早いもので11月も終わり。今月は業務進捗もまずまず。きょうも都内での仕事を17時に終え、いつもの時刻に帰宅した。さて、今月最後の音盤タイム。先日来ちょこちょこと聴いているハイドンで思い出し、こんな盤を取り出した。

ハイドンの交響曲第88番ト長調。通称「V字」。ブルーノ・ワルター( 1876-1962)指揮コロンビア交響楽団による演奏。同じハイドンの交響曲第100番ト長調「軍隊」がカップリングされている。1961年録音。20年近く前、リサイクルショップのジャンク箱から百円で救済してきたにもかかわらず盤の状態は上々。愛用のCEC製ST930にセットして第88番のトラックに針を下した。
第1楽章は古典派交響曲の定石通り、ゆったりとした序奏で始まる。それほど意味深長でもなく、心地よい響きに身を任せていると程なく主部が始まる。シンプルかつ印象的な第1主題は、この楽章を通じて繰り返される。ワルターのこの盤では提示部の繰り返しはなく展開部へ。この展開部は中々の聴きものだ。第1主題の音形を繰り返しながらも途中、意表を突く転調もあって、まさにこの曲を聴く醍醐味にあふれる。さらに展開部の中盤と再現部への導入ではフルートのワンフレーズが添えられている。第2楽章は穏やかな主題が提示されたあと、その変奏が続く。ワルターの棒が冴え、ともかくよく歌う。
演奏しているコロンビア交響楽団は周知の通り、晩年のワルターとの録音セッション専門といってよい楽団。弦の編成がやや小さく、それを録音技術でカバーしているといわれる。しかし同コンビによるブルックナーやマーラーなどの後期ロマン派の録音ではそうした編成がややハンディキャップになるが、ハイドンやモーツァルトに限ってはまったく違和感はない。むしろワルターの指示とそれに対するオケの反応が素直に出てくるし、木管のソロなどは弦楽群に埋もれずによく通ってくる。
今風の颯爽とした演奏になれた耳で久々にワルターを聴くと、あぁ、これこれという気分になる。音楽の構えが大きく、曲の運びもどっしりとしていて、いかにもシンフォニーだ。特にアレグロの指示がある楽章のテンポはかなりゆっくりめで、前進する推力よりは一音一音の堂々した響きが耳に残る。こうしたワルターの解釈はこの曲の第2楽章や第3楽章を聴くと、よりはっきりとわかる。第3楽章メヌエットでは3拍子の刻みが堂々としていて、その上にのるメロディーも伸びやかかつ力にあふれている。箸休めのメヌエットという風情ではない。良好なステレオ時代の録音とはいえ、やはりワルターはフルトヴェングラーやトスカニーニと同世代の指揮者。現代のスタイルとはひと味もふた味も違う、いつまでも残しておきたい演奏だ。
この盤の音源。第88番全4楽章。堂々たるメヌエットは13分16秒から。
洗足学園の学生オケによる第88番。指揮者なしでの演奏。
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11月最後の日曜日。関東地方はきのうから寒気流入で一気に冷え込んだ。当地群馬県山間部のあちこちからは雪の便りも。冬到来かぁ…と、ひとり言をつぶやきながら初冬の音盤タイム。

冷え込む晩、アラジンストーブに灯を点け、チャイコフスキーの交響曲を絞り気味のボリュームで聴く。ゆらゆら揺れるストーブの青い炎とレコードの針音がシンクロする…ちょっとキザ表現だが、そんな光景だ。
音楽とその地域性や風土、季節性を強く感じる音楽とそうではない音楽とがある。例えばぼくの場合、チャイコフスキーやシベリウスを聴くのは圧倒的に冬の期間が多い。あるいはブラームス第4交響曲の冒頭の弦の主題を聴くと秋の深まりを感じる。そしてチャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章冒頭のファンファーレを聴くと、ああ冬が来たなあと思うのだ。
チャイコフスキー第4番は高校生の時分、クラシックをぼちぼち聴き始めた頃からの付き合いになる。きょう取り出しのたのは70年代初頭にグラモフォンの廉価盤レーベル「ヘリオドール」シリーズで出ていた盤。ぼくら世代のファンには懐かしいジャケットデザインだろう。1960年にロリン・マゼール(1930-2014)がベルリンフィルを振った録音で、マゼールのベルリンフィルへのデビューであったと何かで読んだ。この盤では若き天才マゼールが速めのイン・テンポで颯爽と曲を進める。そしてそれに応えるベルリンフィルが素晴らしいサウンドを展開する。押し出しのいい金管のファンファーレ、一糸乱れぬ弦のアンサンブル、そして全体を支配するややほの暗い音色。カラヤンに飼いならされる前の、かつてのベルリンフィルの響きが残っている。 この盤を買ったのはぼくが高校3年のときだ。受験が終わったら思い切り聴いてやるぞと思いながら、アラジンではない国産のときどきススの出る調子の悪いストーブで暖を取りながら机に向かっていたのを思い出す。あれからやがて半世紀。受験も記憶の彼方。受験だけでなく、いろんなことが始まりそして終わった。この盤だけが当時の思い出そのままに、何も変わらずに懐かしい針音を聴かせてくれる。
