当地関東地方は数日前に梅雨入り。コロナ禍はひとまず終息に向かっているが、今後のことを考えると梅雨空同様、気分は晴れない。世の流れ、公私を取り巻く雑事、日常のあれこれ、いつになったらすっきり解決するのだろう…そんなことを考えていると、年甲斐もなく憂うつになる。やれやれとため息をつきながらも、さていつもの音盤ルーチン。今夜はジャズにしようと、こんな盤を取り出した。

アート・ペッパー(as)のあまりに有名な盤。1957年録音。当時すでにビッグネームになっていたマイルス・デイヴィスのクインテットが西海岸を訪れた際、そのリズムセクションであるレッド・ガーランド(p)、ポール・チャンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)のサポートを得てセッション録音されたもの。収録曲は以下の通り。
1.ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
2.レッド・ペッパー・ブルース
3.イマジネーション
4.ワルツ・ミー・ブルース
5.ストレート・ライフ
6.ジャズ・ミー・ブルース
7.ティン・ティン・デオ
8.スター・アイズ
9.バークス・ワークス
この盤はアート・ペッパーの代表盤であると同時に、分かり易くかつ変化に富んだ選曲と演奏からジャズ入門の必聴盤として、またオーディオマニアにとってもジャズ音出しのリファレンスとなる盤としても、つとに有名だ。更に、ヘレン・メリルの歌唱でヒットした<ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ>のインストゥルメンタル版としても、もっぱらこの盤が引っ張り出されることが多い。そうしたいろいろな条件が揃ってこの盤が長く愛されていることになる。
しかしこの盤の魅力はやはりアート・ペッパー自身のサックスの上手さに他ならない。4小節の短いイントロを受けて始まり、軽快な中にも美しいフレーズをよどみなく繰り出す<ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ>。しっとりとした情緒に満ちた<イマジネーション>。アップテンポで吹き抜ける<ストレート・ライフ>。ラテン調ながら憂いにたたえたソロを繰り広げる<ティン・ティン・デオ>。アート・ペッパーのサックスは、白人奏者によるウェストコーストジャズという括りで語られる、軽くやや淡白なスタイルにとどまらず、ドライブ感と情緒表現において十分に深く熱い側面を持っている。そしてこのアルバムでは多彩な選曲を得て、そうした資質を十全に発揮していて、まったく飽きさせない。
名刺代わりともいえる<ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ>。この盤は高音質録音として知られるが、アート・ペッパーのサックスは完全に左チャンネル、レッド・ガーランドのピアノをはじめとするリズム隊はほぼ右チャンネルと、初期ステレオ盤によくあったマスタリングになっている。
<イマジネーション>
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
梅雨空広がる週末日曜の昼下がり。ギターを取り出し、2時間ほど練習。最近はもっぱら弾き通せそうな古典期のエチュードばかりをさらっていたが、きょうは久しぶりに「弾けない曲」の確認。こんな楽譜を取り出した

フェデリコ・モンポウ(1893-1987)作曲のコンポステラ組曲。学生時代から好きな曲の一つだったが、まともに取り組んだことがないまま幾年月。少し前に重い腰を上げて譜読みをしようと思ったものの書棚に楽譜が見当たらない。整理の行き届いていない道楽部屋をサーチするも探し当てず、結局あらためて楽譜を注文することにした。GG社のサイトからポチろうとしたところ、以前もっていた版と違うものがあることを知り、自筆ファクシミリ譜もついているというので、ジラルディーノ編(Berben版)を取り寄せた。楽譜が届いて数日したある日、楽器を置いてあるクロゼットの奥に以前からもっていた楽譜(Salabert版)を発見。結局2種類の版が手元に…というお粗末。
コンポステラ組曲は1962年作曲。他の近現代スペインギター曲と同様、アンドレス・セゴビアに献呈された。曲は以下の6つの小曲から構成されている。
1.Preludio/2.Coral/3.Cuna /4.Recitativo/5.Canción/6.Muñeira
曲名が示す通り、スペイン北西部ガルシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステラの印象を描いたもの。世界遺産にも登録され、古来巡礼地としても有名な同地の情景が目に浮かぶ。淡々とした音形でどこか物憂い表情のPreludio、有名な同地の聖堂の響きを感じさせるCoral、市井の人々の生活をうかがわせるCuna(子守歌)、ノスタルジックに歌うCanciónなど、同じスペインでも南部グラナダなどとは異なる風土をもつといわれるガルシア地方をイメージさせる曲想だ。
モンポウの作風はフランス印象派の影響を色濃く受けるとともに、比較的少ない音数で曲を構成し、音楽を肥大化させないなど、ギター曲にも馴染みやすいように感じる。一方で、古典的な調性感と機能和声のカデンツだけでは簡単に譜読みが出来ないところもある。手元の2種類の版を比較検討するまでもない段階だが、この曲を弾いて楽しもうというには、譜読みに少々時間が必要。残念ながらきょうもまた「弾けない曲の確認」で終わってしまった。嗚呼…!
