NHK朝の連続テレビ小説「エール」が好調のようだ。折からの#STAYHOMEの影響もあるのだろう。実際、ぼくも在宅勤務の日が多くなり、普段は通勤時間に当たるこの時間に在宅することで目にすることになった。主人公の古関裕而はマーチや軍歌、歌謡曲の作品で知られるが、元々はストラヴィンスキーやリヒャルト・シュトラウスなどヨーロッパの近現代音楽を志向し、そうした作品に対する評価も高い作曲家だ。きょうは古関裕而や古賀政男などドラマに登場する当時の作曲家の面々を思い起こしながら音盤棚をサーチ。こんな盤を取り出した。

1980年昭和55年にキングから出た「現代日本の音楽名盤シリーズ」中の1枚。外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」の他、小山清茂作曲「管弦楽のための木挽歌」や尾高尚忠「フルート協奏曲」など、シリーズの第1巻とだけあって人気がありかつ名曲定番の日本現代音楽が収められている。 邦人作品全般の中でも名曲の誉れが高い、指揮者尾高忠明氏の父に当たる尾高尚忠(1911-1951)のフルート協奏曲で心を落ち着かせたあと、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」に針を降ろした。
「管弦楽のためのラプソディー」は1960年代NHK交響楽団の海外公演に際してアンコールピースとして使われ人気となった。「あんたがたどこさ」の手まり歌に始まり、ソーラン節、炭坑節、などの民謡がにぎやかに続く。中間部では信濃追分がフルートソロで抒情的に歌われる。そして後半は、おらが郷土のソール・ミュージック「八木節」が登場。打楽器群の派手なデモンストレーションに続き、聴きなれた八木節が管弦楽技法を凝らして展開される。久々に聴いたが、やはり痛快な曲だ。群馬県人でなくても心踊るに違いない。
この盤の音源。昭和36年(1961年)4月文京公会堂でのセッション録音。手持ちのLP盤でも当時の録音技術の高さがうかがえる好録音。
懐かしい80年代N響オールスターズともいえる面々による演奏。ホルン:千葉馨やフルート:小出信也…指揮は作曲者の外山雄三。演奏時間は7分程だが、終わったあとにもう一度同じ演奏が始まるが、途中でまた冒頭に戻るなど、編集に難有り。
群馬交響楽団の公式HPでは団員が「#おうちで群響」シリーズを公開中。ヴァイオリン:松本花菜さんによる一人八木節。
八木節のルーツは諸説あるが、群馬県ルーツ説では群馬県桐生市が発祥地とされている。その群馬県桐生市出身で、今や日本のみならず世界のジャズシーンで活躍するジャズピアニスト;山中千尋による八木節セッション。
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ひと月ちょっと前から始まった在宅勤務と通常出勤のシフト。その後、在宅勤務の比率が高まってくると、時折りの通常出勤が妙に負担に感じられるようになった。先日も連休をはさんでの久しぶりの出勤で朝から頭痛に見舞われ往生した。その日の帰宅後、頭痛を癒そうと取り出したのがこの盤だ。

ケイコ・リー(965-)のアルバム「イフ・イッツ・ラヴ」。1998年録音。手持ちの盤はリリースされて間もない頃に手に入れたもの。記憶が定かではないが、ジャケ買いの可能性濃厚な1枚だ。ケイコ・リーがアルバム「IMAGIN」でデビューしたのが1995年。その後数年間で一気に人気を得て、アルバムも矢継ぎ早にリリースした。本作は1998年の録音で彼女の4枚目のアルバムにあたり、EW&F、クルセイダーズ他ポップス系の名曲を中心に取り上げている。ポップスには不案内なので、オリジナルとの違いを語ることも出来ないが、フュージョン系ありR&B系ありの大人向けのポップスアルバムという風情だ。
元々はピアノ弾きでキャリアをスタートさせ、その後ヴォーカルに転向したケイコ・リー。その個性は何といっても一度聴けば忘れないその声質にある。そしてその個性でどんな曲も自分の世界に引き込んでしまう。リアルな録音も素晴らしく、ヘッドフォンで聴いていると目の前で彼女が自分のために歌ってくれているのではないかと錯覚するほどだ。ロン・カーターやジョー・ヘンダーソンJ他バックのインストゥルメンタルのセンスも抜群。在宅勤務の合間をぬって久々に出勤し、いつになく消耗したオッサンにはもちろんだが、元気な諸兄にもお薦めだ。
手持ちの盤からアップした。スローボッサ調の「Never Let Me Go」
同。アルバムのタイトルチューン「If it's Love」
ライヴでの「Night and Day」
