六月も半ば。梅雨空続く。いつも通りに家を出て、いつも通りに仕事をして、いつも通りに帰宅した。今夜は訳もなく…ブルックナー。この盤を取り出した。

1963年録音のカール・シューリヒト(1880-1967)指揮ウィーンフィルによるブルックナー交響曲第8番ハ短調。ぼくら70年代に学生時代を送った世代のブルックナーファンにとっては、宇野功芳氏の熱烈評論によって名盤としてすり込まれて、FMエアチェックしたカセットテープを繰り返し聴いた。実際にこの盤を手にしたのは20年程前のこと。例によって当時、大阪出張の折のお馴染みであった梅田の名曲堂阪急東通り店で買い求めた。
第1楽章の出だしからシューリヒトの特性がはっきり出て、音楽はまるで室内楽のように静かに、そして各パートの響きが、さほど優秀な録音ではないにもかかわらず、混濁せずに聴こえてくる。フォルテでも決して大声を上げず、全体のバランスと際立たせるべきパートは何かがしっかりと分かる。開始からしばらくはほとんどテンポも動かず歩みを進めるのだが、弦のピチカートにのってホルンと木管が主題を奏でる第3主題ではグッとテンポを落とし、その後は少しずつテンポが揺れ始め、音楽が動き出す。このあたりはシューリヒトの周到な設計図によるものだろう。
第2楽章はこれぞスケルツォという軽快なテンポで始まる。フレーズを短めに切り、もたれずに進む。まるでレントラーかと思わせるようにレガートでゆっくりとしたカラヤン盤とは好対照だ。作者自身がドイツの野人と称したこの楽章だが、シューリヒトはここでも大声を上げず、無骨さも強調せずに速めのテンポで曲を進め、トリオに入ると一気にテンポを落として素晴らしい効果を上げている。20分を越す第3楽章アダージョも、思いのほか時間が早く過ぎる。もちろんこれはテンポ設定が速いということではなく、シューリヒトの曲の運びが、重箱の隅をつつき細部にこだわって粘り気味に演奏するスタイルと縁遠いからだ。もちろんシューリヒトも細部にこだわっているのだろうが、その部分部分に注力するのではなく、曲の運び、この先にどう進むかという視点で見ているからではないかと思う。終楽章も終始テンポが適切で音楽の流れがいい。
ブルックナーというと、とかく巨大な編成とそこから生み出される壮大なオーケストラサウンドを期待する向きもいるだろうが、この盤の演奏を聴くと、ブルックナーはやはり静かで敬虔な音楽なのだと納得する。やや渋めのブルックナーを楽しみたい向きには好適なアルバムだ。
この盤の音源。こんな長い曲付き合っていられない…という輩は第2楽章スケルツォだけでも。15分40秒から(YouTub画面概要欄の第2楽章25分36秒は誤り)。
マタチッチ(1899-1985)&N響による第4楽章。1984年。これがマタチッチ最後の来日となった。涙物だなあ…
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先日の記事に書いたアーネスト・シャンドの曲集を運よく手に入れた。