この盤の音源。全4楽章
小林研一郎が振る洗足学園音大オケ(洗足学園音楽大学に3つあるオケのうちの一つ「レパートリーオーケストラ」)による演奏。
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朝晩次第に冷え込むようになってきた。早いもので11月も下旬。師走も近いなあ…。さて週末金曜日。今夜は少々ゆるめのジャズをと思い、こんな盤を取り出した。

元ジャーナリストという異例のキャリアを持つ、NY在住英国人女性ヴォーカリスト;テッサ・ソーター(1956―)のアルバム。90年代には英国版のヴォーグやザ・タイムなどのジャーナリストとして活躍。90年代後半に長年の夢であったジャズシンガーへの道を本格的に歩み出したと資料にある。この盤では、ジョニー・マンデル、セルジオ・メンデス、バカラック、マンシーニ、更にジョン・レノンのナンバーなど、様々な時代のスタンダードをゆったりと歌っている。ボサノヴァアレンジのものも多く、リラックスして聴きにはいいアルバムだ。収録曲は以下の通り。
1.アイランド
2.クロース・イナフ・フォー・ラブ
3.ムーンダンス
4.ソー・メニー・スターズ
5.ザ・ルック・オブ・ラブ
6.007は二度死ぬ
7.キー・ラーゴ
8.スロー・ホット・ウィンド
9.ムーン・アンド・サンド
10.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー
11.オール・オア・ナシング・アット・オール
12.カーニバルの朝
13.イマジン
声質は落ち着いていて、表現も穏やか。アルバムのコンセプトかもしれないが、紛れもなく大人の雰囲気だ。といっても、ジャス好きオヤジ向けに媚びたお色気路線ではなく、抑制された知的な雰囲気で、これはこれで中々クールだ。バックはNYの一流スタジオミュージシャンが固めている。ジャンルは違うが同じギター弾きとしては、センスのいいリフを繰り出すホメロ・ルボンボのアコースティック・ギターに耳がいく。ライナーノーツの写真をみると、どこにでもいそうなオジサンだが、ギター持たせたら凄いんだぜ、といった風情か。同じ英国人女性ヴォーカリストということでは、手元にステイシー・ケントのアルバムがある。声質はまったく違うが、何となく漂う雰囲気に共通点を感じる。
エネルギッシュでテクニカルなアメリカ大姐御的ヴォーカリストやハリウッド女優並の美形ヴォーカリストも楽しい。またぼく自身は、ジャズ歌手を名乗るからにはアップテンポのフォービートをきっちり歌ってほしいと思っていて、このアルバムのようにミディアムテンポ以下のチューンばかりだと、正直なところ今一つ不満が残るのも事実だ。しかし、ヨーロッパ、それも英国や北欧など、北ヨーロッパの抑制が効いた女性ヴォーカルもジャズヴォーカルの楽しみの一つとして、ときにはその世界に浸るのも悪くないだろう。
この盤の音源。「オール・オア・ナシング・アット・オール」
ドビュッシーの「夢」。2012年に出た「ビヨンド・ザ・ブルー」というクラシックの名曲をアレンジしたアルバムに収録されている。
ドビュッシーの原曲(…のチェロアレンジですね)
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きのう23日は祝日で仕事は休み。「勤労感謝の日」…あらためて口に出して唱えると、何だか随分と昔の出来事のように感じる。祝祭日もかつての暦では通じなくなってしまって久しい。きのうはそんな年寄じみた感慨を抱きつつ、脈略なくこんな盤を取り出して聴いた。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン( 1732-1809)の交響曲第78番ハ短調。デニス・ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団による全集中の一枚。この盤にはいわゆる「イギリス交響曲」と称される第76番、第77番、第78番の3曲が収められている。イギリスとの縁が深かったハイドンにとっては、のちの「ロンドンセット」と呼ばれる傑作群の前哨戦という感がある。特にこの第78番は20分程のさして規模の大きな曲ではないが、第45番(1772年)以来10年ぶりに短調作品で聴きどころの多い作品だ。
