれもが異民族の交流ポイントでもあった中央アジア周辺のエキゾティックな様子をイメージさせる。そこにはアジアそして日本音楽のルーツでもあるペンタトニックを効果的に散りばめた美しい旋律があふれ、いつもぼくらを引きつける。


楽譜付き音源。もっとも知られた第3楽章「夜想曲」は13分20秒から。いずれの楽章も#系でギターでも弾きやすい調性。初見練習、アンサンブルで落ちない心得のため、どこかのパートでギター抱えて参加するもの一興かと。



第3楽章。楽譜もタブレットに時代に…



ピアノアレンジの第3楽章。



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M・ポンセ 南のソナチネ



先日知人を話していたら、「与太さん、最終兵器を手に入れたというけれど、どう?弾いているの?」と問われ、思わず返答に窮してしまった。何というか、まあ、あまり弾いていない。平日は帰宅後そうそう時間も取れない。週末は週末でしょうもない野暮用もあるし…と言い訳しつつ、どうしたものかと思案の日々だ。もういい加減で仕事を辞めて道楽に専念すべきか、まずはこんな与太ブログなど書いていないで楽器の練習をしたらどうだろうとか、とか、とか…。そんなことを考えながら、今夜はちょいとギターのおさらい。こんな楽譜を広げた。


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マヌエル・ポンセ(1882-1948)作曲「南のソナチネ」。広げた楽譜はぼくら世代にはお馴染み、かつて音楽之友社から出ていたセゴビアアルバム中に第4巻。古くからセゴビア編ショット版として知られているもの。ポンセはメキシコ近代音楽の父といわれ、多くの作品を残した。とりわけギター音楽に関して、1920年代以降セゴヴィアとの交流の中から、現在もギタリストにとって重要なプログラムになっているいくつかの曲を残した。いくつかのソナタやこの「南のソナチネ」、擬バロック形式の組曲などはその代表的なものだ。

ポンセの楽曲は総じて新古典主義の作風をとる。南のソナチネもその延長線上にあるが、より民族調の色合いが強い。形式は古典的な3楽章からなり、第1楽章は型通りのソナタ形式で書かれていて、構造としていはいたってシンプルだ。軽快な三拍子が曲に勢いを与え、ギターの音がもっとも魅力的に響く音域にメロディーをのせるなど、中々効果的でよく出来ている。もっともそうした曲のもつ雰囲気を表現するためのには、相応の技巧レベルが必要で、アマチュア中級程度のちょい弾きでは手も足も出ない。長らく使われていたセゴビア編の楽譜に加え、近年は原典版ともいえる新たな校訂版も出ていて、旧来のセゴビア編との差異も少なからずあるようだ。今夜もまた「弾けない確認」で終わってしまったが、まともに取り組んでみたい曲の筆頭だ。


南米チリの名手ロミリオ・オレアナによる全楽章。


楽譜付き音源。演奏は上のオレアナとのこと。


アンドレア・ゴンザレス・カバレロによる第2・3楽章。



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竹澤恭子(Vn)来演:群馬交響楽団第554回定期演奏会



二ヶ月ぶりに群馬交響楽団(群響:グンキョウ)の定期へ。直前まで予定未確定で思案していたが、きょう昼前になって諸々目途がつき、足を運ぶことにした。いつもの定期は土曜の夜に開かれるが、今回はマチネ公演で午後三時開演。


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ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
ブラームス/交響曲第2番ニ長調作品73
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竹澤恭子(Vn)
飯守泰次郎指揮・群馬交響楽団
2020年1月26日(日)15:00~ 高崎芸術劇場
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一昨年、デビュー三十周年を迎えたという竹澤恭子。気付けばもうすっかりベテランだ。パリ在住で、国内外で安定した演奏活動をしていると聞く。指揮者の飯守泰次郎は数年前にやはり群響に来演した際に聴きにいったのを思い出した。

