アルベニス「イベリア」



このところ降ったり晴れたり忙しい。予想天気図を見ると、高気圧と低気圧が入れ替わり立ち代わり到来する様が見て取れる。ほんわかとした春の気配を感じないまま初夏を迎えるのかも知れない。さて、週半ばの木曜日。慌ただしい空模様をよそに仕事は淡々と進む。きょうも程々に精出し、いつもの時刻に帰宅した。ひと息ついて、音盤棚をぼんやり眺めていたら、この盤と目が合ったので取り出した。


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エルネスト・アンセルメ(1883-1969)とスイスロマンド管弦楽団(OSR)によるスペイン物。アルベニス「イベリア」とトゥリーナ「幻想舞曲集」を収めた盤。1960年録音。手持ちの盤は1964年に出た国内初出盤。この時代の盤らしいブルーバックの裏面ジャケットも懐かしい。記憶に間違いがなければ、例によって以前、出張の折に大阪東梅田の中古レコード店で手に入れたはずだ。収録曲は以下の通り。

アルベニス(アルボス編)「イベリア」より
 エヴォカシオン/セヴィリアの聖体祭/トリアーナ/港/坂の多い町
アルベニス(アルボス編)「ナバーラ」
トゥリーナ「幻想舞曲集」作品22
 エグザルタシオン/夢/酒宴

「イベリア」は全3巻12曲からなるアルベニス晩年のピアノ曲。生涯の集大成として評価も高く、ドビュッシーをして「音楽がかくも多様性をもち、しかも色彩豊かで印象的であったことはかつてなかった」と言わしめた傑作。その色彩的な曲想をさらに生かすべく、アルベニスの親友だったフェルナンデス・アルボスによって5曲が管弦楽に編曲された。いずれもスペインとりわけ南部地方アンダルシアのもっとも民族色の色濃い情緒が盛り込まれている。ギター弾きにはお馴染みの「スペイン組曲」と比較すると作曲年代の違いもあってだろうが、明らかに音楽が成熟している。「スペイン組曲」は明快で親しみやすいポピュラリティーが耳をとらえるが、「イベリア」の各曲は同じように民族的要素をベースにしながらも、ひとひねり加えられ渋い味わいだ。 ホワキン・トゥリーナ(1882-1949)の「幻想舞曲集」は原曲のピアノ版をトゥリーナ自身が管弦楽にアレンジしたもの。トゥリーナはギター曲もいくつか残しているが、この幻想舞曲集でもそこここにギター的なフレーズが出てきて、いかにもスペイン的な情緒を盛り上げている。

アンセルメ&OSRの演奏は、このコンビの録音といえば説明不要のセオリーが思い出されるように、優秀な英デッカ録音によって色彩的な管弦楽の魅力が存分に楽しめる演奏。アンサンブルの乱れや管楽器群の音程など、重箱の隅をつつこうと思えばネタに事欠かない録音ではあるが、明るく響き渡る管弦楽、コントラバスやグランカッサの最低音など、半世紀前の録音であることが信じられない音響を前に些細なクレームを唱える気にならなくなる。 スペイン物の明るく華やかな曲想や、ときに憂いをたたえた抒情に触れると、アルベニス、ファリャなど次々と聴きたくなる。


この盤の音源。全5曲。手持ちのCDからアップ。


本ブログではお馴染みの名手ホルヘ・カヴァレロのギターによるイベリア「エヴォカシオン」。メトロポリタン美術館での演奏。使用楽器は同館所蔵のハウザー1世。


オリジナルのピアノ演奏。イベリアからエヴォカシオン/港/セビリヤの聖体祭の3曲が弾かれている。



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ウォルター・ビショップJr・トリオ「Speak Low」



コロナ禍で花見気分に浸ることもなく、ぼちぼち四月も半ば。きょうも程々に業務に精励。帰宅後ひと息ついて、夜毎のルーチン音盤タイム。今夜はこんな盤を取り出した。


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ワルター・ビショップJr・トリオによる名盤「SPEAK LOW」。1961年録音(モノラル)。収録曲は以下の通り。

1.サムタイム・アイム・ハッピー
2.ブルース・スン・ザ・クローゼット
3.グリーン・ドルフィン・ストリート
4.アローン・トゥゲザー
5.マイルストーンズ
6.スピーク・ロウ

ぼくはジャズは好きだがマニアではないので詳しい説明は出来ないのだが、このワルター・ビショップJr(1927-1998)はバップ系ピアニストとしてデヴューしたもののあまりヒットに恵まれず、本作が最初で最後の代表作となった由。オリジナルのLP盤は大そうなプレミアムが付いて幻の名盤ともまで言われたようだが、今は復刻CDなら容易に手に入る。写真の手持ちの盤はもちろんそんなプレミアム盤ではなく国内盤(懐かしいトリオレコード)の中古LP。ディスクユニオンかどこかで千円程で手に入れた記憶がある。そんないわくのある盤だが、こうして後世まで聴き継がれているのだから名実共に名盤といってよい。スタンダードな名曲がスタンダードなピアノトリオで演奏される、ごくスタンダードな盤…だが、何か気安さだけでないところがあって、そのあたりが世に残った要因だろうか。

