在宅勤務と通常出勤とが交錯し、何となく落ち着かない気分のうちに今週もあたふたと終了。さて一月最後の週末土曜日。令和三年の「三」シバリで始まった今月の音盤セレクトの最後として、こんな盤を取り出した。

マックス・レーガー(1873-1916)の無伴奏チェロ組曲第3番イ短調。28歳で急逝したアニア・タウアー(1945-1973)の盤。チェコフィルとのドヴォルザークのチェロ協奏曲、ジャン・フランセのチェロとピアノのための幻想曲、そしてこのレーガーの無伴奏第3番が収録されている。1964年録音。数年前に一度記事に書いたが、聴くのはそれ以来かもしれない。このチェロ組曲第3番は3曲あるレーガーの無伴奏中もっとも親しみ易い曲想で人気が高いようだ。
曲は3つの楽章からなり、後期ロマン派、新ウィーン楽派、新古典主義といったいくつかの要素を併せ持つ独自の雰囲気ながら、旋律線と和声感は至って分かりやすい。終始イ短調の調性から離れることなく、ほの暗く、控え目なロマンティシズムに満ちていて実に美しい。第3楽章のアンダンテと変奏曲は、冒頭の主題からしても誰しもが心ひかれるだろう。
アニア・タウアーはDGに2枚のLPを残したが、その2枚分がこのCDに収められている。ドヴォルザークのコンチェルトももちろん素晴らしい。タワーレコードのヴィンテージ・コレクション・シリーズとして2006年に千円盤で発売されていたが、まだ手に入るようだ。
この盤の音源。無伴奏チェロ組曲第3番第1楽章
第3番第3楽章。Sayaka Selinaというチェリスト。 妹のSumida_Studerはヴァイオリニストだそうだ。
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先週書いた記事で取り上げたバッハの管弦楽組曲第3番ニ長調。三シバリの第3番ということなら、こちらの3番も聴かないと…と思い出し、今夜はこんな盤を取り出した。

バッハのブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048。カール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団による演奏。1967年録音。手持ちの盤は、ぼくら世代には布引きカートンボックスと銀色ラベルが懐かしくも神々しいアルヒーフ盤セット。ブランデンブルク協奏曲全6曲がLP2枚に収められている。ドイツプレス盤セットに日本語解説書と追加したもので、オリジナルの独語解説書も付いている。…と自慢げに書いておいてナンだが、このセットをどこで手に入れたか記憶にない。どこかの中古レコード店で買ったか、もうレコードは聴かないからという知人から譲ってもらったか定かでない。そして箱を開けて針を通すのも初めてだ。実はこの同じ録音は80年代初頭に出た廉価盤LPで持っていたので演奏そのものはそちらで親しんでいた。
古いレコードジャケット特有のカビ臭さを確認しながら箱を開けて盤を取り出すと、想像通り盤面にはカビや汚れが付着している。いつものならあまり気にせず針を落とすところだが、きょうは久しぶりに気合を入れて盤を水洗い。台所用洗剤とデンターシステム歯ブラシでやさしくゴシゴシ。幸い深い傷はなかったようで、ピカピカの盤面が蘇った。CEC_ST930の回転が安定したところで盤をセットし、オルトフォンSPUの針を盤面中ほどにある第3番の溝にゆっくりと下す。ごくわずかなサーフェイスノイズに導かれて演奏が始まった。
カンタータBWV174「いと高きものをわれ心より愛しまつる」のシンフォニアにも使われたアレグロ(第1楽章)のテーマがヴァイオリンのユニゾンで始まる。21世紀のスタンダードからするとやや遅めのテンポ、堂々とした響き、重心ののったアクセント…どこを取っても一時代を成したリヒター盤の演奏。半世紀前はこれがスタンダードだったなあという述懐と同時に、予想以上に生き生き活力あふれる曲の運びにあらためて感心してしまった。わずか2つの和音(Am→B7のフリギア終止)だけというアダージョ」をはさんで闊達なアレグロ(第2楽章)が始まる。推進力に満ちた音形がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、BCとで交錯しながら時に競うように続き飽きさせない。