ヴァイオリン協奏曲も第2番の交響曲も、十代の終わりに出会ってから何度聴いたことだろう。ブラームス好きなら納得のプログラムだ。15時ちょうどに客電が落ち、紫のドレスに身を包んだ竹澤恭子と、お馴染みの白髪の飯守泰次郎が登場。短いチューニング確認のあと、オケによる序奏が静かに始まった。ブラームス好きにはこの序奏だけでもワクワクしてくる。飯守泰次郎のオーケストラコントロールは、以前聴いたときにも感じたのだが、チェロ・バスパートをやや強めにバランスさせ、響きの重心が低い。かつ弱音の使用は控えめで、楽譜の指示より常に一段階大きめの音量設定にしているかのように聴こえてくる。その結果、出来上がる音楽は骨太で力感に富む。そうしたオーケストラコントロールにのって、竹澤恭子のストラディバリウスが浸透力のある音で歌う。重厚な第1楽章、ロマンティックな歌に溢れる第2楽章、ラプソディックな第3楽章。楽章が進むごとにソロヴァイオリンも興にのってきたのか、終楽章がもっとも印象的だった。

休憩をはさんで交響曲の第2番。ここでも飯守氏のオケコントロールは従前と変わらない。第1楽章冒頭の低弦群によるd-cis-dのモチーフから、フォルテシモの指示かと思うほど随分と力強く響く。これでテンポが遅いと時に重苦しい印象になりがちだが、飯守氏のテンポ設定はやや速めでフレーズごとのルバートも控えめ。その結果、骨太で重厚感がらもスピード感に満ちた音楽が進む。ブラームスの「田園」とも称されるこの曲のイメージを安易になぞることのない重厚なブラームスだ。終楽章のコーダではローブラス群の迫力も十分に曲を閉じた。

午前中は曇り空だったが、昼過ぎから晴れ、穏やかな休日になったきょうの日曜日。17時に終演し外に出ると、まだあたりは明るみを帯びている。ひと月に比べ随分と日足がのびた。重厚ながらもラプソディックなヴァイオリン協奏曲、ニ長調の明るさに満ちた交響曲。少々気が早いが、いずれ訪れる淡い春の宵を予感させる、よい演奏会だった。


竹澤恭子のブラームス:ヴァイオリン協奏曲。残念ながら音の状態は良くない。ロシアの都市ヴォロネジのオケだそうだ。


30周年を前にした竹澤恭子



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銀残し



少し前から、何年か毎に訪れる「カメラ欲しい」症候群が発症中だ。先日、高校時代の友人らと前期高齢者トークを楽しんた際にも、写真やカメラの話になった。ぼくら世代が社会人になって給料がもらえるようになったときの欲しいものといえば「車・カメラ・オーディオ」。思えば80年代日本の産業を牽引した産業の核でもあった。この三つのアイテムに関しては程度の差こそあれ、同世代の男連中に共通する話題だ。

今どきのスマホは凄い、天体観測には画素数押さえてでもダイナミックレンジが重要だ、シグマはFoveonセンサーをあきらめたのか、迷ったらα7IIIでいいんじゃないか…等々。カメラの話題になった際、ぼくが「ペンタックスの銀残しモードが気になるんだけど」と持ち出した。話題にはするものの、最新事情に精通しているわけではないオジサン達の茶飲み話なので、今どきのインスタ女子などからは「オジサン、そんなことも知らないの?」と、呆れられそうなのだが…

写真に詳しい人には今更の話だろうが、Wikipediaによれば「銀残し(ブリーチバイパス)」は1960年代に市川崑が採用した手法とのことで、日本発のもののようだ。ぼくが最初に知ったのは、そのペンタックスのデジカメに付いている撮影モードだった。調べてみると銀残し=コントラストを上げ、彩度を下げる…という処理が基本らしく、何もペンタックスのカメラならずとも写真加工のソフトウェアで加工できるとのこと。それではと、手元のある写真にその「コントラスト上げ、彩度と下げる」という最低限の編集を試みたのが以下の写真。いずれも処理前・処理後の順。画像をクリックすると別ウィンドウで拡大表示される。撮影はいずれも普及品のコンパクトデジカメあるいはスマートフォン。