第1楽章は同じハ短調をとる、のちの第95番を思わせる印象的なユニゾンで始まる。演奏解釈によっては悲劇的で緊張を感じる印象にもなるだろうが、この盤でのラッセル・デイヴィスはあえてそうした緊張を避けるように、柔和なフレージングでこの冒頭句を演奏している。すぐに同じ主題が弱音で繰り返され主部が始まる。ハ短調という調性からイメージする悲劇性があまり前面に出ないのは、三拍子で曲の流れがよく、時折りみせる長調への転調のためかと思う。展開部はそう長くはないものの、ハイドンの技巧が遺憾なく発揮されて素晴しい効果をあげている。続く第2楽章は穏やかなアダージョ。牧歌的なモノローグを聴く感があるが、時折り意表を突く転調もあって、単調な箸休めの緩徐楽章にはなっていない。第3楽章は型通りのメヌエット。トリオ部も主部と同じハ長調を取るのは少し珍しいだろうか。第4楽章フィナーレはハ短調で始まるロンド形式で、同主調(ハ長調)平行調(変ホ長調)を交差させながら快速調に進み、最後はハ長調で曲を閉じる。
先に記した通り、ラッセル・デイヴィス&シュトゥットガルト室内管弦楽団による演奏は落ち着いたテンポと過度な緊張を避けた解釈。ハ短調という調性から劇的なものを期待する向きには少々ぬるく感じるかもしれないが、これはこれで個性ある良い演奏だと思う。
この盤の音源。手持ちの盤からアップ。第1楽章ヴィヴァーチェ
同 第2楽章アダージョ
同 第4楽章プレスト
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週明け月曜日。都内仕事先で某関係先とオンライン打合せ。試行錯誤あったが、この一年でオンラインでの打合せや会議もすっかり定着した。メリット・デメリットそれぞれあるが、今のところこの潮流は逆戻りすることはなさそうだ。17時過ぎ、すっかり乗客数も戻った感のある新幹線で帰途につき、いつも時刻に帰宅。ひと息ついて今夜はこんな盤を取り出した。

以前一度取り上げたジョン・リル(英1944-)の弾くベートーヴェンのピアノソナタ全集。その中から第24番「テレーゼ」、第26番「告別」が入ったディスクをPCのドライブにセットした。2000年頃にブリリアントレーベルから出た激安ボックスセット。当時は激安ボックスセット勃興期とでもいうべき時期で、その雄ブリリアントクラシックスからは次々と企画物ボックスセットが発売された。折からインターネットで様々な情報が飛び交い、通販も気安く出来る時代になったこともあり、ぼく自身も勢いに任せて随分と散財した。このジョン・リルのセットもそんな中のひとつだ。原盤は英エニグマ。
ジョン・リルは1970年のチャイコフスキーコンクールの覇者で、英国内では相応の人気もあり、録音も残しているが、世界的にみると決してメジャーな存在ではないだろう。近年度々来日もしているようで、その際の評価もまちまちのようだ。手持ちのベートーヴェン:ピアノソナタとしては、グルダのアマデオ盤LPとブレンデルのフィリップス録音があるが、それらと比べるとこのジョン・リル盤は中々個性的だ。
まず音楽の構えが大きい。ゆったりとしたテンポ設定、重量感のあるタッチで、堂々とした弾きぶり。細かいところに聴き耳を立てると、少々怪しいところもあるのだが、そういう仔細なことをうんぬんするのもどうかなあと、この演奏を聴いていると思ってしまう。演奏はスタジオでの一発録音を思わせるもので、ライヴを聴いている感さえある。手元に資料がないのではっきりしないが、録音は90年代前後と思われ、曲によって音質に少々バラツキがあるが、総じて良好だ。
ピアニストにして文筆家の青柳いずみこ氏はジョン・リルを<ヴィンテージ・ピアニスト>に分類し、2014年の来日公演を絶賛している。そしてその資質からブラームスがとてもよかったと評している。まったくそうに違いない。この音色感、重量感ある弾きぶりでブラームスを聴いてみたい。
手持ちの盤からアップした。第24番嬰ヘ長調「テレーゼ」第1楽章
同 第26番変ホ長調「告別」第1楽章
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早いもので11月も三週間が過ぎた。
週末土曜日。ちょっとした野暮用あって昼前から外出し、三時過ぎに帰宅。渋茶で一服しつつアンプの灯を入れ、こんな盤を取り出した。

ヴァツラフ・ノイマンとチェコフィルハーモニー管によるドヴォルザーク交響曲第8番ト長調。1972年録音。手持ちの盤は1974年に日本コロンビアからリリースされた国内初出盤。例によって以前大阪出張の折、梅田の中古レコード店で手に入れた。同じドヴォルザークの「スケルツォ・カプリチオーソ」が併録されている。
