フリッチャイの「新世界」
週明け月曜日。花見気分も終わり、新年度業務も本格スタート。本日も程々に業務に精励。7時を少しまわって帰宅した。ひと息ついて、さて新年度スタート祈念…というわけではないが、ふと思い付き、こんな盤を取り出した。

アントン・ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。フェレンツ・フリッチャイ(1914-1963)指揮ベルリンフィルによる1959年録音。手持ちの盤は90年代後半に手に入れた輸入盤で、スメタナ「モルダウ」、リスト「前奏曲」が併録されている(この2曲のオケはベルリン放響)。
ドヴォルザークの交響曲では9番よりも6~8番を好むのだが、にもかかわらずこの盤を取り出したのは、ひとえにフリッチャイとベルリンフィルのコンビによる演奏・音に触れたかったからだ。同曲の名盤と称されるものはいくつもあって、ことさらこの曲のファンでもないぼくの手元にもアンチェル&チェコフィル、ケルテス&ウィーンフィル、カラヤン&ベルリンフィル、クーベリック&ベルリンフィル、コンドラシン&ウィーンフィルなどの盤がある。しかし近年、この曲を聴こうとしたとき選ぶのは決まってこのフリッチャイ盤だ。
この演奏、何といってもベルリンフィルの音色が素晴らしい。カラヤン以降、さらにはアバド以降とはまったく別の楽団ではないかと思わせる重量感と深みのある音、そしてアインザッツ。フルトヴェングラーから代替わりしながらも、まだカラヤン色に染まり切っていない時代の「独逸の楽団」の音といったらよいだろうか。第1楽章から音楽は実にゆったり流れる。第2主題のあとに出るト長調のモチーフ(これを第2主題とする論もある)では、ぐっとテンポを落とし、更に付点付の音符にテヌートをかけ、テンポの変化を強調して見事なギアチェンジが決まる。ドヴォルザークが異国米国でこの曲を作った際の望郷の念をフリッチャイが背負っているかのような曲の運びで、万感胸にせまるグッとくる解釈だ。第2楽章以降も音楽は終始落ち着いた歩みで進む。弦楽セクションの音は重量感を伴って渋く深く響く。金管楽器群も余裕と底力を感じさせ、木管群もやや古風ながらふくらみのある音色だ。つまり統一された音色感と、音楽の目指す方向とが見事に一致している。
結局のところ60年代前半のベルリンフィルが素晴らしいというのが、ぼくの結論だ。カラヤン&ベルリンフィルの盤も総じて60年代のものがいい。伝統の独墺様式を残したベルリンフィル、録音技師;オットー・ゲルテスやギュンター・ヘルマンス、録音場所のベルリン・イエスキリスト教会…黄金のトライアングルともいうべきコンビネーションが輝いていたのは60年代までだったといっていいだろう。フリッチャイの「新世界より」はこうした良き時代の産物でもあり、白血病に侵され、度重なる手術を重ねていたフリッチャイ晩年の思いが詰まった演奏でもある。
この盤の音源。第1楽章
同 第3楽章
フリッチャイがスメタナのモルダウを振っている練習光景。オケはシュトゥットゥガルト放送響。
本番はこちら
https://youtu.be/-fsYPz4aWnc
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