国内唯一の出版譜が品切れ。もしや現代ギター社の倉庫に残っていないかと問い合わせてみたが無いとの返事。輸入譜もMelbay社から出ている曲集がやはり品切れ。無いとなるといよいよ欲しくなるのが人情だ。IMSLPに頼るのもいいが出版譜を手元におきたいと思いつつ半ば諦めていたが、ダメもとでギタルラ社に問い合わせると、なんと1冊だけ在庫があるという。声が上ずりそうになるのを抑えつつ、電話口で落ち着いて取り置きを依頼。先日、都内での仕事帰りに目白まで出向いて受け取ってきた。実はギタルラ社では以前も同じようなことがあった。数年前、石月一匡編のチェロとギターの二重奏曲集を探していて、版元絶版で都内のいつくかの店に問い合わせてもなかったときに、ギタルラに2冊在庫があって自分用とチェロ相方用に確保できたことがあった。
ペーター・イェルマー校訂の「ギターのためのシャンド作品集」。シャーロック・ホームズ時代に活躍したギタリスト…と副題が付されている。巻頭には編者イェルマーによるアーネスト・シャンドの紹介と、この曲集を出すに至った経緯が書かれていて興味を引く。シャンドは当初、俳優としてキャリアをスタートしたそうだ。同時にギターも弾き始め、やがて作曲とコンサート活動に専念するようになる。作品数は200を超え教則本やギター協奏曲まで書いた。
編者イェルマーは80年代半ばにシャンドに注目。その後、偶然1910年マインツ・ショット社刊の楽譜を手に入れたのをきっかけに、大英博物館が所蔵するマイクロフィルムを取り寄せるまでに至ったそうだ。中々の執心ぶりだ。1996年にはこの曲集に収録された曲でCDを作り、楽譜の出版に至る。現代ギター社での初版が2003年で、どうやら版を重ねることなく現在品切れという状態のようだ。
この曲集にはシャンド作品から15曲が選ばれ、ショット社出版譜の原典ファクシミリも添えられている。付属のCDにはイェルマーによる演奏と、新田淑子の歌によるギター伴奏歌曲2曲が収録されている。ブリリアントクラシックから2021年にリリースされたアルベルト・ロッカによる演奏では全60曲が取り上げられている。そのすべてがYouTubeで聴ける。演奏者ロッカにはぜひ楽譜の出版もお願いしたいところだ。
P.S ギタルラ社では楽器も3本ほど試奏してきた。その話はまたあらためて。
「ロココ風ガヴォット」 出だしのフレーズはヴィラ・ロボス「スコティッシュ・ショーロ」と瓜二つだ。10弦ギターを駆使したアルベルト・ロッカによる演奏
同 「軽快なワルツ」
「ワルシャワ風マズルカ」
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先週初めに梅雨入りした関東地方。梅雨というと、じめじめしたうっとうしいイメージばかりが先行するが、程々の降りなら静かで落ち着いた風情もあって悪くない。残念ながらこの週末は野暮用に追われ、そんな風情を楽しむ間もなく終わった。ひと通り用件を片付けて一服。こんな盤を取り出した。

ジャズピアニスト木住野佳子のアルバム「ランデヴー」。手元には彼女のアルバムが数枚ある。かれこれ二十年近く前、続けて彼女のアルバムを手に入れた時期があった。この盤もその中の一枚。1997年のリリースで彼女の三枚目のアルバムにあたる。
彼女はジャズピアニストという肩書きにはなっているが、桐朋でクラシックを学ぶ傍ら、ロックやフュージョンのバンドに加わってピアノやキーボードを弾いていたことからもわかるように、音楽のフィールドとしてはジャズに留まらない。このアルバムは彼女のオリジナル曲が多く収録されているが、スムースジャズあり、フュージョンあり、AOR風ありといった具合で誰にでも気軽に楽しめる音楽だ。彼女のアルバムでは初期のものに属するが、様々な音楽様式を持ち込んで意欲的な姿勢も感じられる。もっともそう構えて聴く必要もなく、いわゆるスムースジャズのBGMとして気安く聴き流すだけでも十分に楽しい。この時期、静かな雨音をかき消さない程度のボリュームで穏やかに楽しむには好適な一枚だ。
この盤の音源「Manhattan Daylight」
同「Janga」
同「Message From Snow」
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クラシックCD廉価盤ボックスセットの雄ブリリアントクラシックス。そのYouTueチャンネルには同社が扱っているCD音源を中心に多くの楽曲が公開されている。そして、その内容の大盤振る舞いぶりには驚く。クラシック全般はもちろん、クラシックギター分野も充実していて多くの曲が網羅的に公開されている。その中で少し前から通勤車中のYouTubeリスニングで聴いているのがアーネスト・シャンドのギター曲だ。

アーネスト・シャンド(1868-1924)は英国で活躍したギター奏者・作曲家。ぼく自身もほとんど予備知識はなく、Wikipediaに出ている程度のことしか知らない。シャンドの曲を初めて知ったのは高校時代。同窓で一年上のギター弾き旧友Y氏(ハンドルネームMazaでしばしばコメント入れてくれる)がシャンドの作品の一つ「シャンソン」を弾いていて、それが耳に残っていた。その後、現在に至るまでほとんど見聞きしなかったが、最近になってYouTubeでその曲を聴いて、そういえば的に思い出した。思い出しついでに確認したら、京本編のこの曲集に「シャンソン」が載っていた。
CD3枚分2時間46分に及ぶブリリアントクラシックスのYouTube音源を通して聴いてみたが、魅力的な曲が並んでいる。時代背景を受け、作風はロマンティックなサロン風小品。キャッチ―なメロディと気の利いた和声のスパイス、大胆な転調等、中々聴かせる。マズルカ、ガヴォット、行進曲といった形式を借りた作品も多い。現代ギター社から出ていた曲集は現在品切れのようだが、幸いIMSLPで20曲ほどの曲が閲覧できる。教則本も書いている。
シャンド自身がギターの名手だったことから、いずれの曲もギターの音域、ポジション等よく考えられて効果的に音が響く。技術的には程々に難易度高く、中上級者向けだろうか。タレガ、レゴンディ辺りの作風が好みの輩なら大いに楽しめるに違いない。
Legende_Op.201。アレキサンドラ・ ウィッティンガムによる演奏。使っている楽器は、スペインからフランスへ移り、のちにロベール・ブーシェにギター製作の手ほどきをしたとされるフリアン・ゴメス・ラミレス1938年作のギター。
同 楽譜付き音源
半世紀前、耳に馴染んだ「シャンソン」
ブリリアントクラシックスのYouTubeチャンネルにある音源。昨年リリースされたシャンド作品を60曲集めたCD3枚分(2時間46分)。 アルベルト・ラ・ロッカというギタリストによる10弦ギターを使った演奏。妙な崩しもなく、折り目正しい演奏で好感がもてる。
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久しぶりにハイドンを聴く。取り出したのはこの盤。

ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるハイドン交響曲集。手持ちの盤は2011年にリリースされた4枚組の輸入盤セット。ステレオ録音の第92~98番(第97番は2種類)、それとモノラル録音された第88番、第104番が入っている。魅力的な2曲がモノラルというのが少々残念だが、セルのハイドン録音がまとまって安価に入手できたのはラッキーだった。全10曲からきょうは第92番ト長調「オクスフォード」をノートPCのドライブにセットした。1961年録音。
第1楽章は型通りアダージョの序奏で始まる。この序奏を聴くだけで、しみじみハイドンはいいなあと、いつも溜め息をもらしてしまう。弦楽群の綾なす美しい古典的な和声。長短の調性を交えつつ緊張と解決を繰り返しながら主部への期待を高めていく。セル&クリーヴランド管はじっくりとした歩調でこの序奏の美しさを存分に表現していて申し分ない。響きは透明を極め、一つ一つの音符の関係性を絶妙なアーティキュレーションで弾き分けていく。主部は速からず遅からずのテンポ設定がピタリと決まる。聴く前はもっと速めのテンポかと勝手に思っていたが、その予想よりはややゆっくりめ。フレーズも丁寧にしっかりと合せ、時折り聴こえてくるチャーミングな木管の響きもいいアクセントなっている。
第2楽章アダージョは弦楽群と木管群の会話が美しい。中間部、短調に転じた辺りも力ずくにならず全体の響きのバランスがキープされる。第3楽章のメヌエットは堂々たる構えながら、不要に大仰にならないところがいい。単調になりがちなメヌエットだが、全休符や木管、ホルンの巧みな活用など、ハイドンはいろいろと趣向を凝らしていて飽きさせない。終楽章は快活な、これまたいかにもハイドンという感じのプレスト。クリーヴランドのアンサンブルは中間部の対位法を駆使した緊張感のあるフレーズを一糸乱れず弾き進める。小気味いいことこの上ない。このハイドンはセル&クリーヴランドについて巷間言われるその特徴がことごとく当てはまるが、同時にちょっとしたフレーズや木管群の響きにさりげない愛らしさも感じる。リマスタリングで音もリフレッシュされ、バランス、広がり、低音の充実など音の状態もいい。古典中の古典ハイドンの模範的演奏として好適だ。
この盤の音源。「オクスフォード」全曲。
「見るYouTube」をクリックして、YouTubeアプリケーションへ飛んで見ると解説字幕が表示される。この動画を観ながら、さあエアーコンダクターでひと汗かこう!
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モーツァルトの交響曲というと、まずは後期の36番以降。ついで35番「ハフナー」、25番ト短調あたりがポピュラー。加えて29番イ長調の簡素ながら穏やかな曲調もいい。おそらくこのあたりまでは多くの輩の共通認識だろう。問題はその次だ。大方の意見は第31番パリ交響曲ではないか。…ということで、今夜はこの盤を取り出した。