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先日帰宅すると封書一通が届いていた。差出人は現代ギター社代表取締役社長廣瀬利明とある。しばらく前に聞いていたアレのことかな…と思いながら中をあらためると、やはり思った通り。この4月から現代ギター社(GG社)は島村楽器の完全子会社になり、それに伴う社長交代の案内だった。現代ギター社設立以来半世紀以上に渡り関わってきた河野ギター製作所の現社長でもある櫻井正毅氏から廣瀬利明氏に代わり、新社長廣瀬利明氏は島村楽器社長と兼務とのこと。GG社も昨今のクラシックギターや出版全般に関わる時勢の中にあって、中々厳しい経営を強いられていたことは想像に難くない。昨年秋に起きた情報漏洩への対応も影響していただろう。総合楽器販売店として全国展開する島村楽器の傘下で、クラシックギター界の拠り所として発展してほしいと願うばかりだ。 さて、そんなこともあってギター界の来し方行く末を頭に浮かべながら、今夜はこんな盤を取り出した。

アンドレアス・フォン・ヴァンゲンハイム(1962-)というドイツのギタリストが弾くバッハ無伴奏チェロ組曲全曲盤。メジャーレーベルBMGの廉価盤シリーズ;アルテ・ノヴァから1999年にリリースされている。アルテ・ノヴァの盤は10年ほど前にはあちこちの店で見かけた。中でもデイヴィッド・ジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集(新ベーレンライター版の楽譜を使い、モダンオケによるピリオド奏法に準拠した演奏で話題になった)や、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(通称Mr.S氏)とザールブリュッケン放送交響楽団によるブルックナー交響曲全集などが話題になった。ギターでもいくつか注目すべき盤を出していて、手元にはきょう取り上げるヴァンゲンハイムの他、オーガスチン・ヴィーデマンによる80年代、90年代のギター音楽だけを集めた盤が2枚、エドゥアルド・フェルナンデスのバッハ;リュート組曲全4曲、ヨハネス・トニオ・クロイッシェによるヴィラ・ロボス練習曲とヒナステラのソナタOp.47がある。
さてヴァンゲンハイムのチェロ組曲。これが中々素晴らしい。手元にあるギターによる同曲の演奏の中でもっとも聴き応えのあるもので、原曲のチェロによる名盤に十分伍して聴ける。この曲を取り上げるにあたっては、当然ギター版の編曲譜としてどの版を使うかがポイントになる。この盤でヴァンゲンハイムは自身の編曲による版を使っているのだが、この編曲が実に適切に出来上がっている。手元には半世紀前に世界に先駆けて出た小船幸次郎の版、同じく日本人の佐々木忠による版、イェーツ版、そして原曲チェロ版がある。原曲のチェロ版からの編曲に当たってはギターでの調の選択とポリフォニックな処理としての低音声部の付加が鍵になる。ヴァンゲンハイムは従来のギター版編曲とは少し異なる調を選んでいる。楽譜は手元にないが、音で聴く限り低音の付加は曲によってはかなり足しているものもあり、あるいは最小限の付加に留めているものもあって興味深い。ただ演奏上は付加した低音はあまり目立たないように右手のタッチをコントロールしていて、曲としてはチェロによる単旋律に近い印象を受ける。そしてその単旋律にあたる楽句のアーティキュレーションが実によく考えられ、また理と情にかなっていて不自然さがまったくないのだ。プレリュードは深く静かに瞑想し(特に第2番のプレリュードは素晴らしい)、メヌエットやジーグなどの舞曲ではリズミックに躍動する。とかく「ギター的」になりがちな演奏が多い中、彼の演奏はギターの特性を生かしながらも、ギター版ゆえの制約、あきらめ、言い訳、限界、そういったものを感じさせない。正統的で古典的な様式感をベースに、バッハの音楽そのものに浸ることができる。日頃からこの曲に接しているチェロ弾きの輩にはいささか奇異な響きに感じられるかもしれないが、虚心にこの演奏を聴けば、また印象が変わるのではないだろうか。
名前に「フォン」と付くことから分かるように彼は由緒ある家柄の出身で1962年生まれ。バーゼルの音楽院を首席で卒業したとのことで、年齢的にも円熟を迎える頃だろうか。この盤以外の録音を聴いていないが、バッハでこれだけ普遍的な様式感に立った演奏をしているのだから、ソルやジュリアーニなどの古典派からメルツやレニャーニあたりの初期ロマン派の曲など、クラシック音楽の潮流の中にあるギター作品をぜひ聴いてみたい。
手持ちの盤からアップした。組曲第4番のプレリュードとジーグ。変ホ長調(Eb)の原曲をロ長調(B)に移している。
同。組曲第6番のプレリュードとジーグ。この曲では原曲と同じニ長調(D)で弾いている。