ステファノ・グロンドーナによる演奏。
第5曲 Cancion
楽譜付き音源
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
先日聴いたクレンペラーのワグナー・アルバム。今夜はその続き。

オットー・クレンペラー(1885-1973)とフィルハーモニア管弦楽団によるワーグナー管弦楽曲集の第2集。先回の第1集と同時期の1960年から61年にかけて録音されている。収録場所も同じくキングスウェイホール。収録曲は以下の通り。
1.楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕の前奏曲
2.楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕より”徒弟たちの踊りと親方たちの入場”
3.楽劇「ラインの黄金」より”ワルハラ城への神々の入城”
4.楽劇「ワルキューレ」より”ワルキューレの騎行”
5.楽劇「ジークフリート」より”森のささやき”
6.楽劇「神々の黄昏」より”ジークフリートのラインの旅”
7.楽劇「神々の黄昏」より”ジークフリートの葬送行進曲”
8.楽劇「パルジファル」より第1幕への前奏曲
相変わらず極めて重厚かつクリアな曲作りで、ワーグナーの複雑なスコアに書かれた音を団子にして放り投げるのではなく、一つ一つ分別収集して精緻に並べ直したような演奏だ。精緻に並べたというと、整然としているだけで盛り上がりに欠けるように思われそうだが、そうではない。<重厚かつクリア>という、通常は相反しそうな二つの要素を両立しているところにクレンペラー&フィルハーモニア管の素晴らしさがある。この第2集に関していえば、ニーベルンクの指輪から取られた曲に関して抜粋上(曲の切り出し)の不満があるにはあるし、いくつかの曲はやはり歌も入ってほしいと思ってしまう。それでも「ジークフリートの葬送行進曲」だけでもそうした不満を補って余りある演奏だし、マイスタージンガーやパルジファルは独立した前奏曲なのでその違和感はない。
マイスタージンガーは出だしから悠然としたテンポで始まり、途中更にテンポダウンして一層スケールが大きくなる。こういうテンポ設定になると、オケ側にも精神面・体力面共に相当な負荷がかかるはずだ。フィルハーモニア管の各セッションはそんな不安をまったく感じさせずにクレンペラーの要求に応えていく。そしてそうした音楽を克明に捉えた録音技術もたいしたものだ。クレンペラーの骨格のしっかりした設計図と、それをクリアかつ量感や力感も十分に実現するオケや録音の素晴らしさはよく分かる。
クレンペラーのCDはEMIから度々再発売されていたが、その都度カップリング内容が変わったり値段も上がったり下がったり。紹介したこの盤も2006年に「EMI CLASSICS 決定盤1300」という廉価盤シリーズで出たが、すぐに廃盤となり、その後EMIレーベルがワーナーに統合されたこともあって、あらためて再発されているようだ。
この盤の音源。マイスタージンガー第一幕前奏曲
同。ジークフリートの葬送行進曲 このジャケットはARTマスタリング盤。
伝説にさえなっているテンシュテットとロンドン響来日公演でのジークフリートの葬送行進曲。
5分50秒大きな音と共にテンシュテットが見ていた譜面台が落ちる!6分50秒ではかがみこむようにして譜めくり。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