日本橋高島屋
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2005年出張先ストックホルム市内
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10年前当地市街地。戦火に耐えて残ったかつてのデパート。その後撤去され今はイベントスペースになっている。
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群馬の表参道(^^;
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カフェで一服
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どうだろう、「なんちゃって銀残し」くらいにはなっているだろうか。オリジナルに比べると何やら意味深長になり、あたりの空気がひんやりとし…そんな感じだ。処理にはWindows10に付属するアプリケーション「フォト」の編集メニューを使った。Googleフォトやスマートフォン付属のアプリでも同じことは可能。写真編集に手馴れている輩には、子供じみた遊びと笑われそうだが、この程度で良しとするなら銀残し欲しさでペンタックスを選ぶ必要も無さそうだ。選択肢が増えるのは良いことのようにも思えるが、「カメラ欲しい」症候群を長期化させる要素もあり、どうしたものかと思案が続く。


動画の例



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壽 初春大歌舞伎



先日、久しぶりに歌舞伎座へ。公演中の「壽 初春大歌舞伎」昼の部を楽しんできた。


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演目は以下の通り。新春らしくバラエティーに富んだもの。
「醍醐の花見」
「奥州安達原(袖萩祭文)」
「素襖落」
「河内山」

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思い出してみると歌舞伎に興味をもったのは高校時代だった。クラシック音楽を聴き始めたのと同時期。土曜の午後や日曜の晩など、NHKでやっていた歌舞伎中継を当時まだ白黒だったテレビで食い入るように観たものだ。実際の舞台に初めて触れたのは1982年に今の新橋演舞場が落成したときの杮落とし公演だった。職場の先輩に芝居好きがいてチケットを取ってくれた。記憶が正しければ、凛々しい若手だった片岡孝男(現仁左衛門)の「石切梶原」、人気絶頂期の玉三郎「道成寺」、菊五郎他の「白浪五人男」などを観て、大そう感激しものだ。その後、二十代は特によく出かけ、一番安い席に陣取って幕間にハンバーガーを頬張って半日過ごした。当時はコンサートホールより、歌舞伎座や国立へ通った回数の方が多かった。

幕間にはどん帳のお披露目
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歌舞伎への興味も最初は耳から入ったように思う。長唄連中の華やかな音、御簾の中から聴こえてくる下座の音楽や効果音、ジャパニーズシャウトの義太夫、見得に合わせて響く附け打ち…。多彩な舞台や衣装と併せて、これほど豊かなエンターテイメントが三百年以上に渡って歴史を刻んでいることは本当に素晴らしい。今回も前半の演目では中村芝翫、勘九郎、七之助等、人気役者の様子のよさにうっとりし、松羽目物の素襖落では吉右衛門の軽妙さを楽しみ、河内山では白鴎のいかにもな宗俊に納得し、そして八挺八枚の長唄連中の華やかなBGMに聴き惚れ…と、目と耳から楽しんだ。客席を見渡せば、正月ということもあってか着物姿の女性もいつもより多く、華やかな風情。穏やかで心和む新春の一日だった。


吉右衛門による「河内山」 吉右衛門だと中々悪党には見えない(^^;
最後の見どころは1時間13分過ぎからの「松江邸玄関先の場」



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ブラームス ピアノ協奏曲第2番



週明け月曜日。令和二年にちなんで年頭から始めた2番オシ音盤ルーティン。今夜はこんな盤を取り出した。


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ダニエル・バレンボイム(1942-)がジョン・バルビローリ(1899-1970)と組んたブラームスのピアノ協奏曲第2番変ロ長調。1967年録音。オケはニュー・フィルハーモニア管弦楽団。手持ちの盤は、1969年9月にリリースされたときの国内初出LP。十数年前にひと山ナンボで箱買いしたLP数百枚の中に混じっていた。あまり詳しくは書けないのだが、何でもその頃、国内某倉庫から大量のLPデッドストックを入手した輩がいて、その方からクラシックなら何でもOKという無差別攻撃の条件で格安で分けてもらった。ほとんど未開封。今夜はこのうち第2番変ロ長調に針を下ろした。半世紀の眠りから突然呼び起こされたにもかかわらず、状態のいい盤面からはノイズレスの音が飛び出してきた。