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「幻想祭り」も今夜で一旦終わりにしようと思い、トリを務めてもらうべく、この盤を取り出した。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)とベルリンフィルによるベルリオーズ「幻想交響曲」。1964年録音。手持ちの盤は70年前後に流通していた見開きジャケットのレギュラー盤。はっきりした記憶がないが、例によって出張先の大阪・梅田でひと山いくらで買い求めたものだろう。針を通した形跡のないミント状態で、いま聴いてもわずかなサーフェイスノイズのみのクリアな音が楽しめる。
ぼくが学生時代を送った70年代中庸のカラヤン&ベルリンフィルは黄金期から円熟期へ移行しつつある時期で、60年代に残してきた多くの録音を次々に再録音していた。演奏スタイルは60年代より更に研ぎ澄まされ、楽壇のトップとして流麗かつゴージャスな響きを訴求していた。一方でアンチ・カラヤンも少なくなく、うわべの化粧だけの美しさ、人工的に過ぎる解釈と音響といった評価もなされていた。当時のぼくはことさらアンチではなかったが、どんな曲でもカラヤンでなければということはなく、また好きな曲のベストの演奏にカラヤンをあげることもなかった。74年に再録音された幻想交響曲をFMで聴き、終楽章で「ワルプルギスの夜」を告げる例の鐘の音も寺院の鐘そのものの音響で、随分作為的だなあと感じていたことを思い出す。
今夜聴いているこの64年盤はまだそこまで徹底した(作為的な)作り込みは感じない。もちろん演奏は最初から最後までよく整い、ベルリンフィルの威力と柔軟性を存分に発揮してはいるが、演奏がリアルに進行している感が十分にある。要所要所で炸裂する金管群の響きは重量感に満ちているが、音色そのものは弦楽群や木管群と同様やや暗めで、オケとしてのトーンにはキラキラした作り物感はなく、低重心で渋めの響きがいかにもドイツ的で好印象だ。 クラシックを聴き始めてから半世紀。幻想交響曲に限らず、様々な曲を様々な盤で聴き一喜一憂してきたが、もし今から音盤を集めるという状況だったら四の五の言わず、あらゆる曲を60年代のカラヤン&ベルリンフィルだけで揃えるかもしれない。
この盤の音源。全楽章。
パリ管弦楽団との映像。完全なカラヤンスタイル。1970年カラヤン62歳。
シャルル・ミュンシュを迎えて創設されたパリ管だったが、ミュンシュが急逝。そのあとをカラヤンを引き継ぎ2年間ほどシェフを務め、いくつかの録音も残した。
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いつまで続く「幻想」ルーチン。連休前から折にふれ10回以上聴いたかも知れない。その勢い止まらず、きょうはこんな盤を取り出した。

ポール・パレー(1886-1979)指揮デトロイト交響楽団によるベルリオーズ「幻想交響曲」。1959年・昭和34年の録音。RCAのリビングステレオと並んでLP初期から名をはせていた米マーキュリー社による<リビング・プレゼンス>シリーズ中の1枚。手持ちの盤は十数年前に廉価盤で出たときのもの。
出だし、木管群の短い導入句に導かれ、弦楽セクションが弱音で入っていくる開始部分から速めのテンポでもたれずに進む。遅めのテンポで意味深長に進められる演奏とは対照的だ。この傾向は全曲を通じて一貫している。45分という演奏時間がそれを物語っている。
この盤の「売り」の一つであるリビング・プレゼンスシリーズのハーフインチテープによるマルチトラック録音。わずかにテープヒスが残るものの、音の立ち上がり、切れが素晴らしくいい。第1楽章開始後4分半ほどで主部に入る。ここでもトゥッティのフォルテシモが余裕を持って響き、一つ一つの音がつぶ立ちよく聴こえながら、奥行き・左右の広がりのプレゼンスも申し分ない。当時は米国自動車産業の街として絶頂期だったと思われるデトロイトのオケも、きっと腕利きの集まりだったに違いない。ポール・パレーはフランス生まれであるが、繊細さと同時に豪放さも持ち合わせていたのだろう、引き締まった響きと速めのテンポによる軽快な曲の運びに加え、ここぞというときの思い切りのよさも抜群だ。録音当時70歳を過ぎていたとは思えない。
手元にあるCD盤では幻想の他に同じくベルリオーズの序曲など管弦楽曲が4曲納められている。中でも「ハンガリー行進曲」のライブ感あふれる演奏は圧巻。特にコーダの最後で一気にテンポを落とすところなど鳥肌ものだ。
この盤の音源「幻想交響曲」全楽章
同「ハンガリー行進曲」 手持ちのCDからアップした。終盤4分過ぎからテンポを上げ、ピークに達した4分25秒で一気にテンポを落とす大胆な演出!