先日の日曜夜のNHK-Eテレで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮・NHK交響楽団によるブルックナーの第7交響曲の演奏が放映された。N響ヨーロッパツアー・エストニア公演のライヴだった。私は放送予定を承知しておきながらパスしてしまったのだが、その放送をみた知人二人からその日の晩にメールが届いた。二人ともぼくと同年代で音楽好きではあるが、クラシックオタクというわけでもない。しかも一方の知人からのメールは数年ぶりだった。「ブルックナーをきちんと聴くのは初めてだったが、いたく惹きつけられ、最後までも飽かずに聴いた。素晴らしい音楽だった。」二人がほとんど同じような感想を書いてきて驚いた。長大で決して派手ではないブルックナーに初めて接しても心打たれるものなのか…、還暦を越える歳となるうちに、何もしなくても音楽に対する感受性も変化するのか…と、ブルックナーを聴き始めて四十年余のぼくもあらためて思いを巡らせてしまった。そんなことを考えつつ、今夜はそのブルックナーを聴くことにした。取り出したのはこの盤だ。

ロブロ・フォン・マタチッチ(1899-1985)とチェコフィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの交響曲第7番ホ長調。この曲を聴こうとするとき、手元に何種類かある盤のうち、やはりこの盤に手がのびる。1967年録音。手持ちのLPは40年以上前の学生時代に今はなき中古レコード店・ハンター数寄屋橋店で手に入れた。1971年の初出盤。黒田恭一氏(1938-2009)がライナーノーツを書いている。盤質は今もって良好。10年ほど前に廉価盤で出たCDに比べてもまったく遜色ない音を楽しめる。
今更マタチッチやこの曲の解説は必要もないほど、書籍やネットでも多くが語られている。マタチッチといえば、ぼくら世代には70年代から80年代初頭にかけてのN響客演時の姿が焼き付いている。巨体を揺らしながら登壇し、手刀を切るようなぶっきら棒な指揮スタイルだった。が、日頃冷静なエリート集団のN響が、マタチッチを前にすると人が変わったように身を乗り出して演奏していた。
第1楽章冒頭から実に構えの大きな音楽が広がる。悠揚迫らずとはこの演奏のためにある言葉だろう。ブルックナー開始に導かれて始まるホルン、それに続く弦楽群の息の長いフレーズ。自分も呼吸を合わせて旋律を歌おうと思うのだが、必ずこちらの方が先に出てしまう。急がずあわてず、アルプスの頂きへの長大なアプローチを歩むがごとく進む。チェコの名門スプラフォンによる録音もマタチッチの意図を十全に汲み取るように素晴らしい。チェコフィルの演奏は管楽器群にときどき音程のあやしいところなども出てくるが、弦楽セクションはとてもいい。特にブルックナーで重要なチェロ・コントラバス群の響きも充実していて、開始後1分半から2分あたりの低弦群の入りではスピーカーの右奥方向から、スーッと床面に低弦群の音が伸びてくる。第1楽章の主部に入る前の冒頭数分間だけでも、この盤は価値を失わなわれないだろう。
第3楽章スケルツォもいかにもブルックナーらしい。弦楽群の刻むリズムにのってトランペットが印象的な主題を奏する。一度聴いたら忘れることはないほどインパクトのある主題。中間部の叙情的なトリオも極めて美しい。全曲通して聴くと70分ほど要する曲だが、夜半の音盤タイムでは第1楽章序奏と第3楽章スケルツォだけを聴くこともしばしばだが、これだけでもブルックナーの魅力は一向に失せない。
この盤の音源。全楽章。
ギュンター・ヴァントとNDR響による第3楽章スケルツォ。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
週明け月曜日。都内での仕事を終えて19時過ぎに帰宅。東京駅も新幹線も随分と人出が戻ってきた。長らく閉じていた東京駅構内の店も営業再開。観光客はまだまばらだが、仕事関連と思しき人達は自粛前の7割程度まで戻ったのではないだろうか。そうはいっても感染リスクは以前としてあり、自分で出来る用心をして臨むばかりだ。 そんなことを思いつつ、夜更け前のひととき。先日聴いたシューリヒトのワーグナーで思い出し、今夜はこんな盤を取り出した。