録音時期をみて察しがつくように、バルビローリの現在まで残る名演の中でも評価の高い一連の録音を残した充実の時。ウィーンフィルと同じEMIに入れたブラームスの交響曲全曲もこの時期だ。そこから想像できるように、このブラームスも濃厚なロマンティシズムに満ちたバルビローリ節が全開だ。

冒頭からゆったりとしたテンポで開始。ホルンのフレーズを受けて、バレンボイムがごくわずかだが早いタイミングで出てきて思わず苦笑してしまった。当時70歳を前にしたバルビローリの深い呼吸に、まだ弱冠27歳のバレンボイムの勇み足というところだろう。スケルツォ楽章をもち50分を超える4楽章構成、重厚かつ雄弁なオケパートといったことから、ピアノ独奏付き交響曲と称されるこの曲。ピアノパートは何気なく聴いていると派手な技巧を披露する感じはないのだが、なんでも数あるピアノ協奏曲の中でももっとも難しい曲の一つだそうだ。バレンボイムはブラームスということと、やはりバルビローリのリードがあってか、中々自在な弾きぶりで、現在まで続く彼らしいやや濃い口かつ重厚な音楽を繰り広げていく。当時勢いよく世に出てきた若者バレンボイムと、濃厚なロマンティシズムで晩年を彩ったバルビローリとの邂逅の記録だ。


この盤の音源。


チェリビダッケ&ミュンヘンフィルとのライヴ。1991年の演奏と思われる。バレンボイムも50代。堂々たる風格。



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M・ジュリアーニ ロッシニアーナ第2番



週末土曜日。野暮用いくつかこなし日が暮れる。
相変わらずNo.2オシの音盤タイム。今夜はギター。こんな盤を取り出した。


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マウロ・ジュリアーニのロッシニアーナ第2番。フレデリック・ジガンテ(1961-)のギター独奏で、ロッシニアーナ第1番から第6番までの全曲と変奏曲4つが2枚組CDに収録されている。1992年録音。海外廉価盤レーベルARTSの盤。

ジュリアーニ(1781-1829)はギター弾きにはお馴染みかつ習得必須曲を多々残しているイタリア生まれの作曲家。元々はヴァイオリンやチェロを学び、その後ギターも習得。19世紀初頭のウィーンで作曲家兼ギタリストとして大そう人気を博し、その華麗な技巧を駆使して、古典様式の曲を多く残した。ベートーヴェン、フンメル、ロッシーニらとも交流を持ち、ベートーヴェンの第7交響曲初演時のオケにチェリストとして入っていたという。 6曲残されている「ロッシニアーナ」は、その名の通り、当時人気絶頂だったロッシーニのオペラから題材を取ったポプリ。元のアリアの魅力というよりは、それを使った技巧的なパラフレーズが聴きどころだ。ジガンテは実に真面目が過ぎるくらいにこの曲に取り組み、正統的な古典様式で整った演奏を聴かせてくれる。

クラシックギターを中級程度まで進んだ方にはよく分かるだろうが、特徴的なアルペジオの音形や高速のオクターブ跳躍で進む音階など、ジュリアーニの楽譜は見ただけで彼の作と分かる。パターン化された指使いが多いのだが、運動能力との相性で得意不得意が出る作品が多い。古典ギター黄金期の双頭ともいうべきもう一人、フェルナンド・ソル(1778-1839)のような意味深長さや多彩な和声感はあまりないが、古典様式に忠実な和声感と華麗な技巧を駆使した曲は、やはりギター弾きにとっては一度は弾いてみたい作品の一つだ。 ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと続いたウィーン古典派と、その流れの中に根付いていた19世紀古典ギター黄金期の響きを楽しみ、古典的様式感に親しむには格好の題材だろう。

ジュリアーニ作品の楽譜を以下で閲覧可能。ロッシニアーナはOp.119~124。
http://maurogiuliani.free.fr/en/integral.php


この盤の音源。名手ジガンテによる第2番。派手に技巧を披露できる曲だが、力づくになっていないところがいい。ライナーノーツには記されていないが、音色からして19世紀ギターが使われているようだ。


良くも悪くもモダンギターによる演奏の典型。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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