この第3番は他のブランデンブルク協奏曲と異なり管楽器を含まない。弦楽群だけの編成ゆえにバッハの音楽そのもののコアをより明確に感じられるように思うが、どうだろう。
このコンビによる映像作品。ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調アレグロ(第1楽章)。この演奏ではアダージョ部にリヒターのチェンバロによるカデンツァが挿入されている。
同 アレグロ(第2楽章)
お馴染みのネザーランド・バッハ・ソサエティによる演奏。ディナーミクの変化はよりクイックで効果的。アーティキュレーションも明瞭。このあたりが21世紀のスタンダードかな。
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一月最終週。きょうは都内での仕事先で初めてのSkype体験。いつもは直接面談する霞ヶ関某庁担当者と1時間半ほどディスプレイ越しの会話。慣れない場面もあったが何とか無事に済ませた。これからはこうしたやり取りが増えるのかなあと、今更ながら昨年来の変化を実感した次第。さて帰宅後の音盤タイム。変わらず三シバリで、こんな盤を取り出した。

マーラーの交響曲第3番ニ短調。数年前に廉価ボックスセットで出たラトルのマーラー交響曲全集。オケは当時の手兵バーミンガム市交響楽団。1997年録音。
マーラーの第3交響曲はあまたある交響曲の中でも最大級の長さを持つ曲の一つ。この演奏も全曲で1時間36分を要する。山有り谷有り、波乱万丈の長編ロマン小説を読む趣きだ。とりわけマーラーの曲は波乱万丈感が強く、そのストーリーもわかりやすい。この曲も第1楽章の出だしからホルンのユニゾンによる、一度聴いたら忘れない印象的なテーマで始まる。冒頭、葬送行進曲を思わせる沈うつな表情で曲が進む。ホルンの勇壮な響き、神秘的なトロンボーン、鋭く切り込むトランペット、そしてティンパニーの一撃。様々な主題が物語を語るように現れ、そして消えていく。そのいずれもが極めて旋律的で、情感豊かな表情に彩られていて、いささか俗な感じは拭えないが、聴いていてはなはだ気持ちの収まりがいい。まるでハリウッドの歴史スペクタクル巨編の音楽を聴いているかのようだ。この辺りがマーラー人気の一つの理由だろう。これがブルックナーだとそうはいかない。主題は色気や媚びとは無縁。曲の運びに人為的な印象はなく、淡々と山道を登りつめて行くかのように進む。が、ひとたびその歩みにこちらの気持ちが寄り添うようになると、大自然や宇宙の中を彷徨するがごとき悦楽の境地にいたる。まあ、そんなことを思いながら音楽も聴いた青春時代も遥か彼方になったが…
さて長大な第3交響曲。第2楽章のメヌエットもときにチャーミング、ときに官能的で、いかにもマーラー風だ。第3楽章はゆっくりめのスケルツォ。「不思議な角笛」の一節も出てきてメルヘンそのものの楽章だ。神秘的なアルト独唱が入る第4楽章、そして賑やかな児童合唱が加わる第5楽章をへて、最後はこの曲の白眉とも言える第6楽章だ。マーラーが書いたアダージョ楽章はいずれも美しいが、中でもこの第6楽章のそれは天国的だ。出だしの弦楽合奏で奏される主題を聴くだけで、その美しさにノックアウトされる。20分以上を要するこの最終楽章のコーダも実に感動的に主題が大きなクライマックスを築いて終わる。
この盤の音源。ラトル&バーミンガム市響による第6楽章。
2015年から都響の音楽監督を務める大野和士による第6楽章のレクチャー
バーンスタイン&VPOによる全曲。
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大寒は過ぎたものの、今しばらくは寒さのピーク。一方で夕方の日足はのび、僅かながら春の兆しも感じる。関東地方はこの週末、本州南岸を通過する低気圧の影響で天気が崩れ、一部で雪も舞った。冬型が安定しなくなるのもこれから春先にかけての特徴だ。 さて、気付けば一月も末。変わらず令和三年にちなみ「三」シバリの音盤タイム。今夜はこんな盤を取り出した。

カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)指揮ウィーン交響楽団をバックにミケランジェリ(1920-1995)がベートーヴェンの3番と5番の協奏曲を弾いた盤。1979年テレビ収録用のライブ録音。手持ちの盤は十数年前に出た廉価盤。カルロス・クライバーと全集を作る計画が頓挫し、ミケランジェリと付き合いの長いジュリーニがあとを受け継いだとものだそうだ。しかも第3番についてミケランジェリは発売を渋っていたという。40年も経った今となっては、どうでもいい話だが…
第3番はベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲中では4番と並んで、もっとも美しい歌にあふれた曲だ。第1楽章のハ短調主題が静かに始まる。ジュリーニは晩年かなり遅いテンポをとるようになったが、この盤が録られた頃はまださほどではなく、中庸のいい感じのテンポだ。オケの音はどっしりとしていて、テヌートを効かせたフレージングで歌っていくが、イタリア人気質というべきか、音楽は重くなく、ところどころのアクセントや強弱のギアチェンジもうまい。続いて決然と入ってくるミケランジェリのピアノ。ぼくはピアノの音色感には鈍感なのだが、この盤で聴くミケランジェリのタッチは素晴らしい。メゾピアノ以下の音量での音のコントロールが抜群だし、レガートとスタカートの切り替えもまったくスムースで効果的だ。
録音場所は明記されていないが、ウィーンのゾフィエンザールかムジークフェラインだろうか。オケの特に弦楽器の響きが美しく録られている。木管がもう少しブレンドしてほしいとことだが、ライブゆえのマイクセッティングの制約もあったのだろう。曲は第2、第3楽章とジュリーニの指揮のもと、ややゆったりとしかし緊張感をもって進む。ミケランジェリのピアノもエキセントリックな解釈はなく、ジュリーニとウィーン響のバックにのって終始余裕のある響きで、完璧かつ丁寧な演奏を繰り広げる。特に第3楽章は室内楽的ともいうべき精緻さで、この曲の持つ美しいメロディーが際立つ。最後のコーダはハ長調プレストになって駆け抜けるが、その際もオケ、ピアノとも響きのバランスを失わず美しい演奏だ。
このミケランジェリやジュリーニ、あるいはポリーニやチェリビダッケなど、陽気で明るいイタリア人というイメージからは想像しがたい精緻で考え抜いた演奏をする連中もいるものだと、彼の国イタリアの懐深さに感心する演奏でもある。
この盤の音源。第1楽章。
この盤と同じコンビ。ミケランジェリ・ジュリニーニ&ウィーン響による全楽章。CDの音源となったテレビ放映時のライヴかどうかは定かでない。会場はムジークフェラインのようだ。映像、音質とも冴えないのが残念。。
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きょうは都内で仕事。緊急事態宣言下の東京駅構内、丸ノ内・大手町界隈の人出は思いのほか多い。昨年春4月の、まるでゴーストタウンかと目を疑うような激減ぶりとはあまりに違う。かくいうぼくもその人出に加わっているわけで複雑な心境なのだが…。さて週末金曜日。しぶとく「三」しばりの音盤タイム。今夜はこんな盤を取り出した。

トレヴァー・ピノック指揮イングリッシュ・コンソートによるバッハ管弦楽組曲集。1978~79年録音。バッハの管弦楽組曲全4曲が収められていて、トレヴァー・ピノック(1946-)の盤歴としては初期のものにあたる。手元の盤はかれこれ20年近く前に廉価で手に入れた輸入盤CD。今夜は第3番を選んでプレイボタンを押した。
この曲を聴くのは何年ぶりだろう。本当に久しぶりだ。この曲に最初に触れたのは半世紀前の高校2年のときだった。クラシックギターを始めて1年程経ち、吹けば飛ぶような少人数の部活ではあったが、ギターアンサンブルでこの曲の第3曲ガヴォットを合わせて演奏会にのせたことがあった。そしてFM放送で曲全体を聴くに至り、次第にバッハの曲にも心惹かれるようになったことを思い出す。 この曲の演奏としては当時、重厚長大なカラヤン&ベルリンフィル盤が人気だったし、オーセンティックな演奏としてはリヒター盤がスタンダードだった。その頃すでにピリオドスタイルは世に存在していたが、多くの音楽ファンにピリオドスタイルのバッハを認知させたのは、この盤あたりだったかもしれない。