ワルター・ビショップJrはブロックコード奏法に長けていたというが、この盤でもそんな特徴がよく出ていて、モダンなコードをチョイスしながら、単なるバッキングに留まらないスィンギーなコードプレイを繰り広げる。さらにこの盤の売りはジミー・ギャルソンのベースだろう。第1曲サムタイム・アイム・ハッピーの冒頭からノリのよいはずむようなベースプレイ、第3曲「グリーン・ドルフィン・ストリート」でのアルコ(弓弾き)の長いソロ、そしてB面の第2曲、アップテンポの「マイルストーンズ」でぐいぐいとアンサンブル全体を引っ張るドライブ感、いずれも存在感十分で、この盤を単なるピアノトリオの終わらせていない。


アルバムのタイトルチューン「SPEAK LOW」


アップテンポの「MILESTONES」。バッパーの面目躍如。


1991年来日時のライヴだそうだ。



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リヒテルのシューベルトD960



週末日曜日。あれこれあって少々物憂い一日。夕方近くになって気を取り直し、こんな盤を取り出した。


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スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)の弾くシューベルトのピアノソナタ変ロ長調D960。1972年ザルツブルグでの録音。リヒテル最初の平均律クラヴィーア曲集と同時期に録られたもので、この曲を語るときには必ずといってよいほど引き合いに出される名演だ。手持ちの盤はレコードのレーベル印刷に「Shinsekai」の表記があるメロディア原盤の国内盤。随分前に近所のリサイクルショップのジャンク箱から100円で捕獲した。ライナーノーツは失われていたが盤面はほとんどミント状態だった。この演奏を最初に聴いたのは学生時代の70年代半ば。それまでピアノ曲をほとんど聴いていなかったが、このシューベルト、そして平均律で初めてピアノ独奏曲というものを聴くようになった。

シューベルトの、あるいはロマン派ピアノソナタの傑作中の傑作。多くのピアニストが必ずといっていいほど取り組む曲でもある。演奏時間はしばしば40分を超える。特にこのリヒテルの演奏は第1楽章だけでレコードA面全部を使い25分を要している。そしてこれほどテンポの遅い演奏は当時はもちろん現在でも少ない(手元にあるアファナシエフは28分を要しているが…)。先を急ぐことなく悠々と奏される第1楽章。リヒテルの演奏は求心的でありながら押し付けがましい精神論や厳しさのようなものとは対極で、すべてが自然で穏やかに弾き進められる。それでいて弛緩するところなく間然とした品位の高さを併せもつ。第2楽章アンダンテ・ソステヌートも平和な美しさと程よい緊張に満ちている。第3、第4楽章は転じてリズミカルなフレーズが軽やかに奏されるが、騒がしいお祭り気分とは無縁で清廉な明るさにあふれる。リヒテルの前半2つの楽章とは対照的に速めのテンポと軽快なタッチで、この曲が無用に重苦しい曲ではないことを証明している。

今夜久しぶりに針を降ろしてみたが、緊張感と同時に安息に満ちた45分があっという間に過ぎた。けだし名曲。


この盤の音源。


ジェローム・ローズによる演奏。


福間洸太朗によるレクチャー



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吉田慶子「コモ・ア・プランタ」



雨風が何日か続き、桜もすっかり散った。週末金曜日、身辺諸事情あって安穏と音楽を楽しめる状況でもないのだが、ふと思い出し、今夜はこんな癒しの一枚を。


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ウィスパーボイスでボサノバを歌う吉田慶子のデヴューアルバム「コモ・ア・プランタ」。2007年リリース。十年以上前、近所の大手スーパー閉店の際、そこに入っていたCD店の閉店セールで手に入れた。帯タイトルに「ただ始まって、ただ終わる美しいひととき」とあるが、まさその言葉通り。いつの間にかイントロのギターが始まり、そしていつの間にか次のトラックまでの静寂が訪れる。そしてもう一つ、このアルバムを手にした理由は、彼女が使っているギターがぼくの愛器と同じ田邊雅啓さん製作のギターだということ。ブックレットの末尾には、Keiko Yoshida plays Masahiro Tanabe hand made guitar.と記されている。実はそのことを田邊さんからも聞いていた。写真に写っているギターヘッドのデザインからして2002~2004年頃に製作していたロマニリョスモデルで、ぼくが使っている2004年作のものと同一のデザインだ。さらに興味深いことに、いくつかの曲ではあの長谷川きよしがジョイントしている。彼のヒット曲である「別れのサンバ」でオリジナルとはまったく違ったテイストながら、吉田慶子のボーカルを歯切れのよいギターでサポートしている。また全編に渡ってセンスのよいフレーズを繰り出す中村由利子のピアノも聴き逃せない。 花曇りの物憂い春に、こんなボッサを聴くのも悪くない。