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先日来繰り返し記事にしているベルリオーズの幻想交響曲。ことのついでいってはナンだが、今夜はこの盤を取り出した。

クラウディオアバド&シカゴ交響楽団による本拠地シカゴシンフォニーホールでの1983年の録音。当時シカゴ響はショルティとの全盛期真っ只中であったが、同時に82年から85年までアバドを首席指揮者に迎え、独グラモフォンにいくつか録音を残した。この盤もその中の1枚。ショルティ&シカゴ響のコンビには1977年の来日公演で接している。大学4年の夏だったが、6000円のチケット代を一度に払えず2回の分割で支払った(当時の学生バイトが1日2500円だった)。そのときのプログラムがドビュシーの海とベルリオーズの幻想。シカゴ響はともかくよく鳴るオケだった。金管群などは余裕の吹きぶりながら圧倒的な響きで押してきた。
しかしシカゴ響のそんなイメージをもってこの盤を聴くと、その予想は見事に裏切られる。第1楽章の出だしそして主部になっても響きが実にしなやかで美しい。第2楽章のワルツも控え目なくらいの歌いっぷり。第3楽章も木管が遠めに定位してよく溶け合った響きで美しい。派手でイケイケのアメリカンメジャーオケという感じはしない。アバドの采配と独グラモフォンの録音ポリシーとが相まっての結果だと思うが、デッカ録音のショルティ&シカゴとは随分印象が異なる。もちろん第4、第5楽章ではシカゴ響の優秀な合奏能力とパワーも存分に発揮されるのだが、ともかく第3楽章までが際立って美しい。しなやかで美しく流れる音楽を作るアバドのいい面が出た演奏だ。それにしても1830年というまだ初期ロマン派といってもいい時代に、これほど革新的な曲を作ったベルリオーズにあらためて驚く。
シカゴ響の今
この盤の音源
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ゴールデン・ウィーク終盤。変わらず終日在宅。変わらず音盤ルーチン。このところの「幻想」推しが止まらない。きょうはこの盤を取り出した。

ピエール・モントゥー(1875-1964)&北ドイツ放送交響楽団(NDR響)の幻想を取り出した。モントゥー最晩年の1964年、亡くなる数ヶ月前の録音。手持ちの盤はVOX原盤・米ターナバウトレーベルの輸入盤。かれこれ40年以上前に秋葉原・石丸電気で買い求めた。実はこの盤、ぼくが初めて買った幻想のレコードだ。コンサートホールソサエティ盤で親しんだ輩も多いに違いない。
おそらくモントゥーは最も多くこの曲を録音した指揮者の筆頭だろう。昔から名盤の誉れ高いサンフランシスコ響とのモノラル録音(これにも1945年、1950年の二つがある)を聴いて、その素晴らしさに感銘を受けたのが、もう半世紀近く前のこと。その印象が強烈だったので、幻想のレコードを買うならモントゥー盤と決めていてこの盤を選んだ。
この曲を隅々まで知り尽くしているモントゥーらしく、あちこちで自在な表現を聴くことができる。パートのバランスもときに強調感があって中々面白い。がしかし、録音がいささか精彩を欠く。記憶の片隅にあるサンフランシスコ響とのモノラル盤の方がずっと生々しく、この曲の持つ性格をよく表していた。手持ちLPのプレス品質の要素もあるだろうが、冒頭からSN比が十分に確保されているとはいえず、カッティングレベルも低い。しかし、少し耳が慣れてきたところで注意深く聴くと、オケは中々健闘しているし、帯域も狭いわけではなさそうだ。終わりの二つの楽章は録音技師がミキサー卓のボリュームを意図的に操作したのではないかと思われるほど弦も管も音像が間近に定位し、生々しく迫ってくる。復刻盤CDなら十分良好な状態で聴けるのかもしれない。どんなもんだろうか。
この盤の音源。終楽章「ワルプルギスの夜の夢」
2010年。下野竜也指揮のサイトウ・キネン・オーケストラによる終楽章。熱演のあと延々と続く拍手。そして御大も登場(16分40秒過ぎ)
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