4つある管弦楽組曲のうちこの第3番は、トランペットとティンパニを加えた編成により響きが華やかで祝祭的気分に満ちている。第1曲のフランス風序曲はその付点音符によるリズムがピリオドアプローチによって一層際立ち、重厚な王の歩みというよりは。軽やかな王子のステップに聴こえてくる。G線上のアリアとして有名になった第2曲エアは清々しい響きの中にヴァイオリンソロが浮き立つ。第3曲ガヴォットと続くブーレはトランペットとティンパニが活躍。小編成とピリオドアプローチゆえの運動性能の良さが生き、溌溂として気分が明るくなる。終曲ジーグはもっと急ぐのかなと予想していると意外にも落ち着いたテンポで、各パートのやり取りや和声の移ろいもよく聴き分けられる。
それにしても、あらためて録音年を考えるとすでに40年を経ていることに驚く。気鋭の若手だったピノックもすでに70代半ば。ピリオドスタイルも市民権といった言葉以上に多様化し、進化を続けている。半世紀前の想い出に浸りながらも、こうしてまた新たな気分で新しい演奏に接していけることを素直に喜ぼう。
この盤の音源。管弦楽組曲第3番全曲(序曲・エア・ガヴォット1,2・ブーレ・ジーグ)
YOUTUBEチャンネルで意欲的なバッハ演奏を提供しているネザーランド・バッハ・ソサエティによる演奏。ここではトランペット、ティンパニ、オーボエを排した弦楽のみの編成をとっている。
同上 この演奏のメイキング
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週半ばの水曜日。きのうは在宅、きょうは出勤、あすはまた在宅…どうも落ち着かないなあと思いながらも、暦だけはしっかり進んで一月も下旬。まあ、日々淡々とやっていくべし…かな。さて、変わらず令和「三」シバリの音盤タイム。きょうはこの「三」を取り出した。

ベートーヴェンのピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重協奏曲ハ長調作品56。ジャック・ルヴィエ(p)、ジャン・ジャック=カントロフ(Vn)、藤原真理(Vc)、エマニュエル・クリヴィヌ指揮オランダ室内管弦楽団による演奏。1985年録音。手持ちの盤はお馴染み日本コロンビアの廉価盤シリーズ「クレスト1000」の一枚。
この曲は多くの同輩同様、70年代のオイストラフ・リヒテル・ロストロポービッチのカラヤン盤で出会った。おそらくあの盤によって、この曲自体の認知度も大きく上がったのではないだろうか。ぼくが手に入れたときのセル指揮クリーヴランド管とのブラームス<ドッペル>がカップリングされた2枚組みは、曲そのもの、そして協奏曲の素晴らしさ、オーケストラとソロの関係性、そういったものを初めて気付かせてくれた盤でもあって思いで深い愛聴盤の一つだ。そんなことでこの曲自体もお気に入りの一曲となり、カラヤンの新旧盤、フリッチャイ盤、コレギウムアウレウム盤、そしてきょう取り出した盤と、数種が手元にある。
この曲はベートーヴェンの作品の中にあってはいささか評価が低い。凡作とまで言われることすらある。確かに同時期に書かれたピアノソナタ<熱情>、交響曲<英雄>など比べると、ベートーヴェンらしさの根源とでもいうべき劇的な展開や意表をつく和声などには乏しい。しかし、どこをどう取っても古典派らしい構成感と和声感に満ちた充実した作品だ。ロマン派にまだ足を踏み入れない頃の古典的作品としてみれば、至極真っ当で充実した作品と言える。加えて貴重なのは、単独のチェロ協奏曲を残していないベートーヴェンにとって唯一チェロと管弦楽曲の<協奏>が聴ける曲でもあるということだ。
曲冒頭、チェロとコントラバスによる静かな主題提示で印象的に始まる。ハ長調の伸びやかな調性にのって各ソロ楽器がいきいきとフレーズを交わし、実に気持ちのいい展開が続く。第2楽章は弦楽群の序奏に促されチェロのソロで始まる。こんなフレーズを聴くとチェロ協奏曲を残していてくれたらと思わずにはいられない。第3楽章はアラ・ポラッカとなって、沸き立つような躍動感にあふれる。途中短調に転じて交わされるモチーフのやり取りはこの楽章の聴きどころだ。