今も昔もドヴォルザークは人気の作曲家だが、その認知度の大半は交響曲第9番「新世界から」による。次いで第8交響曲やチェロ協奏曲、そして第7番、第6番の交響曲、ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲あたりが続くだろう。ぼくがクラシックを聴き始めた70年代もほぼ似たような状況だったと思うが、その中で当時は「新世界から」に対して「イギリス」という名前が付されることの多かったこの第8番の交響曲はちょっとしたブームといえるほど人気があった。 そして第8番人気の火付け役となったのが、このノイマン&チェコフィルによるレコードだったと記憶している。この曲のレコードはもちろん当時もいくつかの盤が流通していたが、本場物というイメージと、1968年のチェコ事件でカナダに去ったアンチェルのあとを受けてチェコフィルのシェフとなったノイマンが度々同団と来日したことも手伝ってこの盤はよく売れ、FMでもしばしば流れた。その証拠にこのコンビは以降この曲を80年代、90年代と再録している。
久々に針を下したが、当時FMエアチェックしたカセットテープで繰り返し聴いた頃の光景が即座によみがえってきた。かつて<黄金の弦>と称されたチェコフィルではあったが、チェコ事件での混乱を受けたノイマン時代初期の出来栄えには辛口の論調も多かった。実際こうして聴いてみても、磨き上げられた響き、洗練された高い技量、水も漏らさぬアンサンブルというイメージからは少々外れる。旋律線のフレーズも意外にあっさりと、ぶっきら棒でさえある。反面惹きつけられるのは、緊張を強いらない程々のテンポ設定、流麗になり過ぎない実直な歌いっぷり、まだグローバル化する前の時代の音色感等々。当時も人気を得ていたであろうセル&クリーヴランド管やカラヤン&ウィーンフィル盤などより、その頃の日本人の耳には受け入れやすかったのだろうと、今になって思う。そして、素朴な表現ながらも自分たち音楽というチェコフィルの自負も感じさせる演奏だ。
この盤の音源。第1楽章
弦楽5部によるアレンジ。しかも小編成。中々面白い! 全4楽章
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秋深し。そろそろ晩秋の趣き。晩秋と言えば…この秋ブラームスを聴いていないなあ…と思い出し、こんな盤を取り出した。

ドイツの指揮者トーマス・ザンデルリンク(1942-)がフィルハーモニア管弦楽団を振ったブラームスの交響曲全集。1996年録音。写真のような少し変わったパッケージにCD4枚が収められている。イタリアのDARPRO.S.r.l.というレーベルからリリースされたもので、パッケージに書かれている解説もすべてイタリア語という異色盤。発売された直後、HMVのサイトで新譜にも関わらず千円ちょっとで叩き売られていたのをみて手に入れた。
いうまでもなくトーマス・ザンデルリンクはクルト・ザンデルリンク(1912-2011)の子息。90年代には大阪シンフォニカーの音楽監督を務めていたこともあって日本でもおなじみだ。兄弟のシュテファン(1964-)、ミヒャエル(1967-)も指揮者あるいはチェリストとして活躍している。
悠然と流れるブラームス。全4曲ともかなりテンポの遅い演奏に属するだろう。ブラームスの交響曲の中ではもっとも演奏時間の短い第3番も(この曲のみ第1楽章提示部繰り返しがあるが…)40分以上を要している。遅いテンポといえばクレンペラーやバルビローリあたりを思い出すが、テンポ以外の解釈は随分と異なる。 そして、ゆったりとしたテンポをさらに助長するかのように、レガートなフレージング、弦楽群の音価いっぱいのボウイング、管楽群のやや暗めの音色、マスの響き重視の録音。そうしたものが相まって、この演奏のソフトフォーカスなイメージが出来上がる。こう書くと腑抜けでしまりのない演奏のように聞こえてしまうかもしれないが、レガートなフレージングもよく考えられたディナーミクを伴っていて、曲の進行と共に単なるヒートアップとは違う高まりを感じさせる。特に第4番あたりは相性がよく、冒頭の詠嘆調の出だしから始まってじわりじわりと進むうちに次第に聴く側の心の内が熱くなってくる。一方、第1番などはやはりもう少しごつごつとした肌合いが欲しくなるところだ。
ザンデルリンク父とベートーヴェン交響曲全集を録音しているロンドンのフィルハーモニア管はさすがに腕達者、かつ元々ウォルター・レッグのもとEMIのレコーディングオケとして誕生した由来もあってか指揮者への順応性が高く、ここでもトーマス・ザンデルリンクの解釈を十分具体化している。録音は管楽器群をやや遠めにとらえ、個々の解像よりはマスの音場感重視。コントラバスの低いピッチも確実に再現されて、全体に渋い響きのブラームスにはふさわしい音質だ。イタリア仕込みのユニークなパッケージデザイン、トーマス・ザンデルリンクの悠然たる解釈とそれに応えるフィルハーモニア管の実力、そして渋めで調和重視の録音など、あまたあるブラームス演奏の中でも隠れた名盤といえる。
この盤の音源で第4番ホ短調。全4楽章
同第3番ヘ長調。全4楽章
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