オットー・クレンペラー(1885-1973)とフィルハーモニア管弦楽団によるワーグナー・アルバム。LP時代から繰り返しリリースされ、CD時代になっても何度か再発されている。手元のこの盤はまだ東芝EMI時代の2006年に廉価盤としてリリースされたときのもの。EMIは過去にHS2088やらARTやら何度かデジタル化のマスタリングプロセスを変えているが、この盤には<24bit最新リマスタリング>とだけ記されていている。1960年ロンドン・キングスウェイホールでの録音。ワーグナー管弦楽曲集<1><2>と、二つのアルバムにワーグナーの主要な管弦楽曲が収録されている。VoL.1のこの盤の収録曲は以下の通り。
1.歌劇「リエンツィ」序曲
2.歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
3.歌劇「タンホイザー」序曲
4.歌劇「タンホイザー」第3幕の前奏曲 “タンホイザーの巡礼”
5.歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲
6.歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
7.楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と“愛の死”
演奏は今更くどくど駄文を連ねる必要もない評価の高いもの。今夜久々に少しボリュームを上げて聴いてみて、あらためて感心した。まず音楽の捉え方が整然としていて実際の音作りも極めて明晰だ。もちろん重厚な音の積み重ね、悠然としたテンポ設定などはいかにもドイツの権化;ワーグナーに相応しい。しかし決して混濁せず、熱気で押し切るようなところがない。晩年のイメージから独墺系の重鎮をイメージするクレンペラーだが、若い頃は現代音楽を積極的に取り組んだというから、音楽の基本的な組立ては明快で冷静なのだろう。リエンツィ、オランダ人、タンホイザーと3曲続けて聴くだけで、クレンペラーの特質、音楽作りの方向性はよく分かる。
またこの盤はリマスタリングの成果もあるのか音質も良好。さすがに最新録音と比べるとレンジはやや狭く、硬質な印象だが、各パートの分離は中々よく、一つ一つの楽器やパートが糸を引くようにきれいに分離してピックアップされている。当時2000席を誇ったキングスウェイホール(80年代半ばに閉鎖され、その後はホテルとして運営されている由)だが、残響はやや短め。このあたりの録音条件も明晰な音楽作りにつながっているように思う。更にクレンペラーの指示でヴァイオリン群の対向配置をとるフィルハーモニア管の演奏能力も極めて高い。弦楽群のソノリティーはよく整っているし、オーボエなど木管群の音色も印象的だ。また時折繰り出すホルンの強奏も迫力十分。このオーケストラの創設者ウォルター・レッグが腕利きのミュージシャンを集めただけのことがある。ワーグナー・アルバム数々あれど、このクレンペラー盤はフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュなどとはまったく異なるアプローチながらも、ドイツ的な重厚さを存分に味わえる名演だ。
この盤の音源。タンホイザー序曲
同。ローエングリン前奏曲。
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
週末土曜日。野暮用あって終日外出。夕方近くなって帰宅した。
梅雨入り前、初夏の夜更け。たまには激甘の音楽でもと思い、こんな盤を取り出した。

カーメン・マクレ―(1922-1994)が歌うラブ・バラードばかりを集めた、その名も「ブック・オブ・バラード」。盤歴の長いカーメン・マクレーの数々の名盤中とりわけ有名な盤だ。この盤を録音した1958年当時カーメンは36歳。いまの感覚で言えばまだまだ若い36歳だが、時代の違いもあってか、この盤のカーメンは当然十分に大人の女性だ。エラ・フィッツジェラルドなどは相当なオバさん年齢になっても時にチャーミングな声を出していたが、カーメンには作ったようなチャーミングさはなく、若くして酸いも甘いも知り尽くしたといったアダルトで包容力のある歌いっぷりだ。ただ大あねごと言っても、酒と煙草で喉もやられた飲み屋の女将風情のようにドスが効いているわけではない。まだ若さの片鱗も残っている。若い女性と大人の女性をどこでどう区別するか、小声で語りたいところだが、(一応)硬派路線のこのブログの自主規制コードを逸脱するのでやめておこう。