手持ちの盤からアップ「別れのサンバ」 バックのギターは長谷川きよし


同 「また明日」 田邊ギターで弾き語り。


同 「決して」



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フリッチャイの「運命」



ことのついでと言ってはナンだが、四月に入ってから続いているフリッチャイの盤。今夜はこの盤を取り出した。


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ハンガリー生まれの指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914-1963)とベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」。彼が残した録音のうち特に晩年ベルリンフィルと入れた一連のステレオ録音はいずれもスケール感豊かで聴き応え十分だ。手元には懐かしい独グラモフォン系の廉価盤レーベル;ヘリオドールシリーズのLPをはじめ、近年になってCDで出た際に買い求めた盤がいくつかある。今夜取り出したのは第7番とカップリングされたCD。第5番は1961年9月の録音。

このベートーヴェン。いつも同じような言い方になるが、まず60年代初頭のベルリンフィルの音が素晴らしくいい。安定した低弦群の響き、よく整って緊張感のあるヴァイオリン群、全体の調和を重んじた吹きぶりの木管群、やや暗めの音色ながら底力のある金管群等々。まだフルトヴェングラー時代の名手がみな残っていた時代であったし、国際化の名のもとに均質化してしまった昨今とは違う、一本筋の通った「独逸」の音が聴ける。

フリッチャイについては何度か記事に書いた。50年代後半から白血病に侵され幾度となく手術を繰り返したフリッチャイは、この録音を録り終えたあと年末には再び病状悪化。ついに指揮活動を断念することになった。そんな当時のフリッチャイの状況が映し出されているのかどうか分からないが、ともかくこの第5番は気宇壮大だ。 遅めのテンポ、テヌートの効いた音価、後ろ髪を引かれるようなアウフタクト…とかく熱っぽさと勢いで突き進んでしまうこの曲の隅々まで克明に描き出していく。一般の指揮者が10分前後で終える第2楽章のAndante con motoに13分かけて丁寧に変奏を弾き進めている。ゆっくりしたテンポで緊張感を保つのは指揮者ばかりでなく団員全員にとっても精神的・肉体的に辛い作業のはずだ。このテンポで終始音の密度と緊張感を持続させるベルリンフィルの力量も文句なしだろう。このコンビのベートーヴェンは3番、5番、7番、9番がステレオ録音で残っていて、いずれも素晴らしい。


第5番第2楽章。このYOUTUBE音源からもコントラバスの深い低音、緊張感のある弦楽群の歌いっぷりは分かる。


終楽章



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フリッチャイの「新世界」



週明け月曜日。花見気分も終わり、新年度業務も本格スタート。本日も程々に業務に精励。7時を少しまわって帰宅した。ひと息ついて、さて新年度スタート祈念…というわけではないが、ふと思い付き、こんな盤を取り出した。


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アントン・ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。フェレンツ・フリッチャイ(1914-1963)指揮ベルリンフィルによる1959年録音。手持ちの盤は90年代後半に手に入れた輸入盤で、スメタナ「モルダウ」、リスト「前奏曲」が併録されている(この2曲のオケはベルリン放響)。

ドヴォルザークの交響曲では9番よりも6~8番を好むのだが、にもかかわらずこの盤を取り出したのは、ひとえにフリッチャイとベルリンフィルのコンビによる演奏・音に触れたかったからだ。同曲の名盤と称されるものはいくつもあって、ことさらこの曲のファンでもないぼくの手元にもアンチェル&チェコフィル、ケルテス&ウィーンフィル、カラヤン&ベルリンフィル、クーベリック&ベルリンフィル、コンドラシン&ウィーンフィルなどの盤がある。しかし近年、この曲を聴こうとしたとき選ぶのは決まってこのフリッチャイ盤だ。

この演奏、何といってもベルリンフィルの音色が素晴らしい。カラヤン以降、さらにはアバド以降とはまったく別の楽団ではないかと思わせる重量感と深みのある音、そしてアインザッツ。フルトヴェングラーから代替わりしながらも、まだカラヤン色に染まり切っていない時代の「独逸の楽団」の音といったらよいだろうか。第1楽章から音楽は実にゆったり流れる。第2主題のあとに出るト長調のモチーフ(これを第2主題とする論もある)では、ぐっとテンポを落とし、更に付点付の音符にテヌートをかけ、テンポの変化を強調して見事なギアチェンジが決まる。ドヴォルザークが異国米国でこの曲を作った際の望郷の念をフリッチャイが背負っているかのような曲の運びで、万感胸にせまるグッとくる解釈だ。第2楽章以降も音楽は終始落ち着いた歩みで進む。弦楽セクションの音は重量感を伴って渋く深く響く。金管楽器群も余裕と底力を感じさせ、木管群もやや古風ながらふくらみのある音色だ。つまり統一された音色感と、音楽の目指す方向とが見事に一致している。