録音された1985年からすでに35年。協演者らにとっては若き日の記録ということになるだろうか。藤原真理が1978年のチェイコフスキーコンクールで第2位になってデビューを飾り充実の時期。カントロフはやや線が細い印象だが、むしろ<力の協演>にならず好感。先のカラヤン盤とは異なる室内楽的アプローチで、エマニュエル・クリヴィヌ指揮オランダ室のバックも含めて、この曲の魅力を十全に伝えてくれる名演だ。
手持ちの盤からアップ。「alla Polacca」好きのぼくの嗜好を反映して第3楽章を。
ヨーヨーマ、パールマン、バレンボイム&ベルリンフィルによる豪華な演奏@1995(36分過ぎまで)。 1stVnトップに安永氏。第2楽章は18分過ぎから。第3楽章は23分50秒から。28分50秒過ぎからのやり取りはいつ聴いても心おどる。37分過ぎからは<合唱幻想曲>が始まる。
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週明け月曜日。収束の気配が見えないコロナ禍をかいくぐって本日も業務に精励。一日終えてホッとひと息。さて今夜の三シバリは…と思いながら音盤棚をサーチ。この盤を見つけて取り出した。


益田兄弟の弟。益田展行によるバッハ作品集。数年前の正月明けに同氏の東京デビューコンサートを聴きにいった際に終演後買い求めたもの。2015年五反田文化センターでの録音。収録曲は以下の通り。
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調 BWV1005
先程からお目当ての無伴奏ヴァイオリンソナタの第3番と聴いている。
ギターでバッハ…ギター弾きにとっては弾くことも聴くこともお馴染みのテーマ。今更その関係を語るつもりも、また資格もないが、セゴビアやさらに先駆のタレガあたりから始まったバッハへの取り組みも百年を迎える時代になり、今ではそれほど奇異な目で見られることもなくなった。かつては限られた曲の編曲が断片的に取り上げられることが多かったが、今ではチェロやヴァイオリンの無伴奏作品が丸々弾かれることも珍しくない。この盤で取り上げている曲のうち、チェロ組曲第6番は以前からお馴染みで多くの録音も出ているが、無伴奏ヴァイオリンソナタの二つに関してはその全曲がギターで弾かれることはあまりないだろう。
言うまでもなくバッハはバロックあるいは音楽史上の最高峰といってよい作曲家だ。音楽のプロフェッショナルを目指す人々も、多くの研鑽を経たのち最後に取り組むもっとも難易度の高い課題だろう。ぼくらのようなアマチュアギター弾き風情が「道楽ですから」と、安易に弾き散らかして悦に入るのは、いささか無礼にさえ感じる。が、やはり密かにその響きに浸る楽しみは他に代えがたい。今では無伴奏ヴァイオリンのソナタや組曲、無伴奏チェロ組曲などは複数のギター編楽譜が出ているが、かつてはそうしたギター編の出版も少なく、ぼく自身もヴァイオリン用のミニチュアスコアを広げて拾い弾きし、その響きを楽しんだ記憶がある。
先程から無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調の第2曲フーガ(写真)を聴いているが、ギターに移したことによる制約、違和感といったものをほとんど感じることない。またヴァイオリンソロではしばしば求心的な集中を強いられる感もあるが、多声の響きを出しやすいギターでは、よりカジュアルに心地よく音楽に浸れる。それはそれでギター版で聴くあるいは演奏する楽しみでもある。
この盤で弾いている益田展行氏は実演に接した印象からも、その上手さは兄正洋氏に勝るとも劣らない。技巧の安定度は抜群で、演奏会でのオールバッハプログラムでもミスらしいミスは皆無。愛器カール・ハインツ・ルーミッヒから繰り出される音は淀みなく美しく響いていた。このアルバムでもそうした美点を聴くことができる。
手持ちの盤からアップした。無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調から第2曲フーガ。
この盤の紹介他
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