曲はスタンダード12曲が収録されていて、いずれも激甘のバラードだ。軽いストリングス伴奏のものと、ピアノトリオ伴奏のものがあって、それぞれに良さがある。甘くささやくような「マイ・ロマンス」、切々と歌い上げる「イズント・イット・ロマンチック」…聴き進んでいくうちに、ちょっとわけありのイイ女が目の前で歌い、自分に向かってささやいているかのように錯覚する。このままこの女とどうにでもなってやれ、え~ぃ!と妙に気が大きくなってしまう。たかが音盤一枚で…カーメンねえさんの面目躍如。参りました。
「By Myself」
「My Romance」
「Isn't It Romantic」
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-
先日、在宅勤務の日の夕方、少し時間が取れたので楽器を取り出し、こんな曲をさらってみた。


ヴィラ・ロボス(1887-1959)作曲のブラジル民謡組曲(Suite Populaire Bresilienne)中の1曲「ワルツ・ショーロ」。ブラジル民謡組曲はマズルカ・ショーロ、ショティッシュ・ショーロ、ワルツ・ショーロ、ガヴォット・ショーロ、ショリーニョの5曲から成る。ヴィラ・ロボスはクラシックギター弾きにはお馴染みの名前だが、一般的には例の「ブラジル風バッハ」辺りがもっとも有名な作品だろうか。千曲を越す作品を残した多作家であり、ギター作品はそう多いわけではないが、独奏曲の他、協奏曲も書いている。ヴィラ・ロボス自身が中々器用でギターの腕前も上級以上だったようで、残されたギター曲も高い技巧レベルが要求される曲が多い。12曲からなる練習曲や5曲ある前奏曲などは特に有名で、上級以上を目指す弾き手には必修曲だ。
ブラジル民謡組曲は他のヴィラ・ロボス作品から少し離れた雰囲気で、いずれも親しみやすい。初めてギター曲に接する人にもすんなりと受け入れられる曲調なのだが、いざ実際に弾こうと思うと、耳で聴くほどには易しくない。冒頭は難なく進むものの、曲中何カ所かひっかかるフレーズが出てきて手こずることになる。
きょうさらった「ワルツ・ショーロ」は冒頭からイ短調の憂いに満ちたフレーズで始まる。高音域のメロディーと、移ろう和声を彩る中声部、そして時折繰り出される低音域の旋律などが効果的に配されている。大きく二部に分かれる短調部分が曲を支配し、途中イ長調に転じ、光が差し込むような中間部も印象的だ。
手元には古くから出ているフレデリック・ノード版のピースを集めた曲集(12の練習曲、5つの前奏曲、ブラジル民謡組曲が収録されているお買い得版)がある。ノード版はほとんど運指が付されておらず、もし運指等の詳細を確認したい向きは少し前に出たジガンテ版が適当かもしれない。またYOUTUBEでも多くの動画をアップしているブラジルのギタリスト:エドソン・ロペス(かのマリア・ルイサ・アニードが激賞したという名手)が自ら編んだ多くの楽譜を公開していて、その中に詳細な運指も付したこの曲の実用版(写真上)があるので参考になるだろう。
先日の練習光景。 楽譜を開き、ひとまずやさしい前半だけ確認。
全曲はこちらでどうぞ。髭のお兄さん飄々とした弾きぶりがナイス。
Edson Lopesが公開している楽譜リスト。ソロが600曲、二重奏他が300曲もある。
♯596~♯599に「ブラジル民謡組曲」から4曲がアップされている。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1Gm5cK_XYrfyCR-pKBKhidaymmfZKOh87TsJxJqFMd_s/edit#gid=973991856
■ にほんブログ村ランキングに参加中 ■
■↓↓↓バナークリックにご協力を↓↓■

にほんブログ村
- 関連記事
-