結局のところ60年代前半のベルリンフィルが素晴らしいというのが、ぼくの結論だ。カラヤン&ベルリンフィルの盤も総じて60年代のものがいい。伝統の独墺様式を残したベルリンフィル、録音技師;オットー・ゲルテスやギュンター・ヘルマンス、録音場所のベルリン・イエスキリスト教会…黄金のトライアングルともいうべきコンビネーションが輝いていたのは60年代までだったといっていいだろう。フリッチャイの「新世界より」はこうした良き時代の産物でもあり、白血病に侵され、度重なる手術を重ねていたフリッチャイ晩年の思いが詰まった演奏でもある。


この盤の音源。第1楽章


同 第3楽章



フリッチャイがスメタナのモルダウを振っている練習光景。オケはシュトゥットゥガルト放送響。


本番はこちら
https://youtu.be/-fsYPz4aWnc



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フリッチャイの「悲愴」



年々早くなる桜開花のルーティン。当地関東北部の桜も散り始めた。四月最初の週末土曜日。日中は野暮用あれこれで落ち着かず、夕方近くになってようやくひと息。先回のフリッチャイの盤で思い出し、こんな盤を取り出した。


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チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」。フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団による1959年9月の録音。フリッチャイ(1914-1963)が白血病の闘病から一時的に復帰した際に録音されたと聞く。しかし長い間世に出ることなく年月が過ぎ、40年近くたった1996年に初めてリリースされた。

「悲愴」は格別思い入れのある曲ではないが、それでも手元にある盤を思いつくままに挙げてみると…メンゲルベルク&アムステルダムコンセルトヘボウ(古っ!)、カラヤン&ベルリンフィル(60年代DG盤、70年代EMI盤、88年来日公演ライヴ盤…カラヤンが好きなわけでもないのに3種類も)、ムラヴィンスキー&レニングラード(60年代DG盤)、シルヴェストリ&フィルハーモニア管、マルティノン&ウィーンフィル、バーンスタイン&ニューヨークフィル(新・旧)、小澤&パリ管、モントゥー&ボストン響、アブラヴァネル&ユタ響、他にも何点かあったはずだ。しかしこのフリッチャイ盤にはそれらを差し置いて断然トップの評価を与えたい。

「悲愴」はそうそう気軽に聴ける曲ではない。チャイコフスキーの交響曲の中で聴く頻度としては第5番・第4番・第1番、その次くらいに第6番「悲愴」がくる。やはりこの曲は重いのだ。第1楽章から暗く悲しく、第2楽章の4分の5拍子の軽快な運びも、どこか力なく哀れすら感じる。第3楽章は力感あふれる行進を思わせるが、それだけに終楽章に一気に悲痛の底に沈められるような気分になる。

演奏とその演奏家の人生とを対比させる聴き方はほとんど興味がないが、このフリッチャイ盤に限っては、活躍の真っ最中に病魔に侵された彼の人生と、この悲愴交響曲の演奏とを結び付けてしまう。手兵ベルリン放送交響楽団の弦楽セクションの面々は、病魔と闘う目の前のマエストロへの思いを込めて弓をひいているのだろう。つむぎ出される旋律から涙がこぼれ落ちるかのようだ。フレーズの息は長く、後ろ髪を引かれるかのように綿々と奏される。6個の弱音指示から始まる冒頭、突然のフォルテシモ、再び訪れる静寂とその直後の絶望的なトゥッティ…すべてに意味が込められ、見かけだけの上塗りでない音楽が続く。こうしたフリッチャイの録音を聴くたびに、まさにこれからという壮年期に世を去った彼の若すぎた死を悼まずにはいられなくなる。


手持ちの盤からアップした。第1楽章


同 第3楽章 聴きどころは7分過ぎから。終盤の大団円に向け7分15秒で一気にテンポを落とし、7分30秒前後でテンポを戻し、最後は一気にアチェルランドして走り抜ける。



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プロフィール

マエストロ・与太

Author:マエストロ・与太
ピークを過ぎた中年サラリーマン。真空管アンプで聴く針音混じりの古いアナログ盤、丁寧に淹れた深煎り珈琲、そして自然の恵みの木を材料に、匠の手で作られたギターの暖かい音。以上『お疲れ様三点セット』で仕事の疲れを癒す今日この頃です。

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