シゲティ―のバッハ無伴奏
きょうで五月も終わり。去年に続き今年も、連休も五月晴れも、ほとんど記憶に残らないうちに過ぎ去ってしまった。来年の今頃は果たしてどうなっているのだろう。さて週明け月曜日。先回聴いた前橋汀子で思い出し、こんな盤を取り出した。

前橋汀子の師匠でもあったハンガリー生まれの往年のヴァイオリニスト:ヨーゼフ・シゲテイ(1892-1973)によるバッハ無伴奏ヴァイオリンのための作品集。手持ちの盤は70年代後半に廉価盤LPで出ていたときのもの。当時この盤を選んだ理由は簡単。その頃廉価盤で手に入る唯一の全曲盤だったからだ。しかし今となってはそうした現実的な理由を除いても、この盤を選んでよかったと思うことしきりだ。
ぼくはもちろんシゲティの全盛期をリアルタイムで見聞きした世代ではない。そのためか、シゲティはコンサートプレイヤーとしてよりは、後半生の指導者としての実績の方が記憶に残っている。特に日本人の潮田益子や前橋汀子がシゲティに師事していたことも、そういう印象につながっているのかもしれない。このバッハの無伴奏はそんなシゲティが還暦を過ぎ晩年に差し掛かる少し前1955~56年の録音。
BWV1001に針を降ろす。モノラル録音独特の浸透力のある音が深く響き渡る。録音状態はすこぶるいい。ゆったりとしたテンポと深いボウイング。一音一音確かめるかのように弾き進める。流麗、華麗、そういう言葉の対極にある演奏だ。往時のシゲティは新即物主義=ノイエ・ザハリッシュカイト(懐かしい言葉!)な演奏スタイルとされていたが、今こうして現代的視点で聴くと、十分にロマンティックで、濃い口の音色と歌いっぷりだ。時おり音が揺れたり、音程に不安定なところがあるのは、この当時すでに指摘されていた技巧の衰えゆえだろうか。しかし、それが曲を聴く上での妨げになる感じはない。モノラル録音もこうした音数の少ない独奏曲などでは、ステレオ録音に比してさしたるディメリットを感じない。
今時、もっと正確かつ流麗に弾く奏者はいくらでもいるだろうが、これほど浸透力と説得力のあるヴァイオリンはやはり唯一無二だ。昨今の奏者にシゲティのように弾いてくれと頼んでも、おそらく出来ないだろう。耳と指と楽曲解釈とが連動して正確無比に楽器を自動制御するシステムが体内に堅固に出来上がっている昨今の奏者には無理な注文だろう。その意味でも貴重な録音だ。
ソナタ第1番ト短調BWV1001。リュート曲としてのBWV1000のフーガは5分17秒過ぎから。この音源は位相等に手を入れているのか、モノラルには聴こえない。
終曲にシャコンヌを含むパルティータ第2番ニ短調。
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