ジェームス・レヴァイン(1943-2021)が1985年にウィーンフィルといれたモーツァルト交響曲集。手持ちの盤は録音の数年後にミッドプライスのシリーズで出たときのもの。31番の他、25番と29番がカップリングされていて、ちょうど後期作品の次にセレクトする佳曲が収まっている。はっきりした記憶はないが、このカップリングの妙にひかれてこの盤を手にしたのだろう。
31番「パリ」はメヌエット楽章を持たない全3楽章形式ながら、派手好きだったパリの聴衆に合せたのか、オケの編成はモーツァルトの交響曲の中では最大級のもので、完全な二管編成。モーツァルトが初めてクラリネットを使った曲でもある。
第1楽章は当時のパリの聴衆が好んだという輝かしいユニゾンで始まり、35番ハフナー交響曲を思わせる。展開部は冒頭のユニゾンで始まるが次の瞬間、大胆な短調への転調があり、ここだけでもモーツァルトの天才性を感じる。穏やかな第2楽章アンダンテをはさんで第3楽章は再び輝かしいフレーズで始まる。しかし脳天気なロンドではなく、短いながらソナタ形式で書かれ、ときフーガを配し、大胆な転調も加えて後期作品にも勝るとも劣らない素晴らしい効果をあげている。レヴァインの指揮はこの第31番の輝かしい雰囲気にぴったりで、速めのテンポで鮮やかに進む。カップリングされている29番などは、もう少し素朴にのんびりやってほしいのだが、25番やこのパリ交響曲での相性は悪くない。
この盤の音源。
今年設立50周年を迎えるベルリンフィル・カラヤンアカデミーによる演奏。
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六月最初の週末土曜日。朝から野暮用いくつかこなし、昼をはさんで留守番。雑誌を眺めつつ、BGM代わりのこんな盤を取り出した。

高橋悠治(1938-)の弾くバッハ。
高橋悠治といえば70年代以降、気鋭のピアニストとして現代音楽の領域で第一線を進んでいた存在として記憶している。一方でバッハを始め古典期から近代までの作品も録音に残した。十数年前に当時の一連の録音が「高橋悠治コレクション」として13タイトル復刻された際、バッハを2セット買い求めてみた。パルティータ全6曲、フランス風序曲、インヴェンションとシンフォニア、イタリア協奏曲が収められている。実は手にした当時、一聴してその解釈に違和感を覚えてから以降、ほとんど聴かずに放置したままだったので、きょうは久々に聴いたことになる。
インヴェンションの第1曲が流れてきてすぐ、やはり曲の運びが引っかかる。彼が繰り出す装飾音、それに伴って元々の旋律が刻んでいる拍節感が微妙にずれるところがどうにも気になってしまう。正確にメトロノームを合わせたわけではないので、実際のテンポやビートがずれているのかどうかは定かでないが、ぼくの鈍い耳には、テンポが不規則に揺れるあるいは引っかかるという感じに聴こえてくるのだ。グールドの解釈はユニークだといわれ、確かに通例よりも速いあるいは遅いテンポをとることもしばしばだが、そのテンポの中での拍節感はまったく変化なく、装飾音を繰り出しても正確なビートを刻みながら曲が進んでいく。そこに違和感は感じない。高橋悠治の演奏を第2曲以降よく聴いていくと、どうやら旋律的な曲でその傾向が強く、対位法的な曲ではそうしたことはなく正確なビートで各声部を弾き進めている。そのためそうした曲ではさほど違和感はなく楽しむことが出来た。またWikipediaには「バッハを弾くのなら、一つ一つの音はちがった役割を持つので、粒はそろえないほうが良い」と高橋が語ったとあって、なるほどと合点した。どうやら彼は予定調和的なアーティキュレーションを良しとしない立場を取ったのかもしれない。…と、こんな風に聴いたあとでライナーノーツを見て納得した。この演奏は原曲の初稿ともいうべきいわゆる「装飾稿」による演奏であること、また解釈や曲順等に高橋の意図が色濃く反映されていることが記されていた。なるほど一聴して奇異に感じるのも当然かもしれない。そのあたりの経緯は日本コロンビアのサイトに詳しく書かれている。
イタリア協奏曲の第1楽章は手持ちの盤の中では最速かと思わせる速さで始まり、浅めの呼吸でそのまま最後まで突っ走る。主題の切替えでルバートをかけることもなく、見得を切ることない。最初は食い足らない気分で聴き始めたが、少し聴き進めるとさほど違和感なく耳に入ってきた。これはこれでいいかもしれないと思えてきた。少々不思議な演奏というのが偽らざるところだ。この録音から40年以上を経過した今、どんな演奏をするのだろう。
手持ちの盤からアップした。イタリア協奏曲第1楽章アレグロ
同 パルティータ第2番ハ短調第1曲シンフォニア
小フーガBWV578。これはごく素直に耳に入ってくる演奏。そしてときにロマンティックな表情で驚く。
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